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2021-09-05

季語の斡旋、漢詩の翻訳





さいきん人とした詩歌の話題2つ。

その壱。斡旋について。俳句の世界に季語の斡旋、言葉の斡旋などといった言い回しがありますが、この「斡旋」ってどこから出てきたんだろうって思いません? わたしはたまに気になるんです(とはいえルーツを調べたことは一度もないけど)。自分の知る中で一番古い例は1821(文政4)年刊の若槻敬『畏庵随筆』で「和歌の体製は、てにをはの斡旋にあり」という表現。もともとは俳句特有の用語ではなかったみたいなんですよね。

和歌の体製は、てにをはの斡旋にあり。古歌を博く考ててにをはの格を知べし。 かなの文字づかひも博く考て知べし。五十音に塾通し、音韻の正しきを取べし。(若槻敬『畏庵随筆』)

その弐。漢詩の翻訳について。漢詩の訳し方についてはすでに平井の本棚主催のトークイベントで話したことがあるのですが、そこで言及しなかったこととして中国語の朗読を聴いてみるというのがあります。で、とうぜん日本語の響きとは感性が違うなと思うこともあれば、逆に同時代性がありすぎてびっくりすることもある。この徐志摩の朗読とか、文体を決めるときにかなり参考にしました。初めて聴いたとき、西洋の詩の輸入を介して日中がつながったような気がしたんですよね。


拙訳を添えた一篇はこちらから試し読みできます。また訳し方についてはこちらの動画の13:51から話しています。

2020-12-29

『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』



この人、何者?
極上のエッセーで、文体が弾み、とんでもなく博識で、どうやらフランス暮らし。俳句を作る人らしい。一回ごとに漢詩の引用があるが、その漢詩はいつも角を曲がったところに立っている。しなやかな和訳と読解が続く。
世の中は驚きに満ちている、と改めて思った。
池澤夏樹(帯文より)

→ amazonで購入する
その堅苦しく黴臭いイメージをさっと片手でぬぐって、業界のしきたりを気にせず、専門知識にもこだわらない、わたし流のつきあい方を一冊にまとめたのがこの本です。
本書「はじめに」より

→ noteで試し読みする
新井白石「蕎麥麺」植木玉厓「詠柳」王国維「書古書中故紙」韓愈「盆池・其五」木下梅庵「竹村最中月」「鈴木兵庫菊一煎餅」桑原広田麻呂「冷然院各賦一物得水中影応製」幸徳秋水「獄中書感」島田忠臣「見蜘蛛作糸」「照鏡」徐志摩「再別康橋」菅原道真「重陽日府衙小飲」「寒早十首・其二」「寒早十首・其十」蘇軾「春夜」「病中遊祖塔院」杜甫「槐葉冷淘」夏目漱石「帰途口号・其一」「無題」「菜花黄」成島柳北「塞昆」「地中海」白居易「夢微之」「観幻」「和春深二十首・其十二」原采蘋「乙酉正月廿三日発郷」「初夏幽荘」藤原忠通「賦覆盆子」「重賦画障詩」源順「詠白」楊静亭「都門雑詠」陸游「書適」「初夏行平水道中」李賀「苦昼短」李商隠「無題四首・其二」李清照「好事近」良寛「我生何処来」「孰謂我詩詩」無名氏「子夜四時歌三十首・秋歌」


【平井の本棚読書会】はじめて漢詩を読む方を対象に漢詩の探し方、訳し方、面白さなどについて語った動画です。『いつかたこぶねになる日』制作秘話の一面も。


『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』
著者:小津夜景
帯文:池澤夏樹 装幀:calmar 装画:姫野はやみ
予価:1980円(税込み) 本文ページ数:272 サイズ:B6判
発行所:素粒社 2020年11月10日刊行


2020-12-09

素粒社webshop始まりました。





素粒社がこちらにwebshopを開きました。送料無料で通常1〜2営業日以内に出荷(休業日:土日祝)だそうです。

土曜日のイベント「本の作り手と読む読書会~漢詩の〈型〉を旅する夜~」のアーカイブ配信も始まりました。57:20~の「韻律」は「音数律」の言い間違いです。朗読も小さな読み間違いが。加えて声も聞き苦しくてすみません。きのうの夜まで不調だったのですが、今朝いきなり元気になりました。

