2020-10-31

世界は言葉でできている





漢詩カード、こつこつ描いています。今日もこれから描きます。お届けは11月末とのことです。

* * *

世界は言葉でできている。

そう言われて思わず周囲を見回した。たしかに言葉でいえないモノは見当たらなかった。しかもそれぞれのモノが別の言葉をマトリョーシカのように包みこんでいる。たとえばいま目の前に「ハサミ」があるのだけれど、この「ハサミ」の内側には「把手」や「刃」や「小指かけ」や「裏梳き」や「ねじ」があり、「プラスチック」や「鉄」があり、また「穴」や「鋭い」や「切る」が香っている、といった具合。

言葉の木に言葉の風が吹き、言葉の雨が降り言葉の花が咲く。そして花の落ちたあと実るのもまた言葉。言葉の連鎖にからめとられ、世界はいつしか鬱蒼たる迷宮となる。

迷宮へ靴取りにゆくえれめのぴー  中嶋憲武

人を惑わせる迷宮の中に靴があるというのも面白い発想だし、そこへ向かうときの効果音がえれめのぴー(LMNOP)といった文字、すなわち言葉をつくりあげる部品であるというのもいかしている。ポケットの中でじゃらじゃら鳴るえれめのぴー。ちょっとまじないめいていて、ちょっとセンチメンタルなえれめのぴー。言葉の迷宮=この世界に生きることが楽しくなるような祝祭性をはらんだ、とても素敵な座五だ。

そういえば、あるとき連句仲間の冬泉氏に「こんなおもしろい俳句があるんですよ」と掲句をみせたところ、氏は即吟で〈えくすわいじー廃駅を出て〉と付句した。作品の核と雰囲気を掴みとった上で新しい風景へと掲句を送り出した、名批評のような付句だと思った。

(初出・ハイクノミカタ

2020-10-30

もしも生まれ変わるなら





とある話の流れで、近所の女性に「ねえ、もしも生まれ変われるとしたら何したい?」と質問された。

わたしは「生まれ変わった自分」を想像してみたが、もう一回生きることにはとてもじゃないが耐えられそうにないことがすぐわかった。きっと人生というのは、仕組みがよくわからないうちにあれよあれよと死ぬからやってられるのだ。

「生まれ変わったら、いまの夫ともういちど暮らしたい」

そう答えると、近所の女性は、そ、そんなに自分の伴侶が好きなの?と気の毒そうな顔つきになった。うーん、と思いつつ、このことを夫に伝えると、夫からも「おや。ずいぶん保守的なことで」と言われた。ええっと、まあ、今日はそんな日。

2020-10-29

秋の街中





30日の0時から最低ひと月の都市封鎖がはじまる。この春と同様、必需品を扱う商店以外は閉鎖されるということで、クラファンのリターン用の梱包材を買わなければと、あわてて街に出る。


しかし梱包材は手に入らず。残るは通販か。前回は不要不急の商品は後回しになったが、今回はどうだろう?


ついさっき、この通りで宗教がらみの無差別殺人が起こった。数十メートル先、街のどまんなかにある大聖堂だ。

2020-10-27

海の青さを身にまとう





朝起きてメールをひらくと、ヨガ関係の仕事の打診がふたつあった。どちらも変わった趣向。うまく話がまとまればうれしい。

『いつかたこぶねになる日』にまつわる依頼もいくつか頂いている。これも決まればうれしい。再びロックダウンになる気配が濃厚なので、家の中でできて、かつ気分転換になるような新しいことがしたくって。

外へ出かけ、海の青さを身にまとい、帰ってきて体重計にのる。体重は昨日からまったく増えていない。気軽に検査できるような状況じゃないのが面倒なところ。

2020-10-26

香りのない香りの会



体調が戻らない。血が足りないせいで体が硬くなっている。体重計にのると、かつてない軽さに突入していた。うわあ、と怖くなって、いまこれを書きながら冷凍のフランボワーズと生チョコを食べている。とりあえず今日中に一キロ増えてほしい…。


日曜日はmadokaさんのzoom講演会「知られざる香道具の魅力」を視聴。とてもよかった。香道具が闇に浮かび上がりつつゆらめくさまは妖艶な花のようで、どんなに香りを探しても匂わないのが不思議でしょうがなかった。うっとり感動する心と、迷子になった心もとない感覚とが、じりじりせめぎあうというか。この「香りのない香りの会」には、目をとじてものを見るときのような真理が存在したと思う。次回はぜひリアル体験会に参加してみたい。

