2016-12-29

べしの調理


いままで「べし」の話を数回書いた()。この語は音にキレがあって好きなんだけど、使い方をまちがうと最悪の意味でアホっぽくなっちゃうので気をつけなきゃいけない。以前このブログに載せたサ行折り句の

さるびあに痺れる指(および)すべからく世界は意味にそびえたつべし  小津夜景

はまさにそう。いささか女っぽい、自己肯定的な陶酔がある。これ、どうかんがえても「指」がダメなんだよね。やらしくて、人妻っぽい。たぶんこの一語から解体にとりかかれば、この歌は生まれ変わるだろう。こんな簡単なこと書いた瞬間に気づくべきなのに、自分って脇が甘いなあとがっかりする。

さて、気を取り直して、もしも今ここで、あらためて「べし」を調理するとしたらどうするか? 

えっとですね、まず「べし」で軽い2句切れをつくりたい。で、そのうしろは「べし」の熱を冷ますために一字空ける。そして後半は長めの名詞をつかって、結句を句跨がりにする。というのも「べし」を入れると2句目には意味的な圧力がかかるので、3句目以降はその反動というか均衡をはかるために、ゆったりした尺で空気を動かしたいんである。たとえばこんな感じで。

惑星に齢あるべし 余白なきスタニスワフ・レムの日記よ 

言葉と意味はテキトー。とりあえず各分節の頭韻脚韻および強拍弱拍のバランスを見ながら、音の動きだけざっと割り付けてみた(4句目のスタニスワフが6音なのはご愛嬌で)。

どうでしょう? 最初の歌の「べし」と比較して、より節度が増したような気がするのだけれど。

なんにせよ、こうした音の配置を考えるときって、絵を描いたり、献立を考えたり、盛りつけをしたりするのとまったく同じ愉快を、わたしは感じているのですよ。今日言いたいのは、そのこと。

そびゆべし囀はわが死後の木に  小津夜景