2019-04-16

うりふたつなもの




週刊俳句第625号に「深さの図学をめぐるスケッチ - 岡田一実『記憶における沼とその他の在処』を読む」を寄稿しています。枚数の少ない依頼だったので、句集の持ち味を一点にしぼって書きました。岡田さんって筆に雅があるから、ぱっと見は文学趣味っぽいんですけど、じっと見るとミニマリスティックな認識幾何学の追求がすごいです。


自分にとってうりふたつなもの(←枕草子風書き出し)。

(1)パトリック・モディアノと村上春樹。モディアノはアパートの前を巡回する図書館バスでふらっと借りて、どこの誰かも知らない状態で読んだんですが、呼吸や濃淡が村上春樹そっくりで衝撃を受けました。「納屋を焼く」から「トニー滝谷」あたりの音像です。はあっとため息が出るほど春樹の感じしかせず、実にするっと読了し、ああこれ完全に中毒性のアレだなあと思いつつ図書館バスが回ってくるたびに別の本を借りて。でも誰も指摘してないと思うし、私自身もわかってもらえない自覚アリ〼。いったい翻訳ではどんな文体が採用されているのでしょうか。

(2)ウラジミール・ジャンケレヴィッチと菊地成孔。ジャンケレヴィッチは高校生のとき『仕事と日々・夢想と夜々―哲学的対話』を読み、そのときは正直うーむと思った(笑いのない、雰囲気良さげなものが苦手)。でもこの新春、故あって原書の『音楽と筆舌に尽くせないもの』をめくってみたら、うそ、これまんま菊地成孔じゃん!とまさかの開眼。身体で尾を曳く音像がよく似ている。加えて論理に抗い、詩にも陥らず、知性それ自体のわがままな欲望に対し全くもって寛容で、ついぞ〈かたち〉になびかないところも。