2020-12-30

2020年をふりかえる





コロナ対策で午後6時以降外出禁止になる。がんがん取り締まるのでそのつもりで、との通達があった。午後6時……早すぎてぜんぜん実感がわかない。

2020年は『たこぶね』制作のために原稿の依頼をずいぶん断った。コロナのせいで私生活も籠りがちだった。今年いちばん楽しかったのは毎日海で泳いだこと(籠りがちでも海は別)。ブログの中から印象に残っている出来事をえらぶなら、こんな感じ。

1月 四川省ランタンまつり春節、その光の渦
2月 ヴェネチア旅行初めにしずくがあった
3月-5月 都市封鎖初体験ぽわぽわした土曜日
6月 封鎖明けの遠足朝のピクニック
7月-8月 毎日海で泳ぐ海が記憶する時間
8月 ノルマンディー旅行夏の終わりのオンフルール
9月-10月 クラウドファンディング初体験草の指輪を差し出され
11月 『漢詩の手帳 いつかたこぶねになる日』刊行詳細
12月 オンラインイベント初体験漢詩の型を旅する夜

2020-12-29

『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』



この人、何者?
極上のエッセーで、文体が弾み、とんでもなく博識で、どうやらフランス暮らし。俳句を作る人らしい。一回ごとに漢詩の引用があるが、その漢詩はいつも角を曲がったところに立っている。しなやかな和訳と読解が続く。
世の中は驚きに満ちている、と改めて思った。
池澤夏樹(帯文より)

→ amazonで購入する
その堅苦しく黴臭いイメージをさっと片手でぬぐって、業界のしきたりを気にせず、専門知識にもこだわらない、わたし流のつきあい方を一冊にまとめたのがこの本です。
本書「はじめに」より

→ noteで試し読みする
新井白石「蕎麥麺」植木玉厓「詠柳」王国維「書古書中故紙」韓愈「盆池・其五」木下梅庵「竹村最中月」「鈴木兵庫菊一煎餅」桑原広田麻呂「冷然院各賦一物得水中影応製」幸徳秋水「獄中書感」島田忠臣「見蜘蛛作糸」「照鏡」徐志摩「再別康橋」菅原道真「重陽日府衙小飲」「寒早十首・其二」「寒早十首・其十」蘇軾「春夜」「病中遊祖塔院」杜甫「槐葉冷淘」夏目漱石「帰途口号・其一」「無題」「菜花黄」成島柳北「塞昆」「地中海」白居易「夢微之」「観幻」「和春深二十首・其十二」原采蘋「乙酉正月廿三日発郷」「初夏幽荘」藤原忠通「賦覆盆子」「重賦画障詩」源順「詠白」楊静亭「都門雑詠」陸游「書適」「初夏行平水道中」李賀「苦昼短」李商隠「無題四首・其二」李清照「好事近」良寛「我生何処来」「孰謂我詩詩」無名氏「子夜四時歌三十首・秋歌」


【平井の本棚読書会】はじめて漢詩を読む方を対象に漢詩の探し方、訳し方、面白さなどについて語った動画です。『いつかたこぶねになる日』制作秘話の一面も。


『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』
著者:小津夜景
帯文:池澤夏樹 装幀:calmar 装画:姫野はやみ
予価:1980円(税込み) 本文ページ数:272 サイズ:B6判
発行所:素粒社 2020年11月10日刊行


2020-12-28

音と身体





チューニングって、楽器同士の音色を合わせるだけでなく、音の鳴る環境と人間の身体をなじませる儀式でもあるように思います。つまり人間が音を制御するための準備にとどまらず、人間そのものを自然のフィールドとして捉え直し、環境と一体化させる、という。

でね、プロの演奏家は音と身体が一瞬でなじむのでしょうけれど素人はそうじゃない。それでクラシックの演奏会に行くと、うそ、いきなり本番? まだ身体が受け入れ態勢になってないよ!ってことがある。身体が準備できていないというのは、つまり心も準備できていないということ。

そんなわけで、本番前に軽いサウンドマッサージのついたクラシックの演奏会があるといいなと思うんです。レストランでも胃を起こすために、メインの前にほんのひとくち食べるでしょう? あんなふうに、雅楽の音取(ねとり)っぽく音出ししてから本番に入ってほしいの。これ、自分の家に演奏家を招いて弾いてもらうというのが、きっといちばんいいんでしょうね。

