2019-08-26

いきなりのお菓子



週末、なんのまえぶれもなく、家人がフレンチ・クレオール・ラムを買ってきた。

いったい何があったのか。息をのんで観察していたら、家人は台所へ入り、ボウルの中にアーモンド粉、卵黄、バター、ラムを投入し、少量の小麦粉で固さを調節しつつこねこねしてアーモンド餡をこしらえた。それから、そのアーモンド餡をパイ生地に挟み、オーブンに入れて、ガレット・デ・ロワを焼き出したのだった。

なんでも職場の同僚がレシピを教えてくれたそうで、付き合いもあるし、とりあえず作ってみることにしたらしい。

そんなわけで家人が試作したガレット・デ・ロワ。パイシートを使ったことが遺憾らしく、来週はパイ生地から試作するとのこと。わーい、たのしみ。次はパイ生地の表面にそれっぽい模様も入れてください。

2019-08-24

100年前のパリジェンヌ



土曜日の読書「100年前のパリジェンヌ」更新。引用はアレクサンドラ・ダヴィッド=ネール『パリジェンヌのラサ旅行』より。この日はアレクサンドラの集めた仏教美術が見たくてディーニュ・レ・バンに行ったんです。そうしたら旧居も見学できたのでした。写真をとっていいかわからなかったので、売店で絵葉書を買いました。下の4枚はその絵葉書を撮影したものです。


書斎。古臭くてかわいい。これまでいろんな旧居を見てきたけど、この手の可愛さってはじめて。


モダン。もしかしてチベットのタルチョー・カラーでまとめたつもりなのかな?


南部煎餅が食べたくなる仏間。拡大してみてください。おばあちゃんちの茶の間感がすごいですから。


おまけ。ラサ突入時のいでたち。アレクサンドラ本人によるコスプレ。

2019-08-23

鉄仮面の独房



サント・マルグリット島には社会的身分の高い人のための監獄があって、鉄仮面が11年間いたことで有名です。鉄仮面の正体については昔から諸説ありましたが、現在ではルイ14世の異母兄ユスターシュ・ドージェだとされています。この仮説ではルイ14世は13世の子供ではないんですね(興味のある方はググってください)。


鉄仮面のいた独房。ざっと目算で10畳。左は暖炉、窓にはステンドグラス、右はトイレ。床はテラコッタ・タイル。窓をあけると島だけあって最高に明るい。


壁画の跡。天井が高い。衣食はVIP待遇だったそうです。


トイレは蓋付き。中が覗けるように外してありました(覗かなかったけど)。


博物館の方へ移動すると、17世紀に使われていた「鉄仮面のお菓子」の型を発見。


か、かわいい!!! 

2019-08-22

サント・マルグリット島



ニース港から船でサント・マルグリット島にゆく。いろんなかたちの雲を見た。


これがサント・マルグリット島。


浜辺。キャッサバ畑みたい。


ヨーロッパとアフリカをミックスした雰囲気。


レストランの窓に映る空と雲。


三羽の鳩(無防備)。

2019-08-20

アプリケーションとしての短歌





最近、物知りの知人が杉﨑恒夫を語る流れで、80年代のプレ平成歌壇に登場した〈歌壇外の要素〉を身につけた歌人の話をしてくれたんですよね。

で、井辻朱美、林あまり、高柳蕗子、仙波龍英、うんぬんと話を聞くうちにふと、彼らと俵万智の大きな違いってなんだろうと思った。

おそらくそれは、歌人じゃなくても短歌を書いていいんだって全国の若者に思わせたことじゃないか。少なくとも私は『サラダ記念日』を読んで、実際に書くことはなかったけど、そう気づいた。片や上述の作家たちは言葉遣いがしたたかで、個性も強いから、文学に興味がない限り「自分もやってみよう」といった気分にはならないと思う。

あと『サラダ記念日』の歌が凄いのは、まるで言葉を57577のアプリに流し込んだような簡便性を有していたこと。いまはみんな気軽にスマートフォンで写真を撮ったり、音や絵をデザインしたりするけれど、俵は〈アプリケーションとしての短歌〉を誰よりもはっきりと実演していた。

