2021-09-28

シュヴィッタースの音響詩とか



先日書いたフィリップ・ド・ゴベールの企画展の続き。パンフレットによると、ド・ゴベールが模型に傾倒したきっかけはクルト・シュヴィッタースのメルツ建築を見たことだったそうで、シュヴィッタースのアトリエ模型も展示されていました。


シュヴィッタースといえばメルト建築だけでなく音響詩も有名。わたしは今回はじめて1932年作のウルソナタ(ursonate)を聴いたんですが、作品としての完成度が高くてぶったまげました。頭抱えちゃうほど細部が調整されてます。目で見てよし、耳で聴いてよしのテキストです。


ほかにも有名な家がいろいろ。撮影可だったので遠慮せず撮りました。


1958年のブリュッセル万国博覧会のために建設されたアトミウム。


ヴィルジュイフの簡易式学校。ジャン・プルーヴェはいまでも人気ありますよね。最近鴨長明のヤドカリハウスについて書きましたけど、組立式住宅というのは好きな人はほんと好きなジャンル。


ル・コルビュジエのユニテ・ダビタシオン。いつだったか、マルセイユにあるこの住宅の内部を見学に行ったとき何室か売りに出ていましたが価格は4000万円でした。案外、買える人には買える値段。

2021-09-24

夕暮れの海





せっかく旅行に来たので、夕暮れの海を見に行く。空も海も浜もなにもかもが広大だった。


2021-09-23

再生の物語の発明





アンドレ・マルロー美術館でフィリップ・ド・ゴベールの企画展を観る。1944年の空爆で壊滅したル・アーヴルが建築家オーギュスト・ペレによって再建される様子を撮影した記録写真をもとに、その過程をミニチュア模型でゼロから追いかけ、大判プリント写真に収めて再統合した作品群。


砂、小石、小さな破片が装飾みたいに広がる世界。架空の現実の断片による、再生の物語がはじまる予感。


オーギュスト・ペレはコンクリートの父といわれる建築家。以前このブログに彼の話を書いたことがあった。


なんだかさみしいけれど、いまでもこんな雰囲気の街。


工業港特有の不穏で神秘的な雰囲気がフィルムノワールっぽい。ほのぐらい街灯、港に戻る船、路駐車、灯る窓など、わずかに人間の気配が感じられる。


舞台裏。背景の空は写真。


撮影のために製作した模型の展示。

2021-09-22

単純だけど疲れた一日





朝は飛行機の中でちょっと眠り、日中はパリのカフェを二軒はしごし、夕方は列車の中で山尾悠子の作品を眺め、夜は冬泉さんに付句をメールで送って、いま24時をまわったところ。

2021-09-20

「論理の脱臼」と「句意の圧縮」





今週のハイクノミカタは〈柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺/正岡子規〉をとりあげたのですが、朝起きたらこんな質問が届いていました。

この句、「ば」が気になります。
A「柿くへば」からB「鐘が鳴るなり」のように、
A→Bへの「論理」をすこし脱臼させるような句って近世にもあったのでしょうか?
最後に「法隆寺」が出てくるのも、似たような感じを受けます。

うーんわかりません。詳しい方メールください。ただ一点だけ、質問の本筋からはずれた話をすると、この句は論理を脱臼させた(因果関係をはずした)というよりむしろ、連句や反歌(長歌のあとに添える要約短歌)の発想と重なるようにわたしの目には映ります。というのもこの句って、

発句 柿くへば唐紅の日暮哉
脇  鐘が鳴るなり斑鳩の寺

というふうに、A「柿くへば」とB「鐘が鳴るなり」とを発句と脇の関係に直せるんですよ。発句の言外の余情を継いで、打ち添えるように脇が付き、同一の時と所を共有している。で、AとBの当意即妙の呼吸からして、おそらく漱石の〈鐘つけば銀杏ちるなり建長寺〉に唱和して子規が「柿くへば」と詠んだ瞬間、ぱっと脇が付いちゃったんだろうと思います(もちろん推敲は必要でしょうけど)。実践の現場でしばしば起こるこうした「句意の圧縮」が「論理の脱臼」と似た外見をもつことは、俳句だけと付き合っていると気づきにくいかもしれません。