今回の主催の平井の本棚では、13日(日)に「yogaで詠む漢詩の手帖〜紙ヒコーキの乗り方を探って〜」というスピンオフ企画もあるそうです。チケットはこちらから。

2020-12-04

漢詩をめぐる午後と夜





とうとう「第4回 本の作り手と読む読書会 ~漢詩の〈型〉を旅する夜~」が明日に迫りました。楽しいひとときになればいいなと思っています。オンライン参加希望は駆け込みのお申し込みも可とのこと。お申し込みはこちらからどうぞ。当日見逃しても、1週間のアーカイブ配信がご視聴可能です。

「月刊経団連」12月号のEssay「時の調べ」に「漢詩をひもとく午後」を寄稿しました。こちらの一番下から読めます。この欄、バックナンバーを見ると、ここ数ヶ月だけでも路上園芸鑑賞家、触感テクノロジー研究者、国文学研究資料館長、バイリンガル落語家と、なかなかふしぎなラインナップです。

2020-11-26

『たこぶね』到着



11月5日の刊行から20日あまり。とうとう我が家にも『いつかたこぶねになる日』が届きました。わーい。


クラファン特典折本『酒と肉の日々』も届きました。数部ありますので、読みたい方がいましたらこちらのアドレスにメールいただければ進呈します(『たこぶね』をご購入くださった方限定です)。

12月5日にオンラインイベント「第4回 本の作り手と読む読書会 ~漢詩の〈型〉を旅する夜~」があります。ご予約はこちらからどうぞ。

2020-11-17

翻訳をめぐる、ささやかな宵




宵の口の海を散歩しながら、12月5日のトークイベントで話す内容を考えていたのだけれど、ひとつの翻訳ができあがる過程、その内部機構というのはブラックボックスだなあと改めて思った。


たとえば「この詩はこういった制約で書かれているからこう訳せばよい」とわかったとしても、所詮それは頭でわかったにすぎず、実際の翻訳とはいきあたりばったりをいかに収斂させるかの作業になる。このいきあたりばったりを排除することは決してできない。なぜなら、いきあたりばったりとは、他者と出会う可能性そのものだからだ。

逆からいうと、仮にいきあたりばったりを経ずに翻訳が終わった場合、その間わたしは他者といちども出会わなかったということになる。そこでのわたしは自分の理解できるものだけを見ようとしていたわけだ。けれども出会いのない翻訳なんて時間を削ってやる意味があるだろうか? 自分が直感で知っている定石以外の定石を知るための、そして感覚の盲点をつく言葉のパターンに驚くための旅をするのが、わたしは好きだ。

ところで、じゃあ「ここはどうしてこう訳したのですか?」ときかれても説明できないのかというと、それは全然そんなことはなくて、一語一語説明できる。ただその説明は、その一語に収斂させた(限りなく経験にもとづく)直感の働きそれ自体とは別のものだよって話。リアルなあの日と胸にのこる思い出とが別であるように。翻訳を語るとは、けっきょくのところ思い出を語ることだ。

2020-11-09

第4回 本の作り手と読む読書会 ~漢詩の〈型〉を旅する夜~



平井の本棚さん主催のイベント「第4回 本の作り手と読む読書会 ~漢詩の〈型〉を旅する夜~」にオンライン出演します。

編集者や翻訳者など、本の作り手とともに作品を味わう読書会シリーズ、編集者の北野太一さん、著者の小津夜景とともに、今回は『漢詩の⼿帖 いつかたこぶねになる⽇』を読みます。

* 詳細・ご予約はこちらをご覧ください。


【日時】2020年12月5日(土)20:00~22:00 
【形式】リアル会場:平井の本棚2F
    オンライン:ZOOM使用
【定員】リアル10名
    オンライン40名 
【参加費】1200円(書籍なし)
    2800円(書籍&送料込)
  書籍付の申込は11月28日締切。

【スケジュール】
①教えて編集者さん(編集者から背景を聞く)