2020-12-26

金色の食卓





夕食の前にビュッシュ・ド・ノエルを食べる。空港の土産屋で見つけたマグカップはこの一年毎日使用して、もうすっかり愛している。


クリスマスイブの夜は、チーズを盛り合わせたほかは特に何もしなかった。けれどテーブルクロスとナプキンを金色にしたので、どこかそれっぽくなったと思う。

2020-12-23

釣り人とリフレイン





釣り人を眺めながら、木下長嘯子『挙白集』を読む。

せめてわがぬる夜な夜なは逢ふとみえよ夢にやどかる君ならば君

すべて人をいかなる時にしのばざらんあはれ日又日あはれ夜また夜

世々のひとの月はながめしかたみぞと思へば思へば物ぞかなしき

リフレインがうまい。さいごのうたにはこんな派生歌も。

おもふまじ思ふかひなき思ひぞとおもへばおもへばいとど恋しき/近衛尋子

もろともに見しその人の形見ぞと思へば思へば月もなつかし/徳川光圀

近衛尋子(徳川光圀の正室)はいかにも才媛な雰囲気。20歳で死んでしまったけど。三体詩を暗記してたそうで漢詩も2首残っているらしい。

2020-12-21

木彫りの牛




まめにブログを書く方なので、しばらく更新しないと安否確認のメールが届いてしまう。たしかに、こんなにブログを書かないことってない。用事がたてこんでいるだけで生きています。ものすごく気をつけて生活していますのでだいじょうぶです。


話は変わって、今年のクリスマスイヴのテーブルクロスとナプキンは金色に決めました。写真だと金にみえないけれど、きんきらきんです。木彫りの牛はスイス製。新しい知人が「干支の飾り付けにどうぞ」と贈ってくださったもの。簡素で美しい。むかし冬のフュッセンを旅行したとき、途中スイスに寄って、雪景色の中でおいしいじゃがいもとエメンタール・スイスを食べたときの記憶がよみがえります。

2020-12-17

都々逸の贈答





師走の野暮用がつづく。きのうはお歳暮をさがしに街中へ。ついでに自分用のマロングラッセを購入する。箱をペンケースにできそう。

それはそうと、お歳暮で思い出したのだけれど、誰かと詩歌をやりとりする場合、自分で詠むのもいいけれど、他人の作の引用ですませる粋もあると思う。今日届いたメールで、さらっと雑俳の話をしたさいごに、こんな詠み人知らずの都々逸をしたためてくれた友達がいた。

遠くはなれて逢いたいときは月が鏡になればよい

控えめに言って最高である。李氏朝鮮の使者なのである(@久木田真紀)。しかしながら問題はどのような返歌をつけたらよいかだ。このメールをくれたのは友達だから何を書いてもいいのだけれど、ちょっと距離のある人だと、いろいろとむずかしい。で、こういったとき他人の作を借用するのはいい方法だと思う。わたしが合わせてみたいのは読み人知らずのこちら。

月に誘われデッキに立った沖のクラゲに手をふって

100年ほど前の『北米新聞』で見つけた都々逸。可愛いと思ってメモしておいたのが役に立った。けっこういい感じの組詩になったと思いませんか。これが千年まえの恋愛なら、思いが成就したかもしれない、みたいな。

2020-12-15

上海の赤





しばらく雑用をこなしているあいだに1週間が経っていた。さすが師走だ。

今日はロックダウン解除初日ということで、まっさきに髪を切りに行った。すっきりして気分がいい。帰ってきてメールをひらくと、イベントの感想が新たに数件届いていた。今回はメインの翻訳スライドのほか、漢詩の本の探し方に興味のもった方が多かったようで、これは私としては思いがけないことだった。

『オルガン』23号で素粒社設立にちなんだ記念連句を読む。好きだったのは下の流れ。上海の赤、がいいなあ。

テープ起こしの声のさゝめく  智哉
空気より冷たい鳥の樹を祝ふ  健一
水銀燈がすごい元気だ  抜け芝
上海の赤をほどなく食べるひと  佳世乃
時間旅行で恋人が死ぬ  若之

