2019-12-29

シストロンの山




ここへきて夫婦で風邪を引いてしまい、昨日と今日は大人しくしている。ごはんもコーンフレークに豆乳ですます。

ごろごろしていると、シストロンに住む兄弟弟子から山の風景写真が届く。版画みたいで、気持ちいい。

とでもいふごとく色あり山眠る  夜景

2019-12-28

エアーなたわむれ





土曜日の読書「紙ヒコーキに乗る」更新。引用は『紙ヒコーキ/ハリー・スミス・コレクション 第1巻』より。以前このブログに書影をあげましたが、とんでもなく美しい本です。

発泡スチロール協会のサイトによると、発泡スチロールの原材料は直径1ミリ程度のポリエチレンの粒で、この粒を蒸気で加熱し、約50倍に膨らませたものが製品になります。また成形の際も蒸気のみを使います。熱を与えると粒同士がくっつくそうです。

発泡スチロールという製品の98%が空気、2%がポリエチレンからできている  これ、よく考えるとすごくないですか。

だって、つまり、発泡スチロールペーパーのヒコーキを飛ばす遊びは、空気の上にほぼ空気の物体を乗せるという、かぎりなくエアーなたわむれだということでしょう? たわいのなさをかくも極めるとは、なんと美しい世界でしょうか。

ひきはがす東風とペーパーヒコーキを  夜景

2019-12-27

大聖堂のデコレーション




今日はカナダから来客。雪国からどんどん避寒者が押し寄せてくる。

散策しながら、ふだん見ないものを見る。写真はサント・レパラート大聖堂。1650年から1699年にかけて建設されたバロック様式の大聖堂で、ニースの街の守護聖人である聖レパラートが祀られています。祭壇がクリスマスの飾りつけで賑やか。


特にこのてっぺんの金の布と星の装飾が、ケーキのデコレーションみたいで嬉しい。

いかにもと六花を藁に包み来し  小津夜景

2019-12-26

街で過ごす





スイスより客人あり。お昼ごはんを共にし、旧市街を案内する。レストランの本日のおすすめは焼き鱸。釣り上げたばかりでとてもおいしかった。

* * *

秋登宣城謝朓北楼  李白

江城如画裏 山暁望晴空
両水夾明鏡 双橋落彩虹
人烟寒橘柚 秋色老梧桐
誰念北楼上 臨風懐謝公

秋、宣城の謝朓、北楼に登る  李白

川べりの街は画のようで
澄みきった空に夕ぐれの山がみえる 
両筋の川は明るい鏡と化して街をはさみ
二本の橋が美しい虹に扮して水にゆれる 
人家の煙は蜜柑の木にさむざむと
秋の気配に青桐の葉が老いてゆく
誰も気づくまい この北楼の上に
風に吹かれつつ謝朓を想うわたしがいるとは

宣城は町の名前。李白は謝朓の大ファンで、謝朓が建てたと言われる北楼にのぼって町を一望し、この詩を書きました。

この詩は情景描写のしっかりしているところが気持ちいい。あと5、6句が、一句ずつ眺めると語と語のあいだの余白が大きくて、表現を足さないと和訳できなそうにみえるのですが、二句が隣り合うとお互いの足りないものを補いあっていて、あ、何も足す必要がないんだとわかります。

2019-12-23

いろいろな昼寝(澤の俳句 8)





公園におすまいの、がちょう。おひるねちゅう。かわいい。近づいても気づかないみたいでした。

古代ギリシア哲学概論B昼寝  木内縉

〈ギリシア〉に〈昼寝〉とは抜群のハーモニーですね。〈B〉の小技もいい。この一語のおかげで全体が引き締まっています。さらに名詞のみで一句を構成して一切の心理を省いたのも、居眠りの演出にぴったり。この作者には、

天井に曼荼羅のある午睡かな  木内縉

といった昼寝句もあって、こちらは浅い眠りをたゆたうときのサイケデリックな脳内劇場を〈曼荼羅〉が表象しているみたいでおもしろい(もちろんふつうに読んでも素敵)です。

熟睡度で比べると、ギリシアの句の方が、曼荼羅よりも高そうです。よだれが見えます。

2019-12-21

無料新聞





トラムの駅で配布されている無料新聞に、港の駅が開通した写真が載っていた。ニースってこんなに人がいたんだ。開通した週末は無料だったのでそのせいかしら。ちなみに普段の値段は、どこまで行っても一律1,5ユーロ(回数券を買うと1ユーロ)です。