もちろん57577に流し込むだけで技法が皆無だったら短歌史に影響をおよぼす本にはならず、その点、国語の先生だった俵は詩歌ならではの言い回しや語順、比喩のパターンなど、初心者が知らないことをわかりやすく作品に組み込んでくれていて、あ、こんな風に書いたら短歌らしくなるのね、ということがあの一冊で一通り学べた。つまり編集機能のサンプルもいっぱいついたアプリだったわけです。

以上。最新号の『ねむらない樹』にも、別の視点から俵万智のことを書いています。

2019-08-18

ボナール美術館と雲




嘘みたいな雲がいっぱい浮かんだ日、ル・カネにあるボナール美術館を訪問した。


エルメスオレンジの壁。


《カネの食堂》。


美術館を出て、狭い路地をふらふらしていたら、ボナールの肖像の落書きを発見。一方の雲はもうどこにもいなかった。

2019-08-17

空気草履とハナモゲラ蘭語



●土曜日の読書「空気草履」更新。引用は古今亭志ん生『なめくじ艦隊――志ん生半生記』より。ネットで発見した実物は草履本舗の所蔵品です。あれこれ辞書をみるに、蛇腹部分がゴム製だったり、バネ付きだったりすることもある様子。


●川柳スープレックスの「喫茶江戸川柳 其ノ陸」更新。今回のテーマは江戸グルメで、8品もいただきました。後半は〈菓子鉢は蘭語でいふとダストヘル〉という句から平賀源内の時代のハナモゲラ蘭語の話に。医薬品関係は今でも「のどぬーる」みたいな商品名が残っていますよね。これからも伝統芸的に追求してほしい。

2019-08-16

江戸時代の世界観メモ(2)




江戸時代の〈世界〉メモ。(1)はこちら

蓮世界翠の不二を沈むらん
素堂『素堂句集』

取りし図の世界の威風(いかぜ)のつしりと
素更『俳諧回文帖』

江戸見坂みんな世界は男の子
『武玉川』第六編

極楽の世界こくうに花がふり
三朝『柳多留』三十六

人の子を手に葉に乗せる銀世界
古鳥『柳多留』三十三

下駄はいて世界回った花行脚
雅因(五雲撰『石の月』)

花の色玉子の世界見すかして
一方(高政編『中庸姿』)

南方へかりもやつらをむく世界
無記名(季吟撰『山之井』)

2019-08-15

存在の青い灰 閑話3




「LETTERS」のつづきです。手紙の本文は、上はこちら、下はこちらからどうぞ。

そんなこんなで今日、外を散歩していたら、花のような模様の門を見つけて、しばらくその影を眺めていたんです。で、ふと頭をもたげると、朝顔がこっちを見ていました。朝顔に見つめられたの、初めてかもしれない。

あさがほのかたちで空を支へあふ  夜景


2019-08-14

存在の青い灰 閑話2

 
「LETTERS」のつづきです。手紙の本文は、上はこちら、下はこちらからどうぞ。


朝がほや瑠璃の世界に人は今朝  酒井抱一

酒井抱一「四季花鳥図巻」の、まんまるの朝顔を添えて。銀泥の大きな月が優雅です。「朝がほ」の句については、抱一の俳諧を論じた文章で引用されているのを見たことがないので、なんだかいつも自分だけの宝物のような気持ちでいるんですよ。なんでだろ、これぞ彼でしょう、しかも佳句なのにへんなのって思いながら。


で、ですね、今回ひさしぶりに彼の肖像画を見ましたら、なんと脇息の色がインターナショナル・クライン・ブルーであることに気づきました。すごくないですか。こんな脇息、ないですよね。もう一つ書くと、朝顔の瑠璃と聞いて思い浮かぶのが、抱一の弟子・鈴木其一の描いた『朝顔図屏風』。とても素晴らしい瑠璃の世界です。

2019-08-13

存在の青い灰 閑話1



Yves Klein, Hiroshima (ANT 79) 1961
© The Estate of Yves Klein c/o ADAGP, Paris

往復書簡「LETTERS 古典と古楽をめぐる対話」更新。第9回は「存在の青い灰」です。ニース近現代美術館、イヴ・クラインと青、空無の創造、江戸時代の世界観、古池の秘密、酒井抱一と青。上はこちら、下はこちらからお読みいただけます。

