2017-02-21

海の転用


海の神の名はさまざまにある。ギリシアのポセイドン。ローマのネプトゥヌス。ポリネシアのタンガロア。

日本には底筒男命(そこつつのおのみこと)中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)なんてのも。なんで三柱?とふしぎに思っていたら「海流ってね、海底、海中、海面、それぞれ全く違う物理法則でうごいてるんだよ」と同居人が教えてくれて、それ以来住吉三神を凄いなあと思うようになった。


あらゆる言語にあって、無生物に関する表現の大部分が、人間の身体やその各部、また人間的感覚や情念から転用されたものであるということは注目に値する。たとえば、「頭」は頂上や始まりを、「額」「背中」は前後を意味する。また、ねじの「目」とか、家々に灯(とも)る「目」とか。「口」は開いたもの。「唇」は瓶などのへり。鋤や熊手や鋸や櫛の「歯」。「鬚(ひげ)」は根。海の「舌」(入江)。川や山の「喉」とか「喉頭部」。土の「頸」(丘)。川の「腕」(支流)。「手」はわずかな数を。海の「胸」は湾を。「脇腹」や「横腹」は隅を。(中略)果実の「肉」とか「骨」。水や石や鉱石の「脈」。ぶどうの「血」はぶどう酒。大地の「腹」。空や海は「笑い」、風は「(息を)吹き」、波は「囁(ささや)き」。(ヴィーコ『新しい学』)

現代人から見ると、空や海が「笑う」というのはなんだか新鮮。わたしたち、怖いくらい大きな「笑い」に囲まれて日々暮らしていたんですね。