質疑応答は盛況だったので、ひとつしか質問しなかったけれど、本当は鼻煙壷について聞きたいことがあった。それからキリスト教の礼拝に用いる振り香炉は東洋にあったのかも聞いてみたかった。というのは李商隠の詩に「鎖を噛む蟇の香炉」というのが出てくるのだけれど、どうして鎖を噛んでいるのだろう、調べてもわからないよ、あ、もしかして上から吊ってるの…?と長らく疑問のままなのだ。

2020-10-24

クラウドファンディング終了



新刊のご注文クラウドファンディング終了しました。達成率140%を超えたそうです。みなさまありがとうございました。朝起きたら版元のツイートに見本があがっていました。


まるで小津じゃないみたいに気高いフォントです。装丁のレモンイエロー&マゼンランブルーの配色は、一目見てすぐ「あ、教会宇宙色だな」と思いました。ラピスラズリの星空をあらわす、こういうの。


内扉およびクラファン特典の折本の写真は小津が撮影し、デザインを統一しました。折本の裏は、内扉の写真の全景が載っています。そんな感じで、もうすぐ発送です。

2020-10-22

アームチェアから遠く離れて




週末から調子が悪かったのだけれど、休む暇がなく、やっと今日の午後に2時間の休息をとった。少し眠ったので、ほどなく復活できそう。ベランダに出、風に吹かれながら、曇り日の地面を見下ろす。


日本はすでに金曜日。拙著『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』のご注文クラウドファンディング最終日です。サイトを見ると、なんと残り18時間。まだの方はどうぞ見にいらしてください。会場はこちらになります。

クラファンは現時点で130パーセントを超える達成率で、おおむね順調でした。いまはそのことに安堵するとともに、ああ振り返れば執筆中は編集者Kさんのお世話になったなあと改めて感じています。

わたしは対象を把握するときの構図に自分の直感をわりかし反映させたい質なのですが、作品をめぐる新たな見方というのは当然ながら帰納的作業よってしか生まれません。一言一句、先行研究にあたることって、絶対に避けられないわけです。ところが東洋の古典について何か書く際の、外国に住むことの不都合ときたら、それはもう筆舌に尽くしがたいものがあります。Kさんがいなかったらとうてい無理でした。あと前回の『カモメの日の読書』も今回の『いつかたこぶねになる日』も詩人の全集に存在しない作品を扱っているのですが、専門家に質問しても不明の資料の在り処を突き止めてゆく根気もわたし一人では続かなかったにちがいありません。

そんなわけでですね、話を無理やりまとめますと、どうやらこの種の本というのはアームチェアに揺られながら書くものではなく、編集者と手分けして探偵のように路地裏を走り回りながら、ハードボイルドの心意気で書くものらしいってことです。今とつぜん筆先からあらわれた「ハードボイルド」の文字に自分でもびっくり、というか、きょとんとしてますけど。まあ、いつもの勘違いかもしれないので、とりあえず読んでみてください。ご予約会場はこちらです。どうぞよろしくお願いします。サンキュー!

2020-10-18

海であそぶ人々





また海に遊びにゆく。流木目当ての人が多いようで、座って本を読んだり、釣りをしたり、木で何かつくったりと、みんな思い思いに遊んでいる。


 枝をあつめてオブジェづくり。


 画面右端に、本を読む男性。


無人島暮らし的な何かをつくっているところ。


男性が2人、机を椅子を運んできて向かい合っている。なにをしているのかしらと思ったら、


熱心に読書していた。

2020-10-17

ハイクノミカタ、正味の目方



10月から「ハイクノミカタ」の日曜日を担当しています。今週は〈渚にて金澤のこと菊のこと/田中裕明〉と菅原道真の漢詩について書きました。記事はこちらからどうぞ。

* * *

先日試し描きしたリターン用カード。鳥の絵はともかく梨の絵が自分で見てしっくりこないので、こんな画風どう思う?と知り合いに助言を求めたら「なにこれ。全然あなたじゃないよ」と全否定された。それであれこれやり直してみて、自分の気に入る線がやっと見つかった。こんな感じ。これで行きます。どうぞカードをお待ちのみなさま、え、なにこれ、らくがきじゃん!とびっくりしないでくださいませ。これが正味のわたくしですゆえ。

2020-10-16

海辺の観察



先日「海からの便り」を書いた。あの日以降、嵐の置きみやげの流木が面白くて、今日も海辺を観察していたら、


なんだか立派そうな流木があったのでさっそく近づいてみる。


かっこいい! ものすごく大きい!