・素粒社のご紹介
・読者の身近にある未知を、本というかたちのもと検出する
・新刊の「予約注文」としてクラウドファンディングをやってみた〜 結果報告

 ====休憩====

②教えて著者さん(著者の朗読とともに作品世界を味わう)

1 なぜわたしは漢詩を読むのか
2 わたしの目に漢詩はこう見える 〜 時間・イメージ・運動
3 かたちを体感する 〜 好きな詩の見つけ方
4 ことばを造形する 〜 翻訳ルールの決め方
5 タブラ・ラサと記憶、そして朗読

2020-10-01

青木正児 『中華飲酒詩選』(たわいのないこと4)





漢詩といえば酒。このイメージを疑う人っていないんじゃないでしょうか。で、酒をあつかった漢詩本といえば、やはり周代から唐代までの酒の詩をアンソロジーにした青木正児『中華飲酒詩選』が忘れられません。いきなり序文で「麹世界(こうじのせかい)」「禍泉(わざわいのいずみ)」「瓶盞病(しょうしさかずきのやまい)」といった陶穀「瓶盞三病」を駆けつけ三杯的に読まされるのがまず狂喜で、雑学好きの人ならば辞典なみのうんちくを蒐集することもできます。

ところで、ここでいったんわたしの日々の飲酒事情を申し上げますと、まず毎夜赤ワインを15ccたしなみ、昼のコーヒーにはラムを5ccふります。また休日は朝飲みもします。我が家はガトー・オ・ショコラを焼くと12等分して冷凍し、2片ずつ解凍しては朝ごはんにするのですが、あるときカフェの代わりに白ワインをあわせてみたら、あらっと変な声が出るくらいおいしくて、それ以来朝飲みするようになりました。

このような、ほわん、と酔った心地になるのが好きなだけの、下戸に毛がはえた程度の飲酒家からみてふむふむと思った詩は、同じく酒に弱い白居易のそれです。うわばみ青木正児によれば白楽天は漢詩人界きっての卯酒(朝酒)愛好家で、その詠いぶりは「酔えば渇きも忘れ飢えも忘れ/官職も生身も忘れたようだ/耳には朝飯の鐘を今聞いたばかり/胸には卯酒がまだ消え残る」と、ほんのり恋の翳さえ帯びている。詩とは天地間の香気なのだから目で見ずに鼻で嗅げと青木正児は言いますけれど、まさしく、と思わせる一首です。

以下は陶淵明「飲酒」の拙訳。近刊『いつかたこぶねになる日』にも酒の名シーンを描いた詩が載っていますので、読んでみようかなという方はぜひこちらの詳細をご覧いただけますとうれしいです。

  
酒を飲む二十首 その七  陶淵明

秋の菊が美しい
しっとりと露に濡れたその花びらをつみとり
憂いを忘れさせるこの霊水に泛かべて
わたしは俗世から一歩 また一歩と遠ざかってゆく
ひとり盃でじっくりと
ほしいままに唇をうるおしていると
ついにうつわはからっぽとなり
気がつけば酒壺が転がっている
日は暮れ さまざまのいとなみがそのうごきを止め
ねぐらに帰る鳥たちが林をめざして啼いている
わたしは東の軒下で
ああ と声を漏らしてくつろぎながら
今日もまた一日を
惜しみなく味わったことに心から満足する

飲酒二十首其七  陶淵明

秋菊有佳色 裛露掇其英
汎此忘憂物 遠我遺世情
一觴雖獨進 杯盡壺自傾
日入群動息 歸鳥趨林鳴
嘯傲東軒下 聊復得此生

2020-09-16

陸游『入蜀記』(たわいのないこと3)





旅の楽しさというのは、もうそれはいろいろですが、行った先でその土地にまつわる説明などを読んで「へえ、ここでそんなことがあったんだね…」としみじみするのもそのひとつ。

芭蕉が〈夏草や兵どもが夢の跡〉とうたったとき、過去と現在との重なりあった感慨を〈や〉の一語に籠めたように、この種のしみじみの正体は悠久の時間への詠嘆そのものです。わたしも旅先に限らず、日頃から過去と現在とを重ねては感慨にひたってばかりいる質でして、地中海を眺めるときも「ああ、この海をアリストテレスも眺めたんだなあ」と毎度しみじみしているのでした。

