2016-11-28

じかに抱き合う


挨拶句、挨拶歌が好きだ。誰とわかる人への応答でなくてもかまわない。なんというか、さらりと消息を通わせあう気分の作品、に惹かれるのである。

単に惹かれるだけでなく、わたし自身いつも誰かと、あるいは何かと唱和しあう気持ちで俳句を詠んでいる。俳句のことをかけがえのない《贈答品》だと思っているらしい。

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さいきん立て続けに知人が遊びにきたり、ボジョレー・ヌーヴォーの解禁があったりしたせいで、アルコールめいた気分で暮らしている。毎年この時期は、酒の歌が頭に浮かんでは消える。たとえば大伴旅人の連作「酒を讃めたまふ歌」なら次の歌。
酒の名を聖(ひじり)と負ほせし古の大き聖の言の宣しさ  大伴旅人
(酒の名に「聖」とつけたいにしえの大聖人の言葉のうまさ) 

なかなかに人とあらずは酒壷に成りにてしかも酒に染みなむ  〃
(なまじっか人でいるより酒壺になりたい酒に溺れていたい) 
それから小池純代。この人には相当な数にのぼる酔歌があるけれど、
一杯のソルティドッグを嘗めたれば鹽(しほ)のからさと犬のかなしさ  小池純代
これなんか、どことなく俳句の香りが。まぎれもなく短歌なのに。
ほろ酔ひの
ほがらほがらと
頰(ほ)にのぼる
ほのさびしさぞ
ホワイトホオス  〃
連作「ありたれいしょん歌留多」より「ほ」の歌。言葉えらびに力みがなく、酒に似つかわしい俗謡の精神が心地よい。もっとも俗謡の精神も巧みな技も脱ぎ捨てて、この世界とじかに抱き合ったような次の歌が、わたしにとっての一番かもしれない。

よろこびのかくあふれたり卓上にこぼるる酒を惜しと思ふな  小池純代