2020-02-28

日出ずる国のおかき





これ、なんと日本の揚げおかきです。信じられます? わたしの記憶では、揚げおかきって、まかりまちがってもこういう存在ではありえなんですが。外国人に向けたパッケージなのかしら。それとも日出ずる国ではとうの昔に、揚げおかきはKAWAII系のおやつに生まれ変わっているのでしょうか?

2020-02-27

ルーツとの距離感





ゆうべ、日本からの客人とレストランで食事していて、昨日のカルナヴァルが中止になったと知ってびっくりする。それで余計に海辺に人があふれていたのかもと思いつつスパゲッティを食べ、その客人が長年のロッテファンだと言うので平出隆のファウルズにレロン・リーがいたことをお教えすると、今度は向こうが本気でびっくりしていた。

「春」より漢詩部分  吉田一穂

童骸未不焼 哀夜来白雨
蔽柩以緑草 待霽故山春

幼な子の骸はいまだ焼かれずに
哀しき夜を降るにわかあめ
草萌えよ柩を覆いかくすまで
晴るるを待てるふるさとの春



庚戌元旦偶成  鷲巣繁男

地涯呼白雪 青夜発孤狼
幻化司星暦 詩魂老八荒

地の涯 白雪を呼び
青き夜 狐狼を放つ
幻影と化し 星の暦をつかさどり
詩心は老い 地の果てをさすらう

ちょっと前に三文字俳句というのをつくったとき、お名前だけ存じ上げている方から「北国の香りがしました。吉田一穂的な」とのメールをいただいてショックを受けたので、吉田一穂と、あと北海道つながりで鷲巣繁男を訳してみました。自分ではまったく似ていないと思うんですが…。

三文字俳句に北国の香りがするかどうかはさておき、吉田一穂や鷲巣繁男、あと安部公房あたりの空気はすごくよくわかります。地元の懐かしい香りです。とはいえわたしにとって書くとは〈ゆりかご〉から出る営みなので、俳句をつくるときは極北的な感性とは冷静な距離をもって向き合いたい。これは以前こちらあちらに書いた〈闇との決別〉と一緒のことなんです。

2020-02-26

できうるかぎりなにもしない





今日はひさしぶりのお休み。目下できうるかぎりなにもしないように努力している最中です。これ、けっこうむずかしいんですよ。例えば今、わたしはソファに転がって床を眺めているのですが、そうすると床に落ちた髪の毛が気になって掃除機をかけたくなってくる。いつかけようかな…と思いながら眺める床はつらいものです。でもあと2時間はじっとしていたい。いや、するのだ。がんばろう。

往復書簡「LETTERS」更新。第20回は「どこまでもさまようために」。カルナヴァルの朝、初めての朗読、記号から声を見つけること、連句と即興、互いの声に耳を傾けること、軽い接続詞あるいは泡の花、などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

カルナヴァルの様子は検索すればいくらでも画像が出てくるので、人気のない広場の方が面白いかもと思い、記事にはそんな写真を添えました。

ヴェネチアのお祭りは新型コロナウィルスの影響で中止になったそうですが、ニースは例年と変わらず。街は今日も花泥棒というイベントですごい人出です。

2020-02-25

こんな歌をうたう人





抽象画家の展覧会で、気楽に描いたとおぼしき日常の素描を目にするといつも新鮮な気持ちになります。「おお、ふつうの絵だ。しかも上手い!」と妙な興奮を覚えたりして。

『オルガン』20号は丸ごと吟行特集「海芝浦〜横浜」。抜きん出て面白かったのが田島健一の50句です。田島さんという方はかなり非具象寄りの書き手で、生の素描をありのまま披露することってまずないじゃないですか。しかもその素描が吟行だというのがまた貴重。なるほど、道ばたの即興だとこんな歌をうたう人なんだ!と思いました。

駅ひとつ真冬の海に溶けのこる
青をどう使えば駅の寒さかな
わずか冬雲ひろびろとふざけあう
木の深いところが凍る指輪かな
冬晴れの暗がり抜けて同じ猫
湾岸を透けて田園さよしぐれ
狩人の狩りの終わりにある湊
楽団や冬のみなとを遠まわり
見ることをやめれば暗き冬の水
洋家具店みえざる山も眠るなり
人形に羊あつまる小春かな
(田島健一「からしたら」より)

わたしは「真冬の海」と「狩人」が好き。「楽団」はモダニズムっぽい懐かしさ。

2020-02-23

死ぬことと生きること(澤の俳句 9)