さて漢詩にまつわる本をたわいなく語るシリーズ、第3回は陸游『入蜀記』です。南宋の詩人・陸游は四十六歳のとき、故郷浙江省紹興県の山陰から赴任先の蜀(四川省)に赴くために、長江をさかのぼる一五八日間の船旅を体験しました。そのときの長江船旅日記が「中国紀行文学の最高傑作」と絶賛される本書です。水の上から広大な景色を眺め、折々船から上がり、季節の風物や町並みを堪能し、各地の名所をめぐりながら、旅はゆったりと進みます。旅行記やガイドブックを読みながら夢想にひたるのが好きな人におすすめです。

で、この『入蜀記』がなぜ漢詩にまつわる本なのかといいますと、行く先々で、新しい見所があらわれるたびに、陸游が「あの詩人が、ほにゃらら、と詠んだのはここなのである」と親切に解説してくれるんですよ。

そもそも名所というのは詩人と切っても切れない関係にあって、つまり詩人がどこそこの歴史ないし景色をうたい、かつそれが名作であった場合、その土地の名声が一気にあがるということがくりかえされてきた。しかも中国の詩跡というのは長江や黄河のような大河流域にそって形成されていますから、これ一冊読めば、長江流域をめぐる名句を制覇したも同然なのでした。

ところで陸游その人はどんな詩を書いたのか? 興味のある方はどうぞ近刊『漢詩の手帳 いつかたこぶねになる日』でお楽しみください(詳細およびご予約ページはこちらです)。ここでは旧作『カモメの日の読書』から拙訳を引用します。

蓼の花  陸游

刀州での十年間は
詩と酒に夢中だった
夜ごと美しい花のために
燭をついやし遊びほうけた
年老いた漁夫となった今も
浮き立つ気分は残っていて
紅い蓼をそっと嚙んでは
清らかな秋に酔っている

蓼花 陸游

十年詩酒客刀州
毎為名花秉燭遊
老作漁翁猶喜事
数枝紅蓼酔清秋

2020-09-13

草の指輪を差し出され





昨日の海は温かかった。幸せな気分で眠り、朝起きて『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』の予約状況を確認すると、予約開始5日目にして達成率58%となっていた。なんということでしょう。みなさま本当にありがとうございます。ご予約期間はまだまだ続きます。本の詳細はこちらで読むことができます。

* * *

「僕、これから出版社をつくります。つきましてはあなたに本一冊分の原稿を書いてほしい。そしてその原稿でクラウドファンディングを試みたい  書いてくれますか?」

こんな申し出を素粒社のKさんから受けたのは2019年12月のこと。最初は面食らいました。しかもなぜクラファンを? するとKさんは「せっかく本が売れても版元にお金が入ってこない現行の経済システムを打開する策として、予約直販を思いついた」と言います。

Kさんいわく、現状取次会社を通して本を売る場合、新規の出版社の取引条件は新刊委託で6ヵ月後払い・支払い30%保留などの厳しい条件が課せられるそうです。加えて返本もばかになりません。これは聞くだに恐ろしい話で、このシステムは出版の志を抱く者の足を業界から遠のかせ、また折からのコロナ禍も重なって、業界はますます先細りになるのではないかと危惧されます。

わたしは数日間悩み、最終的に【クラウドファンディングとしての、本の予約注文】という着想には「予約注文」という昔からある仕組みの内実を根底から変革する契機が潜んでいる、との考えに辿りつきました。売り上げが即利益となり、また返本の心配もいらない【書店との予約販売】【読者との予約販売】といった新たな流通経路を育て上げ、それらを【取次を介した販売】と比べて遜色のないものとして確立することは、本にたずさわる者たちへ、小回りの利く一つのビジネスモデルを提案することになるだろう、と思ったのです。

そんなわけで、私は素粒社を応援する最初の一人になろうと決め、クラウドファンディングとしての予約販売を受け入れたのでした。

で、ですね、いま「素粒社」などと書いていますが、この提案を受けた昨年末は、出版社がこの世に存在しないどころか社名も未定だったんですよね。ほんと、Kさんの思い以外は、なんにもなかった。だだっぴろい野原で草を編んだ指輪を差し出されて、いきなりプロポースされたようなものです。

