2018-04-26

田中裕明とお酒



田中裕明が「童子の夢」で第28回角川俳句賞を受賞したときの選考座談会(「俳句」昭和57年6月号。この記事の最後に、裕明にかんする部分の抄出あり)を読みました。

出席者は飯田龍太・桂信子・岸田稚魚・清崎敏郎・角川春樹の5名。選考委員たちによる〈春昼の壺盗人の酔ふてゐる〉〈草いきれさめず童子は降りてこず〉の解釈が面白かったので、わたしもじぶんの解釈(鑑賞ではありません。念の為)を少し書いてみます。

〈春昼の壺盗人の酔ふてゐる〉について飯田龍太は「幼いときに読んだ童話みたいなものでもいい、そういうものをフッと思い浮かべた。現実に壺盗人がいるということではなくて、ひとつの想像の世界じゃないかな。…『開けゴマ!』のような世界」と語るのですが、これ、酒中之仙と言われた李白その人ではないでしょうか。具体的には「春日酔起言志」や「山中与幽人対酌」あたり。「壺」も、読んだそのまんま、酒壺ではないかと。

併せて記せば、この句の収録された『花間一壺』では「月下独酌」が巻頭詩として置かれ、裕明と李白との近しい関係が公にされています。さらに『花間一壺』という表現はこの詩の冒頭「花間一壺酒」から来ている。つまり、花の中の酒壺、ですね。

この延長で〈草いきれさめず童子は降りてこず〉の「童子」から、わたしがまずもって連想したのが酒呑童子。百人一首の歌をパロった蜀山人の狂歌に〈大江山いく野のみちのとほければ酒呑童子のいびききこえず〉というのがありますが、このふたつは構図も内容もまったく同じ。すなわち酒吞童子が山に籠って酔いつぶれているわけですよ。おそらく「草いきれ」に潜在する感触の一つには「深酔い」もあるはず。

そんなわけで、この句は岸田や清崎の言うように「難解」ということもなく、また桂や飯田の言うように「童子の夢というタイトルとは関係していない」どころか密接に関係している、というのがじぶんの想像です。「酔い」と「夢」とのコラージュは、きわめて李白的なモチーフでもあります。

典拠(発想源)というのは作者側のプライヴェートな事情なので、読者が意識する必要なんてないし、そこに変に気をとられると一句のふくよかさを却って楽しみそこねてしまいます。でも審査みたいな特殊な場面では、もしかすると本歌取りのたぐいかもね、くらいの留保はあっていい。裕明のみやびさって〈古典にあそぶテクスト派〉の側面にわりと由来していますし。

酔ふままに深山に入りぬ蕨狩  田中裕明