2020-01-31

ペギー・グッゲンハイム美術館の床。





ペギー・グッゲンハイム美術館にゆく。建物の扉をあけるといきなり邸宅の玄関くらいの小さな展示室があり、アレクサンダー・カルダーとルネ・マグリットが飾られていた。雰囲気が明るくて、とても住みごごち良さそう。

あと床のデザインが20世紀美術みたいなところも面白かった。なかでも気に入った3部屋がこちら。




2020-01-25

星の王子さまと、ゾウと、キツネ。





この一月、ガレット・デ・ロワを食べる機会が3回あり、3回とも王様を引き当てた。しかもガレットの中に入っていた陶製人形のデザインがどれも星の王子さま関連で、それぞれ違うキャラだった。で、だから?って話なのだが、はっきりいって嬉しい。

2020-01-24

春節、その光の渦





往復書簡「LETTERS」更新しました。第18回は「物語と地平線」。新年の大砲、ニースの灯籠まつり、はじめての論理的書物、物語の光と闇、接続詞が崩壊するとき、存在しないボタン、知と物語との共犯関係、世界を発見する地平線などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

折りよく本日25日は旧正月。フランス各地の灯籠まつりをfestival des lanternes franceで画像検索したところ、ニースのまつりはどうやら規模が小さめ。またイベント終了後は、行政が灯籠に使用された資材を丸ごと買い上げリサイクルするそうです。以下、記事にない写真をいくつか(こちらにもあります)。


背後に見える青山は万里の長城。


中国国宝の青銅器(盛酒器)。奥から鴟鴞尊(しきょうそん)、晋侯鳥尊、辟邪(へきじゃ)。


李白「月下独酌」。李白といえばこのポーズ。


会場の様子。この日はたいへんな冷え込みでした。

2020-01-20

サーカスのジオラマ



マセナ美術館に出かける。18世紀以降の地元サーカスにかんする展覧会をやっていた。アンティークのジオラマがよかった。帰宅してから「cirque miniature」で検索してみたら、この手の模型はおもちゃとして珍しくないようだった。

2020-01-11

朝日に遅れないように



溜まった写真をどうにかしたくて、インスタグラムのアカウントを取得しました。日々の暮らしの写真と、過去のあれこれを整理するつもりです。

往復書簡「LETTERS」更新。第17回は須藤岳史さんの「未来を読むこと」。大晦日の花火、物語を読むこと、あまたに存在する真実、まどろみの時間、太郎と次郎の雪、未来を読むこと、偶然生まれる差異、無限への亀裂、などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

今回の手紙にはミヒャエル・エンデの引用がありますが、わたしが子供のころ本気で読んだ児童文学者は佐藤さとる、山中恒、そしてエンデなので、おお!と嬉しかったです。

エンデとの出会いは9歳のときに『モモ』を図書館で借りたのが最初。読み終わるやいなや、この本は手元に置いておかねばと興奮し、母に今年のクリスマス・プレゼントにこの本がほしいと懇願しました。

ついでに書くと、山中恒は7歳のとき、病気で臥せっていたわたしの枕元で母が『なんだかへんて子』を一冊まるごと読んでくれたんです。いまアマゾンでたしかめたら171ページもある本でしたが胸に沁みました。ペーソスがあつて、『ぼくがぼくであること』『おれがあいつであいつがおれで』など他の本のタイトルもかっこいい。

佐藤さとるはわたしに文学のよろこびを教えてくれた人生でいちばん大切な作家です。7歳のとき『だれも知らない小さな国』を図書館で借りて、日中ずっと読んで、夕ごはんのあとも読んで、 それでも終わらなくて(200ページ以上あった)泣く泣く蒲団に入り、 翌日は5時に起きて残りを一気に読破しました。窓の外でどんどん昇ってゆく朝日に遅れないよう一生懸命ゴールを目指し、みごと読みきったときの気持ちはいまも忘れられません。一日の始まる明るい日差しと、物語の豊かな余韻と、長い道のりをたった一人で走りきった自信とに包まれながら、ああこれが文学というものなのか、とわたしは深く感動したのでした。

2020-01-10

Tai Chi Animation




鄭子太極拳。欧米でもっとも普及している型です。

ルービンシュタインの演奏に合わせてうごく人を眺めていると大野一雄・慶人親子を思い出します。

言の葉、さわさわゆれる





俳句における言葉とのつきあい方にはいろいろありますが、わたしは言葉を手段として何か(内面とか風景とか)を表現するのではなく、言葉そのものを目的として取り扱いたい系です。

と、こう書くと、前衛的な言語遊戯を思い描く人が多いと思うのですがそれとは違うんですよ。前衛って言葉を自己意識に従属させているじゃないですか。そうではなく、生きていて、ふいに風や空気と遭遇する瞬間のように、意味と無意味のはざまをさわさわとゆれうごく言の葉のうごめきに驚きたいのです。つまり、言葉それ自体のふるまいを可視化したら楽しいだろうなってこと。まあ、そんな句は、なかなか生まれないのですけれど。