反歌といえば、小池純代に白楽天「白羽扇」を抄訳した「梅雨の夜に詠める長歌ならびに反歌一首」という離れ業の一品があります。

盛夏不銷雪
終年無盡風
引秋生手裏
藏月入懷中

なつくさの かりそめの野に 消ゆるなき 雪ふるごとく
ひさかたの そらの果たてに 尽くるなく 風ふくごとく
手のなかに 鳴らすつかのま かそかなる 秋のごとしも
むねの火を ほのとあふりて ありあけの 月のごとしも
わがはねあふぎ

なつくさのそらの果たてにかそかなる月のごとしもわが羽扇


この反歌、長歌の各行を斜め抜きしています。句意の圧縮方法としてはハイカイザシオンに通じますが、圧縮しているように見えないところがすごいです。

2021-09-18

ごぼうのはなし





これまでイル・ド・フランス、ミディ・ピレネー、オート・ノルマンディー、コート・ダジュールといった4つの地域を渡り歩いたけれど、どこに住んでもごぼうが買えるのは予想外だった。日本人しか食べないと思いきや、ささがきにしてバター炒めにするそうで。あとサプリ売り場にもごぼうの錠剤が置いてある。肌と髪と爪に効くらしく、わたしもたまに飲んでいる。

フランスとごぼうとの関係を軽く調べてみたら、なんとカール大帝の治世には畑で栽培していたことがわかった。大帝が9世紀初頭に発布した「御料地令」第70条に、荘園で育てるべき植物として草本73種、果樹16種のあわせて89種類がリスト化されていて、ごぼうはそのひとつなのだ。植物はほとんどが地中海沿岸を原産地とするもので、大帝はそれらを薬用および食用として全土に広げようとしたとのこと。もちろん当時の修道院付属荘園の植栽プランもこの法令に準拠している。

下は「御料地令」第70条の翻訳。植物好きの方用です。

「庭園にはあらゆる草本が栽培されることを余は望む。すなわち、ニワシロユリ、ドッグ・ローズ、コロハ、バルサムギク〔モッコウ〕、ヤクヨウサルビア、ヘンルーダ、サザンウッド、キュウリ、メロン、ユウガオ、ササゲ〔フジマメ〕、クミン、マンネンロウ、ヒメウイキョウ、ヒヨコマメ、カイソウ、ドイツアヤメ〔グラジオラスの一種〕、イブキトラノオ〔エストラゴン〕、アニス、コロシントウリ〔セイヨウスズメウリ〕、ヨウシュキダチルリソウ〔キンセンカ〕、アジョワン〔ボールドマネー〕、サーマウンテン、チシャ〔ビター・レタス〕、ブラック・クミン、キバナスズシロ、オランダガラシ、ゴボウ、メグサハッカ、アレキサンダーズ、オランダゼリ、オランダミツバ、ガーデン・ラヴィッジ〔マウンテン・ラヴィッジ〕、サビン、イノンド、ウイキョウ、キクニガナ、ヨウシュハクセン、シロガラシ、キダチハッカ、ウォー ター・ミント、オランダハッカ、ホース・ミント、ヨモギギク、イヌハッカ、ナツシロギク〔シマセンブリの一種〕、ケシ、 フダンソウ、オウシュウサイシン、ビロードアオイ、ウスベニアオイ、ニンジン、アメリカボウフウ、ヤマホウレンソウ、 ワイルド・アマランス、カブカンラン〔オクテノカブラ〕、ワイルド・キャベッジ、ネギ〔ラムザン〕、チャイブ、リーキ、 ラディッシュ、シャロット、タマネギ、ニンニク、セイヨウアカネ、ラシャカキグサ〔カルドン〕、ソラマメ、エンドウ、 コエンドロ、チャーヴィル、ホルトソウ、オニサルビアである。

