2019-02-01

旅のさなかに





4泊5日のミラノ旅行から帰宅。写真はとてもピンクだった教会。椅子が透明で可愛い。ここはお茶会のサロンですか!っていう。

中空は星まれにして下界には月見る人の目玉きらきら
混沌軒国丸

ミラノのドームは宗教より天文学の香りのするものが多かったです。神よりもむしろ宇宙への憧れ。で、あちこち眺めながら思い出したのが混沌軒の狂歌でした。

* * *

旅のさなか、夜のベッドの中で、1月26日の日記を読んだという2人の方と「闇」についてメールをしました。

一人は闇と親しみ、もう一人は闇をしたたかに拒絶して孤高を生きてきた方でした。

以下に書くのは、発狂していないことを前提とした話です。

先日の日記で言いたかったのは、闇はそれなりに味わいある場所ではあるものの、その効用というのが言ってみれば〈ゆりかご〉であり、イニシエーションの拒否なので恥ずかしいってことでした。ただし、こんなしょうもないことに意識が向いていたのは当然本人に原因があってのことで、以前は私自身が闇をアジールにした生活を送っていたんですね(この話は『カモメの日の読書』や、日経新聞のこちらあちらにほんの少し書きました)。で、そういった、自己批判を免れた、自分べったりのどん底にいざるを得ないことがたぶん無念で、それで闇を否定・批判することで正気やバランスを保っていたわけです。

もちろん私は当時から、こうした闇に対する否定・批判が少しも現実との闘争になっていないことに気づいては、いました。とはいえどんな状況でも楽しく生きてみせることこそがリアル・レジスタンスなんだってことにはなかなか思い至らなくて、結局「否定ではなく、肯定の中にこそ生の実践がある」ということにはっきりと気づくきっかけが俳句だった。

やっぱり、ほら、現実ってこんな場所じゃないですか。それを考えると、どうしたって現実への最大の非服従というのは、この世界に意地でも日々輝きを見い出し続けることなんですよ。

私はもう10年くらいフツーに生きていて、どこも手術をしなくてよくなってからは5年くらいなんですけど、体調的にも上向きの、奇跡的なタイミングで俳句と出会い、この明るいインスピレーションを得たんです。

今は、もしまた何かが起こっても、もう昔のようにはならないという予感があって、それで闇を否定する気持ちが消えました。闇の悪い面に引きずられずに、純粋に素敵な面とだけつきあうことができそうというか。実際、そういう人は、あちこちにいる。孤塁を守りつつ、あっけらかんと生きている人が。

最近、私の誕生日を祝う義母からの電話で「本当にあなたは健康になった」と言われて、義母に改まってこんなこと言われたの初めてだったので、ちょっと感激したんです。で、さらに先日、ミラノの旅のさなかに橋本治がこの世からいなくなって、とてもさびしいのですけれど、あ、彼はちゃんと本を残してくれたのだからさびしがってはいけないと思って、さびしさに引きずられないために、1月26日の日記と同じ話をもういっかい書きました。さようなら、橋本治。