2023-03-27

ジュエリーと創作との掛け合い





ファッション雑誌『Precious』にスペシャル・インタビューが掲載されています。インタビューでは俳句の創作について語ったり、ヴァンクリーフ&アーペルの春のジュエリーについての感想を述べたりしました。ここのジュエリーはキュートな大人のイメージで、どんな服装にも合うのが魅力。今回の「ラッキースプリング」コレクションは、歳時記的観点から眺めると「てんとう虫」に初物感がありますよね。嬉しすぎて急いで来ちゃった感じ。

またヴァンクリーフ&アーペルの春のコレクションに似合う一句を『花と夜盗』から引用していただきました。自分でいうのもなんだけど、これが本当にぴったり。すごい。

ちなみにわたしの中では、ヴァンクリの世界観は『青い鳥』で知られるモーリス・メーテルリンクに重なっています。ほら、この作家ってわざわざ南仏に移住して『花の知恵』『蜜蜂の生活』『白蟻の生活』を書いたじゃないですか。なんだか素材や精神が似かよっているなあって、たまに思うんですよね。

2023-03-23

ブログ作業とか、週末の散歩とか。





ずっとずっと気になっていたヘッダー画像を新しいのに変えました。このヘッダー、なんだか自由研究の工作みたいで可愛らしくないですか? こないだの週末、マチス美術館でトム・ウェッセルマン展を観まして、そのあと美術館のとなりにある考古学博物館に寄ったんですけど、そこで撮影した、古代ローマの都市ケメネルムの復元模型です。


写真の赤い邸宅はマチス美術館。裏手は古代ローマ都市ケメネルムの現状の姿です。この遺跡については須藤岳史さんとの共著『なしのたわむれ』に詳しく書きました。これがほとんど人がいなくて楽しいんですよ。どうしてこんなに静かなんだろうってくらい静か。


俳句αあるふぁ「本の森」で『花と夜盗』をご紹介いただきました。当ブログ内にも紹介ページがございます(今日作った)。

2023-03-21

『音数で引く俳句歳時記・春』のこと





先月とある雑誌から連作の依頼があり、句の雰囲気をそろえないと、そろえないとと気にしつつ、結局そろわないままずっと放置していた最後の数句を、つい数日前『音数で引く俳句歳時記・春』を駆使して完成させた。サンキュー歳時記。本より配送料の方が高く、さらに関税にもめまいを覚えたけど、買ってよかった。役に立った。

ちなみにわたしは、いつも季語から発想するので「17音中の余った音数に合う季語をさがす」といった習慣が全くない。だがわたしの書き方だと、季語とそれ以外の部分とがしばしば即きすぎになるのが困りどころ。そんなときにひらくと、絶妙な離れ具合の季語と変換できそう。それから思ったのは、最後に季語をあしらう作句法というのは、自分の句を客観的に診断する訓練になるのではってこと。この本をめくるたび「季語を処方する薬師」の精神状態になる、というか。


告知しそびれていましたが、すばる4月号の「空耳放浪記」は「海へ向いてみんなスタートする」と題して片岡義男とハワイ自由律俳句について書いています。あと去年の春から連載を続けている季刊アンソロジスト、実はまだ雑誌を見たことがなかったんですよ。コロナがあったりウクライナ情勢があったりで。それが先日とうとうまとめて届いて、へえ、こういう雑誌だったのね、と新鮮な気分で午後のひとときを過ごしました。

2023-03-12

フォークとナイフ、そしてハサミ





いま某所で歌仙を巻いておりまして、話の流れで須藤岳史さんが、

夜景さんの「春深む胸にフォークをしまひけり」って葛原妙子の「早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ」となんとなく呼応しているんです、私の中だけで。

と仰ったのですが、いやほんと、全くそのとおりなんですよ。おそらく発想源は一緒。といっても「フォークの句はナイフの歌を意識して書いた」というわけではなく、そもそも「女性と刃物」の取り合わせが一種の月並みだってことですけれど。だから「刃物系」の句を書くときは、それがあくまでも禁じ手であるという意識がないと痛々しいことになる。「女性と他界」の取り合わせにもこれと同じことが言えますよね。