2020-09-11

陳舜臣『唐詩新選』 (たわいのないこと2)





昨日の(たわいのないこと1)では長安におけるイラン文化の隆盛の話に触れましたが、そういえばペルシャ語が堪能で、原典から『ルバイヤート』を翻訳し、それに註解・解説までつけてしまった作家に陳舜臣がいました。華僑の息子として神戸に生まれ、2015年に90歳で亡くなるまでほぼ当地に住んでいたこの人の書く漢詩の話がわたしは好きで、いちばん愛着のある漢詩本というのも実はこの人の『唐詩新選』なんですよ。

いったい陳舜臣のどこが好きかといいますと、ものすごい読書家で、学識も深いのに、言葉づかいに少しの気取りもないところ。また作品のチョイスや引用のタイミングからは、自分の舌で作品の味をひとつずつ確かめてきたことがはっきりと窺える。厳密すぎない講釈もスマートで、とにかく〈漢詩を読むセンス〉と〈漢詩について書くセンス〉が抜群なのです。

本書は前半が唐詩でめぐる歳時記エッセイ、後半が「詠物」「女流」など主題別エッセイになっているのですが、わたしが気に入っているのは白居易と元稹との詩のやりとりを扱った「唱和」という一篇。文章は技巧に走らず、修飾に凝らず、見てきたかのような創作もありません。ただソムリエ的精神でもって彼らの交わした詩の中から良きもの選び、その詩群の発する〈気〉を巧みに編集して、十数ページの世界を圧巻の物語に仕立て上げています。

それはすごい、一体どんなエッセイなのだろう?と興味をもった方の邪魔にならないようこれ以上の言及は控えます。そのかわりに、といってはあまりにもあれなんですが、拙著『カモメの日の読書』で翻訳した白居易の詩を以下に写します。

元稹に贈る(抄)  白居易

ひとたび心を通わせてから
三度たけなわの春を迎えた
花の下 馬に鞍を乗せて遊びにゆき
雪の中 酒の盃を重ねて語りあった
粗末な家でもてなしあい
帯も冠もすべて脱ぎ捨て
風の吹く春は 日が高くなるまでともに眠り
月の照る秋は 飽きもせずに夜空をながめた
これは
同じ登科だからではなく
同じ官職だからでもない
ただふたりの胸の奥にある
たましいがそっくりだからだ

贈元稹抄  白居易

一為同心友 三及芳歲闌
花下鞍馬遊 雪中杯酒歓
衡門相逢迎 不具帯与冠
春風日高睡 秋月夜深看
不爲同登科 不為同署官
所合在方寸 心源無異端

近刊『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』でも白居易が元稹のことを想って書いた別の詩を翻訳しています。興味のある方は詳細ページをご覧いただけますと(そしてご予約いただけますと)とても嬉しいです。

2020-09-10

石田幹之助『長安の春』(たわいのないこと1 )




南太平洋の島に住んでいる友人から、野生のスパイダーハイビスカスの写真が届く。フリルになった花びらの可憐さ!ものすごくかわいい。この島の家々はハイビスカスで垣根を作り、花からはジャムを作るそうです。素敵な生活だなあ。

* * *

『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』のご予約クラウドファンディング、開始2日目にして達成率40%を超えました。ご注文くださいました皆様ありがとうございます。予約受付はあと43日です。引き続きどうぞよろしくおねがいいたします。

ところで、杜甫、李白、王維、白居易といった漢詩を代表する詩人たちが活躍した唐代の都・長安はいったいどんなところだったのか?というと、これが実はいまの日本人が想像するような中国とはちょっと違ったらしいです。当時の長安は人種のるつぼたる世界最大の国際都市で、なかでも西域(イラン)文化が大流行、宗教・建築・工芸・芸能にとどまらず日常の衣食にまで深く浸透していたそうで、要するにエキゾチックな、とてもおしゃれな空間でした。