先週の土曜日の読書は「自由をたずさえる」。引用は沢木耕太郎『深夜特急』でした。この本、カッサンドルの装画に惹かれて、文庫が発売されるたびに読んでしまったという人はわたしだけじゃないはず。カッサンドルのポスターで有名な豪華客船ノルマンディー号の出港地ル・アーヴルはマルセイユにつぐフランス第2の港で今でも船旅のメッカです。地元では毎週といっていいくらい麻薬の荷下ろしの話がニュースになります。

喫茶江戸川柳 其ノ玖」更新。今回のテーマは動物でした。毎回ぼんやりしているだけで5句ずつ川柳を教えてもらえて楽チンです。

2019-12-19

早朝の駅





早朝4時半、旧私鉄駅がクリスマス用の電飾でこんなことになっていた。ホラー映画っぽくて怖い。なんでこんな気持ち悪い色にするんだろう…。電飾と花火はアジアの方がずっといいなっていつも思う。

2019-12-16

お菓子のつぶやき





ひとくちにお菓子が好きといっても、食べるのが好き、つくるのが好き、眺めるのが好き、調理道具が好き、といろんな種族がいる。

わたしは調理道具が好きで、結婚の折、必要なあれこれを母に揃えてもらった。結婚したあとも、長らく荷物はトランク一個分の私物とその調理道具しかなかった。これはフランスでの仮住まいがいつまで続くかわからず、最小限の荷物で生活を回していたからなのだけれど、そんな状況でも調理道具は必須だったのだ。ステンレスの銀、鉄の黒、ガラスの透明。この三原色の道具をつかい、材料を計って調理台の上にならべると、気分はもう化学者である。

お菓子づくりの主材料には、肉や魚や野菜のような安定したかたちがない。だから出だしの作業は、かたちのないものに手を加え、スポンジ、メレンゲ、クリームなどの部品をひとつずつ形成するところから始まる。時間、温度、軽量を守り、変化自在の材料を手なずけ、ようよう部品が揃ったあとは、それらを一気に交響させる。材料をそのまま煮たり焼いたりしてもとりあえず食べられるごはんづくりとは性格がちがい、お菓子づくりは厳格な、均整主義の、雪のごとき貞操を守っている。

2019-12-12

何も知らないままに





遠い国から来た客人をクリスマス・マーケットにご案内する。

この日の晩ごはんはコルシカ島のソーセージ&生ハムセット、サヴォア地方のチーズフォンデュサンドイッチ、そしてホットシードル。屋台で立ったまま食べた。寒かった。この冬はかなりお酒を嗜んでいて、ここ1ヶ月で500mlくらい飲んでいる。ホットシードルはアルコール飲料じゃないよ、とは仰らないでください。たぶん1%くらいは含有されておりますゆえ。

話は変わって、わたしは俳句を始めてかれこれ6年になるのですが、まだ書店にある俳句雑誌を購入したことがないんですよね。自作も見ない。ゲラで確認しておしまいです。他のジャンルの作り手よりは少ないかもしれないけれど、こういうタイプの人間ってそこそこいると思います。

わたしの場合、なぜ読まないのかというと、シンプルに時間とお金がないのが理由。あと雑誌は俳句にまつわるいろんなことを特集しているから嫌、というのもあります。

雑誌をひらいて、作句の虎の巻みたいな文章がうっかり目に入ったりしたら大損です。よくわからないまま飛び込み、やりながら思考するのが快感なのに、せっかくの楽しみを奪われてしまうんですもの。

それから、俳句の道をとてもゆっくり歩きたいというのもあります(早足だと疲れちゃうから)。情報って、どうしても人の心を忙しくするでしょう? ゆっくり歩くことの邪魔になる。

人生に残されたいくばくかの時間。それをどうつかいたいのかを自問すると、俳句とはマニュアルなしに、相手の正体を何も知らないままに、ただ純粋に恋愛していたいと思うんです。

2019-12-11

枕上浮雲


最近はクリスマスが近いので、お菓子のことを調べて過ごしています。

青木正児が袁枚『随園食単』を訳した理由が戦時中の空腹をごまかすためだったのは知られた話ですが、前川千帆『閑中閑本』の第1冊目『文献偲糖帖』もまた「華かなりし頃のもろもろの糖分を偲んで僅に慰む」ために書かれたそうです。日本から消えゆく甘いものの名前を一つ残らず記しておきたいという気持ちだったんですって。