上の作品はイヴ・クライン「ヒロシマ」。下は美術館を訪れた際に撮影したもの。


正面から。


屋上から(こちらも同時に撮影)。


イヴ・クライン「空気のロケット」。


イヴ・クライン「無題」(火の絵画シリーズ)。

2019-08-12

俳句は本当に575なのか




斑猫に花の柩車のある暮らし  夜景

ニース近現代美術館の屋上から眺めた旧市街。ものすごく怖かった。どうやら高所恐怖症の気があるらしい。



「俳句は本当に575なのか」という問いがついさっき頭に浮かんだ。

そして答えは即答で「NO」だった。

575の俳句を作りながらも、それ以外の音数の可能性を無意識に探すというのは、自分のやっていることの明証性を絶えず疑うという意味でとても普通のことだ。少なくとも自分はそんな風に作業している。

もっと素朴に言っても、575の以外の音数もありうるというのは容易に想像がつく。例えば374や594はありだろうし、連句や都々逸などの文節を考えると他にもパターンがありそうだ。また音数は語彙の響きとも関係してくるから、ある句にだけ適応されるたった一回の正解だってあるだろう。もちろんこれは、俳句らしさを失うことなく、という前提で書いている。575に長所があるとすれば、それはリズム感が優れていなくてもなんとなく句が仕上がるといった点だろうか。

現在に残る型というのは単なる洗練では決してあり得ず、「いくつかの観点からみて理(利)に叶っているから」といったたぐいの「感性の粗さ」をも含んでいる。そしてその理(利)へと至る過程では、形式化されない、手間のかかる、たった一回あるかもしれない美がごっそり淘汰されている。

2019-08-11

2つの反戦詩



5月25日に小鳥書房で行ったイベントのメニュー「戦争」より2品。

「原爆歌」橋本循 (1970年)

君不聞 昭和二十乙酉年 八月六日廣島天 米機來襲投原爆 忽化焦熱地獄淵 煙焱一閃百雷起 日色爲瞑腥風裡 膚破肉爛廿萬人 赤裸握拳無辜死 連甍比屋悉焼夷 茫茫廢墟只積屍 兒別父母妻喪夫 老弱啼泣聲甚悲 嗚呼 星霜屈指二十六 猶説夜深孤魂哭 人衆勝天是耶非 百代譏評豈可覆

君聞かずや
昭和二十 乙酉(いつゆう)の年
八月六日 広島の天
米機来襲して原爆を投じ
忽ち焦熱地獄の淵と化す

煙焱一閃 百雷起こり
日色 瞑と為る 腥風(せいふう)の裡
膚破れ 肉爛(ただ)る 廿万(にじゅうまん)の人
赤裸 拳を握りて 無辜(むこ)死す

連甍比屋(れんぼうひおく) 悉く焼夷し
茫茫たる廢墟 只だ屍(しかばね)を積む
児は父母に別れ 妻は夫を喪し
老弱 啼泣して 声 甚だ悲し

嗚呼
星霜 指を屈すること二十六
猶ほ説く 夜深くして孤魂哭すと
人衆ければ天に勝つは是か非か
百代 譏評(きひょう) 豈に覆(くつがえ)すべけん



「原爆行」土屋竹雨 (1957年)

怪光一線下蒼旻 忽然地震天日昏 一刹那間陵谷変 城市台榭帰灰塵 此日死者三十万 生者被創悲且呻 生死茫茫不可識 妻求其夫兒覓親 阿鼻叫喚動天地 陌頭血流屍横陳 殉難殞命非戰士 被害総是無辜民 広陵惨禍未曾有 胡軍更襲崎陽津 二都荒涼鶏犬尽 壞墻墜瓦不見人 如是残虐天所怒 驕暴更過狼虎秦 君不聞啾啾鬼哭夜達旦 残郭雨暗飛青燐