また、どの庭師も自分の家の屋根にヤネバンダイソウ を植栽すべし。樹木に関しては、以下のものが栽培されることを余は望む。すなわち、各種のリンゴ、各種のセイヨウナシ、各種のセイヨウスモモ、ナナカマドの一種、セイヨウカリン、ヨーロッパグリ、各種のモモ、マルメロ、セイヨウハシバミ、アーモンド、クログワ、ゲッケイジュ、イタリアカサマツ、イチジク、ペルシアグルミ、各種のセイヨウミザクラである。リンゴの品種はゴズマリンガー、ゲロルディンガー、クレヴェデルレン、シュパイエルエプフェルで、甘味のあるもの、酸味のあるもの、よく保存のきくもの、すぐさま食べられるもの、早生のものがある。ナシに関しては、よく保存のきくものを三・四種類、甘味のあるもの、調理用のもの、晩熟のもの[を栽培するように]。」(遠山茂樹「所謂『カール大帝御料地令』第七〇条瞥見」より)

2021-09-17

生まれたままの詩





現代詩手帖』10月号(9月28日発売)に自由詩「ロゴスと巻き貝」を寄稿しました。

この号は「定型と/の自由―短詩型の現在」という特集で、当初わたしは連句から発想した実験的作品を書くつもりでいました。ところが編集部から

「今回の作品依頼は、定型の使い手に自由詩を書かせたら一体どのようなものができるのかといった実験です」

との趣旨を聞いてはっとし、そういうことだったらむしろ定型の技を一切捨てて、生まれたばかりの赤ん坊になったきもちで自由詩を書こう、と思い直しました。

というのもよくよく考えてみたらですね、俳句のフィールドに詩を引き込んだり、定型の技でもって自分の弱点をかばったりしてしまったら、作品が自分にとって既知の展開にしかならないんですよ。でもせっかく知らない流派の道場に招待されたのに自分の殻から出ようとしなんて、未知のルールの中に飛び込もうとしないなんて、そんなつまらないことあるでしょうか。 で、ここは相手の道場に身ひとつで上がって真正面から現代詩に挑もう、と。

そんなわけで、定型のなんたるかを紀昌のごとく忘れ去った、まっぱだかの自由詩ができました。

ちなみにわたしは現代詩をほとんど読んだことがなく、『現代詩手帖』という雑誌も30年前に手にしたっきり。つまりは知識不足ゆえ、作品もあっと驚愕するような事態になっているかもしれません。

2021-09-16

港の風景





港のトラム乗り場。綺麗なクルーザーが所狭しと泊まっている。けれどわたしは漁船の方が好き。イカ釣り漁船とか超かっこいいですよね。大漁旗も興奮します。

2021-09-14

遊びの源泉





二日つづけて道場に行き、棒術のあたらしい套路を学ぶ。帰りは図書館に寄り、本は借りずに司書さんとお喋り。

いま月末〆切の俳句連作をつくっているのですが、いやーこんなむずかしかったかなと思いながらやってます。わたし入門書を読んだことがないせいで基礎知識が欠けてるんですよ。ほら「説明書」って読んじゃったらわかっちゃうでしょ作り方が。それが嫌で読まないんです。せっかく面白がっているのにもったいなくて。勘が働かないまま悪戦苦闘していると、たまに親切な人が「こうしたらもっとよくなるんじゃない?」なんて教えてくれるコツも輝いて聞こえて、そういうのも楽しいし。

俳句を書くのが仕事かといわれたら違う。ならば趣味なのかというと趣味でもない。実のところね、趣味ってのも業の深い世界なんですよ。でもわたしは欲を離れてただ面白がっていたいんです。なにを表しているのでも、なにに使うわけでもないかたちを、無我夢中で彫りつづけている人みたいに。