それで思い出したのが、河上肇『枕上浮雲』のこと。河上が亡くなるのは1946年1月30日ですが、最期の日々をお饅頭のことばかり考えて過ごしていたのがすごく悲しいんです。



「枕上浮雲」より  河上肇

七月四日
もしも天われに許さば蒸したての熱き饅頭食べて死なまし

平和来たる――八月十五日――
大きなる饅頭蒸してほほばりて茶をのむ時もやがて来るらむ

九月一日
饅頭が欲しいと聞いて作り来と出だせる見れば餡なかりけり

九月七日
小さなるいほりに住みて大きなる饅頭ほほばり花見てあらな

九月八日
われ死なば花を供へよ大きなる饅頭盆に盛りて供えよ
何よりも今食べたしと思ふもの饅頭いが餅アンパンお萩
死ぬる日と饅頭らくに買へる日と二ついづれか先きに来るらむ

九月九日
さほどまで肉もさかなも思はねど饅頭のみは日に恋ひつのる
分厚なる黒餡つつむ饅頭にまされる味は世にあらじかし
ふるさとの焼き饅頭の黒餡のにほひこほしむ老病の身
仏壇に法事するとてうづたかく饅頭盛りし昔なつかし

2019-12-09

逢魔が時の蕎麦(澤の俳句 7)





へぎ蕎麦の二十の渦や春の宵  根岸哲也

蕎麦を一口分ずつ指に絡めとり、片木にずらりと盛りつけた光景を〈渦〉に喩え、そこへふんわりとした逢魔時たる〈春の宵〉を組み合わせた絶妙さ。そのまま読んでも非常に手慣れた句ですし、二十のうようよした渦をトワイライトゾーンに見立ててもポップな怪奇趣味風でおしゃれ。さらには新潟名物〈へぎ蕎麦〉の喉越しも、つなぎに布海苔を使用しているせいでぬるぬるっと妖怪っぽい。相当に実のある句です。

サンキューアハハと聞こえ鳥語や八重桜  弓緒

この句の素敵さは、作者が自分自身を俳句という型にとても上手に預けているところ。伝統の懐の深さを思い出させてくれます。ふいに鳥の声が〈サンキューアハハ〉と聞こえた認識事故を、めでたい〈八重桜〉で受けとめたことで、この世界が祝福されたかのような演出も楽しい。世界の側が主体を襲うというのは実に根源的な意味との遭遇です。私もこの句のように、世界に自分をあけわたそう、そして教えられたことを書こうって、ことあるごとに誓うんですよ。

2019-12-06

コルカタの道



月淡くしてコルカタの道をゆく  夜景

la boîte aux lettres du Père Noël



2019-12-03

「名著百選」



ブックファースト新宿店で開催中の「名著百選」にライターのpha氏が『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』を選んでくださったそうで(どうもありがとうございます)、ついさっき東京からこんな写真が届きました。


うれしい。お買い上げくださった方、ありがとうございます。どんな本か気になる方はこちらの紹介ページをどうぞ。

2019-12-01

歌仙「アンドロイドの巻」



歌仙「アンドロイドの巻」満尾です。連句とは「自分で書かないことの面白さ」だなあと、今回もつくづく。

小津夜景・冬泉・羊我堂・三島ゆかり
須藤岳史・森尾みづな・流霞・岡本胃齋

2019-11-30

砂糖菓子と石




土曜日の読書「砂糖菓子と石」更新。引用は種村季弘『不思議な石の話』より。

日本で水菓子といえば伝統的に果物を指しますが、地元のガイドブックによると、南仏も菓子という言葉が果物と木の実を指していた時代が長いそうです。なんでも冷蔵庫が普及するまで、生クリームやバターを使ったいわゆるフランス風菓子は南仏の家庭料理ではなく(すぐ腐ってしまう)、保存食にもなる砂糖漬けが主だったとのこと。

