2018-02-12

やまとごころのなんとかの、


戦中の翼賛運動のひとつに「愛国百人一首」というのがありました。学識教養のある選定委員たちがさまざまな和歌に対し、大政翼賛公認の「美しい日本」的ラベルを貼りつけ「百人一首」として世に発表してしまったというこの行為、選ばれてしまった歌の大部分にとっては実に災難なことです。

と、これは枕。今日は、おとといの俳諧歌に興味をもった方が多いみたいなので、また別の角度から狂歌のことを書いてみます。

しきしまのやまとごころを人とはば朝日ににほふ山ざくら花  本居宣長

しき嶋のやまとごころのなんとかのうろんなことを又さくら花  上田秋成

本居宣長の歌は「愛国百人一首」にも選定されていますが、この種の歌群を、視野の狭いうぬぼれからくる自己顕示欲の産物にすぎないと批判した人は江戸時代にもいて、それが『雨月物語』の上田秋成です。

やまとたましいと云ことを、とかくにいふよ。どこの国ても、其国のたましいか国の臭気也。おのれか像の上ニ書しとそ。敷嶋のやまと心の道とへは朝日にてらすやまさくら花とは、いかに/\。おのか像の上ニは、尊大のおや玉也。そこて、しき嶋のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花、とこたへた。(上田秋成『胆大小心録』)

(拙訳/大和魂という言葉がとかく口にされるね。どこの国であれ「その国の魂」というのは胡散臭いものだが、肖像画の上に「敷嶋のやまと心の道問へば朝日にてらすやまさくら花」と書き込むなんてのは、もう度を越している。セルフイメージに大和魂を重ねるとは、どれだけ俺様気取りなのか。そこで私はこの歌に「しき嶋のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花」と返歌したんだ。)

本居宣長の用いる「やまとごころ」がいかなる意味であれ、その行為は文字どおりの「自画自賛」。上田秋成は、そういうのを嫌う人でした。

それにしても秋成の狂歌、ニューウェーブみたいですね。そしてまた、俳諧の精神ってこういうものなのかもしれない、と思ったりもします。