そんな都のようすを学問的に見事に掘り起こしたのが石田幹之助『長安の春』で、ことに巻頭随筆「長安の春」は名文の誉れが高い。わたしなどは名文ときくとすぐに怖気づいてしまう性格なのですが、石田幹之助の文章は少しも禁欲的でなく、本当に長安を見てきたかのように描写が克明で(妄想がばんばん出てきます)、しかもああっ!とのけぞる饒舌ぶり、完全に講談エンタメ系のそれです。この人は芥川龍之介の友人でもあるので、二人が文体を磨きあっていた一高時代の光景を胸に描きながら読むと、気持ちに余裕が生まれて面白さが二倍になります。

……と、こんな話を唐突にするのは、拙著のご予約キャンペーン中は、漢詩にまつわる他愛のない話を少し書いてみようかなと思ったから。明日以降も(書けそうであれば)続きます。

2020-05-27

ささやかな考古学





漢詩を翻訳することの面白さについて、これまでさまざまに説明する機会があったんですが、今日また新たにその機会があって「そうだ、まるで遺跡が並んでいるような、貝塚みたいな道具市でよくわからないものを買うのに似ているかも」と初めて気づきました。

その場で眺めているだけだと、半分くらいしか確信が持てないものを、思い切って家に持ち帰って、ごしごし洗って、わあ、掘り出し物だったよ!とよろこぶ遊び、みたいな。

はは、ひどい説明ですね。でも漢詩を翻訳してみるって、こういうとこあります。ささやかな考古学。ハズレも多いけれど、歴史が長いだけあって掘り出し物もまた多いです。

2020-02-27

ルーツとの距離感





ゆうべ、日本からの客人とレストランで食事していて、昨日のカルナヴァルが中止になったと知ってびっくりする。それで余計に海辺に人があふれていたのかもと思いつつスパゲッティを食べ、その客人が長年のロッテファンだと言うので平出隆のファウルズにレロン・リーがいたことをお教えすると、今度は向こうが本気でびっくりしていた。

「春」より漢詩部分  吉田一穂

童骸未不焼 哀夜来白雨
蔽柩以緑草 待霽故山春

幼な子の骸はいまだ焼かれずに
哀しき夜を降るにわかあめ
草萌えよ柩を覆いかくすまで
晴るるを待てるふるさとの春



庚戌元旦偶成  鷲巣繁男

地涯呼白雪 青夜発孤狼
幻化司星暦 詩魂老八荒

地の涯 白雪を呼び
青き夜 狐狼を放つ
幻影と化し 星の暦をつかさどり
詩心は老い 地の果てをさすらう

ちょっと前に三文字俳句というのをつくったとき、お名前だけ存じ上げている方から「北国の香りがしました。吉田一穂的な」とのメールをいただいてショックを受けたので、吉田一穂と、あと北海道つながりで鷲巣繁男を訳してみました。自分ではまったく似ていないと思うんですが…。

三文字俳句に北国の香りがするかどうかはさておき、吉田一穂や鷲巣繁男、あと安部公房あたりの空気はすごくよくわかります。地元の懐かしい香りです。とはいえわたしにとって書くとは〈ゆりかご〉から出る営みなので、俳句をつくるときは極北的な感性とは冷静な距離をもって向き合いたい。これは以前こちらあちらに書いた〈闇との決別〉と一緒のことなんです。

2020-02-14

酒とバラの日々




昨日触れた「薔薇の谷」ではない、白居易の薔薇詩。

薔薇正開、春酒初熟、因招劉十九、張大夫、崔二十四同飲  白居易

甕頭竹葉經春熟 階底薔薇入夏開
似火淺深紅壓架 如餳氣味綠粘台
試將詩句相招去 儻有風情或可來
明日早花應更好 心期同醉卯時盃

まさに薔薇が咲き、ついに春酒が熟す。それで劉十九・張大夫・崔二十四を招いて共に飲む。

甕の中の竹葉は春を越して熟し
階の下の薔薇は夏に入って咲いた
火ほどに濃く淡く 紅の花は蔓棚にかぶさり
飴ほどに深く甘く 緑の酒は甕台にべたつく
試しに詩をつくって友人たちを招いてみよう
もし風流がおわかりでしたらお越しください
明日の朝の花は今日よりもっとすばらしいはず
卯酒の盃をかかげ共に酔おうではありませんか