砂糖菓子と天然石について、夏目漱石『草枕』にすごく好きなくだりがあります。ここです。

余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好きだ。別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上げ方は、玉と蝋石の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して撫でて見たくなる。西洋の菓子で、これほど快感を与えるものは一つもない。クリームの色はちょっと柔らかだが、少し重苦しい。ジェリは、一目宝石のように見えるが、ぶるぶる顫えて、羊羹ほどの重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至っては、言語道断の沙汰である。(夏目漱石『草枕』)

2019-11-29

蜃気楼と月




須藤岳史さんとの往復書簡「LETTERS」更新。第14回は「文(ふみ)と不死」。繋がることとその痕跡。ニースに引っ越した日のこと。惜字楼でお別れしたあなたの分身。追伸と明るい雨。手紙とごみ。竹取物語の秘密。そして蜃気楼。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

上の写真、海の向こうに見える陸地と建物はどちらも蜃気楼です。蜃気楼は時間帯によってリアルさが変わるので、もう少し眺めていたかったのですが、あまりにも寒くて10分ほどで退散しました。で、帰ってから蜃気楼の漢詩を読み比べ、李白「渡荊門送別」が私の見た風景にぴったりだなと思ったので引用します。

月下飛天鏡 月は下りて天鏡(てんきょう)飛び
雲生結海楼 雲は生じて海楼(かいろう)を結ぶ

意味は「月は傾き、天を鏡が飛んでいるみたい。雲は湧き、海に楼が建っているみたい」。ちなみにこの日の月はこんな感じ。空気がピュアで、とても痛そうだった。

2019-11-27

『ことばあそび 西坂廣志句帖』





端溪社から出ている『ことばあそび 西坂廣志句帖』は日本に帰国した折、水中書店で購入した掘り出しもの。


内容は香り高い幻想。


藍の揉み和紙と、牡丹唐草模様の緞子をつかった造本。手に持つと和風のクラッチバッグっぽい。


「制作部數作者五五歳に因みて五五部。」


阿部鬼句男宛の署名箋付き。

2019-11-22

真実の中心で愛を叫ぶ(澤の俳句 6)




ええと、わたしが句の感想を書くときのモットーは、好きな句もそうではない句もできるかぎり同じ温度で扱うことです。それなのに「夜景さん、林雅樹さんの句がお好きなようですね(笑)」といろんな人から言われてしまうのはいったいどういうわけなのでしょう。ふしぎ。

* * *

真裸で實(みのる)のハート撃ち抜く俺  林雅樹

はい。私も撃ち抜かれちゃいました。この地球に生を受け、今まさに真実の愛へ飛び込もうとする作者(なんとこの句、真と実の文字のあいだに本気で〈裸〉が飛び込んでいます)。またその勇姿を世界へ向けて実況中継するかのごとき祝祭性。そして極めつけは季語であり、心意気であり、変態であり、何もかもである〈裸〉を〈真〉で駄目押ししたことで、作者のすっぽんぽんが存在者の存在の根源の全体集合のごとくキラキラと輝いていること。素晴らしい。なんか、どうもありがとうございます。

蝌蚪の紐掬ひて掛けむ汝が首に  林雅樹

この似非万葉集っぽさ! 私、ばかばかしいことを雅な言葉で語る御仁に弱いので、もしこんな句を贈られた日には、きゅんとして結婚しちゃうかもです。それはそうと、幼かりし日に蝌蚪の紐をふりまわした方々においては御判じいただけると思いますが、あれって太くて粒立っていてハワイのレイにそっくりです。なので私、この句は

桜まつり老人ハワイアンバンド  林雅樹

の写真ないし実物を目にしたことで生まれたのではないかと推理するのですけれどいかがでしょうか。なおこちらの句については、詩性をあっさり健忘して、言葉を現実の縮尺のままでつかい「イメージの平地」を歩いてみせたところが乙。この種の面白さは作者のバランス感覚だけが頼り。じっと眺めるに、あまり凝ろうとせず、ヌケをよくするのがコツなのかもしれません。

2019-11-21

李賀訳『ランボー詩集』




ことばの本屋Commorébiで、ほんやのほの店主伊川佐保子さんと、語学塾こもれびの塾長志村響さんの往復書簡がはじまっていました。第一回は、伊川さんから志村さんへのお手紙で、なんと「ライ麦畑いろはうた」というとてもユニークな趣向です。