根っこの部分に腰掛けようとしたら、うまくよじ登れなかった。太すぎて。

2020-10-14

松浦友久『漢詩 美の在りか』(たわいのないこと6)





日本古来の詩に貧しく、いっぽう漢詩に豊かな特徴というと、まずもって対句が思い浮かびます。

琴詩酒の伴 皆我をなげうち
雪月花の時 最も君をおもう
白居易「殷協律に寄す」

時に感じては花にも涙をそそぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
杜甫「春望」

こちらに翻訳した「元稹に贈る」の魅力も、友情の日々を対句で巡ってみせたことにあると思います(対句には音とリズムの美しさだけでなく、詩を前へ前へと駆動する馬力も備わっている)。で、もうひとつ漢詩だけがもっている特徴で、対句と同じくらい重要なものといえば、それが明治になるまで日本で唯一の自由詩だった(つまり訓読して鑑賞していた)ことです。

涼州の詩  王翰

葡萄の美酒 夜光の杯
飲まんと欲すれば 琵琶 馬上に催す
酔ひて沙場に臥すとも君笑うことなかれ
古来 征戦 幾人か回(かえ)



胡隠君を尋ぬ  高啓

水を渡り また水を渡り
花を看(み) また花を看る
春風 江上の路
覚えず 君が家に到る

こうした非定型のリズムの詩が、短編から大長編までいっぱいあった。日本人の詩情は定型だけでなく、いわゆる〈不均衡の美〉によっても長く深く培われてきたわけです。わたしは日本漢詩も好きで、なんでかというと、日本人の書いた漢詩って読み下しがキマっていることが多いんですよ。やはりそこを気にしながらつくっていたんでしょう。松浦友久『漢詩 美の在りか』にも、日本では訓読の形が美しいものが詩として人気があると書かれていたのですが、この本は岩波新書とは思えない高密度、しかもユニークでおもしろいのでざっと中味を紹介しますと、

(1)漢詩の典型を生んだ陶淵明、李白、杜甫、白居易といった四人の詩境を紹介する。
(2)主題と詩型といった二つの観点から、漢詩ならではのイメージや個性を整理する。
(3)詩跡を巡りつつ、長く愛唱される詩はいかにして確立するのかといった名詩誕生のシステムを解き明かす。
(4)日本人にとっての漢詩とは〈文語自由詩としての訓読漢詩〉であり、とりわけ日本古来の詩型にとぼしい〈対句〉への渇望をみたすものとして享受されてきた歴史を追う。

といった順に話を進めつつ、書物全体を通じて漢詩の美しさはどこにあるのかを丁寧に解説しています。〈文語自由詩としての訓読漢詩〉については直感的に気づいていたことがより明確になって、個人的にすっきりしました。

2020-10-13

海からの便り




10日ほど前、ひどい嵐の日があって、たくさんの流木が漂着した。持って帰られないような、大きいやつである。


根っこから抜けている木である。根っこを見るのは、たのしい。


無残な砂浜。ヴァカンスの面影はどこにもないが、むしろ空き地みたいで、生き生きとさっぱりしている。


涼しい色。折れた裸木が海を見ている。

もう短パンやスカートの人は稀で、ちらほらダウンの人とすれちがう。秋だねえと思いながら歩いていると、ふいに水着の一群が! 数えたら20人くらいいた。すてきな人たち。

2020-10-11

三つの洋梨



リターン用の漢詩カードを描き始めました。明るい時間に描ける日は動画も撮りたいなあと思います。きのうは、なんとなく洋梨を。


それから本の色校正が出ました。版元の「B6判の上製…かなり小ぶりな印象です。チリも通常より1ミリほど短くし、芯紙のボール紙も薄いものを使っています」というツイートを読んで「おっ」と思いました。「チリが短い・芯紙が薄い・小ぶりの上製本」と聞いてまっさきに思い浮かぶ本といえば東洋文庫ですが、実は前作『カモメの日の読書』のときに最初に提案されたのがこの東洋文庫の仕様だったんですよ。なのでこれはきっとデザイナーじゃなくて編集者のアイデアにちがいないわと確信した次第。