タイトルが長いです。「竹葉」というのは酒に竹を浸してつくるお酒の名前。「卯酒」は卯の刻に飲む酒を意味するのですが、卯の刻って朝の6時なんですよ。早すぎますよね。白居易は一貫して朝酒派で、卯酒の詩をいっぱい書いています。

2020-02-13

月をたぶらかす花





作者のつぶやきが、作中に挿入された漢詩。

賦薔薇   源時綱

薔薇一種当階綻 不只色濃香也薫
紅蘂風軽揺錦傘 翠条露重嫋羅裙
倩看新艶嬌宮月 猶勝陳根託澗雲
白氏有薔薇澗詩
石竹金銭雖信美 嘗論優劣更非群

薔薇をうたう   源時綱

単一の薔薇が段に向かって咲きほころび
色は濃く 香りも深くたちこめている

蘂は紅 風は軽やかに錦のからかさをゆらし
枝は翠 露は重たげにうすものの裳にからむ

つくづく見る 宮中の月をかどわかす旬の花よ
おまえは勝る 白雲の谷に生えている古い根に
(白居易に「薔薇の谷」という詩があるのだ)

石竹の花や金銭の花がどれだけ美しくても
優劣を論ずればとうてい薔薇の比ではない

夜の宮中に咲く薔薇を詠んだもの。月夜だからこそ色と香とがきわだちます。で、この詩、「白雲の谷に生えている古い根」の意味がわからないのですが、それを作者が「白居易に『薔薇の谷』という詩があるのだ」と小さな文字で解説してくれている。親切な人です。

それはそうと平安時代で赤い蘂ってなんの薔薇だろう。「錦のからかさ」で「うすものの裳」だから、一重から二重くらいの、ワイルド・ローズっぽい、ひらひらした品種?

と思っていたら、『明月記』に「天晴、籬下長春花猶有紅蘂」とあることをこちらで知りました。なるほど赤い蘂は長春花なのですね。

2019-12-26

街で過ごす





スイスより客人あり。お昼ごはんを共にし、旧市街を案内する。レストランの本日のおすすめは焼き鱸。釣り上げたばかりでとてもおいしかった。

* * *

秋登宣城謝朓北楼  李白

江城如画裏 山暁望晴空
両水夾明鏡 双橋落彩虹
人烟寒橘柚 秋色老梧桐
誰念北楼上 臨風懐謝公

秋、宣城の謝朓、北楼に登る  李白

川べりの街は画のようで
澄みきった空に夕ぐれの山がみえる 
両筋の川は明るい鏡と化して街をはさみ
二本の橋が美しい虹に扮して水にゆれる 
人家の煙は蜜柑の木にさむざむと
秋の気配に青桐の葉が老いてゆく
誰も気づくまい この北楼の上に
風に吹かれつつ謝朓を想うわたしがいるとは

宣城は町の名前。李白は謝朓の大ファンで、謝朓が建てたと言われる北楼にのぼって町を一望し、この詩を書きました。

この詩は情景描写のしっかりしているところが気持ちいい。あと5、6句が、一句ずつ眺めると語と語のあいだの余白が大きくて、表現を足さないと和訳できなそうにみえるのですが、二句が隣り合うとお互いの足りないものを補いあっていて、あ、何も足す必要がないんだとわかります。

2019-11-29

蜃気楼と月




須藤岳史さんとの往復書簡「LETTERS」更新。第14回は「文(ふみ)と不死」。繋がることとその痕跡。ニースに引っ越した日のこと。惜字楼でお別れしたあなたの分身。追伸と明るい雨。手紙とごみ。竹取物語の秘密。そして蜃気楼。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

上の写真、海の向こうに見える陸地と建物はどちらも蜃気楼です。蜃気楼は時間帯によってリアルさが変わるので、もう少し眺めていたかったのですが、あまりにも寒くて10分ほどで退散しました。で、帰ってから蜃気楼の漢詩を読み比べ、李白「渡荊門送別」が私の見た風景にぴったりだなと思ったので引用します。