* * *

こちらで連鎖をやっていたので、ストーカーっぽく、喪字男さんの背後にぴったりつける

* * *

都々逸からの脱線メモ。江戸時代の

沖の暗いのに白帆が見えるあれは紀の国みかん船

というかっぽれを、成島柳北が、

滄溟暗処白帆懸
知是載柑南紀船

と漢詩に訳していて、和語と漢語とでは、もうね、漢語の方がはるかに好きですわたしは。漢語といえばランボーの〈おお、季節よ、おお、城よ/無疵な魂がどこにある?〉を李賀訳で読んでみたかったな、そしたらランボーのこともっと好きになっただろうに、と思ったこともあった。想像しただけで膝が震えてきませんか? 李賀訳『ランボー詩集』だなんて。

2019-11-19

さいきんのこと





日曜日、大塚泰子さんの『小さな家のつくり方』を再読。クリアかつシンプルな文章で、必要事項がわかりやすく、家を建てるときは依頼したいと思わせる本(残念ながら建設予定は0.1ミリもないが…)です。大塚さんといえばツイッターのアガべがとんでもないことになっていて、この先が楽しみ。

週刊俳句第656号に「祝祭的迷子、あるいは中嶋憲武『祝日たちのために』に捧げる小さな覚書」を寄稿しています。ええと、これを書きながら思ったのは「1分で読める文章も、決して1分では書けないのよね」ってことです。

月曜の朝、人生でいちばん大切なのは何かを考えていて、それは時間だという結論に達してしまう。労働以外はしたいことだけをしないとって。そして夜は、冬泉さんが捌いている連句をのぞき、自分の句がふたつ続きで採用されていたことに驚く。ここです↓

おいしいマロングラッセの山
致死量の琥珀に月は燃え出して

火曜の朝、寝起きにスマートフォンをみたら、とある俳人から「はじめまして」のメールが。わーい。帰国する機会があればお会いしてみたいな。

2019-11-16

駒と巡りあう夜




先日、冬服に着替えた泰山木の実をアップしましたが、つい3週間前まではこんな色の服でした。あ、いえ、別にこれ以上言うことはないんですよ。めっちゃかわいいなってだけ。

* * *

戦前の日系紙でめぐる都々逸のつづき。今日は「日米新聞」です。この新聞は「北米日報」と「桑港日本新聞」とが合流して1899年に誕生しました。のちに「新世界」とともにサンフランシスコの邦字新聞の双璧をなしたそうです。

葉蔭ながらも横降る雨に濡れて色づくストロベリ

ギヤスで料理のお雑煮よりも柴で焚くのが俺(わし)や嬉し

生活の作品より。英単語がかっこいい。〈ギヤス〉は瓦斯のこと。〈ストロベリ〉は日系移民史と切り離せない単語ですよね。

会いに来たのか厩の駒を除隊した夜の夢に見る

(つつ)で霞ませ血潮で咲かす春の戦場のみぢめさよ

木の葉残らず散らしてあとは何を散らそと鐘をつく

戦争の作品より。〈厩の駒〉はすごい。なんというか、心の闇の深みをさまよっていたら、ふいに発光する湖を見つけたような、そんな静謐な慰めを感じます。この都々逸と出会えて本当に良かった。

2019-11-14

リクビダートル、あるいは別れを告げる日の丘へ



須藤岳史さんとの往復書簡「LETTERS」、最終回から1ヶ月でまさかの連載再開です。第13回は「日曜日の午後に軽い手紙を書こうとする試み」。秋の散策路、古い手紙、王様の耳はロバの耳、ラジオの夜、誤配送された手紙、一人の幅、私淑の系譜、日曜日の午後の軽い手紙を期待するということ、などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

* * *

佐藤りえ「リクビダートル」はチェルノブイリ事故のリクビダートルをテーマとした30句連作。持ち重りのする主題のときは、固有名詞は多くしたほうが連作の旨味がはっきりしてよいですが、この作品もまた詞書まで駆使して固有名詞をたっぷり使っているのが面白い。

ぼた餅もて別れを告げる日(プロヴォーディ)の丘へ
放射性廃棄物容器(キャニスター)込めばやオンカロの凍穴に
栗鼠かち割る木の実デーモンズコアならめ

現実にべったりと即きすぎて虚構性(作品としての自律性)が弱くなったり、あるいは逆に凡庸な観念の塔を建立したりといった、政治を扱うときに俳句が陥りがちな穴をうまく回避している、との印象を受けます。

