2018-06-30

姉にあねもね





ここ数年来、ずっと工事中だった家の前がとうとうきれいになって、今日から芝生の上を電車が走りはじめました。さっきまで市長の挨拶とブラスバンドの演奏が続いていたところ。近所の人たちはみんな開通セレモニーを見に行っているみたい。隣に住んでいる男の子もお父さんと一緒に電車を見に行っていて、周囲がとても騒がしい。

すごいなあと思うのは今日から9月2日までの2ヶ月間、この電車の運賃が無料なこと。観光シーズンまっさかりにもかかわらず。しかもこれ、空港に乗り入れている電車なんですよ。こういう太っ腹なところは南仏クオリティです(7月20日追記。空港まではまだ到達していませんでした。誤情報、許してください…)。

* * *

昨日の続き。小池純代による別の遊戯に攝津幸彦〈階段を濡らして晝が來てゐたり〉の17音を各首の頭に据えた17首連作「碌碌集」があります。以下に4首を引きます。

階段を濡らしてのちに來たるらし在不在(ありてあらざる)白日白(はくじつのしろ)  小池純代

いましがた姉にあねもねいま胸にわすれもしねえむねえもしゅねえ  (あねもねに「風の娘」、むねえもしゅねえに「記憶の女神」とルビ)

がらんどうなれば鳴るほかなきものを夏鴉來て鳴きてゐるなり

來て仰(おほ)す花眼(くわがん)の花がかく仰す 見紛ふてこそ浮かぶ句もあれ

五感が涼しくなるような作品。そして、もしも〈静かな談林〉を目指した攝津幸彦がこの短歌を見たらとても喜ぶだろうなと思うのでした。

2018-06-29

李賀の聯句とその翻案



さきほど週刊「川柳時評」のここを読んでいたらこんな一節がありました。

そういえば、「連句」という言葉は漢詩でも使われている。
鈴木漠『連句茶話』(編集工房ノア)によれば、対話形式の漢詩に「聯句(連句)」があるという。漢の武帝の時代に始まる「柏梁体」である。また、李賀にも柏梁体の漢詩が二編残されている。これは一人で詠む独吟だが、「悩公」はプレイボーイ・宋玉と遊女の対話、「昌谷詩」は李賀自身と侍童との対話である。

これで思い出したのが、発売ほやほやの拙著『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』に何度も登場した小池純代のこと。というのも、実は小池さんには「悩公」の翻案があるんですよ。

宋玉と遊女のかけあいを李賀が一人二役で演じたこの詩は>こんなにも長いのですけれど、せっかくなので小池さんの訳で好きな流れを3箇所ばかり紹介してみます。

曉奩妝秀靨  あかときの気配も化粧も濃くなつて
夜帳減香筒  夜どほし焚いた香りが残る
鈿鏡飛孤鵲  かささぎが手鏡の背をかすめてく
江図画水葓  河にもまるるわれは水草



月分蛾黛破  月の弧を分けてもらつた蛾眉なのよ
花合靨朱融  花と融けあふまで頬あかく
髪重疑盤霧  どこまでもさまよふための霧と髪
腰軽乍倚風  まよはずきみに添ふ風になる



莫鎖茱萸匣  あの文の謎を解いたはわたしだけ
休開翡翠籠  解いてはならぬかはせみの籠
弄珠驚漢燕  つばくらめさへも驚くあそびかた
焼蜜引胡蜂  焦がした蜜のにほひ 焦がるる

うーん、まいった。これ、冒頭から読むとますます楽しいんです。まだ書きたいことはありますが、長くなりそうな予感がするので、続きはまた明日に。

2018-06-28

7/29 刊行記念イベントのご案内




【2018/07/29(日)】


小津夜景 × 蜂飼耳 × 外間隆史
「海外翻訳文学としての漢詩~古典との新しいつきあい方」
『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』『未明02』刊行記念

時間 _ 15:00~17:00(14:30開場)
場所 _ 本屋B&B
東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1FAX

■ 前売1,500yen + 1 drink order
■ 当日店頭2,000yen + 1 drink order

チケットの購入はこちらから
チケットの予約・購入に関するご案内はこちら

2018-06-25

旬の果実





いつもこのブログを見ている方はご存知のことですが、ここに公開している漢詩の訳はヒマのある折に少しずつ整えています。きのうの詩も先ほど推敲を終えました。新刊『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』を発売したことで新しい訪問者が増えたようなので、改めてお知らせする次第です。