2016年のテロが起こるまでは、誰でも思う存分カルナヴァルを見物できたんですが、いまはチケットを買って柵の中に入らなくてはならないんです。あ、でも仮装をすると無料で中に入れます。わたしはチケットを持たず、仮装もしていなかったので、この日は柵の外から眺めただけ。人が多すぎてよく見えなかった。

* * *

征きし子の生き死に不詳夏炬燵  吉田邦幸

ほんとうにそうだと思います。私の祖母も沖縄戦で二人の兄を亡くしているのですが、戦争が終わると役所から「骨を取りに来い」との連絡があったんです。で、祖母が骨を受け取りに役所へゆくと、骨箱を渡されて、中を覗いたら骨ではなく石ころが二個ずつ入っていた。そんなですから祖母は兄弟の死をずっと疑っていましたよ。戦後五十年経って沖縄へ旅行し、慰霊碑に兄弟の名を確認して、そこでやっと「兄さん達は死んだんだ」と納得できたそうです。掲句は〈夏炬燵〉の日常感がさみしい。確かな答えを得ぬまま、終戦日からの時間が、宙づり状態で続いてきた気配を色濃く漂わせています。

老鶯や我が世自在と頻り鳴く  飯島侑江

〈老鶯〉と下五から、芭蕉〈鶯や竹の子藪に老(おひ)を鳴く〉を連想しました。『十論為弁抄』によると芭蕉は「白氏文集で見つけた老鶯という語が面白かったので、若竹と対比させて老若の余情を出してみた」とこの句を自解していますが、片や飯島句の方は同じ〈老〉でも隠者的、いわゆる老子の思想に絡めたようす。〈老〉の字を悲哀ではなく飄逸なものとして捉え、負のイメージを負わせない配慮が、夏にぴったりの空気を演出するのに役立っています。

2020-02-22

土曜日のバーガー



昨日書いたハンバーガー食堂に行ってきました。いやあ思い出補正ってすごいですね。どこをどうみても普通のファミレスでした。味も「あれ?」って感じ。でも楽しかった。少々高めなので、これからは食堂ではなくカフェとして利用しよう。


店内は英国風。右上のシャンデリアもそうです。イギリスには1748年から1845年までガラス税というのがあり、重さに対して課税されたんですね。で、職人たちは安くシャンデリアを制作するために、まず腕木や支柱などの骨組みに当たる部分をガラスから金属に変え、さらに割れてしまった屑ガラスを集めて磨き、針金を通してビーズの紐みたいにしたものを何十本もつくり、それで金属の骨組みを覆ったんです。一番有名(たぶん)なのがtent and bag chandelierという型なんですが、それはつま先をきゅっと絞りあげられて逆さまに吊るされた月夜のくらげみたいなすがたをしています。


キューバニスト・モヒートは近年フランスで人気のビアカクテル。ビールにラムが入っていて、飲み口にはオレンジやライムが刺してあります。


ハンバーガー定食。玉ねぎは飴色に炒めてありました。料理が出てきた頃には店内が満席に。


おしまい。

2020-02-21

その日が巡ってきてしまう





『川柳ねじまき』♯6は妹尾凛特集(注・わたしの中で)です。

えいせいぼうろみたいに語る孤島  妹尾凛
ああそれはもうひとりのわたしの鼻
おしまいの春のりぼんを巻くところ
こつぜんと雨がふりだすあみだくじ
こどものころの雨の軌道はレモン
くしゃみするすいぎんいろのこもれびに

連句「萩の家」の巻は下の流れが好きでした。

背の順に並んでバスを待っている  凛
村長さんのあくびうららか  れいこ
花の雨一の鳥居の石畳  桐子

話は変わって昔、ル・アーヴルで2回ほど食べたハンバーガー食堂があって、イギリスのパブみたいな雰囲気が好きだったんです。で、またル・アーヴルに行くことがあれば食べたいけれど、ああもう一生その日は巡ってこないかもなあ、とことあるごとに懐かしく夢みていたのが、その食堂がまさかのフランチャイズで家のわりと近所にも存在すると知ったときの「さみしい」と「うれしい」との入り交じった衝撃ときたら。

思い出が崩れ去ったショックはさておき、近所の店には明日さっそく行ってきます。

2020-02-18

レターズ、みしみし、ユプシロン





往復書簡「LETTERS」更新。第19回は須藤岳史さんの「隠された接続詞」。声の語りと構造の隙、非言語的な起源の世界、言葉との出会い損ね、数字付き低音の空白、見えない接続詞、すべての芸術は音楽の状態を憧れる、ありのままの世界、などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

