2019-04-30

続・青と白。



きのうの続き(白はいくぶん少なめ)。


青いベンチ。


開店前のレストラン。


望遠鏡。


仕事をすませて帰宅する途中、タンタン・グッズと古いカメラのみをあつかう露店を発見。品の良さそうな紳士が店番をしていた。


これ、きっとタンタンに登場する飛行機なんですよね?


何も買わずに露店を立ち去り、自宅の方にあるホテル・ネグレスコまで来る。この建物を見ると、86人の死者と458人の負傷者を出した2016年のトラック・テロを思い出す(当時ここに負傷者が運び込まれた)。それはつまり思い出さない日はないということだ。まるでシャワーから上がるたびに鏡に映る手術痕のように、もはやなんの痛みもないもののいつまでも消えない。

斑猫に花の柩車のある暮らし  小津夜景

2019-04-29

青と白。



岩波『図書』5月号にエッセイを寄稿しています。週刊俳句のことから書き起こし、フランスの俳句事情(翻訳あり)について書きました。


月曜の朝。


白いシャワーと人気のない海。


監視塔の上に乳母車が! たぶん昨日(日曜)の落とし物。


開店前のレストラン。


ビーチバレーのコートを製作中。働く車はヤンマー。


iphoneで音楽を聴いている(あるいは眠っている)男性。

2019-04-28

椰子の実の季節



行きつけのスーパーにゆくと、外皮の繊維をむき、ドリルでストロー用の穴をあけた状態のココナッツが並んでいた。


プリンスメロンほどの寸法。左はココナッツを立てる紙製の台。


今年はじめてのココナッツ・ウォーター。夏の風物。


オマージュがイマージュとなり鳥となり人類の手を離れていつた  小津夜景

2019-04-27

「はがきハイク」第20号



今週の「土曜日の読書」更新。吉川幸次郎『漱石詩注』からお金の大切さについて書きました。陶淵明の暮らし向きについては岡村繁『陶淵明 世俗と超俗』がしばしば話題に上ります。


業界最小最軽量の俳誌「はがきハイク」第20号が届く。あいかわらず手書きの宛名。切手はウミウシ。この俳誌、もう9年も続いているそうです。

大田区にあるもつちりとした部分  西原天気
夕おぼろ書院は池に浮かびおり  笠井亞子

2019-04-26

ふわふわの味



川柳スープレックス「喫茶江戸川柳 其ノ肆」更新。今月のテーマは桜です。江戸というテーマパークにおける春の光景をマスターに教えてもらいました。


〈水鳥やむかふの岸へつういつい〉で知られる広瀬惟然に、

水さつと鳥よふはふはふうはふは  惟然

という句がありますが、この「ふわふわ」という表現が気になって古典の使用例を調べてみたんです。そしたらまあいろいろあって、なかでもずば抜けてふわっふわしていたのが、

大友の王子の王に点うちてつぶす玉子のふわふわの関
大田南畝

でした。壬申の乱との関連で知られる不破の関を詠んだ歌ですが、なんと「ふわふわ」に甘みがある! そもそも「ふわふわ」は卵料理とくっつく例が多いのですけれど

板や荒れし寒さを凌ぎ大食いにくべる玉子のふわ/\の関
佐心子賀近

の塩味と並べたら、南畝のカステラ風味がよりありがたく思われます(佐心子賀近の歌はギルさんの『古狂歌 ご笑納ください』より)。また参考までに芭蕉の句を引用すると、

秋風や藪も畠も不破の関  芭蕉

と不破の関でもサビ味です。芭蕉も佐心子賀近も

人住まぬ不破の関屋の板廂あれにしのちはただ秋の風
藤原良経

が頭にあるから、どうしても甘くはならないのでしょう。

2019-04-24

抽斗堂 no.24 ピンホールのサングラス





抽斗堂no.24はピンホールのサングラス。スポーツ観戦用です(かけたことないけど)。入手の経緯はこちら。他のグッズは人にあげ、メガネが好きなのでこれだけ残しました。

スポーツと言えば、ツール・ド・フランスの不動の人気は、昔の甲子園人気を10倍キツくしたような感じです。3週間・3500キロ走破という過酷さがいいみたい。あと長距離レース特有の、風景が刻一刻と変化する官能性も堪能できるし。

