2023-12-29

都々逸と味覚の夜





さる11月26日に第2回「現代俳句を舌で味わう〜小津夜景『花と夜盗』に寄せて」が催された。会場となった松本の書店「books 電線の鳥」のご主人・原山さんから当日の様子をメールでうかがっていたのだけれど、新刊『ロゴスと巻貝』の仕上げ作業にかかりきりだったり、ギリシャを旅したり、風邪を引いたりといろいろあって、ブログに書きそびれていた。

第2回は『花と夜盗』から都々逸「サンチョパンサの枯野道」の章を取り上げ、木内一樹さんの創作料理を楽しみつつ句会をするという趣向。また原山さんの知人・ねこはるみさんが、都々逸を三味線で吟じたとのことで、うーんなんとも盛りだくさんじゃありませんか。

上の画像はこの夏一緒にエルメスの仕事をしたイラストレーターの佐々木未来さんによる料理のイラスト。また下は木内さんによる料理の説明(濃い字の部分はわたしの都々逸)。第3回は来年6月ごろに行われる予定だそうです。


料理解題
木内一樹(めしつくるひと)

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サンチョパンサがポンチョを羽織りパイプくゆらす枯野道

我が心姿隠して知の巨人=
イベリコ豚とシジミのラタトゥイユ風ホイル焼き

ドン・キホーテの従者サンチョ・パンサを詠んだ句。物事の本質を見抜き、見事に「従者サンチョ・パンサ」を演じる男の心の中には、主よりも、主が戦う風車よりも大きな知の巨人を潜ませているのではないか。潜ませた心をホイルで表し、肉と魚介、野菜をトマトで煮込んで包んで焼いた一品。パイプをくゆらせるニヒルなサンチョが目に浮かぶ。

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うその数だけうつつはありやあれは花守プルースト

花守の夢で飛び跳ね支那鱗=
麻婆春雨の鱗包み

原句に作家・プルーストの名前があり、最初は「失われた時を求めて」に見立てたラザニアかパイ包み?などと考えていたが、日が経つにつれてそのアイディアが失われてしまったので、パイを焼くイメージと、プルーストの頭の中で創作意欲が水辺で跳ねる魚を連想、水辺の流れを春雨(太めのマロニーちゃん)にして中華風に。餃子の皮を鱗に見立ててはみ出すように並べ、食感の違いを楽しんで頂くことを狙った。

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ムーン・リバーがわが墓ならば遊ぶあなたは花筏

舟唄に月は合いの手魚泣きて=
白身魚と⻑芋と柚子の海鮮寄せ鍋

今回、かなり悩んだ一品。川の流れを何で表現するか?花筏はどうする?月は何を見立てる?などと脳内会議は踊る、されど進まず。ギリギリのところで川の流れをとろろで、月を柚子の輪切り、花筏を柚子の皮を刻んで散らすことに落ち着いた。魚も白身魚(ヤナギノマイ)を使い、頭をコンガリ焼いてダシに。舟唄、と言うことは八代亜紀ですか?と言うお話もあったが、言われてからアッ!その手があったか!となったのはここだけの話。

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千のナイフを隠した鳥がそつと抜け出す古書の森

⻘深き白夜に眠る鳥千羽=
鶏手羽元とほうれん草の豆乳クリームスープ(〆はラーメン)

アイディアはスッと出てきて、最初からこんな感じで行こう!と言うのはあった。しかし、「千のナイフ」をどう表現しようかと思ったが、スティック状の何かがハリネズミのように鍋から突き出ていたらそれは静岡おでんのような串に刺さったおでんしかないな、と。おでんからなにか連想すれば良かったかなと思うが過ぎてしまえば今は昔、である。豆乳に顆粒の鶏ガラ、ほんだし、塩コショウで味をつけ、オレガノで少し洋風にして、鶏手羽元とほうれん草、マッシュルームで深い森とそこに棲う鳥達を表現した。

2023-12-27

静養とインタビューの行方





22日の午後からアテネのホテルにこもり、24日に自宅に戻るも、ついさっきまで臥せっていた。いま、たまたまなのか、それとも快方に向かいはじめたのか、ちょっと気管支炎がおさまっている。

今日27日は『ロゴスと巻貝』に関する動画インタビューが予定されていた。けれども話せる状態にならないのが明らかだったので、21日の時点で担当編集者のKさんに「代わりに出演してください」とお願いした。インタビューを受けるのは著者でも編集者でもいいと先方から言われていたのだ。ところがKさんから25日に連絡があって、「やっぱり小津さんが話したほうがいいと思うので、インタビューの日程を年明けに延期してもらいました」とのこと。