2020-10-10

ピュイリカールの昼下がり





おととい所用をすませた帰りしな「ピュイリカール」に寄り、近刊『いつかたこぶねになる日』ご予約リターン用のカリソンとギモーヴを試し買いしました。

カリソンはアーモンドの粉に果物の汁を練りこんで、ひし形に抜き、白砂糖でコーティングした南仏発祥のお菓子。ギモーヴはフルーツピューレを原料としたしっとり&むちむちのマシュマロで正方形をしています。

実際にリターン用として発送するのは下の画像のものになります。ギモーヴはレモン、パッションフルーツ、ココナッツ、りんご、アプリコット、いちご、バナナ、あんず、洋梨などの香り。どちらのお菓子も日本茶によく合います。


ピュイリカールはフランス政府から「無形文化財企業」として認定されている南仏発祥のショコラトリーで、全ての工程を伝統的手法で手作りしています。本当はショコラをリターンにしたいところですが、ここのショコラは0℃以下にするのが禁止で、空輸に耐えるのかがわからず見合わせました。あ。カリソンとギモーヴも、めちゃめちゃおいしかったです。

2020-10-08

日夏耿之介『唐山感情集』(たわいのないこと5)



漢詩の面白さってなにを読めばわかるの?という質問はもう何度も受けていて、そのたびに困ってしまうのですが、さいきんは「やはり解説書ではなく、良い翻訳を読むのが一番かも」と考えています。

森鴎外、小村定吉、那珂秀穂、森亮  あまたきらめく翻訳漢詩の担い手たちの仕事には、それぞれにあっとおどろく工夫があります。たとえば佐藤春夫『車塵集』は読みやすさと気品とのバランスがすばらしく、しかも女性の詩だけを訳すという画期的なもの。なにより詩として良く、漢詩と和詩の競作として眺めてもしっくりきます。

一番レイアウトが凝っているのは、たぶん土岐善麿『鶯の卵』。ちょくちょく見かける初版がいつも安くて、目にするたびに、なんてこったい、これは買いでしょうが!と思います(下の画像は明日までのオークションから寸借&編集)。といいつつ自分は持っていないんですけど。でもこういう本って家にあると嬉しい人はきっと嬉しい。


で、いちばん癖が強いのは、日夏耿之介『唐山感情集』じゃないかなと思うのですがどうでしょう? この本は「江戸小唄、隆達、投節、歌沢などの古雅なる三絃にあわせて歌う端唄の詩形をつかって、晋より民国にいたるまでの詩、詞、歌謡一三九首を訳出したもの」らしく、とくに冒頭に収められた、清国の馮雲鵬「二十四女花品(はなくらべにじふよびじん)」がじわじわきます。柏木如亭さながらの、江戸時代の口語翻訳(いわゆる俗語訳)になっていて、

夜合(ねむ)  あそび女(め)

とばりに房飾り垂れて
あそび女の家は春です、
万里橋のほとりに上客(よきたま)をむかへれば
九迷洞のくちでは新しく人を恋ふ
葉と葉と抱きむつみ合ふその為体(ていたらく)

夜合  妓女也

垂絲帳。
妓女一家春。
万里橋辺遨上客。
九迷洞口恋新人。
葉葉抱相親。

梨  いろじろ女だ

月かげほのかに
いろじろ女のうす化粧てな妍(い)いもんだね、
わかれがつらいといつも雨を帯びてるし
べにおしろいも施(せ)ずに宮中へおしかける、
素面で男ごころをつかむ手合いさ。

梨  素女也

溶々月。
素女素化妍。
為訴離愁常帯雨。
不施脂粉也朝天。
本色動人憐。


と、こんなふうに、訳す人が悪ければ卑猥になるだろう馮雲鵬「二十四女花品」をうまいこと粋にしちゃってます。きっと江戸の口語訳に倣ったのは、猥褻と粋とのさじ加減を塩梅するためだったんでしょうね。

それはそうと、わたしが日夏耿之介を知ったのは吉野朔実『少年は荒野を目指す』に登場する批評家・日夏雄高の姓が日夏耿之介由来だったことがきっかけ(野暮を承知で書くと「雄高」は埴谷雄高)です。日夏耿之介の「ゴシック・ローマン詩体」は10代の少女と相性がよかったようで、手に入ったものを読みふけりました。そういえば吉野朔実には堀口大學の訳詩集と同題の『月下の一群』という漫画もありますが、もちろん当時のわたしは日夏と堀口のいざこざ?など知る由もなく。ともあれ、そんなわけで『唐山感情集』は、吉野朔実の漫画を読んでいる人にとくにおすすめしてみたいです。

2020-10-06

鳥の外出



とうとう原稿が明日印刷所に入るらしい。つかのま時間ができたので、クラファン返礼用の漢詩カードのことが脳裏をよぎった。手描きらしいけれど、どうしよう?

