2023-05-23

映画のような瞬間





先週の土曜、夕立のあと外に出てフラゴナールで洋服を買う。てろてろした薄い長袖のブラウス2枚にワンピースが2枚。週が明けて朝、さて仕事に行くかとそのブラウスを着て家を出たら、道ゆく人たちがかなりの割合でキャミソール姿だった。世界が夏になってしまったのだ。

昼になったので香水屋さんに注文していた品をとりにいく。店の人がエルメルのUn Jardin À Cythèreの試供品をくれる。良き香り。今もつけてじーんとしてる。ジャン=クロード・エレナ凄いな。夕方は海辺を散歩。カフェに入ろうかと思い、3軒あたってみたけどやめる。1軒目はお休み、2軒目は混みすぎ、そして3軒目は、ノースリーブの花柄ワンピースを着た女性が黒いリボンの麦わら帽子をかぶり、映画のように横を向いて座っていて、遠くから眺めるだけで満足してしまったから。

2023-05-15

音色を聴かせて





なんだろう、今朝は空が高かった。夜中に雨が降ったせいだろうか。地球の引力が変ったみたいだ。空気中の塵が洗われ、ぴーんとひっぱったような青い空を、くしゃくしゃに風をたわめながら、カモメの群れが真っ白く笑ってゆく。

浜辺を歩いていたら、誰かがサキソフォンの練習をしていたので耳をかたむける。なんの曲かわからなかったけど、かなりの超絶技巧で吹いていて、朝っぱらからすごいなと思った。

浜辺ではよく楽器の練習してる人を見かける。たいていサキソフォンかトランペットで、たまにギターといった感じ。ヴァイオリンはいちども見たことがない。浜辺の脇の歩道では演奏しているのに。しかも不思議なことに、みんな海じゃなくて人通りのほうを向いている。人に聴かせるより海に聴かせるほうが気分がよさそうに思えるけど、まあ、そこは人それぞれか。わたしは海に向かって演奏している姿に心ときめく。眺めていると、こんな詩が胸の奥からこみあげるからーー幸せは目指す先じゃなくて旅の中にあるんだ。踊れ、誰も見ていないかのように。愛せ、一度も傷ついたことなんてないかのように。歌え、誰も聞いていないかのように。働け、お金なんて要らないかのように。生きろ、今日が最後の日であるかのように。

仕事の帰り、なじみのパン屋に寄った。昼下がりの客が引けた時間帯だった。奥の作業場もしんと静まり返っている。その静けさの中に、主人がひとりたたずみ、ヴァイオリンを構えてクライスラーを弾いていた。大きな作業台の上には、小さく丸められたパン生地が整然と居並び、眠りながら主人の演奏に聞き入っている。たぶんパン生地はどんどんおいしさを増しているんだろう。そのパン屋で買うのはきまっていつもくるみパンだ。袋をもったまま、店の裏手の長い石段をのぼり、公園のベンチで鳥のさえずりを聞きながらくるみパンを食べる。時は五月。ミモザ、スタージャスミン、オリーヴと花々が重なりあい、風に吹かれて椰子が揺れるようすはまるで古代の楽園だった。

2023-05-14

暗記できる和歌の数について





去年帰国したとき、詩歌関係の知り合いと話していて、「昔の歌人はいったいどれくらい和歌を暗記してたのか?」という話になった。

昔というのが具体的にいつのことなのか不明だったけど、まあそんなの適当なんだろうから、わたしも「一万首くらいじゃない?」っておおざっぱに言ったらそこにいた全員が絶句した。「それはちょっと多くない?そんなたくさん覚えられるのかよ!」って。無理かなあ。いけそうな気がするんだけど。どう思いますか?