2020-12-09

素粒社webshop始まりました。





素粒社がこちらにwebshopを開きました。送料無料で通常1〜2営業日以内に出荷(休業日:土日祝)だそうです。

土曜日のイベント「本の作り手と読む読書会~漢詩の〈型〉を旅する夜~」のアーカイブ配信も始まりました。57:20~の「韻律」は「音数律」の言い間違いです。朗読も小さな読み間違いが。加えて声も聞き苦しくてすみません。きのうの夜まで不調だったのですが、今朝いきなり元気になりました。

今回の主催の平井の本棚では、13日(日)に「yogaで詠む漢詩の手帖〜紙ヒコーキの乗り方を探って〜」というスピンオフ企画もあるそうです。チケットはこちらから。

2020-12-07

カモメの星座



何日もつづいた雨が上がり、空気のすみわたる日曜日。海へゆくと、カモメが星座みたいに浮いていた。

2020-12-06

唐紅のスパイシートーン




オンラインイベント「知られざる香道具の魅力」の講師であるmadokaさんから特製の文香しおり「唐紅」が届く。

袋をあけるとスパイシーな香り。芳烈だけどしっとりしていて目や鼻がちくちくしない。香道初体験なので、これだけですでに新鮮な発見だ。表には業平の和歌(ちはやぶる)に因む絵、裏には源氏物語「紅葉賀」の帖を示す源氏香の図が記されていた。とても嬉しい贈り物で、どの本にはさむか考えた末、エキゾチックなところが合いそうなモーツアルト「魔笛」のしおりにすることに。


あときのうは平井の本棚さんのイベント「第4回 本の作り手と読む読書会」に出演した。ご来場のみなさまありがとうございました。自分のパートは「訳し方の基本」として3作、「詩の冒頭から型を読む」として3作、そして朗読用に3作と全部で9作に言及したのだけれど、時間の関係で使用しなかったスライドがいっぱい残った。ちなみに残ったのは夏目漱石「菜の花の黄」、原采蘋「初夏の幽荘」、徐志摩「天真的預言」、白居易「げんしんのゆめ」でした。

2020-12-04

漢詩をめぐる午後と夜





とうとう「第4回 本の作り手と読む読書会 ~漢詩の〈型〉を旅する夜~」が明日に迫りました。楽しいひとときになればいいなと思っています。オンライン参加希望は駆け込みのお申し込みも可とのこと。お申し込みはこちらからどうぞ。当日見逃しても、1週間のアーカイブ配信がご視聴可能です。

「月刊経団連」12月号のEssay「時の調べ」に「漢詩をひもとく午後」を寄稿しました。こちらの一番下から読めます。この欄、バックナンバーを見ると、ここ数ヶ月だけでも路上園芸鑑賞家、触感テクノロジー研究者、国文学研究資料館長、バイリンガル落語家と、なかなかふしぎなラインナップです。

2020-12-01

「作者」あるいは「作品」とは何か





「読む」ことをめぐるタームの、今日的使用に関する違和感として、「つながる」という言い回しが幸福詐欺の様相を呈するほど安売りされているといった状況がある。曰く「作者と読者とがつながる」、「作品と読者とがつながる」、「作品を通じて〇〇とつながる」、うんぬん。こうした言い回しにはいったいどんな効用があるのだろう?

そもそも「つながる」ことはそんなに手軽なのだろうか。読み手と書き手の共通基盤を「つながる」という発想以外のやり方で築く者はいないのだろうか。これはいちゃもんではない。私自身がものを読んでいて何かとつながったと思うことがないため、純粋に不思議なのだ。

「読む」ときにまずもってわたしが実感すること、それは果てしなさである。追いかけても追いかけても作者に、あるいは作品に手が届かない、といった無常の感覚である。私にとって作者ならびに作品とは、決して抱き合うことのない、いつもこちらに背中を向けている存在のことだ。

なにかの一節が頭をよぎるたび、「ああ。これを書いた人はもういないんだ!」と驚愕する日々。「過去の作者や作品も、さらに昔を生きた作者や作品を追いかけていたんじゃないかしら?」と想像する日々。いまは、それらの背中をわたしが追いかける番らしい。過去へ向かってわたしは駆け出す。するとわたしはまた一歩未来へ近づく。わたしたちがいつか巡り会うだろう場所、その共通基盤は死だ。