ひとすじの奇怪な光が
秋の青空から降ってきたかとみるや
いきなり地に激震が走り 天が闇に覆われ
丘が 谷が あっという間にそのすがたを一変し
街中も 高台も ことごとく燃えつきて灰となった
この日の死者は三十万
命をつないだ者たちは傷を負い 悶え苦しむ
誰が生きていて 誰が死んでいるのか
果てしなく虚ろな光景からは窺い知ることもできない
妻は夫をさがしまわり 子は親をもとめさまよう
むごたらしい陰惨と混乱
にんげんの泣き叫ぶ声が天地にどよめき
道端には血まみれの死体がごろごろ転がっている
国難に殉じて死んだ彼らは兵隊ではない
癒えない傷を負ったのはみな罪のない民衆だ
だが広島をいまだかつてない悪夢に陥れたあと
さらに異国の軍は長崎の港を空爆した
二つの町は荒涼たる野と化し 鶏も犬も死に絶え
垣根は押し潰され 屋根瓦は崩れ落ち
いまや人の影すらない
この暴虐はかならずや神の怒りに触れるだろう
この残忍はかつての始皇帝をはるかに凌ぐのだ
君にはわからないのか
夜どおしせつせつとすすり泣くあの亡霊たちの声が
廃墟に暗い雨が打ちつけるなか青白い燐光のさまよう姿が


橋本循(1890-1988)は白川静の恩師。こちらで二人の関係を詳細に綴った白川静の文章が読める。土屋竹雨(1887-1958)「原爆行」の翻訳は拙著『カモメの日の読書』より引いた。

橋本「原爆歌」は訳さずとも意味のわかるところが面白い。これは橋本が和臭のそしりを恐れずに日本語の語彙をそのまま用いたからで、殊に「広島」「米機」「原爆」の3語が生々しい。ちなみに土屋「原爆行」では「広島」が「広陵」、「長崎」が「崎陽」、「米軍」が「胡軍」、「米国」が「秦」とそれぞれ言い換えられ、また「原爆」という新語も用いられない。

一方、両詩に共通するのは歌行体の七言古詩であること。それから杜甫「兵車行」を本歌取りしていること。借りているのは「君は見たことがないのか、戦場では昔から白骨を埋葬するものもなく、新しい亡霊は恨み、古い亡霊は嘆き、空はくぐもり、雨はそぼふり、死んだ兵たちがしくしくと声を漏らして泣くのを」といった詩のラスト部分。

君不見青海頭
古来白骨無人収
新鬼煩冤旧鬼哭
天陰雨湿声啾啾

君見ずや 青海のほとり
古来 白骨 人の収むる無く
新鬼は煩冤し 旧鬼は哭し
天陰り 雨湿して 声啾啾(しゅうしゅう)たるを
杜甫「兵車行」

補足。「原爆歌」は内田誠一「橋本循『原爆歌』初探」で見つけた作者自身の筆になる書幅(1973年)に拠り、『蘆北山人詩草』(1982年)収録のものとは異同がある。内田氏の論文では両者の異同が画像つきで紹介されている。

2019-08-10

コーヒー占い




土曜日の読書「未来から来た人々」更新。引用はジョゼフ&アニク・デスアール『透視術――予言と占いの歴史』より。透視術とは何か、透視術の歴史、職業としての占い師、依頼人のタイプや動機、法律との関係(フランスで透視術は1994年まで刑法によって罰せられる犯罪でした)、ノストラダムスをはじめとした有名な透視例など、フランスにおける透視術について広く浅く語った本です。日常的な占いには関心が湧かないけれど、占いの文化史みたいなものは面白いなと思います。

占いに関して最近知って、へえと思ったこと。コーヒー占いcafédomancieやカード占いcartomancieのように象徴を読むものは接尾語が-mancie、占星術Astrologie や数秘術numérologieのようにかつて学問と関係があったものは接尾語が-logieなんだそうです。

2019-08-08

小さな大聖堂




きのうのつづき。ユゴー『レ・ミゼラブル』の書き出しに登場する田舎町ディーニュとは、ここディーニュ=レ=バンのこと。


『レ・ミゼラブル』はトゥーロンの監獄を出たジャン・バルジャンが山間のこの町に辿りつき、一夜の宿を求めてミリエル氏の司教館を訪れるシーンから始まります。物語のラストまでジャン・バルジャンを導くミリエル氏は、この教会で33年間働いていたミオリス司教がモデルなのだそうです。


身廊の左右のベンチは4人がけ。


フランス・ゴチック建築の「名作」というと視線が前方上部に吸い込まれるドラマチックなデザインが多く、各部のデコレーションも教会権力を感じさせますが、田舎のは同じゴチックでもさっぱりしている。ヒステリーでもモラハラでもないんですよ。レトロなホテルみたい。優しく清潔な、良い大聖堂でした。