ここから余談。観念の塔の最大の弱点といえばおおむねどれも似ているってことですけど、これ、もちろん箴言性や肉体性を有した観念を書ける人は別です。いますよね、たまにそういう人が。いつだったか知り合いが「岡井隆は観念の塔の名人で、塚本との最大の違いはそこかなと思うわ」と言ったことがあって、その時はなるほど!と唸りました。

2019-11-13

サンフランシスコの都々逸





泰山木の実がとんだ可愛い冬服を着ていました。首のところの赤い点々がえりまきみたいでおしゃれ。

* * *

昨日の続き。サンフランシスコの日系雑誌「桑港文庫」を読んでみたら、都々逸がすごく盛んでした。

胸の曇りを察せぬ月が晴れて涙の身をてらす
惣亭藝升

積る思ひの雪踏み分けて解ける心で来たわたし
渓鶯粹史

「桑港文庫」第二篇(1900年)より。粋筋の都々逸です。ご当地性があればもっといいかも。せっかくサンフランシスコに住んでいるのだから霧がらみとか。他にもいろいろありましたので、2つほど画像で紹介します。

2019-11-11

ハワイの都々逸





昨日の日記を書いたあとで「あっ」と気づいたのですが、私、戦前の「日布時事」文芸欄を整理していたころに、都々逸の投稿欄も一応メモしておいたんですよ。俳句短歌に比べると圧倒的につまらない作品が多く「うーん。どうしてこんなに差があるのか」と思いつつ。すっかり忘れてました。時折、ほんのりマイタイの香りがする作品が混じっていて、そんなのを見つけたときは嬉しかった。

椰子の葉蔭にうたたねすれば雪の門松夢に見る
わたしゃシュガケン焼かれて切られ絞り上げられ白砂糖
待てど会はれぬ妾(わたし)の胸を渡してやりたい夜の虹

シュガケンはサトウキビ(sugarcane)のこと。どうでもいい話ですが、マイタイと聞くと私は東京するめクラブの『地球のはぐれ方』が読みたくなります。

2019-11-09

町中に風呂が





土曜日の読書「町中に風呂が」更新。引用はドミニック・ラティ『お風呂の歴史』より。高遠弘美氏の訳が読みやすかったです。変な喩えですけど、天気の良い日の野鳥観察みたいに文章の見晴らしがよくて、日本語がくっきりしてる。思わずアマゾンに他の訳書を探しに行ったら、なんとプルースト『失われた時を求めて』を翻訳中ではないですか。読んでみたいかも。

『お風呂の歴史』については、本文に引用したのと同じあたりに、当時のおすすめ入浴法のこんな記述もあって、どこの住人もお風呂好きのやっていることは同じだなと思います。

十三世紀の医師アルノー・ド・ヴィルヌーヴは、若さを保つために、四月と五月には、週に三回入浴することを勧めている。湯は透明でぬるめ。そこに、植物(ローズマリーや接骨木やカモミールや品川萩)や花(赤い薔薇や睡蓮)や各種の根を煎じたものを入れ、一週間で新しくする。浸身浴は空腹時がよく、最低一時間は続ける。終わったら煎じ茶を飲み、休む。

2019-11-07

言葉遊びの川柳




川柳スープレックス「喫茶江戸川柳 其ノ捌」更新。今回は言葉遊びのメニューで、当て字の句、マニエリスティックな句、寄席芸人っぽい句、 空耳アワーな句、 早押しクイズの句など、なかなかヴァラエティ豊かでした。

マスターの話に登場する〈たらちねの母が養(か)ふ蚕(こ)の繭隠(まよごもり)いぶせくもあるか妹に逢はずして〉という万葉集の歌も面白いですね。あれだけ言葉遊びを盛り込むというのは、作者が和歌というものの虚構性を自覚しているからこそで、戯作性の強さにも感心しますし、なにより読者が読み方を「発見」するまで全く意味わからないという攻めの姿勢がよいです。



