先日、綺麗な飴色の葉っぱを見つけた。やったね!と持ち帰り、水洗いして、ヒーターの上に置き、翌日見たら、葉っぱの真ん中に、まるい染みが浮かんでいて泣いた。写真は葉っぱとはなんのゆかりもない石鹸屋。
以前、LETTERS第9回で江戸時代の俳諧・川柳にみる世界という語の使われ方について書いたのですが、感覚と世界との距離感をコスモロジックに詠んだ作品に、
この空にひづみ有りやと月と日の影のさしかね只あてゝ見ん 沢辺義周
という狂歌があって「空のひづみ」と「影のさしがね」がうまいなと思います。ロビン・ギル『古狂歌 ご笑納ください:万葉集まで首狩に行ってきました』によると1808年以前の作らしいです。化学の知見に依拠した詩的把握の例として引用したかったのですけれど、もとの出典を確認することができず(海外暮らしの弱点)断念。でも好きなので、ここにメモ。