たが魂ぞほたるともならで秋の風  横井也有

ときおり、わたしの追いかけているものが遥か彼方ではなく、肌を撫でるほどそばに感じられる瞬間がある。掲句は、蛍として完結することも聖化することもなく、死んでなお秋風となってさまよう魂が、わたしには「作者」や「作品」の化身のように思われた。もっとも肌を撫でるほど近くにあっても、風は人と「つながる」ことはなく、目の前を一瞬で吹き抜けてしまうのだけれど。

引用は横井也有『鶉衣』より。
(ハイクノミカタ)

2020-11-29

本棚に飾る





新しいサプリメントを開けたら、中から巨大な脱脂綿が出てきた。ふわふわしてかわいいので本棚に飾る。

お知らせがひとつ。12月5日のオンラインイベント「第4回 本の作り手と読む読書会 ~漢詩の〈型〉を旅する夜~」ですが、開催日から1週間のアーカイブ配信が決まり、当日都合がつかない方もご視聴可能になりました。詳細はこちらをどうぞ。

snowdropさんがブログに『たこぶね』の話を書いてくださっていて、そこにこんな素敵な歌が添えられていました。うれしい。

於唐土 菊水之辛口 有没有 赤毛之猩猩 酩酊之舞
もろこしに菊水辛口ありやなしや赤毛の猩々(しやうじやう)酩酊の舞ひ

李清照「ソリチュード」を訳した一章「翻訳とクラブアップル」にまつわる一首。万葉仮名がかっこいい。

2020-11-28

冬星とサキソフォン





『ユプシロン』第3号。きれいなレモンイエローの雑誌。今回はいつにもまして好きな句が多かったです。

仲田陽子「レモンの熱」
くろぐろと喪に服したる葡萄かな
大鍋の底見えてくる冬至かな
冬ざるる壁に仮面の息づかい

中田美子「空白」
牡蠣船のとうとう花に囚われし
ふわふわの犬も濡れたり菜種梅雨
筋書きのいくつか混ざる夏の月

岡田由季「天使幼稚園」
観梅へ誘ふ切手の組み合わせ
春眠や本に乗せたる鳥の羽根
水鳥に会ふときいつも同じ靴

小林かんな「自動水洗」
山ざくら木霊ひとつが帰らない
冬星の濃しサキソフォン組み直す
竹ひごの形になってゆく夜長

2020-11-27

読書するパパ・ノエル



今日は素粒社の北野さんと平井の本棚さんと、12月5日開催のオンラインイベント【漢詩の〈型〉を旅する夜】の打ち合わせをしました。わたしは30分弱ほどプレトークをさせてもらって、手応えはまあまあです。あとは本番までに全部のスライドを作り終えるだけ。詳細・ご予約はこちらからどうぞ。

海に行くと、大きなパパ・ノエルが本を読んでいました。夜になると、きらきら光ります。

2020-11-26

『たこぶね』到着



11月5日の刊行から20日あまり。とうとう我が家にも『いつかたこぶねになる日』が届きました。わーい。


クラファン特典折本『酒と肉の日々』も届きました。数部ありますので、読みたい方がいましたらこちらのアドレスにメールいただければ進呈します(『たこぶね』をご購入くださった方限定です)。

12月5日にオンラインイベント「第4回 本の作り手と読む読書会 ~漢詩の〈型〉を旅する夜~」があります。ご予約はこちらからどうぞ。

2020-11-21

弔われた書物





『いつかたこぶねになる日』の「文字の消え去るところ」で惜字炉について書いたのは、Brisées&SHOKKIの、敬惜字紙の風習を下敷きにした美術作品を見たのがきっかけ。Briséesは岡山の書店、SHOKKIはセラミックレーベル。上がその企画のポスターとフライヤー。端が燃えていて、おしゃれ。


ポスターをひろげて裏面をみると、この企画で弔われた書物の遺影が。こんなふうに書物を置き、粘土で包み焼きにして、弔いの済んだ状態がこんなふう。とてもきれい。しかもめっちゃおいしそう。


