2018-02-18

椰子の風に吹かるる日



「オルガン」12号。特集は外山一機×福田若之の対談。超エモーショナル。外山さんの隠れファンなので舐めるように三回読んだ。週刊俳句第565号の福田若之「俳句を『遺産』として扱うことについて ベンヤミンのテクストとその翻訳を手掛かりに」はこの対談のサブテキストにもなっている。浅沼璞×柳本々々の往復書簡は『好色一代男』の、

夕日影朝顔の咲くその下に六千両の光残して  世之介

が、うん、イカれているな、と頷いた。

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外山さんの発言を読んでいて思い出したのですが、以前ハワイの日系人俳句を読んでいたときに、ひとつ興味深いものとしてトイダ・エレナ・ヒサコ氏の「椰子の葉陰にて : ハワイにおける日本人移民の俳句」という論文を見つけたんです。少し引用します(全部読みたい方はこちら)。

椰子のしかゝる屋根の実をもいでいる  見田宙夢
珈琲熟るる里静かなり騾馬の声  横山松青
空こそマンゴの花に澄み渡りたれ  古川文詩朗
タロ葉ゆらゆら鉢の金魚が暮れる  藤原聴雨

自由律俳句もありました。丸山素仁『句集 草と空』から。


ずうっと草が空へゆけば家があるという
椰子に風が吹いている土人の女たち
ここにも雨の降らない蔗畑の家が一軒
夢がにっぽんのことであって虫に啼かれる
蔗に蔗がのしかかっていて逢う人もいない
月を木蔭にして日本の戦争ニュースが聞えるころ
今日帰還兵があるという旗出して庭一ぱいに蕨

先の論文によると素仁は「自由律俳句が外国に暮らす日本移民の心情に合っていると理解し」荻原井泉水と古屋翠渓に師事したのだそうです。

お迎え申して椰子の風に吹かるることする

素仁にとっての自由律は、趣味判断ではなくひとつの運命なのだ、と確信させる句群。生きて在ることのさみしさが、眩しいくらい心に沁みます。