どうして完成してから公開しないのかと言いますと、いったん公開しないと集中力が出ないから。とりかえしのつかない状況に追い込まれないとダメみたい。

* * *

ここのところ旬のキウイ。近郊産のものを食べているのですが、或る樹はいつも双子の実をつけるんです。ひとつ食べるとふたつ食べたみたいで、まこと宜しき気分。

今が旬の果実といえば『カモメの日の読書』で訳した蘇軾の「ライチを食う」に、ここではライチを日に300個食べられる、うんぬんといったくだりがあります。これ、真似したら死んじゃうんですね、知ってました? わたしはきのう知りました。日にせいぜい5個、どんなに多くても10個。そうでないとライチ病になるらしい。気をつけないと。

2018-06-23

しおたまこ『雨がふってもハレルーヤ!展』




会期が残り一週間を切ってしまいましたが、イラストレーターのしおたまこさんが新潟市のシロネプレッソで個展を開催中です。まこさん曰く、

梅雨の日々でもわくわくするような気分のアガる服を着たい! そんな気持ちで、イラストをブラウスや、ワンピースにペイントしました。イラストがそのまま飛び出したようなアクセサリーも出品してます。夏晴れの日に向かって、元気になる素を探しに来ていただけたらと思っています。

2018-06-22

ウクレレ余談。




おとといの日記「消えるウクレレ」に拙句を引用したのですが、あれはもともと、なかはられいこさんと西原天気さんと巻いた歌仙での付け句が原型にあります。その時はどんな流れだったのかと言いますと、

鍵穴越しのアタカマ砂漠  気
ウクレレを小脇に忍び逢ふことも  景
いやんなつちやふ小皺も好きで  れ

こんな感じ。で、わたしこの、なかはられいこさんの付け句が好きなんですよ。牧伸二と小皺で、恋を表現する意表。なかはらさんって、折にふれ爆弾みたいな付け句を放り込みます。同歌仙にはこんな流れも。

ままよ磁針が三途の川を  景
九杯目からは手酌の花の宴  気
囀るやうな久保田の財布  れ

この爽快感! どれだけ太い財布なのでしょう。春の季語「囀る」の調理の仕方も、あっと驚くヌーヴェル・キュイジーヌ。まったくもって川柳作家というのは粋ですね。

約束はただのあじさいだったのに  なかはられいこ

2018-06-21

花の我が家へ  古屋翠渓『流転』1945



『流転』の特筆すべき特徴のひとつは1945年の句が少ないこと。そしてまた、戦後ハワイに帰還した次の年の作品が一句も存在しないことです。

この本のあとがきによると、翠渓がもっとも俳句に励んだのは収容所での4年間だったのだそう。技術的なことを言えば、抑留時代よりそれ以外の時代の方が俳句の質はずっと高いのですけれど、決して質では測れない良さがこの時期の句には確かに感じられます。

そんなわけで1945年の句を順に読んでゆくと、ラストで胸が熱くなる。そして平凡ながら「ああ、死ななくて良かった」と思うのでした。

    春
はるかぜ、石も芽ぐんでゐる

囀りあちこち一羽はバブワイアに来て

    大統領逝去
星条旗の半旗が垂れてゐる

古いキヤンプとて軒端には桃の木などある

    風邪で入院
花にすずしい風が出て蜜蜂三つも来た

    祖国日本ポツダム宣言を受理終戦となる
柵の中から町の戦勝の狼煙上がるを見てゐる

秋空から渡されてこれが赦免状一枚


    一九四五年、四年ぶりに帰還の途に着く、オレゴン州にて
川に沿ふて下るほどに紅葉が青葉になる

    ワシントン州にて
木々の茂り霧立ち込めて知らぬ鳥鳴く

    乗船
青い草に雪がちらつく日を乗込みます

海の色や飛魚や布哇に近づく

海がさらに碧くなり鳥が見えさうな

出迎の人のなか妻子にかこまれてゐる

    帰宅
外の垣にも花の我家でご飯いただく

目さめて見てもわが家

2018-06-20

消えるウクレレ





ウクレレの素敵なところは、湿った風に糸をかけたような、あるいは波しぶきをこぼしたような、くぐもった、角のない音。砂浜に座って、椰子に凭れて、ウクレレを小脇に置くと、きっと嬉しい。