インタビューといえば先月、リアルサウンドから『いつかたこぶねになる日』についての取材を受けたのだった。記事はこちら。タイトル中に「親しみやすくて軽やかさがあることを前面に出したかった」とあるけれど、これは私が「軽快な本」を作るのが好きってことです。漢詩が軽やかなものであるという意味じゃなくてね。

2023-12-22

ニコス・カザンザキスの墓へ





クレタ島、5日目。まだ食事がのどを通らず、蜂蜜入りのお茶でなんとかしのぎながらニコス・カザンザキスの墓へ向かう。カザンザキスは人間としてのキリストの苦悩を描いたことで、ギリシャ正教会から墓地への埋葬を拒否されたため、その墓はイラクリオンを囲む城壁となる6つの要塞のうちのひとつ、 マルティネンゴの砦の上にぽつんと立っている。十字架は丸太。質素ですがすがしい。砦の上からしばし周りを見回す。クレタ島は山がいい。


その後、空港に向かい、アテネに戻った。気管支炎になりかけていて、声も出ないので、待合室、飛行機、電車、そしてホテルの部屋でひたすら休む。

2023-12-21

宮殿と要塞、そして出会った猫





クレタ島3日目は昼から考古学博物館へ。クノッソス宮殿の出土品が山のようにあって、その素晴らしさに度肝を抜かれた。この人たちのアーヴァンライフに比べたらわたくしの住まいなど鄙の庵である。ふらふらとスーパーにより、ちょろっと買い物をして、ホテルの部屋で寝て起きて、パンを半分、アンチョビを一切れ、そしてタコの切り身を二切れの夕食をとる。昨日の熱はほぼ引いたけれどまだ食べられない。で、また寝た。

クレタ島4日目の朝はどしゃぶり。朝食はパンと蜂蜜と目玉焼き。それからカモミールティー、白湯、インスタントコーヒー。全部で700ccくらいお湯を吸収した。部屋で某俳人の句集の栞を書くためにゲラを読んでいたら晴れてきたので、10時過ぎ、クノッソス宮殿を見に行くことにした。クノッソスは市バスの終点で、始発から25分のところにある。海辺のバスターミナルを発ち、ヴェネチア領時代の城壁に囲まれた市街地を抜けて、内陸の山間部に向かう。で、着いたら、私たちのほかはHOKAのシューズをはいたランナーとおぼしき夫婦一組がいただけで宮殿まるまる貸し切り状態だった。まるで探検ではないか。それにしても部屋数が多い。多すぎる。あやうく迷子になりかけた。でも住んでみたいと思わせる宮殿である。構造の面白さもさることながら天井が低いのがいい。そしてズキンガラスの陽気な鳴き声が途切れることなく降っている。なにをあんなに話すことがあるのだろう?


町に帰り、昼食をすませたあと、ヴェネチア領時代の要塞が海にせり出したところに寄ってみた。途中の道で、猫に会った。それが一番上の写真。

2023-12-20

クレタ島の散策と熱、そして猫の不在。





アテネ4日目の朝はハドリアヌスの図書館へ。そのあとクレタ島に渡り、イラクリオンの町を散策する。わたしにとってのクレタ島は村上春樹『遠い太鼓』の世界。ところが猫がいない。猫をさがしてふらふらしていたらどこかの犬と親しくなる。

クレタ島2日目は、コタナス古代ギリシャ技術博物館と歴史博物館を見、それから海辺を歩く。貝殻なんかを拾えたらいいなと思っていたけれど体力の限界に達し、昼食と夕食は食べられなかった。とはいえ全く食べないと薬が飲めないので、夜はカモミールティーにスティックシュガーを2本溶かして飲む。熱は38度3分まで上がった。持参した薬が足りなくなってしまい、夫が近所の薬局まで買いに行ってくれた。

で、いまクレタ島3日目の朝。ゲラをふたつ直し、これからまたちょっと寝る。

2023-12-17

文明の発見と夜の探求





アテネ初日の夜は持参したティザンを飲んで就寝。2日目の朝食はスーパーで買ったクリスマス・パン、イチゴヨーグルト、コーヒー。クリスマス・パンはシナモン風味のブリオッシュだったけれど、ギリシャ語の名前は未だに分からず。

ホテルを出て、繁華街、路地裏、観光地などを豪雨の中どこまでも歩く。アクロポリス博物館に入ると、クリュセレファンティノスの彫刻を大理石で模倣したアフロディーテの顔が宙に浮いていた。目の下に流れ出た色は青銅製の睫毛が酸化したものらしい。近くにいた学芸員に写真を撮っていいかとたずねたところ「いいですよ」とのことだったので撮影。