余談。毎年夏になるたび古都古城やら、田園風景やら、山岳地帯やらといった〈フランス一周観光〉をメディアが3週間も中継するというシステムは、怖るべき利を国家にもたらすな、と思う。あ、これは壮大なイデオロギー装置なのねって。

2019-04-23

なんてことのない風景



河上肇の漢詩を読んでいたら、こんな自由詩が混じっていた。

夏日戯に作る  河上肇

何を食べてもこんなにおいしいものが
またとあらうかと思うて食べる。
大概は帙をひもといて古人の詩を読んで暮らす。
倦み来りて茗をすすり疲れ来らば枕に横たはる。
家はせまけれど風南北に通じ、
銭を用ひずして涼風至る。
こんなよい気持が人の身に
またとあらうかと疑はれる。
生きてゐる甲斐ありとつくづく思ふ。
しかしまたいつ死んでもよいと思ふ。
生きてゐてもよく、死んで行つてもよい、
これ以上の境涯はまたと世になからうではないか。

河上は獄中で陸游の詩に感動し、のちに翻訳書まで出したんですが、彼自身の詩も行動家と風流人の両面をあわせもつ陸游に倣い、時に熱く、また時に穏やかになります。これは穏やかな方の作。ごはんがおいしく、本と茶を楽しみ、ごろんとしては風に吹かれるという、典型的な漢詩的日常です。

茗(めい)は遅摘みのteaのこと。一方早く摘んだteaは茶と言ったそうです。

2019-04-21

キラキラ戒名



きのう、秋田明大っていまなにしてるのかしらと思いウィキをみたら、自分と誕生日が同じだということを知る。で、今日、家人とお昼ごはんを食べていて、大石内蔵助ってキラキラ戒名だよね、あれくらいキラってる人いたっけ?という話になり立川談志をググったら、談志も誕生日が同じだった。なんと2日続けての偶然。

大石内蔵助の戒名は「忠誠院刃空浄剣居士」で完全に少年漫画。談志の「立川雲黒斎家元勝手居士」は狂歌系キラキラですよね。素敵だなと思うのは山田風太郎の「風々院風々風々居士」。ほわわん。

末法を戯(ざ)れてマッポと花泥棒  夜景
幕引きの春はいづこも芝居かな
(おほ)ふ日の棺ありけり春の鐘
けったいな花に揉まれて泣いたっけ

2019-04-19

ムスカリとハナニラ



今週の「土曜日の読書」は田中美穂『苔とあるく』からコケ色眼鏡生活のことを書きました。本屋さんの著作というのはやはり(といっていいのか)本の話題が多いですが、田中さんのは本とあっさり無関係なところが飄々として面白いです。


義母はいつも自宅の庭の写真を送ってくれる。これは3日前のムスカリ。地中海原産らしい。ううむ。近所にあふれているのはそのせいだったのか。


ハナニラ。

抽斗堂 no.23 道で拾った羽根





抽斗堂no.23は道で拾った羽根。オーガニック・シャンプーを溶かしたぬるま湯で洗って、ドライヤーで乾かしました。なんの鳥だろう。ウミツバメかな? 画像だと青がかっていますが、肉眼では灰から白へのグラデーションです。

ついでに書くと、いまこのブログの表紙にしているのはジュズカケバトの羽根。ベランダに落ちていました。鳩が好きな人というのは多いですけど、幸せな人生だなって思う。毎日遭遇率100パーセントだもん。

2019-04-17

まばたきすることば



川柳スープレックスに「まばたきすることば──粒子と流体とのあわいで/杉倉葉氏ロング・インタビュー」が掲載されています。聞き手は小津です。こちら(→)からどうぞ。

この企画は当初、柳人との対談として頂いたんです。で、杉倉さんのことが頭に浮かび、私の一存でインタビューにさせてもらいました。ひさしぶりにバーセルミの名前を聞いて嬉しかった。まだ読まれているんだなあ。

あとですね、道を歩いていたら、蜂が熱心に仕事をしてましたよ。とてもよい香りの仕事場。

そんな日は昼寝を虹のやうにする  夜景

2019-04-16

うりふたつなもの




週刊俳句第625号に「深さの図学をめぐるスケッチ - 岡田一実『記憶における沼とその他の在処』を読む」を寄稿しています。枚数の少ない依頼だったので、句集の持ち味を一点にしぼって書きました。岡田さんって筆に雅があるから、ぱっと見は文学趣味っぽいんですけど、じっと見るとミニマリスティックな認識幾何学の追求がすごいです。