そんな折、近所の雑貨屋さんにウクレレがあるとの情報が。

さっそく行ってみると、ない。どこにも。店員にたずねると、一瞬で売れてしまったとのこと。毎日のぞいてください、そうでないと、またすぐ消えてしまいます。店員はすました顔でそう言う。

そうだよね…。夏だもん。

それはそうと、おもちゃのウクレレでもトイピアノくらいの音は出るのかしら?と思い Plastic toy Ukulelesでググってみました。すると驚くほど落ちついた音。プラスチックを粗悪だと思うのって、いくぶん昭和の感覚なんだろうなあ。ううむ。

ウクレレを隠して忍び逢ふことも  小津夜景

2018-06-19

刷りの快楽





この写真はブレているのではなく、さいきん動画をアップした活版印刷機の下にあった、試し刷りの紙。けむりのようで、いいなあと思い、ヴェルニサージュの最中、たびたびしゃがみこんではじっと見つめていました。

その夜の企画はヴォルテール訳のニュートン『自然哲学の数学的諸原理』の最新活版刷りと版画家による作品のコラボ。どちらも刷りの妙が快感でした。

2018-06-17

古屋翠渓『流転』1944





春のおとずれに胸を熱くしたのは、子供のころの良き思い出。雪のあいだに小さな命を見つけた時の感動は、北国ならではのよろこびでした。そんなわけで古屋翠渓『流転』より、1944年アメリカ大陸の春の句を。

ビーバーが倒した木も芽が膨らむので春
青む枝へみんながカツプを干すので春

井師より来状
動乱の世界を廻つて師の手紙が来た

この年は収容所で、荻原井泉水からの手紙を受け取っているようです。

ところで以前、とある自由律の俳人が「基本、若い自由律俳人は短律志向です。長律とどう向き合うかというのは私自身にとっての懸案事項でもあります。長律って難しいんですよ」と教えてくれたのですが、これ、体感的によくわかる話です。長律は短律より型が複雑、リズムに対する生来の運動神経を試される度合いも大きそう。書いてみようと思っても、なかなかうまくゆきません(目下、試行錯誤中)。

2018-06-15

新刊『カモメの日の読書』紹介ブログ



新刊『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』の紹介ブログをつくりました。


書籍の基本情報、書影、造本にまつわるコラム、刊行記念の催し、著者についてなどをまとめてあります。

2018-06-14

こんなふうにやるんだよ。





夕方、版画展のヴェルニサージュに行くと、画廊の奥が活版印刷用の工房になっていました。


印刷機をまじまじと眺めていたら、知人が「こんなふうにやるんだよ」と機械を動かしているところを見せてくれました。


ふーん、これ両面印刷なんだ?と言うと、ううん違うよ、とのこと。よくわからないけど、おもしろい。編み機とちょっと似ている感じ。

変な日本語



今日わけあって2010年代の〈変な日本語〉がじーんと味わいぶかい音楽にはどんなのがあるだろう、と考えてみました。

この界隈というのは復古レトロ調をよそおった批評的な曲が多い。情報デスクVIRTUALの〈札幌コンテンポラリー〉とか。情報デスクVIRTUALのヴェクトロイドはヴェイパーウェイヴの草分け的存在ですが、このアルバムは女の子っぽさを感じさせるポップ・アートに仕上がっていて好き。星の数ほどある日本語の中から「札幌」が選ばれた偶然にも乾杯したい。


もっと最近ではHong Kong Expressとt e l e p a t h テレパシー能力者からなるユニット2814が出した〈新しい日の誕生/Birth of a New Day〉。ところどころ全角綴りになっているのはそれが正式表記だから。これ、イギリスの音楽みたいですが、曲名はすべて日本語です。


音空間に支配されることを少しでも拒むと身体に入ってこない曲。では批評性が強いのかというと、そんなこともなさそう。個人的には、いまいちでした。

2018-06-13

大人のままごと。





喜怒哀楽書房のPR誌にエッセイ「南の島に憧れて」を寄稿しています。ダウンロードはこちらから。今回は読者プレゼント付きです。

新刊『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』の見本刷りが関係者に届いているもよう。今朝、装画&装幀を担当してくださったほりはたまおさんのツイートで、完成品を初めて目にしました(写真はすべてほりはたさんの撮影です)。


ほりはたさんはとても素敵な文字を書く方で、今回の装幀を依頼した理由のひとつが「彼女の手書きの文字をカバーに入れたい」ということでした。青い鳥の中の文字、空にさざなみが生まれたようで気に入っています。

