2016-12-04

「なう」の歌と「いろは」歌


このタイトルだと越智友亮の「焼そばのソースが濃くて花火なう」を思い出す人もいるかもしれないが、本日の「なう」はそっちでなく古典の方。『閑吟集』に

後影(うしろかげ)を見んとすれば 霧がなう 朝霧が

という歌謡がある。つねづねこの「なう」が良いなあと思っていたのだが、あるとき小池純代の
うつくしう 
噓をつくなう 
唄うなう 
うい奴ぢや さう
裏梅のやう
という「なう」を知った。さらに眺めると各句の頭韻と脚韻が「う」で揃っている。こういった書き方もあるのかと思い、さっそく「いろはうた・いろはうた」の沓冠折句(くつかぶりおりく)を閑吟集風にこしらえてみた(なう、の意味が変わってしまったが)。

言ひかけた論より、見なう、花々は虚(うろ)よいざうろたへな残命  小津夜景

二回目の「いろはうた」は結句側から倒立で仕込んである。どうして「いろはうた」という言葉を選んだのかというと、これを書いたとき小池純代の「いろは歌」が念頭にあったから。
あけのちきりに   明けの契りに
すむこゑも     澄む聲も
いさやおほえぬ   いさや覺えぬ
まとろみへ     微睡へ

よせゐるふねは   寄せゐる舟は
そらゆめを     空夢を
うたひつくして   唄ひつくして
わかれなん     分れなん
うたかたを寄せ集めたような美しい歌。だが言葉はいつもこうあってくれるわけでなく、ときにこの世界をはっきりと名指す。だから言葉のそばにいるとたまに不安になる。このままわたしを無視してくれ、わたしを名指さないでくれ、と思う。