2018-12-30

なんてことないこと





今日は朝からずっと仕事をしていたら、かわりに夫が水回りのコーキングを張り替え、洗面所の床と台所の吊り戸の中を拭き、ホールケーキ用の大皿6枚とケーキを焼く道具を洗ってくれました。おひるごはんもつくってくれました。広東風チャーハンとサラダとお味噌汁。お米を買ったのも一年ぶりくらい。おいしかった。

ところで今回の「土曜日の読書」、これは小説ですか?とメールを貰ったのですが実話です(場所はフェイクを入れてます)。強制退去になったその当日は、みんなで荷物運び出し大会になったとのこと。10階建のアパルトマンなのに。

2018-12-28

ふりだしは、かりそめごとの





土曜日の読書」更新。大杉栄『日本脱出記』について書きました。これで2018年の書き物はおしまい。今年はめいっぱい遊んだ一年でした。来年はますます没頭して遊びたいです。

ところで、さいきんロビン・ギルさんと、狂歌についてあれこれメールでお喋りするという幸運に浴しました。藤井乙男監修『蜀山家集』付録の「狂歌小史」は藤井氏ではなく金子実英の作であることや、黒田月洞軒が鯛屋貞柳の兄弟弟子であることもご教示いただき、早速、過去記事を修正・加筆。ギルさん、ありがとうございます(画像は robin d. gill "Rise, Ye Sea Slung!")。

* * * * *

五世川柳の「遊女五俳伝」を読んでいたら、面白い句があったので、いくつかメモ。

君は今駒かたあたり郭公  高尾

「君は今」のフレーズにめっぽう弱いんで、ツボに刺さります。ちなみにこれまでの人生最高の「君は今」は、こちらに書いた

ヌアヌ風そよ吹くあたり君は今、碁かマージャンか午後三時なり   赤松祐之

です。あと、この高尾が心に染まぬ客の相手をしながら詠んだ、

いのししにだかれて寝たり萩の花  高尾

も、芭蕉〈一つ家に遊女もねたり萩と月〉を思い出すまでもなく良い風情です。

ふり出しハかりそめごとのさつき雨  野風

これも知的でうっとりしちゃいます。「月が綺麗ですね」に見られるような男女の仲に限らず、人と人との距離をしつらえる際に言葉の機知を利かせるというのは、とても心躍る作法です。

2018-12-27

(memo 2018-)






2018年
12月
俳句12月号 エッセイ「夜空の石」
ぶるうまりん37号 エッセイ「古典の手触り、機知の手触り」 
ウラハイ○土曜日の読書 アナキスト(大杉栄『日本脱出記』)
ウラハイ○土曜日の読書 バオバブ(川田順造『サバンナの博物誌』)
ウラハイ○土曜日の読書 居場所(安部公房『壁』)
ウラハイ○土曜日の読書 てがみ(中川李枝子他『こんにちはおてがみです』)

11月
みみず・ぶっくす(mimizu books)開設
東京新聞文化面 エッセイ「私の本の話」
オルガン15号対談「翻訳と制約 〈漢詩〉の型とその可能性を旅する」(お問い合わせ先 : organ.haiku@gmail.com )
週刊俳句第600号 エッセイ「日曜のカンフー いつかたこぶねになる日」

10月
週刊新潮「掲示板」近況と質問

09月
詩客 俳句「出アバラヤ記/水脈」
日本経済新聞「読書日記」第4回原民喜『原民喜童話集』
日本経済新聞「読書日記」第3回ニーチェ『この人を見よ』
日本経済新聞「読書日記」第2回ブローティガン『西瓜糖の日々』

08月
日本経済新聞「読書日記」第1回青木正児『琴棊書画』
ウラハイ○週末俳句「署名と花籠」 
イシス編集学校・半冬氾夏の会〈特別公開篇〉「二〇一八年夏秋の渡り」小津夜景 × 小池純代 × 松岡正剛トークイベント

07月
『カモメの日の読書』『未明02』刊行記念トークイベント/小津夜景 × 蜂飼耳 × 外間隆史「海外翻訳文学としての漢詩~古典との新しいつきあい方」
週刊俳句第585号 「器に手を当てる 宮本佳世乃『ぽつねんと』における〈風景〉の構図」
週刊俳句第584号【俳人インタビュー】小津夜景さんへの10の質問