反故の裏に図案を描き出していて、ふと「これ動画にしたら面白いかも」と思い撮影してみた(ちょっとピンボケだけど…)。拙著『いつかたこぶねになる日』の詳細およびご予約はこちらから受け付け中。引き続きよろしくお願い申し上げます。

2020-10-03

台風一過



一昨日の夜から天候がくずれ、きのうは一日台風だった。中秋の名月は見られなかったけれど、今朝は立派な秋晴れだ。

原稿の直しに疲れて海へゆく。まだ風が強い。ビーチに敷かれている丸石がところどころ剥がれ、濡れた砂地が見えている。もうすっかり夏は終わったのだ。カモメが顔の前をすぎる。羽をうごかさず、風に身をまかせ、宙に浮いているだけのカモメだ。

2020-10-01

青木正児 『中華飲酒詩選』(たわいのないこと4)





漢詩といえば酒。このイメージを疑う人っていないんじゃないでしょうか。で、酒をあつかった漢詩本といえば、やはり周代から唐代までの酒の詩をアンソロジーにした青木正児『中華飲酒詩選』が忘れられません。いきなり序文で「麹世界(こうじのせかい)」「禍泉(わざわいのいずみ)」「瓶盞病(しょうしさかずきのやまい)」といった陶穀「瓶盞三病」を駆けつけ三杯的に読まされるのがまず狂喜で、雑学好きの人ならば辞典なみのうんちくを蒐集することもできます。

ところで、ここでいったんわたしの日々の飲酒事情を申し上げますと、まず毎夜赤ワインを15ccたしなみ、昼のコーヒーにはラムを5ccふります。また休日は朝飲みもします。我が家はガトー・オ・ショコラを焼くと12等分して冷凍し、2片ずつ解凍しては朝ごはんにするのですが、あるときカフェの代わりに白ワインをあわせてみたら、あらっと変な声が出るくらいおいしくて、それ以来朝飲みするようになりました。

このような、ほわん、と酔った心地になるのが好きなだけの、下戸に毛がはえた程度の飲酒家からみてふむふむと思った詩は、同じく酒に弱い白居易のそれです。うわばみ青木正児によれば白楽天は漢詩人界きっての卯酒(朝酒)愛好家で、その詠いぶりは「酔えば渇きも忘れ飢えも忘れ/官職も生身も忘れたようだ/耳には朝飯の鐘を今聞いたばかり/胸には卯酒がまだ消え残る」と、ほんのり恋の翳さえ帯びている。詩とは天地間の香気なのだから目で見ずに鼻で嗅げと青木正児は言いますけれど、まさしく、と思わせる一首です。

以下は陶淵明「飲酒」の拙訳。近刊『いつかたこぶねになる日』にも酒の名シーンを描いた詩が載っていますので、読んでみようかなという方はぜひこちらの詳細をご覧いただけますとうれしいです。

  
酒を飲む二十首 その七  陶淵明

秋の菊が美しい
しっとりと露に濡れたその花びらをつみとり
憂いを忘れさせるこの霊水に泛かべて
わたしは俗世から一歩 また一歩と遠ざかってゆく
ひとり盃でじっくりと
ほしいままに唇をうるおしていると
ついにうつわはからっぽとなり
気がつけば酒壺が転がっている
日は暮れ さまざまのいとなみがそのうごきを止め
ねぐらに帰る鳥たちが林をめざして啼いている
わたしは東の軒下で
ああ と声を漏らしてくつろぎながら
今日もまた一日を
惜しみなく味わったことに心から満足する

飲酒二十首其七  陶淵明

秋菊有佳色 裛露掇其英
汎此忘憂物 遠我遺世情
一觴雖獨進 杯盡壺自傾
日入群動息 歸鳥趨林鳴
嘯傲東軒下 聊復得此生