2019-11-22

真実の中心で愛を叫ぶ(澤の俳句 6)




ええと、わたしが句の感想を書くときのモットーは、好きな句もそうではない句もできるかぎり同じ温度で扱うことです。それなのに「夜景さん、林雅樹さんの句がお好きなようですね(笑)」といろんな人から言われてしまうのはいったいどういうわけなのでしょう。ふしぎ。

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真裸で實(みのる)のハート撃ち抜く俺  林雅樹

はい。私も撃ち抜かれちゃいました。この地球に生を受け、今まさに真実の愛へ飛び込もうとする作者(なんとこの句、真と実の文字のあいだに本気で〈裸〉が飛び込んでいます)。またその勇姿を世界へ向けて実況中継するかのごとき祝祭性。そして極めつけは季語であり、心意気であり、変態であり、何もかもである〈裸〉を〈真〉で駄目押ししたことで、作者のすっぽんぽんが存在者の存在の根源の全体集合のごとくキラキラと輝いていること。素晴らしい。なんか、どうもありがとうございます。

蝌蚪の紐掬ひて掛けむ汝が首に  林雅樹

この似非万葉集っぽさ! 私、ばかばかしいことを雅な言葉で語る御仁に弱いので、もしこんな句を贈られた日には、きゅんとして結婚しちゃうかもです。それはそうと、幼かりし日に蝌蚪の紐をふりまわした方々においては御判じいただけると思いますが、あれって太くて粒立っていてハワイのレイにそっくりです。なので私、この句は

桜まつり老人ハワイアンバンド  林雅樹

の写真ないし実物を目にしたことで生まれたのではないかと推理するのですけれどいかがでしょうか。なおこちらの句については、詩性をあっさり健忘して、言葉を現実の縮尺のままでつかい「イメージの平地」を歩いてみせたところが乙。この種の面白さは作者のバランス感覚だけが頼り。じっと眺めるに、あまり凝ろうとせず、ヌケをよくするのがコツなのかもしれません。