あと(いつもながら)ままごと気分が嵩じて、boggerで宣伝サイトもつくりました。そちらは近日中に公開予定です。

2018-06-11

鳥の図鑑





道を歩いていて、蔓のうねりに目を奪われる。近づいてしばらく眺めていたら、ふとカール・ブロスフェルト『芸術の原型』が思い出され、それから内田清之助へと連想は及んだ。

あのひとのブックデザインは、なぜあんなに綺麗なのだろう。あの時代の図鑑の中で、どれもひとつ頭が抜けている。

もっとも内田清之助は一冊も手元にない。図書館で『画と鳥』『鳥學講話』などを眺めたことがあるだけ。『日本の鳥』も鳥の姿と彩色とが味わい深いのだけれど、今日はじめて箱入を見てしまった。もう溜め息しか出ない。こんなかわいい図鑑ってありなのかしら。

2018-06-08

第一句集の時期はいつが良いか?





涼しい朝。昼間は23度くらいで安定しており、過ごしやすい毎日。

先日、タイトルにあるとおりの話を人に振られました。この回答は第一句集の数と同じだけ存在するでしょうが、わたしはこんな風に思います。

句集を編む作業は楽しい上に勉強にもなるので、誰でも、いつでも、他人に遠慮せずやってみたらいい。

コツはゆっくり楽しむことと、自作の9割を捨てるつもりで編むこと。

9割となると佳句も手放すことになりますが、そのかわり「ここは動かない」といったその人の色が見えてくる。あとはその色が互いに反応してひとつの総体的な「作品」を描きだすように意識しつつ、捨てた句の中からふさわしいものを、もういちど拾い直せばいい。

これは庭作りにおいて、はじめに大きな木を選び、ついで残りの部分を考えてゆくのに似ているかもしれません。句の色がさまざまなときは、柵で庭を仕切る(部立てにする)にするのも一考。

句集を編むのはいつでもいい一方、刊行については思案のしどころ。処女句集を出せるのは生涯に一度だけ。うんと踏み込むか、さらりと通過するか。ずっと出さないという選択もクール。

わたしの場合は(田中裕明賞受賞の言葉として以前にも書いたことがあるのですが)、数少ない知人である西原天気さんに「句歴がほとんどない人(わたしのこと)が句集を出してもいいと思いますか?」とメールで質問しました。すると「まじめに答えたいので、長考に入ります」との返事を頂いたのですけれど、この時点で、次のメールが100%の肯定でなければ出版しないつもりでした。

で、西原さんから「出したらいいと思います」と再度メールがあり、そこから句の整理を始め、あとがきを書くまでに、ちょうど丸一年かかりました。

これはわたしには絶対に必要な長さだったと思います。具体的には、お気に入りの句や人に褒められた句を「この句集には要らない」とあっさり手放す気持ちになるのに、それだけの時間が必要だったということです。

句集というのは我執の塔ではあり得ず、あくまで生きた句群、胎動する言葉の寄せ植えなので、人間のわがままで彼らの嫌がることをすると、たちまちオーラが失われてしまいます。種を蒔き、育てたのが自分でも、その植物の命まで自分のものではないのと同様に、俳句や句集もまた自分の所有物であるようでいて、これっぽっちもそんなことはないのでした。

そんなわけで、句集刊行の時期については「お気に入りの句を捨てられるようになったころ」というのが個人的な回答です。

2018-06-07

拾った紙ヒコーキ





今日、ポストをのぞいたらこんな本が。《Paper Airplanes : The Collections of Harry Smith》。突然の贈りものです。




アメリカ人が、こんなにも素敵な紙ヒコーキを飛ばすということに感動。

ハリー・スミスはアーティストであり、また文化人類学者(youtubeに彼の編纂した《Anthology of American Folk Music》がありました)でもある人。この紙ヒコーキは街中に落ちているのを拾い集めたコレクションで、巻末にはどこで手に入れたのか一機ずつ住所が記されていました。

ちなみにこのシリーズ、実はもう一冊あって、そちらはなんとあやとりの本なんですよ。紙ヒコーキとあやとり。きっと風が好きなんですね。

2018-06-05

ジャック・ルーボー『誘拐されたオルタンス』





ジャック・ルーボーの詩は時に奥ゆかしく、また時に愛くるしい。『誘拐されたオルタンス』に登場する詩は素っ頓狂な可愛さ。日本語版では高橋啓氏が原詩を添えて訳しているので、余計におもしろかった。