06月
新刊『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)刊行
小津夜景日記別荘(新刊紹介サイト)開設
喜怒哀楽98号 リレーエッセイ「南の島に憧れて」

05月
豆の木22号 宮本佳世乃「ぽつねんと」評

04月
未明02 作品「ゼリーフィッシュと遠い記憶」
喜怒哀楽97号 リレーエッセイ「ふしぎな奥義」
週刊俳句第575号 ハイク・フムフム・ハワイアン6「自由律俳句のスピリット」
週刊俳句第572号 ハイク・フムフム・ハワイアン5「続・荻原井泉水とハワイ」
週刊俳句第569号 ハイク・フムフム・ハワイアン4「荻原井泉水とハワイ」
俳句四季4月号 競詠10句「花と夜盗」およびエッセイ

03月
週刊俳句第568号 ハイク・フムフム・ハワイアン3「俳句の電報、俳句の香木」
週刊俳句第567号 ハイク・フムフム・ハワイアン2「渓谷のハイキング」
川柳スープレックス インタビュー「小津夜景さんの好きな川柳・俳句・短歌」
俳誌要覧2018 漢詩をめぐる随筆&翻訳「恋は深くも浅くもある」
ウラハイ○週末俳句「春のお買い物」

02月
週刊俳句第566号 ハイク・フムフム・ハワイアン1「新年、マイナのなきごえより。」
喜怒哀楽96号 リレーエッセイ「てぶら生活」
週刊俳句第563号 トップ写真と小文「火力発電所」

01月
八上桐子句集『hibi』(港の人)栞文「銀の楽器をもたらす手」
文芸誌『しししし』 作品40句「風のデッサン」および漢詩翻訳

2018-12-26

言葉を〈工作〉する





佐藤りえ『景色』には、日常の見え方に少しだけ手を加えたような工作的作品があって、その美術作品っぽい雰囲気がまことによろしいです(*これは豆本ではありません。洗濯バサミが大きいのです)。

雲を飼ふやうにコップを伏せてみる  佐藤りえ

普段からしているなんでもない行為を、言葉のタグをつけることで、全く新しい世界としてインスタレーションしてみせる感覚。この句は「雲を飼ふ」と「コップ」の取りあわせが、センスの見せどころでもありますね。

オルゴール盤いつぱいに春の星座  

そう、ディスク・オルゴールは星座盤そっくり。機械仕掛けの自鳴琴、天文学の香り、そして「いっぱいに春」といった言葉づかいがきれいな化学反応を起こして、少しも難しくない見立てでありながら、発見の気分を醸し出しています。

しはぶいてあたまの穴のひろがりぬ
中空に浮いたままでも大丈夫
しぼられてあはきひかりの世となりぬ

これらは作者の偽らざる所感でしょうか。ともあれ、こんなふうに作者が、自分が生きてゆくためのオリジナルなタグをつくろうとして言葉を〈工作〉する様子には、個人的にとても触発されました。 というのも、俳句をやっていると〈世界をよく見る〉ってどういうことだろうと考えることが多いんですよ。そんな折『景色』を読んで、ああ、そういえば「あたりまえを捉え直す」行為こそが〈世界をよく見る〉ことだよね、とシンプルに思い出したり、ああ文学でなく工作がしたいなあ、と欲望したりしたのでした。

2018-12-24

12/23-1/14 ほりはたまお POP UP SHOP





いつもお世話になっている神戸元町の1003さんで、昨日からほりはたまおさんのPOP UP SHOPが開催中です。店内でビールも飲めます。お店へのアクセスはこちら。(

2018-12-22

記憶の中の最古の「詩」





「土曜日の読書」、更新しました()。川田順造『サバンナの博物誌』を取り上げています。
* * *
昔の記憶で、はっきりと覚えていることのひとつに、詩という言葉との出会いがあります。