自分にとってうりふたつなもの(←枕草子風書き出し)。

(1)パトリック・モディアノと村上春樹。モディアノはアパートの前を巡回する図書館バスでふらっと借りて、どこの誰かも知らない状態で読んだんですが、呼吸や濃淡が村上春樹そっくりで衝撃を受けました。「納屋を焼く」から「トニー滝谷」あたりの音像です。はあっとため息が出るほど春樹の感じしかせず、実にするっと読了し、ああこれ完全に中毒性のアレだなあと思いつつ図書館バスが回ってくるたびに別の本を借りて。でも誰も指摘してないと思うし、私自身もわかってもらえない自覚アリ〼。いったい翻訳ではどんな文体が採用されているのでしょうか。

(2)ウラジミール・ジャンケレヴィッチと菊地成孔。ジャンケレヴィッチは高校生のとき『仕事と日々・夢想と夜々―哲学的対話』を読み、そのときは正直うーむと思った(笑いのない、雰囲気良さげなものが苦手)。でもこの新春、故あって原書の『音楽と筆舌に尽くせないもの』をめくってみたら、うそ、これまんま菊地成孔じゃん!とまさかの開眼。身体で尾を曳く音像がよく似ている。加えて論理に抗い、詩にも陥らず、知性それ自体のわがままな欲望に対し全くもって寛容で、ついぞ〈かたち〉になびかないところも。

2019-04-15

パングラムの午後





近所の教会。もうすぐ花粉の季節に入るオリーヴの木の下でつかのま休憩する。

とりなくこゑす ゆめさませ
みよあけわたる ひんがしを
そらいろはえて おきつへに
ほふねむれゐぬ もやのうち

鳥啼く声す  夢覚ませ
見よ明け渡る 東を
空色栄えて  沖つ辺に
帆船群れゐぬ 靄の中

元祖いろは歌はあまりに厭世的ということで、昔から様々な改作が試みられてきました。上の坂本百次郎作は春にぴったり。春眠と暁、鳥と夢、東、靄と明らかに季を意識していますよねこれ。下はより当季に合う竹本健治作。

路面落ちぬる 花さへも
寂寥を寄す 我が胸に
今聲絕えて 脅威見ゆ
空の星撞く ビリヤアド

ろめんおちぬる はなさへも
せきれうをよす わかむねに
いまこゑたえて けふゐみゆ
そらのほしつく ひりやあと

2019-04-14

染屋と織屋の一本勝負



さいきん、染屋と織屋のベストマッチを発見しました。

 紺掻
春陽の日陰や藍の深緑
 織殿
夕立や織り込む箔の稲光

出典は「職人尽発句合」。声に出して読むと、両句の力量のバランスや情景のコントラストがすごくいい。形も阿吽の屏風ばりにキマっていますし、切れ字の位置も対位法っぽい。お次は私の編んだ組み歌。

 紺屋
紫の灰合ひがたき思ひをば染めてあやなく色に出にけり
「難波職人歌合」より
 織屋
はかなくも足動かして水鳥の模様織り出す浪の綾糸
「略画職人尽」より

うーんこれが対戦ならば織屋の勝ちでしょうか。紺屋の方は「合ひ=逢ひ」と「染め=初め」が掛詞です。「紫の灰合ひ」は、布を紫に染めるために灰を調合すること。なにゆえここにそんな言葉が出てくるのかというと、この歌が源氏物語の、

などてかくはひあひがたき紫をこころにふかく思ひそめけむ

の本歌取りだから。ついでに書くと、この「紫」は紫の上ではなく玉鬘です。彼女の衣の色を指しているらしいですよ。

2019-04-13

LETTERS 古典と古楽をめぐる対話





その1

今週の「土曜日の読書」は平野甲賀『もじを描く』から、ある夜の訪問者について書きました。平野甲賀って、わたしの中では安西水丸と同じくくりなんです。ぜんぜん違うのになんでだろ。からっとしてるところかな。うーん。

その2

かもめの本棚というサイトで新連載「LETTERS 古典と古楽をめぐる対話」が始まりました。内容は音楽家・須藤岳史さんとの往復書簡で、第1回()は小津の担当です。

毎月暮らしの風景に触れつつ、言葉・意味・音をめぐる旅をくりひろげる予定。更新は月2回で、各回は2日に分けての掲載となります。第2回(須藤さん担当)は4月22日と23日です。