La Linzer Torte
Dans la Mer Morte
Prend uneu teinteu caramelle
Mais en Alsace
C'set la potasse
Qui lui donne la couleur miel

リンツのケーキ(リンツァー・トルテ)
死海では
キャラメルっぽく染まるけど
アルザスではカリ鉱石のせいで
蜂蜜色になるんだよ
(曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、K331、第一楽章。歌詞:著者)

こんな調子でどんどん続く(以下、翻訳部分のみ)。

プラムのタルトは
パンプローナでは
雌猫しょんべんに染まるけど
マインツでは
陶器のせいで
くすんだ色になるんだよ

ミルフイユは
アルジャントゥイユの近くでは
なんともいえない具合に染まるけど
モンソー=レ=ミーヌでは
小麦粉のせいで
砂色になるんだよ

シュークリームは
モラヴィア・ボヘミア地方では
社会主義に染まるけど
ウクライナでは
磁器のせいで
頁岩(けつがん)色になるんだよ

梨のタルトは
遊牧民のテント村では
ヤギの糞に染まるけど
ブリスベンでは
プロパンのせいで
レンガ色になるんだよ

サツマイモのタルト
カルパティア山脈では
血みどろに染まるけど
カブルグでは
恋のせいで
卵白色になるんだよ

とても豊かで、しかもすっきり。おまけに言葉がときめいている。翻訳もすごくいい。

とても豊かでしかもすっきりといえば、ルーボーによる詩節・連の分類ページもそんな感じ。ちゃんと読めもしない設計図を、にもかかわらずじっと眺めてしまう時みたいにわくわくする。

2018-06-04

連句興行とプチ・ニコラ



「オルガン」13号の連句興行、脇から表四句までの流れが素晴らしい。特に脇句と第三句。

紅梅はいま青鮫の兜太征く   石寒太
岬に列しおくる春風   浅沼璞
てのひらを並べてふたつ地がひらき   鴇田智哉
飛行船から振り子時計の   宮﨑莉々香


* * *




そういえば、このあいだ足を運んだ本祭りは『プチ・ニコラ』もたくさんありました。『プチ・ニコラ』はサンペの描く子どもが最高、内容も独創的、どれも古本で手に入る、ということで割ともっています。


対象年齢は5歳くらいから。フランス語も『星の王子さま』みたいに難しくないので、辞書なしでだいたいわかります。愛し抜く以外に向き合う方法を思いつかないくらい、手ばなしでキュートな本です。

2018-06-03

ACIER, revue d'architecture





《ACIER, revue d'architecture》は鉄をつかった建築の動向を追った雑誌。たまたま人からもらったので読んでみました。


昨年オープンしたルーヴル・アブダビの記事。ジャン・ヌーヴェルのデザインした最新型のシルバードームだそうです。この美術館、ネットで見ると夢のような空間ですけれど、この雑誌はそういう写真はなくて、建設の技術的なことが話題になっていました。



日本の建築雑誌と比べて、建設過程を解き明かす写真が多いような気がします。

建設過程といえば昔、同居人がデンバーに行ったとき、デンバー美術館の建設中の様子をポストカードにしたものをおみやげに買ってきてくれたのですが、その美術館の設計者がダニエル・リベスキンドだったせいで、未完成建築のポストカードだとは気づかなかったことが(だって彼の建物って、どれも作りかけみたいなんだもん)。

2018-06-02

ニースの本祭り





きのうからニースの本祭りなので、朝から公園に行きました。


お祭りの内容は、ニース近郊の書店と出版社とが集まって3日間テントを出し、作家たちを招いてサイン会とトークイベントを行うといったもの。サイン会をする作家は229人。トークイベントは60本。きのうはル・クレジオの講演会とサイン会がありました。上の写真は討論会場です。


作家たちが自著の前に座っていて、本を買うとサインしてくれます。


漫画家のテントも。子供たちが真剣に注文をつけていました。テーブルの端にあるのは子供たちにあげる缶バッジ。


地元ラジオ局も公開放送中。


トークショー会場。奧左手のイーゼルに作家の写真、右手のテーブルに講演が終わったあと手渡すための花束がありました。古書店も数件だけ参加していて、主に美術系の本を売っていました。