2025-02-25

或る整理の記





土曜の朝、MacBook Airがテーブルの上でだるそうにしていた。2017年版。少し年のいった犬みたいにのんびりしていて、息も絶え絶え。一念発起してMontereyを入れてやったら、シャキッとした。なんだか嬉しそうに画面がくるくる回る。

税務の書類をキャビネットから引っ張り出す。数字をじっと睨む。電卓を叩く。頭を抱える。でも終わらせたらスッキリした。さらに自宅のファイルボックスに挑む。ざっくりと仕分けしてあった説明書、契約中のサービス、捨てられない紙類などを全部引っ張り出してファイリングをやり直し、ラベルを貼った。ついでに加湿器のフィルターを洗って干す。そして最後の大仕事、壁に10キロの鏡を取り付ける。釘を6本、トントンと打ってひっかける。大きな鏡がピシッと壁に収まり、自分の姿が映った。

ふうとひと息。外では風が木の枝を揺らしていたけれど、部屋の中は静かで心が澄んでいく。終わってみれば、心の不安が三割ほど減っていた。暮らしにまつわるあらゆる問題が全部片付いたら八割くらいは消えてしまう気がする。残りの二割はどうしても消えない部分だ。生きている限り、どうしたって抱えてしまう記憶の容量みたいなもの。

2025-02-02

素材と形態の幸福論



今朝なんだけど、カフェで、なんか、えらくいい曲がかかっていた。ジャケットは見えない。席を立って確かめる手もあったけど、それよりも『失われたスクラップブック』を読むのが優先だった。で、気づいたらそのまま帰ってしまって、曲名はわからずじまい。なんだったんだろうあれ。

それはそうと、レコードというのは、ビニールでできていて、まるい。わたしはビニール&ラウンドな物体(浮き輪とかフラフープとか)が好みゆえ、レコードも眺めているだけで幸せになれる。しかもジャケットは飾るのにいい。レコード本体も飾れる。もちろん音楽だって聴ける。いいことずくめである。最近手に入れたものではドルフィン・ハイパースペースのWhat is my Porpoise?がよかった。ジャケットがまずいい。目がくりんとしたイルカなの。レコード本体もいい、銀色で、透き通って、キラキラしてて。で、肝心の音楽がとてもかわいい。昨年の私的「アルバム・オブ・ザ・イヤー」だった。

2025-02-01

俳句日記の変容と500ページの試練





現在連載中の「俳句日記」が日記じゃなくなってきた。でもまあ、うん、そうなるような気はしていた。

もうね、その日に起こったことや思ったことを書こうってのがわたしにはどだい無理な話だったんですよ。「これは書ける」「これは書かないほうがいい」などといちいち考えるのがめんどくさい。また、そうやって考えているうちに「あれ?もしかして書くことなんてなくない?」といった心境にもなる。じゃあ「半分本当、半分嘘」の日記にすればいいかというとそれもなかなか骨が折れる。バランス感覚がいるし、下手すると自分でも何が本当で何が嘘かわからなくなる。そんなことを毎日やるのは正直しんどい。だったらどうするか。もう全部フィクションでいいんじゃないの。そうすれば書き溜めができるし、俳句を先につくって、それに話をくっつけることも可能だ。それに、そもそも連載に日録を綴ってしまったらこっちのブログはどうなるのか。そんなこんなで今の形になってきた。とはいえ、これだってどこまで続くかわからないけれど。

昨日のこと。エヴァン・ダーラの『失われたスクラップブック』を読み始めた。まだ冒頭をうろうろしてるだけで内容についてはさっぱりわからない。なにせ二段組で五百頁以上ある代物だ。分厚い。重たい。こんな本を最後まで読み切れるのか。正直なところ自信はまったくない。しかし、これは傑作なのだという。少なくとも、そういう噂が流れている。ならば読むしかない。