今回、「上」の冒頭にかかげたのは町の全景写真。海と空がとても広いです。ニース天文台からスマートフォンで撮影しました。この天文台は建物部分がパリ・オペラ座をつくったシャルル・ガルニエ作で、ドーム部分がギュスターヴ・エッフェル作なので、建築マニアの方には観光する価値があるかもしれません。

2019-04-12

抽斗堂 no.22 12色のハードパステル




抽斗堂no.22はハードパステル。手に入れたのは小学6年生のときなので、すでに30年以上経った道具です。

確かイラストレーターがパステルをカッターで削って、指で擦り込んでいるのをテレビを見て、自分もやってみたくなったんですよ。それで一人で画材屋にゆき、どきどきしながら店内を回って、こんなのもう10回は買ったことあるよってなすまし顔で購入しました。

ただ当時の自分にはものすごく背伸びした買い物だったせいか、大切にしすぎてほとんど使わず。色が必要なときは、別の画材で間に合わせていました。

2019-04-11

薄味のカタストロフ


朝日新聞掲載の連作がリンクぎれのため、短縮版をブログに再掲。3月の作品だったので、4月に読むと少しひんやり気味です。

胸にフォークを(抄)

まかなひを分けあふ春や点滴庵
水ぬるむ日のあをいろを鳥に巻く
薄味のカタストロフを蝶に添へ
ごちさうの空に文庫をかざしけり
ふるふるとフラスコ揺する牡丹雪
のつけから渦巻くツバメ探偵社
(つちふる)や胸にフォークをしまふとき
くすぐると濃くなる囀(さへづり)も髯(ひげ)も 

ぼんやりしていると食べ物のことばかり詠む癖があって、このときもそうだった様子。食べることは私にとって、ラブ・フレーバーな営為なんですよね。それでついつい。せっかくなので、きのうつくったお菓子の句も添えます。

ナフキンに蝶のひれふすスフレかな  夜景

2019-04-10

空の深さをしばし忘れて





午後の樹下。まだ読んだことのない推理小説の筋を想像したり、好きな歌に唱和したりして過ごすことのよろこび。

春嵐
いさたのしまむ
乳房(ちちふさ)
ちからのごとき
風に凭れて
小池純代

つちふるや
譜割りのごとき
太刀捌き
小津夜景

抽斗堂 no.21 ポケットティッシュ





抽斗堂no.21はポケットティッシュふたつ。抽斗埋蔵品となってちょうど3年目に突入しました。

これ、ある短詩関係者への帰国土産として買ったんです。でもいざ渡そうとするときに、こんなものあげてだいじょうぶかな、なにかのパワハラにならないかなと不安になって、鞄から出せなかった。去年も、一昨年も。

我が家には、こんなふうに渡せなかった贈り物がけっこうあります。そしてまた、人になにか渡そうとするときいつも思い出すのが、

フランケン、おまえの頭でうつくしいとかんじるものを持ってきたのね
穂村弘

2019-04-09

à la carte



その1。抽斗堂no.18の葉っぱ。今朝その木を見にいったら、幹にbauhinia aculeataとラベルがぶら下がっていました。中南米の木らしい。バウヒニアか。ふむ。下は見た目がほぼ一緒のbauhinia acuminata。


その2。読売新聞掲載の拙作。発表から2ヶ月前経ったのでブログに再掲します(たった5句の連作なので)。与えられたお題は「星」でした。

粉雪やCHANELに似合ふ銀煙管(キセル)
逢へぬ日はこの世の雪で酒を煮る 
空論にふくろふのゐる茶の湯かな
うたかたの証の火事をしとねより
装飾楽句(カデンツァ)のやうな星なり江戸の坂

その3。先週、同居人がずっと落ち込んでいて、どうしたのと聞いても「なんでもない」と理由を教えてくれなかったんですよ。それが、ウォッカの訃報が原因だったと判明しました。享年15歳。