没頭のいいところは、瞑想状態に入ることで自分自身と向き合えること。心がしんと静まり返ること。

2021-09-13

路上広告





日曜日はアイアンマンレースがありました。もうほとんど日常です。

2021-09-12

しっぽのきらめく小説





ラストの一節がぴしりと決まったエンタメ小説っていいですよね。夏目漱石『こころ』とか『坊ちゃん』とか。この「ぴしりと決まる」にはいろんなパターンがあって、面倒臭くて端折りたくなるような(また実際にほとんどの読者が斜め読みするような)ラストが、あたかも映画のエンドロールを眺めているかのごとき余韻を湛えることもある。森鴎外『興津弥五右衛門の遺書』などはあえて読者を引き込みすぎずに流した典型かと思います。

「文章の書き方」系の本って冒頭の重要性については述べるのに結びの一節についてはめったに検討していなくて、あれは本当に不思議です。鯛に尾頭がついていると、実際には身の部分しか味わわないにしても印象に厚みが出ますけど、このときもみんな尾を見過ごしてるじゃないですか。かなり奇妙なたとえですけど、ラストの軽んじられ方ってこの尾に似ているなって思うんですよね。

清(きよ)の事を話すのを忘れていた。――おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。
その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。(夏目漱石『坊ちゃん』)

小説のプロットを全て消化した後、おまけとして語られた『坊ちゃん』のラストシーン。無駄のない筆さばきが涼しく、ただひとつの接続詞「だから」がきらきら光っています。

2021-09-11

移動式住居の夢





さいきん知り合いになった女性と話をしていたら、彼女のお友達がモバイルハウスに住んでいるのだと言う。車の屋根がソーラーパネルになっていて、ベッドや机やパソコン、小さな冷蔵庫や電気コンロ、換気扇や網戸までついているとのことで聞くだに楽しそうだ。

好きなときに好きな場所に行けるヤドカリハウスの元祖といえば鴨長明『方丈記』に出てくる移動式住居じゃないかなと思う。鴨長明は地面に穴を掘らず、法隆寺みたいに石の上に柱を立てるといった、当時の世間一般とはかけはなれた家に住んでいた。部屋の間取りや調度品について書いた箇所も面白い。

広さはわずか一丈四方、高さは七尺ほどだ。建てる場所をきちんと決めたわけではなく、土台を組み、簡単な屋根を作り、柱や板の継ぎ目は掛け金で留めている。もし、気に入らないことがあったら、簡単によそへ引っ越せるようにという考えから、そのようにしている。家を運んで移動し、行った先で立て直すことに、どれくらいの手数がかかるか。たいしたことはない。運ぶものは、たった車二台で足りる。車の運び賃だけ払えば、他に費用はなにも要らない。

いま、日野山の奥に隠れ住んでからは、東に三尺ほどの庇をつけて、かまどを作り、柴を折って火にくべて使うようにしている。

南には、竹のすのこを敷き、すのこの西側に閼伽棚(仏前用の水や花をおく棚)を作った。

北の方に障子の衝立を隔てて仏間にして、阿弥陀の絵像と普賢菩薩の絵像を掛け、その前には『法華経』を置いている。

東の端には蕨のほとろ(採られないまま伸びたもの)を敷いて、夜に寝る場所としている。

西南には竹の吊り棚を作り、そこに黒い皮籠を三つ置いている。その中には、和歌の本や管絃の本や『往生要集』などの書物を入れている。そのそばには、琴と琵琶を一つずつ、立て掛けている。いわゆる折琴と継ぎ琵琶、つまり組み立て式の琴と琵琶だ。仮の庵の様子は、だいたいこんな感じだ。

方丈の周辺がどんなふうかと言えば、南に懸樋があって、岩槽に水を貯めている。林が近いから、薪にする枝を拾い集めるのに苦労はない。(『方丈記』光文社古典新訳文庫、蜂飼耳訳)

「心なき身」であるはずの僧侶なのに、かつここまでミニマルな住居なのに、歌集や琴や琵琶といった道具が完全装備であるところに性格が現れている。どっぷり「もののあはれ」とたわむれる風流人なのだ。さらに日々の気晴らしについて書いているくだりも素敵だ。彼もそのことを自覚していたらしく『方丈記』のラスト部分では「仏の教えは、何事についても執着を持つなと説く。いま、こうして草庵を愛することも、閑寂に愛着をもつことも仏の教えに背くことかもしれない」と書いた。別著『発心集』には「貧しい男、設計図を描くのが好きだった」というエッセイがあり、これはまわりの人から反故をもらいあつめて家の間取りを描いて楽しむ貧しい男の話なのだけれど、その姿はまんま鴨長明とかぶる。

