2017-01-13

林檎の香のごとく


君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ  北原白秋

ふだんからなにも考えていないのだが、さらに一切の現象を忘却して、こういう万葉歌みたいな恋歌を書きたいと思うことがたまにある。

掲歌が収められた歌集『桐の花』は、乙女心を鷲掴みにするきらっきらした歌の宝庫だ。泣く歌が多いところだけは気に入らないものの(泣くというのは男の文化である。乙女は意地が強く、おいそれとは泣かない)それを補ってあり余る感動がある。たとえば、はじめて読んだとき一瞬でぶっとんだのが、
南風薔薇(さうび)ゆすれりあるかなく斑猫飛びて死ぬる夕ぐれ  北原白秋
息をのむほどオリーブ少女っぽい。他には
すずろかにクラリネットの鳴りやまぬ日の夕ぐれとなりにけるかな  北原白秋
よき椅子に黒き猫さへ来てなげく初夏晩春の濃きココアかな   〃
こんなのも、好き。怖いくらい。

話は冒頭に戻って、掲歌はこの上ない清潔感を感じさせるところが素敵なのだけれど、実はこれ、姦通の歌なんですよね。あの「桐の花事件」の。で、掲歌のあとが
楂古聿(チョコレート)嗅ぎて君待つ雪の夜は湯沸(サモワル)の湯気も静ごころなし  北原白秋
雪の夜の紅きゐろりのすり寄りつ人妻とわれと何とすべけむ   〃
と続くんですが、これを知ったとき、別に悪いとまでは言わないけれど、人妻という言葉づかいが地味に失敗しているというか、ああ、現実の土がついちゃったな、とは、思った。ちなみに、人妻の成功例は、下の歌。
紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも  大海人皇子