2017-02-06

こころときめきするもの



知人と夕食をすませ、帰りに街中を通ったら、カーニバルの準備が着々と進められていた。

カーニバルを待つ時間というのは、胸がどきどきする。

祭そのものが待ち遠しいのではない。そうではなく、足場を組んで、舞台が見えてきて、でもそこにまだなにも起きていない感じが好ましいのだ。なにかが出現する前の空白って、その前後になにもない茫洋な空白とぜんぜん質が違う。

いっぽう祭のあとの空白は気に入らない。というか、ポスト・コイトゥス的な実感がおしなべて苦手である。それゆえ馬鹿騒ぎするときも途中でおいとまするし、ごはんも日頃からおなかいっぱい食べない。より満たされるために、完遂の手前でその行為を止めて、いまここの快楽をどこまでも膨らますわけである。

なにかを待つといふ感覚はひどく奇妙なものだ。約束が叶ふまでの時間がすつかり虚ろになつてしまふ。そのくせその空白に別のものを注ぎ込むこともできない。来るべき瞬間を待ちこがれる心だけですでに一杯なのだ。
いちまいの霧薫きしめて酒杯かな  小津夜景
(フラワーズ・カンフー『出アバラヤ記』より)