これだけの本が、あの美しくもおいしそうな状態に…(惜字炉が何かわからない人は、いますぐ『いつかたこぶねになる日』を読んでね!)。

2020-11-20

菊と渚





嵐の去った翌日、海を見に行った。

秋の雲が群れをなして、ぐんぐん流れてゆく。どこへゆくのだろう。未来、それとも過去に向かって? 海辺に立つと、思いははばたく。

重陽の日、府衙にて小飲す  菅原道真

秋よりこのかた 客思のいくばくか紛々たる
いはんや重陽の暮景の 曛 (く)るるをや
菊は園を窺はしめて 村老送り
萸は土に任すによりて 薬丁分かつ
盃を停めしばらく論ず 輸租の法
筆を走らせただ書く 弁訴の文
十八にして登科し 初めて宴に侍りしも
今年は独りむかふ 海辺の雲

讃岐に左遷されていた菅原道真が、重陽の日、役所でささやかな宴をひらいたことを書いた詩だ。風流とは縁のない田舎の県庁で、周囲の者が分けてくれた菊と茱萸で節句を片手間に祝いつつ、いつもどおり部下たちと地味な職務をこなす道真。都の詩臣であったはずの彼が徴税の方法を話し合い、判決文を書いてはひとりぼっちの気分で海辺の雲をながめているようすがとても胸にせまる。わたしはこの詩が好きで、近刊『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』では翻訳もしてみた。

渚にて金澤のこと菊のこと  田中裕明

田中裕明『花間一壺』は李白「月下独酌」をタイトルに冠するだけあって漢詩にまつわる句が多い。掲句も〈渚〉と〈菊〉の並びを見て、あ、道真の話をしていたのだなとわかった。いやあんた、そないてきとーなことゆうて〈金澤〉はどないしはんねん、という声が聞こえたので急いで付け加えると、讃岐に飛ばされる前の道真は加賀権守だったのだ。

道真にかぎらず当時の漢詩人は、中央の役職以外に、能登半島を中心とした日本海側の業務を兼任することが多かった。大陸から日本海沿岸にやってくる渤海使団の応接に漢文の教養が不可欠だったためだ。外交使節をもてなす詩宴の席というのはいわゆる「闘筆」の場(*1)にほかならない。そんなわけで菅原道真、島田忠臣、都良香、紀長谷雄、在原業平など今も知られる知識人たちが領客使を務め、国家の威信をかけて詩文の贈答を行ったのである。

それにしても、嵐のあとの海はほんとにきよらかだ。光も濡れてるみたい。わたしは砂浜に打ち上がった巨大な流木に腰掛けた。あいかわらず秋の雲はどんどん流れてゆく。華やかな祝日に、ひとり海辺の雲をながめていた道真の孤独をわたしは思った。きっと裕明も渚にたたずみ、目の前に広がる光に目を細めつつ、見える世界の向こうにかがようものを追いかけていたら、ふとまなうらに古代の人影がよぎったのだろう。

(*1) 酒寄雅志「渤海と古代の日本

2020-11-19

岩本象一『三八四,四〇〇粁の傘』





紀行をテーマとした岩本象一の器楽曲集『三八四,四〇〇粁の傘』を贈り物として頂戴したのですが、美しすぎて震えました。三八四,四〇〇粁の傘ってなんのことかしら……あ、もしかして、オーロラ? 


封筒の中はCD、詩の紙片、曲目リスト、そしてポスター。曲の使用楽器はピアノ、カチャピ、クラリネット、クラッシックギター、エレキギター、コラ、アイリッシュハープ、シュルティボックス、ボナン、ブンデ、クノン、足踏みオルガン、大太鼓、声で、演奏は重ね撮りなしの完全即興。岩本さんはインドネシアの芸大で学び、公演活動だけでなくジャワガムラン教室も開いている方らしい。


空間とは何なのか?といった問いが、哲人の語る平易な言葉にも似た演奏によって解き明かされる感覚。奏でられた音の〈位置の記憶〉は宙にひろがり、カーテンのように揺らめき、その揺らめきが旅の香りを運び、人に嗅がせるようにも感じました。

楽曲名(下記参照)も面白い。「尭風舜雨」はこちらで聴けます。尭王といえば、わたしは彼の作曲と伝えられる「神人暢」の崇高さが大好きで思い出すたびに聴くのですが、神と人との伸びやかな対話が「神人暢」の光景だとしたら、岩本さんの「尭風舜雨」はカオティックな遊びの光景を思わせます。