わたし自身、記憶力にあまり自信はないけれど、中学生のころ俵万智『サラダ記念日』を丸暗記したことがある。各連作がストーリー仕立てになっていたので覚えやすかったのだろう、くりかえし読んでいたらいつのまにか頭に入った、歌の歌詞みたいに。ってゆーか、和歌っていったら歌ですよね。フレーズに節がついているから、暗記しようと思わなくても、気楽に読めば身体に染みこむ。昔は今ほど読みものが多くなかったんだし、そんなふうに身体に染みこんだ本が10冊や20冊あって普通だったのではないか。ちなみに『サラダ記念日』には434首の歌が収録されているけれど、目次でいうと15作。つまり15曲入りのアルバムという見方もできる。たいした量じゃない。

記憶力の重要性が薄れた現代でも、歌詞だったら何百曲も覚えてる人間がざらにいる。まずもって童謡が、ぞうさん、むすんでひらいて、おもちゃのチャチャチャ、おおきなくりのきのしたで、いぬのおまわりさん、もりのくまさん、どんぐりころころなど10曲や20曲はすぐ思いつくし、唱歌もたきび、もみじ、朧月夜、荒城の月、この道、あかとんぼ、蛍の光と、やはり童謡なみに思いうかぶ。そこへCMソング、アニメの主題歌、歌謡曲にJ-POPなどを加え、好きなミュージシャンのアルバムとか、いずれも1番が歌えればOKってことでどんどん足していけば、300曲くらいにはなるって人がまあまあいるだろう。それを和歌の文字数で換算しなおすと余裕で一万首に届く。人によっては外国語の歌詞だって覚えているだろう。すごいことですよ。さほど意識せずに、人はこれだけの歌詞を心に刻んでいるんですから、と説明したら「そんなうまくいかないでしょ」との反応。うーん。

2023-05-12

体力と創作





1月30日の日記でスマホをやめると書きましたが、タブレットもノートパソコンもやめることにしました。もともと作句については紙とペンだったけど、これからは文章もそうするの。

理由は体力。めっちゃしんどいんですよ。喘息との相性最悪なのデジタル画面って。で、さっそく今日、朝からカフェに出かけてボールペンでこりこり書き始めたんですけど、それだとあれ?ってくらい楽だった。身体が。まじで。あとですね、デジタルだと原稿が全然進まない。いくらでも推敲できちゃうんだもん。そんなわけでこのブログも、今後はちょくちょく口述筆記調で参ります。折々の乱れはご容赦ください。

文芸誌アンソロジストの連載「存在のためのふわふわした組曲」に「雲の正体について」を執筆しました。5月15日発売だそうですよ。あと『いつかたこぶねになる日』が4刷決まりました。思えば遠くへ来たものです。心から感謝いたします。

2023-05-11

夢を混ぜる





すばる6月号の連載「空耳放浪記」は「香りとともに消えた男」と題して、エルメスの天才調香師といわれたジャン=クロード・エレナの俳句観やらなにやらについて書いています。

* * *

いつだったか、インドから遊びにきたベンガル人の友だちと料理の話をしていたら、こう言われた。「フランス料理ってボトムが軽いよね」

まったくもってその通りだと思う。とはいっても、人が滋養を感じるものには文化を超えた共通点が少なくないし、フランス人がボトムの重さを理解しないわけでもない。スープひとつとっても、伝統料理においては北のコトリアードやビスク、南のブリードやブイヤーベースといったふうに、さながらグルタミン酸讃歌とでもいうべき、舌にねばりつく濃厚な旨味が好まれてきたのだ。でもベンガル料理とくらべれば、たしかに昨今の軽さは驚異的である。

きのうは、短期滞在中の日本人の方とペルー料理のレストランに行って、真鯛のセビチェなどあれやこれやを食べた。セビチェは中南米の名物料理で、魚を野菜とレモン汁でマリネした一品だけど、その店ではヌーヴェル・キュイジーヌ風の仕立てだったからか、マリネの風味がセビチェ本来のそれとは少し違って、幾重にも重なる香りのヴェールの中に息をひそめているかのような可憐さで、まろやかな旨味が見え隠れしていた。虎の乳とよばれるふわふわのマリネ液をスプーンですくって口にはこぶと、芳醇な花がひらき、数秒後には儚くしぼむ。さまざまな味や香りがそんなふうに現れては消え、いつまでも舌にのこらない。見た目もすっきりとして、大きく切り分けられた真鯛も表面だけがレモンで締まり、洗練された官能がそこにはあった。

おいしくいただいている最中、一緒にいた方が、「フランスの調理って塩味が薄くないですか? こういう生の魚を、お醤油で食べたいって思わないのかな?」とおっしゃった。わたしは心まかせに、こう答えた。