月下飛天鏡 月は下りて天鏡(てんきょう)飛び
雲生結海楼 雲は生じて海楼(かいろう)を結ぶ

意味は「月は傾き、天を鏡が飛んでいるみたい。雲は湧き、海に楼が建っているみたい」。ちなみにこの日の月はこんな感じ。空気がピュアで、とても痛そうだった。

2019-11-03

中国古代建築を覗く




以前、東京新聞のコラムに「住まいと庭に関する資料を漁るうちに、漢詩を読むようになった」と書いたことがあるのですが、建物に関する中国語を知るのは難しく、だいたい絵がついていないのでぼんやりとしかわからないんです。それで妹尾河童の本みたいにわくわく覗ける図解はないかしら……と思っていたころ見つけたのがレミ・タンの『中国古代の建物』。建物について技術面からまとめてあり、図鑑が好きな人向き。かれこれ15年くらい眺めています。以下は屋根にかんするパートより。


全体の図解。


960年から1234年当時の瓦および組物装飾の例。


瓦の装飾。


屋根の装飾。


写真もそこそこ載っています。

この本が漢詩を読むのに直接役立つということはないのですけれど、「漢詩の入り口はいろいろあるよ」の一例として、ふと思いついたので書いてみました。

2019-10-14

芭蕉と倒装法





三島ゆかりさんから「連句誌『みしみし』で夜景さんに言及したので一冊お送りしますね」との連絡をいただく。雑誌が届き、ひらいてみると、三島さんのお書きになった「生駒大祐『水界園丁』を読む」の中に「小津夜景がいうところの倒装法」との一文を発見。

私が倒装法という語を使ったのはこちらの小文なのですが、ううむ、わたし、ちゃんとネットで入手できる参考文献を紹介したし、倒装法にかんして自分の手柄みたいな顔はこれっぽっちもしてないよね、と不安になりました(気が小さい)。

私の知るかぎり「錯綜顚倒」「倒装法」などの用語はどの芭蕉全集の校注にも出てきます。芭蕉の倒装表現が主要テーマの研究書もありますが、そもそもこれ蕉門十哲の各務支考『東華集』にある話でして、「余興」と称して芭蕉の「錯綜顚倒之法」をめぐるコラム(上の画像)が載っているんです。あとは石河積翠の芭蕉本にも出てくるらしいし、六平斎亦夢『俳諧一串抄』にも〈鐘消えて花の香は撞く夕哉〉について「これ鐘は撞べきもの、香ははかなく消るに名あるを、相反したる体裁なり」との評がある。つまり江戸時代から知られた話題なのです。芭蕉のファンでなくても、漢詩や言葉遊びが好きな人なら、倒装法の話はいろいろ目にしたことがあるのではないでしょうか。



せっかくなので倒装法を使った芭蕉の秋の句を。私はこれ、漢詩の読み下し風を演出した、とてもしたたかな自由律と思っていて。なかなか、ヴァガボンドな、渋い味を醸しているんですよ。はい。

憶老杜
髭風ヲ吹て暮秋嘆ズルハ誰ガ子ゾ  芭蕉

《「憶老杜」は杜甫を思いしのぶ意。普通には「風髭を吹いて」というべきところを、漢詩の倒装法に倣って言葉を逆置した修辞である。杜甫の詩句「藜(あかざ)を杖ついて世を嘆ずる者は誰が子ぞ」を踏まえ、疎髯を風に吹かせて蕭索たる暮秋の曠野に立ち歎く杜甫の俤を描いた、典型的な天和調の句である。この句は全体として「白帝城最高楼」の詩句を摸し、倒装法まで用いて漢詩的な気分を盛り上げようと努めているが、それは単なる技巧的な興味にとどまらず、作者自身の内的衝迫の強さのあらわれとして表現面に滲み出たものである。「誰ガ子ゾ」は、「外ならぬ杜甫だ」と言っていると同時に、その杜甫の姿に託して芭蕉の悲傷の情を寓しているのだ。それが突兀とした倒装法や八・八・四という破調となって現われているわけで、そう感じさせるだけの力をこの句は持っている。》(阿部正美『芭蕉発句全講I』明治書院、所々中略アリ)