2017-06-16

明るく自由な人


中学生の頃、父の本棚に山村暮鳥の『聖三稜玻璃』『風は草木にささやいた』『雲』を見つけたときの衝撃は今でも覚えています。好きだったのは「おなじく」というタイトルが面白い『雲』で、多く考えさせられたのはウルトラシュールな『聖三稜玻璃』。

当時これを読んで思ったのが「前衛って、もしかして、もしかして、やりつくされてる?」ってこと。

そののち、萩原恭次郎『死刑宣告』の「広告灯!」を知ってからは、この手の作風をいわゆる「新しさ」と関連させて読む気持ちが完全に失せてしまうことに。

で、ここから本題。

『死刑宣告』は完成度の高い詩集ですが、わたしにとって長らくこの詩集のもつ意味はそこではなく、1925年という年に出版されたことにありました。というのも、この詩集を見ると、治安維持法のことが思い出され、治安維持法が思い出されると、この法律の強行採決による改正がなされた日の夜に殺された山本宣治を思い出すからです。わたしは山宣の、明るく自由なところが好きなのでした。