「醤油だと、味の輪郭がはっきりしすぎていて、セクシーさに欠けると思うのかもしれません。夢見心地よりも、理性が勝っているというか。おそらくですけど、ヌーヴェル・キュイジーヌって、微妙な線や色をひとつまたひとつと重ねるように味と香りが連鎖してゆく、調香師の魔法みたいなゆらめきをおいしさとして表現しているんだと思います」

言いながら、そうか、わたしはこんなふうに考えているんだ、と知った。もちろんヌーヴェル・キュイジーヌの一般的定義は考慮の外だし、おいしさの概念を一元化する気もさらさらない。きのう食べた皿がちょうどそんな感じだったから、思いついたことをそのまま口にしたまでだ。

まあでも、これは音楽や絵画や文学などにも当てはまりそうに思う。フランスらしいと言われるものってどことなくボトムが軽い。浮き腰で、足元がふらふらしている。これは作品の内部に芸術や崇高さへの見果てぬ夢、すなわち「憧れ成分」が混入しているせいだ。またその憧れゆえの浮遊感は、人間が仰ぎ見たときの芸術のリアルな姿とも重なる。それは雲のように遠く、どこまでもつかみがたい。そういったわけで、浮遊感はけっして不純な混ぜ物じゃないのだ。

2023-05-07

波乗りする手紙





だいぶ寝込んでいたからか、最近『なしのたわむれ』の一節を思い出していました。それっていうのは、子供時代の須藤さんが入院中、病室からせっせとラジオ番組にハガキを送っていたという話なんですが、わたしが説明するよりも引用する方が早いかな、ってことで引用します。

 なぜ、ラジオ番組宛てにせっせと手紙を書いていたのか?と自己分析をするならば、そこには世界とつながることへの渇望(というほどのことでもないですが)があったのかもしれません。もともと一人で遊ぶことが好きだったので、学校の友達と会えないことの寂しさとかは感じませんでした。それよりも、日常の義務とスキームを離れて、好きな時間に好きなだけ本を読んだり昼寝をしたりできる解放感が先行していたので、病気であることを除けば、楽しい時間でした。
 それでも、です。きっと世界の様子を小窓からそっと眺めたいという望みがあった、もっと具体的にいうならば、同じ時間にどこか知らない場所で同じ放送を聞いているかもしれない誰かの存在をラジオの電波を介して確認したかったのかもしれません。
 ラジオ宛てに出した手紙は、番組で読み上げらでもしない限り、届いたかどうかも確認できません。だから、ラジオ宛てに手紙を出すことは、ボトルに詰めた手紙を海へ流すようなもののです。届くかどうかわからない手紙、そしてそもそもの「宛先」がよくわからない手紙はどこへ消えてゆくのか?とその頃、よく考えたものです。いったい誰に宛ててこの手紙を書いているのだろう?と。

この個所。電波という語に「波」の字が入っているからか、ボトルに詰めた手紙が波にたゆたいながら、ひょっこりひょうたん島のように、ちゃぷちゃぷと夜空をーー私の脳内では、須藤さんは深夜ラジオを聴いていたことになっているのですーー漂流している様子が子供向けの人形劇みたいに想像されて、病気のときに想う画としてはちょうどよかった。

わたしはラジオ番組に手紙を書いたことはないですが、でも、なにかを書くとき、もちろんこのブログも、届くかどうかわからない手紙を、波に乗せるように書いていこうと思ったり。

2023-05-05

春の体調





前回の日記を書いたあと喘息で臥せってしまった。日に1、2時間だけ起き、締め切りのある仕事をして、それ以外の時間は今日までずっと横になっていた。夫が日曜日のハーフマラソンに出たので観に行きたかったのだけど、もちろんそれも叶わず。朝8時から21.1キロ走って帰宅した夫は、そのままわたしの昼食をつくり、夕食もつくった。写真は完走者全員に配られたメダル。

秋のニース・カンヌ国際マラソンは観に行くつもり。もう当日夜のホテルも予約してある。ニースから42.195キロ走ってカンヌに着いたあと、またニースに帰ってくるなんて考えただけでも疲れるから、そのままカンヌに一泊したいらしい。なるほど。そんな近場のホテルに泊まれる機会なんてめったにないから、今からわくわくしている。