2019-08-07

日常の小さな旅



地元の鉄道プロヴァンス線に乗って、アンモナイトと温泉で知られる保養地ディーニュ=レ=バンにゆく。


電車のデザインは3種類。日曜日は蒸気機関車も。


松ぼっくり電車(train des pignes)。


渓谷を通って山へ向かう。


途中の村。


ディーニュ=レ=バンはもともとブロディオンティの首都。それが1世紀のローマ人による征服以降、温泉地として有名に。現在は8つの温泉と1つの冷泉がある。

2019-08-05

江戸時代の世界観メモ(1)





用があって、江戸時代の〈世界〉をしばらく調べていました。その一部をブログにメモ。

すみがまや鞍馬の奥の別世界
嘯山『葎亭句集』

さらりと戸明かりしぐれの幾世界
淡々『淡々句集』

水鳥やちよつちよとのぞくあの世界
素人『西国曲』

松葉散る戸ざしや爰(ここ)を何世界
居士 『北国曲』

鳥わたる越後の内に幾世界
居士 『北国曲』

よし爰(ここ)も同じ夏野の娑婆世界
杉高『北国曲』

人の子を手に葉に乗せる銀世界
古鳥『柳多留』

入相のかねに花咲く一ト世界
シクト『柳多留』

『淡々句集』の松木淡々(1674-1761)は半時庵流という俳風で人気をあつめた人。伝授書を乱発して豪華な生活をおくったそうです。

2019-08-04

3周年




ブログを始めて今日で3年になります。

始めたのは句集を出そうと思ったのがきっかけ。句友がおらず、ネットを介した知人もわずかだった自分には、せっかく句集を作っても、作ったよと伝える相手がいないという由々しき問題があり、それで日記を書くことにしたのです。

で、これを始めてからは、句集だけでなく漢詩の本も作ったし、いろんな人と出会い、あれこれ親切にしてもらって、まだこんなちょっとしか時が経っていないんだと思うと、うーん、すごくふしぎ。

ブログはコメント機能さえオフにしておけば、他のプラットフォームと違って独りでいられる。上から下までスクロールしても誰の姿も見えない。だから重度の人見知りでもどうにかこうにか継続できるようです。またメールをくださる方々もこの雰囲気を察しているのか、懐の広い方ばかりで感謝することしきり。みなさん、いつも読んでくださりありがとうございます。

ジェラートの燃えて宇宙が永き午后  夜景

2019-08-03

ホカホカねえさんと虚無





アネモネのモネのあたりを飛ぶような
痛点に鳥の切手を貼るような
ざっくりと言えばラ・フランスのような
吉松澄子

『川柳スパイラル』6号より、すべて「〜のような」で終わる8句連作。軽い言葉と深い質感。

灯台の、ない町に住むB・キートン
いなだ豆乃助

綺麗な仕上がり。読点、語彙、仮名のバランスがよく、さらに無意味が入念に構造化されている。この手の句の方程式というのはあってないようなもので、ほんと一回ずつが勝負ですよね。

無 ホカホカねえさん以外すべて虚無  
川合大祐

こちらは通訳不可能な無意味。〈ホカホカねえさん以外〉の部分、すごい観察力。それから川合さんの連載小説ですが、そこはかとなく草野原々の香りを嗅ぎました。なんでだろ。

らくがきの話。



©enzbang

●土曜日の読書「らくがき」更新。引用はピーター・トゥーヒー『退屈 息もつかせぬその歴史』より。シンプルな暇つぶしから四肢切断同一性障害まで、さまざまな退屈の症例とそこからの逃走、歴史について書かれた本です。

●パリにはよく知られた路上画家がかなりいます。市も画家たちにらくがきを公式に依頼していて、私が住んでいた頃はちょうどネモ、メスナジェ、モスコといった面々がアパートのまわりでゲリラ絵を描いていました。ネモのらくがきは黒い人影&風船&傘、メナスジェは白のデッサン、モスコはカラフルな動物が基調です。

©Gilles Klein
モスコの動物にネモが継ぎ描きしたもの。

©Gilles Klein
3人の合作。

©Sofirou
こういう路地に迷い込むと、あ、パリだなと思う。