【おまけ1】方丈庵を解体してみる(
【おまけ2】方丈:移動可能という夢(

2021-09-10

旅立ちの銅鑼





きのうの日記を書いたあと、高校生のとき、青函連絡船の休業にともない開通したばかりのブルートレイン寝台特急「北斗星」に乗ったことを思い出した。

時は2月のスキーシーズン、上野から札幌まで走行1200キロ超、16時間の旅である。別に乗りたくて乗ったわけではない。東京の病院を退院し実家のある北海道に帰るのに、飛行機のチケットがとれなかったのだ。

いまでも憶えているのは上野駅を発つ時、駅員が旅立ちの銅鑼を打ち鳴らしてくれたことだ。駅のホームが見えなくなるまでその音は続いた。そのときわたしは「旅とはこういうものなのか」とその本質を学んだ。

だからのちに村上春樹『遠い太鼓』のエピグラフ「遠い太鼓に誘われて/私は長い旅に出た/古い外套に身を包み/すべてを後に残して」を目にしたときも、単なる詩句としての魅力を超えた、太鼓の音と旅立ちの希求との抗いがたい結びつきをすんなり理解したし、太鼓の音が耳から離れないせいで一生を旅に捧げてしまう者がいるだろうことも予感できた。

2021-09-09

心は旅の中にある





月末にル・アーヴルに行くので前倒しで仕事をこなしている。コート・ダジュールの外に出るのは半年ぶり。今秋はインドに行くはずだったのだけどコロナのせいで来春に再調整となった。あとはジャワ島に太極拳の大師匠が住んでいるので「今度の研修はジャワ島でやろう」と言われてはいるが、こちらもいつになるかわからない。なぜジャワ島に大師匠が住んでいるのかというと、うちの師匠は若かりし放浪時代、インドネシアの路上で病に倒れたところを見ず知らずの華僑に介抱されたことがあり、その華僑というのが大師匠なのである。そのまま自宅に運ばれて厄介になっていた折、大師匠が早朝こっそり自宅の中庭で太極拳やら棒術やらの練習をしているのを見て「これだ!」と思い、それまで習っていた合気道を捨てて大師匠に弟子入りすることにしたとか。カンフー映画みたい。必ずといっていいくらいあるよね、そういうシーンが。

「大師匠の朝練って、やっぱり人目を忍んでしてたってこと?」
「いやちがう。ジャワ島は暑いから昼間は練習なんで絶対できないんだよ。僕たちも研修に行ったら朝の5時からやんないといけないよ」
「え〜」
「だいじょうぶ。午後は昼寝するんだから」

写真を見ると、大師匠は映画『青いパパイヤの香り』を連想させる素敵な家にお住まいだ。早く遊びに行ってうっとりしたい。

2021-09-08

知らない猫





外出から戻って、アパートの玄関を入ると、ホールに知らない猫がいた。新入りなのだろうか。

2021-09-07

幻のウィンチュン・デビュー





ハイクノミカタの連載は管理人の堀切さんが毎回コラムに適当なリンクを貼ってくれるんです。で、きのう堀田季何さんの句について書いた回をひらいてみたら「白鶴拳」にリンクが貼ってあることに気づき、クリックしたらウィキペディアにとんだんですけど、知らないうちに説明がずいぶん詳細になっていて思わず読みふけってしまいました。「詠春拳と白鶴拳の関係ってこんなにはっきりしているんだな」なんて思いながら。あ。そのくらいのこと知っておけよ!と思った貴方、お願いですからメールしてこないでくださいね。ほんとに知らなかったわけじゃなく完全に忘れていただけですから。ほら、武術って歴史や術理がおもしろすぎてほっといたら口ばかり達者になりがちだし、というか、それ以前にそもそも脳の容量の関係でたくさんのことを記憶しておけないといった事情もあって、なにかひとつ学んだら別のなにかを日々積極的に忘れるようにしているんですわたし。そんな理由で、スイッチを入れて頭の回転数を上げないかぎり大体のことをまるで憶えていないのでした。