キクラデス博物館ではギリシャ最古の文明発祥地であるキクラデス諸島の、つるんと抽象的な、癖になる彫刻などを観る。その後、マケドニア王国にかんする特別展を観賞。夜はホテルのキッチンでファルファッレと鮭のパスタ、トマトスープ、ベビーリーフサラダとチーズを用意して食す。キッチンはこんな雰囲気。カウンターの奥に調理場がある。手前はラウンジとフィットネスジム&サウナのスペースにつながる。


アテネ3日目はアリストテレスの学園(リュケイオン遺跡)、ビザンチン博物館、そしてアクロポリスへ。アリストテレスの学園は遺構好きには面白い場所だ。アクロポリスのパルテノン神殿へのぼる途中、イロディオ・アッティコ音楽堂をのぞきこむ。


パルテノン神殿は圧倒された。これまで見てきた建築の中で最も個性的なものだった。そうか、こういう世界観なのか、いままでちっともわかっていなかった!と古代ギリシアに対する蒙が啓けた気持ち。


夜にはまた路地を歩いた。まるで未知の星に来たような感覚だった。かっこいいラーメン屋を見つけ、星野鉄郎のようにふらふらと入店し、担々麺と水餃子を注文した。


その後もまた路地を歩き、去年旅したコルカタの祭りに勝るとも劣らないネオンに驚かされた。

2023-12-15

ギリシャへの旅





朝は7時に目を覚まし、9時過ぎに小さなバッグを持って家を飛び出した。原稿がようやく終わったので、気分転換にギリシャへ行くのだ。なにも調べていないけど、ギリシャだったら問題ないだろう。空港で新しいオーガニック・カフェを見つけた。アンチョビと黒オリーブをすりつぶしたペーストにケイパー、松の実、バジルなんかを混ぜたタプナードを塗り、赤ピーマンのマリネとアボカド、ルッコラを挟んだサンドイッチと水を注文した。搭乗までの時間、春日太一『市川崑と「犬神家の一族」』を読む。機内ではよく眠る。15時にアテネの空港に着き、wifiに繋いだら編集者のkさんから、昨日送り返したゲラに問題があるとのメールが来ていた。それでちょっと悩みつつ、ホテルに荷物を置いて、食材を買うために近くのスーパーへ行った。

スーパーでは2リットルのペットボトルの水4本、丸焼きの鶏、豚のオレンジ煮込み、オレガノ風味のアンチョビ一缶、オイルサーディン一缶、トマト、りんご、イチゴヨーグルト、ミル付きのヒマラヤ岩塩、クーロリという名の輪っか状のゴマパン、そしてクリスマスのパンを買った。クリスマスのパンの呼び名はわからない。写真を載せてみようかな。ご存じの方いらっしゃいましたら教えてください。見た目はブリオッシュに似ていて、味は明日の朝のお楽しみ。で、これらの食材を持ち帰り、ホテルの広々としたキッチンで、その一部を皿に盛りつけ直して食べた。シーズンオフだからか、ダイニング・ルームにいるのは私たち夫婦だけである。ホテルの場所は繁華街の裏手、シャッターが軒並み閉まっている通りにあり、向かい側はレコードショップ。マイケル・ジャクソンの『スリラー』が入り口に飾られ、いとをかし、と言うべき風情。

食事の後は部屋に戻ってゲラを修正して、今はこのブログを書いてるところ。

2023-12-13

カメラがくれた勇気、そして永遠





朝からロベール・ドアノー展を観る。

写真をまじまじと眺めて、まあ予想はしていたけれど、こんなにいいのかと思いました。対象をピンポイントで捉えていて、どれも写しすぎていないの。だからけっしてオーバーにならない。真っ向から撮るときでも勝負っぽさを出さない。慎みがある。しかも画面のざわめきがめちゃくちゃリアル。

4歳で父親が戦場で亡くなり、7歳で母親とも死に別れ、ずっと不遇だったけれど、16歳でカメラを始めて、それが心の支えになって、片時も手放さなかった、まるで消防士の兜みたいにカメラを手にすると勇気が湧いた、カメラがあったから過去の辛かったことを乗り越えて、人々の愉しみを切り取る写真家になれた、そんな話をあらためて確認しつつ展示室をまわり、そのあとは別の部屋に移って、映画『パリが愛した写真家ロベール・ドアノー 永遠の3秒』を観た。