3歳のころ住んでいた家の居間には、両親が結婚祝いにいただいた4尺5寸の横額が掛かっていて、幼いわたしは、毎日その横額を眺めるともなく眺めて暮らしていたんです。それがあるとき、まさに突然、そこに描かれている何かが文字であることに気づき、母に「なんて書いてあるの?」とたずねた。すると母は、

「さあ。あれはね、おとうさんの作った詩を、おともだちが書にしてくれたのよ。」

これが、わたしの記憶において「詩」という言葉が登場する最古のものでして。でね、この話を他人にしたら変態って言われました。

記憶の中の最古の言葉、なんて視点は気狂いじみてるって。

でもわたしは、記憶にしても、体験にしても、意味のあるなしにはあまり関心がなくて、いつなんどきも〈初めての日のこと〉を想うのが癖なのでした。



2018-12-17

歌うことの衝動性





いつも覗いているsnowdropさんのブログより()。


「シャッポンをかぶって行きや」母の母が母へかけたる声し思ほゆ
「シャッポンをかぶって行きや」母の母が母へかけたる声し遠しも
「シャッポンをかぶって行きや」母の母が母へかけたるはるかなる声

Porte ton chappon(chapeau) !
la mère de ma mère
disait à ma mère
dans son enfance
il y a longtemps

ほんの少しだけ違う短歌を3つ並べる作法は、なんだか3つの梨を寄せた静物画(桃でもいいですけど)を眺める気分です。そしてフランス語版の、なんという深き味わい。

もちろん、詩作の勘所というのはあっさりと言語を越えます。レーモン・クノー『文体練習』で

L'autobus arrive
Un zazou à chapeau monte
Un heurt il y a
Plus tard devant Saint-Lazare
Il est question d'un bouton

という短歌を読んだときも、クノーが七五調の韻律をよく理解していることに感動しつつ、ま、そうだよねと思いました。
でね、snowdropさんの短歌ですが、歌うことの衝動性が全く失われていないところが素敵です。ブログを拝見していると、軀の温度、胸の鼓動、喉の振動がそのまま形になったような、血の通った囀りばかりでほんと楽しい。

書くときは、いったん言葉を捨て、歌い出しの息へと還ること。記憶の中や身の回りの物音に耳をすますこと。そして胸をつんざく衝動から始めること  そんなことを思いながら。

2018-12-15

私に言葉を与えるもの




土曜日の読書、更新しました()。北方領土の思い出です。
* * *
海へゆくと、カモメが水の上で、影文字を描いていました。

文字のかたちが移り変わってゆくのが、楽しい。

私は、これまでの人生で一番長く住んで、よく知っている場所というのが、学生時代を過ごしたパリと京都なのですけれど、このふたつの町のことは、他人から尋ねられてもうまく話すことができないんですよ。

なにも言うことがない。自分でも怖いくらいに。

で、どうしてだろうと長い時間をかけて内省するうちに、海のない土地の話はしない、といった強い傾向が自分にあることに気づきました。

海は、そこにあるだけで、私の中の柔らかい部分をきざんだり、はぐくんだり、するようです。

そしてまた私に言葉を、さらには文字を与えるものの正体も、どうやら海なのでした。

2018-12-13

「世界」と「自由」



江戸時代の狂歌において、「世界」や「自由」といった語はどんな使い方をされていたのか、てなことを調べてみました。

これを調べようと思ったのは、

三千世界のからすを殺し ぬしと朝寝がしてみたい

がふと頭に浮かんだから。この都々逸って、ほんのり縁起がかっていて、仏教臭さが抜けきっていないじゃないですか(何しろ「三千世界」です)。それで私たちの使う「世界」のニュアンスと江戸時代の人のそれは少し違うのかも、と思ったんです。ところが、あにはからんや、

月みてもさらに悲しくなかりけり世界の人の秋と思へば
頭光
今宵この月は世界の美人にて素顔か雲の化粧だにせず
蓬莱山人帰橋
この里の石の文月浄瑠理の世界にひびく蜩のこゑ
四方赤良

