2017-10-20

宇宙間について・前編



柳本々々さんが松井真吾さんの俳句を〈収拾のつかない空間〉と評している(続フシギな短詩164)が、これって松井さんその人の生きている場所をそのまま言い当てている、と思う。なぜそう思うかというと、少し前に松井さんとメールで話していたとき、スピカにわたしの書いた「国宝さん&重文さん」のエピソードに松井さんが触れて、

「よくわかります。わたしはビルやマンションにある『定礎』をずっとひとの名前だと思ってました。『あ、また定礎さんのビルだ!』と。」

とおっしゃったからだ(※この話、松井さんの了承を得て書いてます)。

だいたい松井さんは、話すたびに現実離れしたことを言う方だ。たとえば野球実況の「右中間に打った~!」というのを「宇宙間にボールが飛んでいったのだ」とずっと思っていて、今でもそう考える方がしっくりくるのだ、とか。そんなわけで、彼の句集『途中』にも、奇想天外な句がちらほら。


白魚を載せて気球の飛び立てり  松井真吾

極小としての「白魚」と極大(≒膨張物)としての気球。しかもそれが浮遊する。この取り合わせには作者の、制御しがたい遠近&重量感覚が現れている。あるいは、

いっせいに椅子の引かれる蜃気楼  松井真吾

「いっせいに」といった強力な一致団結が、しがない空中の「蜃気楼」として、どっと出現する光景。これも「宇宙間」的境涯の一景かも。

こういう系統の作品には、良い意味でのすっとぼけや、あるいは知的カマトトな感じの、いわゆる作者の才気が見え隠れするものが多い。ところが『途中』はそういった雰囲気とは無縁で、あくまで素直な手触りがある。そこが新鮮で、読んでいて疲れない。あと思ったのが、全体的にとても現代川柳的だということ。ここ、わたしにとって大変気になる特色です。