陽に寄せて
白銀の丘
モーリタニアの貨物列車
靄を漕ぐ
陸の漁師
香水塔の待ち人
ラプラースの魔物
調子の良い贋作家
尭風舜雨
月を射る
闇を宛て
欺かれるべき
灯台守はどこへ
無形の筏で
碧落の象
火病の皇
三文役者の流儀
風見鶏は仰いだ
オーロラモス
徒党の蹊
老いた目に映すは
嘯く使徒


2020-11-17

翻訳をめぐる、ささやかな宵




宵の口の海を散歩しながら、12月5日のトークイベントで話す内容を考えていたのだけれど、ひとつの翻訳ができあがる過程、その内部機構というのはブラックボックスだなあと改めて思った。


たとえば「この詩はこういった制約で書かれているからこう訳せばよい」とわかったとしても、所詮それは頭でわかったにすぎず、実際の翻訳とはいきあたりばったりをいかに収斂させるかの作業になる。このいきあたりばったりを排除することは決してできない。なぜなら、いきあたりばったりとは、他者と出会う可能性そのものだからだ。

逆からいうと、仮にいきあたりばったりを経ずに翻訳が終わった場合、その間わたしは他者といちども出会わなかったということになる。そこでのわたしは自分の理解できるものだけを見ようとしていたわけだ。けれども出会いのない翻訳なんて時間を削ってやる意味があるだろうか? 自分が直感で知っている定石以外の定石を知るための、そして感覚の盲点をつく言葉のパターンに驚くための旅をするのが、わたしは好きだ。

ところで、じゃあ「ここはどうしてこう訳したのですか?」ときかれても説明できないのかというと、それは全然そんなことはなくて、一語一語説明できる。ただその説明は、その一語に収斂させた(限りなく経験にもとづく)直感の働きそれ自体とは別のものだよって話。リアルなあの日と胸にのこる思い出とが別であるように。翻訳を語るとは、けっきょくのところ思い出を語ることだ。

2020-11-16

展覧会『豆本の宇宙2020』




今年も京橋のギャラリーメゾンドネコさんの展覧会『豆本の宇宙2020』(12/18〜12/22)で、佐藤りえさんの豆本が出品されるようです(嬉しいことに『猫の贈り物2020』と同時開催とのこと)。出品作品は、錬金術記号の本、箱入り俳句折本などなど。あいかわらず魅惑的なラインナップだなあ。

この展覧会、わたしは数年前に観覧して『蝶の書』を購入しました。ギャラリーは極小スペースですが、展覧会を数件はしごしたくらいの数の作品が並んでいて、素人には発見が多すぎて印象を持ち帰れないくらいの、とても見応えのある展覧会でした。

2020-11-14

漢詩カードの発送作業





『いつかたこぶねになる日』のクラウドファンディングで5000円コースをご支援いただいた方々にリターンの漢詩カードを発送しないといけなかったのですが、ロックダウンでお店が閉まってしまったため、先月末にアマゾンで封筒を注文しました。それがようやく届き、土曜日に最後の作業をすませました。予想では早くて来週末、遅くても再来週中に届くかとおもいます。みなさま、どうぞよろしくお願いします。

2020-11-12

瀬戸正洋『亀の失踪』





瀬戸正洋『亀の失踪』の装幀は平野甲賀。平野甲賀の字って俳句と相性がいいですねえ。

石蹴りのうしろのうしろ春の闇
数学と化学と三寒四温かな
春の雪そこを曲がれば無人の交番
履き潰すスニーカー石鹸玉が飛んだ
ねぢあやめ醜形恐怖症の男
助数字の「匁」八十八夜かな
世界赤十字の日金平糖べたべた
江ノ島やビーチパラソルのかたちいろいろ
日程を決めかねているばつたかな
行く秋のカレーライスは嫌ひではない
氷面鏡江波杏子の色気かな
冬ぬくし棕櫚の箒が立つてゐる
COVID-19十一月の黒いくれよん

「三寒四温」や「匁」や「COVID-19」あたりの数詞の使い方が好き。〈COVID-19十一月の黒いくれよん〉についてはこちらに感想を書きました。そしてまた、ひもかがみ(氷面鏡)という語のかっこよさよ。江波杏子にぴったりです。