あかさたなはまやらわをん梅ひらく  西原天気

はじめの〈あ〉からおわりの〈ん〉まで50音表を水平移動するかと思いきや、ふいに〈を〉へ沈んでみせるといった掲句の調子は、まるでモビールの水平揺動&空中浮遊を形にしたかのよう。動く言葉、宙に浮かぶ文字  とても美術作品っぽいなと思います。

ちなみにこのような浮遊感覚は〈いろはにほへとちりぬるを〉では生じません。〈あかさたなはまやらわ〉は母音がA音オンリーであっけらかんとしているし、いろは歌と違って意味から解放されているし、地を這いくねるような重力や線分性からも縁遠い。〈をん〉の響きもA音とのよき掛け合いになっています。

なんだか、言葉がくすくす笑っているみたいです。

2020-01-08

マカロンとマンボウ





2日の日記にマカロンのことを書いたのだけれど、その人がエクサンプロヴァンスに旅行したとのことで、お土産にご当地マカロンをもらう。なんとも折のよろしきこと。

関悦史一〇〇句選とその解説「セキエツを味わうための11の皿」を寄稿した俳句雑誌『翻車魚』vol.3が自宅に届く。いま手元に数部あるので、読んでみたいという方がいらっしゃいましたら差し上げます。連絡先はこちらです。

2020-01-07

鏡の中の鏡





あそこに美味しそうな焼き鳥屋さんがあるよと言われつづけ、いつか試そうとは思っていたのだけれど、そのいつかが突然やってきた。クスクス、マッシュポテト、トマト、葉っぱ、キウイを一緒に盛って夕ごはんにする。

小池純代さんの笹鳴亭(web版千夜千首)よりクロード・ロワ『バルテュス』の翻案。

バルテュスがバルテュスを見る背後から
バルテュスを見る
死後からのやうに  
小池純代

鏡の中の鏡。妖しさと、ユーモアと、ほのかな酩酊が心地よい。この歌が気に入った方はこちらもどうぞ。

2020-01-05

灯籠まつり



年賀メールをいただいているのですが、どこかに不調があるらしく返信ができません。今日の日記は、返事を差し上げられない方に向けて書きます。


あけましておめでとうございます。きのうはお正月らしいことをしようと、旧暦の元宵節の夜まで催される灯籠まつりに出かけました。会場は近所の植物園。550あまりの灯籠が展示されていました。写真の龍は長さが50メートルあり、池の上に浮いています。中央の桃みたいなものは真珠だそうです。


わたしは壮麗な作品より、小さなものが面白かったです。これは茂みの中にいたパンダ。


宇宙っぽいパンダ。


この大壺も灯籠。屋台の内側には龍のランプが吊るしてありました。本年もよろしくお願い申し上げます。

2020-01-03

『はがきハイク』第21号





業界最小最軽量俳誌『はがきハイク』第21号が届く。セーターを着た鳥のイラストがかわいい。興味があるよ、という方はこちらに連絡すれば送ってもらえるようです。

オクターヴごと飛びたつよ梟は  亞子

美しいようでいて人を食った句。どんなオクターヴなのか。テルミン系の音を想像してしまう。

おほかたの蒲団に涯(はて)のありにけり  天気

「おほかたの」がいいですね。ユーモアめかしつつ、涯のない、広大無辺な蒲団の可能性をしっかりと語る。そんな蒲団の中で宇宙の香りを満喫したい。

2020-01-02

2020年の読初





2020年の読初は岡崎乾二郎『抽象の力』。抽象芸術の発生をシュタイナー、フレーベル、モンテッソーリといった面々の考案した「教育遊具」とクロスさせて眺めている下りが面白かった。

年をまたいでしまいましたが、半月ほど前の『遊刊エディスト』に風韻講座特別篇「半冬氾夏の会・夏秋の渡り」の記事が出ています。会場は編集工学研究所の本楼。写真に写っていない壁にどっしりしたバーカウンターが設えられておりまして、なんて気分良くパーティーできる空間なのだろうと思った記憶が、ふといま蘇りました。

2020-01-01

ふわふわふうみ





往復書簡「LETTERS」更新しています。第16回は「ふわふわふうみ」。降誕祭前夜とトレーズ・デセール、数理的に分析されたハルモニア、くだものの音、古典のふわふわ、かすていらかすむ夕べ、素材に耳をすますこと、本質と実存とが一体になったつくる人々の世界、などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

ええと、以下は世間話。

つい先日、知り合いから「クリームを挟んだマカロンがニースで売られるようになったのは、ここ10年くらいのことだよ」と言われたんですよ。で、ちょっとびっくりしたんですよね。日本人はマカロンというと、ラデュレ考案の、2枚のマカロンにクリームを挟んだ「パリ風マカロン」をかならず思い浮かべるじゃないですか。でもこちらの人はメレンゲを混ぜた単なるアーモンドクッキーを想像するようで、たしかにその目線で眺めれば、いまでもこの町はクリームなしマカロンの方が主流かもしれないなって。アーモンドクッキーとマカロンはわたしの中ではまったく別のカテゴリーだったので小さな発見でした。

Bonne année