フォークとナイフのほかにはハサミなんてのもあります。ここでなぜか思い出すのが原采蘋。研ぐけど、ずっとしまったまま。そしていざというとき裁ってみせたのは、しっとりと雨を含んだ雲。清楚なのに色気がすごい。引用します(下の短歌は超訳です)。

吾有剪刀磨未試
為君一割雨余雲
原采蘋

切れ味をいまだ試さぬ鋏かな研ぎし日のまま胸に蔵(しま)ひて
君がため乙女は裁たむひさかたの雨の終はりのあはれの雲を
小津夜景

2023-03-04

さいきんのできごと





数日前GARMINのスマートウォッチを買った。すごく可愛い時計。なにかするたびに数値を確認してしまう。勢いづいてGARMINの体重計も買ってしまった。あとひさびさにフランスでの仕事の依頼が来た。前に依頼があったのはコロナ前だから丸3年ぶり。決まれば嬉しい。とある大学の先生からご著書と論文をいただいた。これがとてもわくわくするタイトル。どこかで引用することになりそう。新しいお付き合いの版元からも資料がどっさり届く。これ全部わたしひとりで読むのか…と震えつつも読むしかないので読んでいる。snowdropさんから「虹色句会~小津夜景七句」という動画を教えていただく。ご紹介いただいたのは『花と夜盗』からの七句。子どものころよく眺めていた学研『現代の家庭医学』全五巻のイラストが生頼範義だったことを知って衝撃をうける。そうだったのか。非常に確かな筋から「いまのあなたに足りないのは『パリピ孔明』です」といわれる。そうなのか。

あとは太極拳をして、ヨガをして、病院に通って、散歩をして、打ち合わせをして、原稿を書いた。さいきんはこんな感じ。今日はこれから近所でケーキを買って、餃子パーティーに行きます。

2023-03-02

未来の記憶を愛するレッスン





本棚に飾っていた『雨犬』A RAIN DOG を手にとって読む。版画は柳本史さん、文は外間隆史さん。

ヒトは記憶したい生きものだ。
犬だって同じである。

主人公は、道ばたに在る記憶を集めることを生きがいとしている15歳の老犬、名は雨犬だ。雨犬のパートナーであるペンキ職人はなかなか趣味の良い19歳の男の子。けれども「趣味の良い生活」などといったものでは覆い隠せない寂しさに、この物語はしんと包まれている。

記憶を集めるとは、世界への愛着だ。自分以外の命の痕跡に触れるという行為だ。記憶とは人間の感情や感性の産物であって、だからこそ美しく、また愛おしい。

犬は(そして人は)この世界を眺め、嗅ぎ、舐め、そのいくつかを記憶し、死んでゆく。でもそのとき胸の中にあるものが、自分自身の記憶だけだとしたら、あまりにもさみしすぎやしないか。かつてこの世界のあちこちに誰かがいて、思いを抱き、そして去っていったという痕跡に日々触れ、その、自分ではない誰かの記憶を胸に蓄えることで、犬は(そして人は)いつか自分が去りゆくだろう未来の日を想像し、記憶し、深く愛おしむことができるようになるのではないか。そんなことを考えながら読んだ。死について、こんなふうに考えてみたのは初めて。軽く、シンプルで、深い本だった。いまわたしは、この本に助けてもらった気さえしている。そのくらい、詩人が取り組むべき大切なことが書かれた本だった。

柳本さんの、憂いと郷愁あふれる画風がまた素敵だ。とりわけ好きだったのは、ペンキ職人に頭をなでられる雨犬の画。


それからコインランドリーの前に散っていた泰山木の花を寸借してうきうきと愉しむ雨犬。外間さんも、こんな感じの人だよねって思う。

  
【A RAIN DOG TOUR 2023】
未明編集室 『雨犬』刊行記念・柳本史版画展。1月の『ウレシカ』、2月の『COWBOOKS』でのミニ展を経て老犬が各地を巡るそうです。3月は徳島『櫻茶屋』、4月は大阪『blackbird books』、5月は盛岡『BOOKNERD』、6月は松本『本・中川』。詳細は画像参照。