見れば見るほど、あ、一緒だなって。一方「自由」という語も、今と同じ意味で使われているようす。

寄紙祝
君が代のあつき恵みとしら紙の一字もことば書かぬ自由さ
雄蜂

めでたきものを云うのに、帝の恩恵と、まだ何も書いていない紙の醸し出す気ままさとを並べた歌。確かに、白い紙の自由さは格別ですよね。

ほとゝぎす自由自在にきく里は酒屋へ三里豆腐やへ二里
頭光

この歌は、与謝野晶子が本歌取りしたことで知られますよね。

恋痩せし身に嬉しきは小窓より忍びて通う事の自由さ
百文

どれだけ痩せたんだか…。阿呆らしくて笑えます。「自由」のこんなフリーダムな使用例もあるんですね。

2018-12-10

梨のたわむれ 其の壱





こちらの記事はウェブマガジン「かもめの本棚」連載の「LETTERS古典と古楽をめぐる対話」第3回()にまとめました。

2018-12-08

土曜日の読書





新しい連載をはじめます。タイトルは「土曜日の読書」。どんな連載にするのか決まっておらず、1回目は様子見っぽい内容になったのですが、きのう良いアイデアを思いつきました。次回がたのしみ。
* * *

いま住んでいる地域はアルプ=マリティーム県といいます。「アルプ山地」と「海」の混成語なのですが、この名称は古代ローマの属州だったころからずっと変わっていません。

写真はニース空港を飛び立ってすぐ、アルプスの端のあたり。やっぱり雪、すごいです。道産子なのに、素直に驚いてしまいます。

2018-12-05

カチナ・ドール





先住民関係の棚に、ホピ族やズニ族が儀式でつかう人形「カチナ」を、ハサミもノリもなしでつくれる切り抜き絵本がありました。


12体作れるのですが、どれもほんものそっくり。下はHon(白熊)。すごい力の持ち主で、とりわけ病気を治すのが上手とのこと。


この絵本の作者ドミニク・エラールは建築と造形芸術を学び、そっちのジャンルを立体化した作品が多い人。実はみみずぶっくすのヘッダー()もドミニクの絵本。素敵な三羽の冬鴉です。

2018-12-02

幼児版『百兆の詩篇』





昨日の続きで、みみずぶっくすのこと。

逆に買った理由が一発でわかるものもあった。モルテザ・ザーヘディ『千の動物』(Morteza Zahedi "1000 zanimaux")がそれ。レーモン・クノー『百兆の詩篇』の幼児版みたいな大型絵本で、どういうことかというと、



と、こんなふうに造本が『百兆の詩篇』と一緒。対象年齢は3歳から5歳らしい(わたし、ちょうど良いんですが…)。3つの部位(頭、体、脚)に切断された10の動物(梟、猫、鶏...)を組み合わせると、右ページにオリジナルな造形の動物、左ページにシュールな文章がそれぞれ生まれる仕組みになっていて、左の上段には主語(動物の名前)、中段には動詞、下段には副詞句が印刷されている。


「ふくろうは」「のどを鳴らします」「夜の中で」。


「にわとりは」「吠えます」「睡蓮の上で」。

モルテザはイランの人。この絵本、パリのグラン・パレで見たカタログには〈イマージュと短いテクストとの絶妙な屍体〉と評されていた。ううむ、言い得て妙。

2018-12-01

お尻の本





今日はmimizu booksに品出しする本を20冊ほど選んだ(まだ一冊もアップしていない状態)。

一冊ずつ眺めていると、なにゆえこんな絵本が家にあるのかと不思議になるものも多い。『Livre de fesses』(お尻の本)もそう。対象年齢は2歳からとなっているのだが、




こんなのばかりじゃなく、え、そこってお尻だったの?といった写真がけっこうある。あと、毛のまま吊るされた兎のお尻、ひんむかれた豚のお尻、縛られた状態で焼かれた鶏のお尻なども平然と載っている。

極めつけは、人が裸で座ったあとの、お尻のかたちが割れ目までしっかり残っている革椅子の写真。エロティシズム全開。狙ってやってるとしか思えない。

確かに「お尻」という着想は2歳児的。とはいえこの絵本を幼児コーナーに並べて商売が成立するというのは、うーん、こういう時にこそ「お国柄」という言葉を使うべきなのかもしれない。