ブルース・リーという人に対してわたしはアンビバレントな感情を抱いていているのですが、それでも昔は詠春拳をやってみたくて、パリにいたころ道場を探しに探したことがあるんです。で、ついに見つけたものの、場所がラ・ヴィレットという再開発地区(ジャック・デリダとピーター・アイゼンマンが建築コンペを『CHORA L WORKS』という本にまとめたあの地区)で、時間が平日の夜9時からという悪条件だったので泣く泣く諦めました。当時ラ・ヴィレットの夜は相当危険で、ブログに書けないような暴力事件に巻き込まれた人が周りに何人もいたので、絶対に無理だなと思って。その後ピレネー山脈の方に引っ越したときも詠春拳道場の張り紙を見つけ「とうとうわたしもウィンチュン・デビューか!」と心躍ったのですが、これまたざんねんなことにその張り紙の中でポーズをとっているフランス人が日本の袴をはいていたんですよね。もしかしたら合気道も一緒に教えていたのかもしれないけれど、やっぱりうっとたじろいじゃいます。

2021-09-06

酔い止めの効果





日曜日はブログをアップしたあと日焼け止めクリームをたっぷり塗って毎度恒例の海へ行った。泳ぐのは毎日30分程度だが、海から上がったあとは一人で歩けず、視界も狭く暗くなるので、これまではいつも夫に介助してもらってきた。それがお盆ごろ、夫が市販の酔い止めを買ってきて「これ飲んでみたら」と渡してくるので飲んだところ、手を引いてもらわずとも足が前に出るようになった。なんのことはない、それまでのわたしは波に酔っていただけだったらしい。昔からわたしは胃が強くて嘔吐するのは五年に一回あるかないか、食事のあと胃もたれすることもないし、海で泳いだあともむかむかしないからよもや自分が酔っていたとは気づかなかった。

そういえばカフェのウェイトレスをやっていたころいちばんつらかったのが目が回ることだった。ウェイトレスの仕事というのはテーブルとテーブルのあいだをたえまなく巡回する。不規則な加速や減速や停止をくりかえし、右折や左折を意のままに操作し、前後上下への揺れにも対応しなくてはならない。それがこなせなくて、やはり夫が帰宅時の介助をしてくれていたのだけれど、あのときも酔い止めを飲んだらよかったのかもしれない。

2021-09-05

季語の斡旋、漢詩の翻訳





さいきん人とした詩歌の話題2つ。

その壱。斡旋について。俳句の世界に季語の斡旋、言葉の斡旋などといった言い回しがありますが、この「斡旋」ってどこから出てきたんだろうって思いません? わたしはたまに気になるんです(とはいえルーツを調べたことは一度もないけど)。自分の知る中で一番古い例は1821(文政4)年刊の若槻敬『畏庵随筆』で「和歌の体製は、てにをはの斡旋にあり」という表現。もともとは俳句特有の用語ではなかったみたいなんですよね。

和歌の体製は、てにをはの斡旋にあり。古歌を博く考ててにをはの格を知べし。 かなの文字づかひも博く考て知べし。五十音に塾通し、音韻の正しきを取べし。(若槻敬『畏庵随筆』)

その弐。漢詩の翻訳について。漢詩の訳し方についてはすでに平井の本棚主催のトークイベントで話したことがあるのですが、そこで言及しなかったこととして中国語の朗読を聴いてみるというのがあります。で、とうぜん日本語の響きとは感性が違うなと思うこともあれば、逆に同時代性がありすぎてびっくりすることもある。この徐志摩の朗読とか、文体を決めるときにかなり参考にしました。初めて聴いたとき、西洋の詩の輸入を介して日中がつながったような気がしたんですよね。


拙訳を添えた一篇はこちらから試し読みできます。また訳し方についてはこちらの動画の13:51から話しています。