防人の燃やす古草ウォッカの忌  小津夜景

2019-04-08

春のメニュウ



こちらのつづき。万葉歌から。

春日野に煙立つ見ゆをとめらし春野のうはぎ摘みて煮らしも
作者未詳

美味しそう! 春日野は今の奈良公園のあたり。うはぎは嫁菜のこと。春日野の煙を遠くから眺めつつ、あそこで女の子が嫁菜を摘んで煮ているのかなあと思うただそれだけの歌ですが、うきうきとした味と香りと恋しさが広がります。春オリジナルの、胸ふくらむあの感じが。

クレソンの束を空ごと贈られし  小津夜景


2019-04-07

抽斗堂 no.20 卓上用ハンドベル





抽斗堂no.20は卓上用ハンドベル。真鍮製。ブリュージュの蚤の市で見つけました。値段は0,5ユーロ。

彫りの柄が絵付け風で、持ち手がゆがんでいます。壊れたのではなく、昔の手作りだからっぽい。

購入してしばらくは卓上に出しっぱなしで、一人ままごとに使用していました。ベルを鳴らして「オレンジジュースお願いします」などと声に出しては、そそくさと立ち上がり、自分で用意するのです。

2019-04-06

雨が降りそう





土曜の昼。雨が降りそう。

電車を待っている間、蟻はいるかなと思いプラットフォーム沿いにしゃがむ。天気が悪いせいか蟻はいなかった。一匹も。巣穴が、ぽつん、ぽつん、とあるだけ。

ジャガタライモとジャーナリズム



今週の「土曜日の読書」は森下典子『こいしいたべもの』から味と香りと恋しさについて書きました。

おいしそうな文章だけじゃなくまずそうな描写も好きです。調理のシーンだったらわりとなんでもいけます。

ところで木下彪『明治詩話』には食の漢詩がいっぱい収録されています。残念ながら調理の詩はないのですが、参考としてひとつ紹介。

「築地精養軒」 服部撫松
肉刺庖丁使不馴
邪賀鱈芋転机辺
洋客含笑見横目
伝毛先生顔赧然

肉刺し庖丁 使い馴れず
ジャガタラ芋 机辺に転ぶ
洋客笑みを含んで横目に見る
伝毛(でも)先生 顔赧然

服部誠一(撫松)は文学者でジャーナリスト。宮武外骨はこの人と成島柳北に憧れて新聞を始めたんですよね。成島柳北は私も好き。初めてナイアガラの漢詩を読んだときは、わお!と思いました。

掲詩の出典である『東京新繁昌記』は文明開化の世相・風俗を漢文戯作体で活写したもので、寺門静軒の『江戸繁昌記』のオマージュになっています。『東京新繁昌記』はバカ売れして、その収益で『東京新誌』を創刊し、それが外骨少年に決定的な影響を与えたという流れ。

あとこの人って変体漢文で有名ですけれど、実は二本松藩の儒者なんですよ。知らなかった。教師時代の教え子になんと吉野作造がいるんですね。

2019-04-03

文芸上の貞操観念について




亀井小琴の艶詩について付記。この詩には偽作とする説が存在します。理由は草稿が残っていないこと、平仄に不備があること、そして当時の倫理観の3点。能古博物館だより第41号でもこの件にふれています。地元だけあってさすがに丁寧です。

真偽のほどは今もって不明ですが、私は倫理観はあまり気にならないように思う。だってほら、あの詩は歌の香りが強いじゃないですか。歌だったらあの程度の大胆さなんてちょちょいのちょいだもん。思えば原采蘋「十三夜」も歌の香りのする漢詩でした。こんなのです。

十三夜 原采蘋
蒼茫烟霧望難分
月下関山笛裏聞
吾有剪刀磨未試
為君一割雨余雲

ぬばたまの霧蒼ざむる夜となり迷子のわけをほの語らひぬ
Frontier Moonながるるその笛の音の裏側の月のあかるさ
切れ味をいまだ試さぬ鋏かな研ぎし日のまま胸に蔵(しま)ひて
君がため乙女は裁たむひさかたの雨のをはりのあはれの雲を

2019-04-01

抽斗堂 no.19 木と松ぼっくりのかけら





抽斗堂no.19は木と松ぼっくりのかけら。渚で拾いました。この松ぼっくりのかけら、真っ黒で気に入ってます。木は燃やしたら良い香りがしそう。

日本にいると「これ、どこからきたんだろう。ハワイ?」なんて思うんですけど、地中海は水たまりみたいなものだからあまり夢は広がらない。