大雨の翌朝。海岸を見ると、砂浜に誰もいなかったので、


ちょっと海に入ってみる。


あわあわ。


海を眺めるカモメたち。


海を眺めるヒトたち。

2019-11-03

中国古代建築を覗く




以前、東京新聞のコラムに「住まいと庭に関する資料を漁るうちに、漢詩を読むようになった」と書いたことがあるのですが、建物に関する中国語を知るのは難しく、だいたい絵がついていないのでぼんやりとしかわからないんです。それで妹尾河童の本みたいにわくわく覗ける図解はないかしら……と思っていたころ見つけたのがレミ・タンの『中国古代の建物』。建物について技術面からまとめてあり、図鑑が好きな人向き。かれこれ15年くらい眺めています。以下は屋根にかんするパートより。


全体の図解。


960年から1234年当時の瓦および組物装飾の例。


瓦の装飾。


屋根の装飾。


写真もそこそこ載っています。

この本が漢詩を読むのに直接役立つということはないのですけれど、「漢詩の入り口はいろいろあるよ」の一例として、ふと思いついたので書いてみました。

2019-11-02

風土を感じさせる人々





土曜日の読書「風土を感じさせる人々」更新。引用は久生十蘭『ノンシャラン道中記』より。フランソワ・ラブレーを思い出させる面白い小説でした。

コート・ダジュールの「声かけの習慣」については書くと長くなる話がいくつかあって、なかでも衝撃だったのが「大学、もしくは中学の教員になりませんか」という勧誘です。突然知らない人から声をかけられて、思わず「えっ」とたじろいだのですが本当の話でした。それであらためて詳しい事情や授業内容について伺って、家人にも相談したんですよ。家人の判断は「好きにしたら?」。結局、すごく大変そうなので断ったのですが。

そのあとしばらくして引っ越した北ノルマンディーはキャッチもいない静かな街で、人と人との距離も遠かった(悪い意味ではなく、単に節度があるという意味)。やはり風土ってあるなあと思います。私は内気なのでぐいぐい話しかけてくる南方人の方がつきあいやすいです。

2019-11-01

空のひづみ、影のさしがね




先日、綺麗な飴色の葉っぱを見つけた。やったね!と持ち帰り、水洗いして、ヒーターの上に置き、翌日見たら、葉っぱの真ん中に、まるい染みが浮かんでいて泣いた。写真は葉っぱとはなんのゆかりもない石鹸屋。

以前、LETTERS第9回で江戸時代の俳諧・川柳にみる世界という語の使われ方について書いたのですが、感覚と世界との距離感をコスモロジックに詠んだ作品に、

この空にひづみ有りやと月と日の影のさしかね只あてゝ見ん  沢辺義周

という狂歌があって「空のひづみ」と「影のさしがね」がうまいなと思います。ロビン・ギル『古狂歌 ご笑納ください:万葉集まで首狩に行ってきました』によると1808年以前の作らしいです。化学の知見に依拠した詩的把握の例として引用したかったのですけれど、もとの出典を確認することができず(海外暮らしの弱点)断念。でも好きなので、ここにメモ。

2019-10-28

秋の休日





草の穂が惚れあふやうにかゆくなる  夜景

休日。公園を散策。歩きすぎて疲れるも、周りのカフェは人であふれてどこも座れず。タルト・トロペジェンヌで菓子を持ち帰りして、道端のベンチで休憩する。

2019-10-27

燕のおとがい、鹿のたゆたい(澤の俳句 6)





おとがひに合はせ切る髪青時雨  加納燕

会津八一に〈奈良坂の石の仏の頤に小雨流るる春は来にけり〉という歌がありますが、頤をつたう水というのはなにゆえあんなにも美しいのでしょうか。一方こちらの句は〈おとがひ〉に合わせて髪に鋏を入れるといった光景で、清々しさ、凛々しさ、色っぽさの三拍子を備えています。しかも、しかもですよ、背景が〈青時雨〉だっていう。つまり頤をじかに濡らすことなしに、濡れを想像させているわけです。この手抜かりのなさ。すごい。

柏餅の葉剝げば葉脈より裂けて  町田無鹿

日々の暮らしの中にひそむ危機(クライシス)をやわらかく描いたような質感。〈脈〉という名詞と〈剝ぐ〉〈裂ける〉という動詞との相性がよく、ありふれた写生であるはずの言葉が、日常語のくびきから解放されて、存在のあやうさにまつわる喩へと大きく転移しています。また〈剝げば葉脈より裂けて〉の句跨りやて留めの用い方が、作者がこの世界を見ている際のたゆたいを無理なく醸し出してもいる。上五で軽く切ったのも、つかのま息をひそめるようでいいですね。