昼には家に戻り、クスクスを40g炊いて、モッツァレラと赤ピーマンとトマトを入れたコロッケとメスクランで食べた。主食は毎食ごとにいちいち量って作る派だ。

ところで最近ずっと考えているのは、誰かが死んだときに「泣く」という行為について。まあ、わたしも、そういうことがあれば泣く。でもそれは、ただただ心が傷ついたことにたいする生理的反応として泣くってことで、本当に心から絶望して泣くわけじゃない。だって人は、死んだって実は死んでない。生きつづけている。つまり生や死というのは現象でしかなく、そこにどういった本質を見てとるかはその人次第なのだ。でね、わたしは、詩を書く者が永遠を信じないで一体どうするのかって思う。永遠を支持することは詩人の採りうる政治的信念、そのひとつの形だろうって。なにものもここに残らない。それは知っている。知っているけれど、その事実に従わない。なにものも失われないと信じること。死に屈しないと決めること。永遠を心に抱えたまま、最期の日まで有限の存在でありつづけること。

2023-12-11

マグカップ革命





市川崑『犬神家の一族』を観た。後半ちょっと退屈だったけれど、富司純子が出てくるシーンは全部よかった。かっこいい。役者って感じ。

うちにはコーヒーメーカーがなくて、これまではドリップ、マキネッタ、フレンチプレスのどれかでコーヒーを淹れていたんです。それが1ヶ月ほど前に発見して、いま流行ってるのは写真のマグカップで紅茶みたいに淹れるやり方。蓋をして3分半ほど待つだけ。マグカップは蓋とフィルターがついているタイプですが、フレンチプレスみたいに押さないので粉っぽくならず、しかも440cc入る。これでデカフェを飲んでいます。

コーヒー豆はこのところ電動より手挽きの方が多いです。KINGrinderのコーヒーミルを買ったからで、これが小さくて軽いの。しかもハンドルの先端の木が球体。球が好きなので気に入っています。

2023-12-09

新刊『ロゴスと巻貝』刊行のお知らせ





細切れに、駆け足で、何度でも、這うように、
本がなくても、わからなくてもーー
読書とはこんなにも自由なのですね、小津さん

山本貴光
(文筆家・ゲーム作家)

※目次※

読書というもの/それは音楽から始まった/握りしめたてのひらには/あなたまかせ選書術/風が吹けば、ひとたまりもない/ラプソディ・イン・ユメハカレノヲ/速読の風景/図書館を始める/毒キノコをめぐる研究/事典の歩き方/『智恵子抄』の影と光/奇人たちの解放区/音響計測者(フォトメトログラフィスト)の午後/再読主義そして遅読派/名文暮らし/接続詞の効用/恋とつるばら/戦争と平和がもたらすもの/全集についてわたしが語れる二、三の事柄/アスタルテ書房の本棚/ブラジルから来た遺骨拾い/残り香としての女たち/文字の生態系/明るい未来が待っている/自伝的虚構という手法/ゆったりのための獣道/翻訳と意識/空気愛好家の生活と意見/わたしの日本語/ブルバキ派の衣装哲学/わたしは驢馬に乗って句集をうりにゆきたい/そういえばの糸口/月が地上にいたころ/存在という名の軽い膜/プリンキピア日和/軽やかな人生/料理は発明である/クラゲの廃墟/人間の終わる日/本当に長い時間/梨と桃の形をした日曜日のあとがき/引用書籍一覧

※ ※ ※ ※ ※

2024年1月9日、アノニマスタジオから新刊『ロゴスと巻貝』が刊行されます(束見本の写真はこちら)。依頼されたテーマは「これまであなたはどんな本を、どんなふうに読んで来たのか」というもの。その問いに、ふわっと答えた、全40篇のエッセイ集。手にとっていただけると、とても嬉しいです。

ふわっと、というのはええと、なんて言えばいいんでしょう、まあ、依頼どおりのことをそのまま書くのは嫌だったんですね。だって読書遍歴を語りなんてしたら、人生が物語性を帯びるのを避けられないじゃないですか。愛読書も告白したくない。照れくさいもん。良書を並べるといった切り口も、他の本との差異化を図るのが難しいから却下。しょうがないので読書論でも書くかなと思ったんですが、よく考えたら世間に披露するほどの見識がないのでした。そんなふうにあれこれ迷走した末、最終的には身のまわりの出来事から書き起こして、その流れにちょうど合う本の話をするといったスタイルに落ち着いた次第です。

思い返せば、初校が仕上がったのが10月下旬。で、それをですね、帯文を依頼した山本貴光さんにお送りしたんですが、もうこれが嫌で嫌で。だってわたしの初校ってほとんどメモ帳なんだもん。あたりをつけただけの状態。恥ずかしすぎる。山本さん、衝撃で絶句なさったんじゃないかな、生きるって、ほんと恥ずかしいことの連続だな、ってゆーかこれほんとに間に合うんだろうか、などと心の中でぶつぶつと呟きつつ、冒頭からまるごと書き直して、数日前ようやく校了しました。