* * *

『Υ』(ユプシロン)2号を読む。1号が届いたときはうすむらさき色の、高級コスメのパンフレットみたいな体裁を見て思わず顔を近づけてしまった(良い香りがしそうだった)のですが、香りはなかったので自分で香水をふって読みました。2号はうすあお色です。

ハンカチに十五番目の石包む  小林かんな
かなかなや他人の住んでいる生家  仲田陽子
鱶の海ロシアより荷の届きたる  仲田美子
鳥の巣に帰り大きく見える鳥  岡田由季

連句誌『みしみし』4号。下の流れが好きすぎました。

風力計も折れんばかりに  天気
欠航を告げられてゐる不倫行  真人
袖すり合ふも蛸壺の縁  りゑ
「韃靼人の巻」

自分の参加した流れでは、ここがお気に入り。

谷合ひの里しらじらと明け初めて  ぽぽな
脈の速さの雪はふりつむ  夜景
大鍋にぼるしちの湯気立ち昇り  苑を
「笹舟の巻」

三島ゆかり筆の浅沼璞『塗中録』評も面白かった。読み応えのありそうな句集です。

学歴もはらわたもなき鯉幟
竹夫人すこし年上かもしれぬ
耳鳴りもちあきなおみも冬隣
腕相撲してゐる影の腕うらゝ
近景の心音となる冬かもめ
浅沼璞『塗中録』

2020-02-15

カルナヴァルの怖い人形とおまけ





今日からカルナヴァル。2時間ほど近所を一人で散歩。車道には観光バスが連なり、レストランも人でいっぱい。祭りの期間中は会場となっている広場以外にも人形が飾られている。砂浜に佇んでいるのはシラクとサルコジ。


裏通りの人形。怖い。


怖すぎる…。


おまけ。「ほら。僕を撮ってもいいよ」とポーズをキメてくれる南仏人。

2020-02-14

酒とバラの日々




昨日触れた「薔薇の谷」ではない、白居易の薔薇詩。

薔薇正開、春酒初熟、因招劉十九、張大夫、崔二十四同飲  白居易

甕頭竹葉經春熟 階底薔薇入夏開
似火淺深紅壓架 如餳氣味綠粘台
試將詩句相招去 儻有風情或可來
明日早花應更好 心期同醉卯時盃

まさに薔薇が咲き、ついに春酒が熟す。それで劉十九・張大夫・崔二十四を招いて共に飲む。

甕の中の竹葉は春を越して熟し
階の下の薔薇は夏に入って咲いた
火ほどに濃く淡く 紅の花は蔓棚にかぶさり
飴ほどに深く甘く 緑の酒は甕台にべたつく
試しに詩をつくって友人たちを招いてみよう
もし風流がおわかりでしたらお越しください
明日の朝の花は今日よりもっとすばらしいはず
卯酒の盃をかかげ共に酔おうではありませんか

タイトルが長いです。「竹葉」というのは酒に竹を浸してつくるお酒の名前。「卯酒」は卯の刻に飲む酒を意味するのですが、卯の刻って朝の6時なんですよ。早すぎますよね。白居易は一貫して朝酒派で、卯酒の詩をいっぱい書いています。

2020-02-13

月をたぶらかす花





作者のつぶやきが、作中に挿入された漢詩。

賦薔薇   源時綱

薔薇一種当階綻 不只色濃香也薫
紅蘂風軽揺錦傘 翠条露重嫋羅裙
倩看新艶嬌宮月 猶勝陳根託澗雲
白氏有薔薇澗詩
石竹金銭雖信美 嘗論優劣更非群

薔薇をうたう   源時綱

単一の薔薇が段に向かって咲きほころび
色は濃く 香りも深くたちこめている

蘂は紅 風は軽やかに錦のからかさをゆらし
枝は翠 露は重たげにうすものの裳にからむ

つくづく見る 宮中の月をかどわかす旬の花よ
おまえは勝る 白雲の谷に生えている古い根に
(白居易に「薔薇の谷」という詩があるのだ)

石竹の花や金銭の花がどれだけ美しくても
優劣を論ずればとうてい薔薇の比ではない

夜の宮中に咲く薔薇を詠んだもの。月夜だからこそ色と香とがきわだちます。で、この詩、「白雲の谷に生えている古い根」の意味がわからないのですが、それを作者が「白居易に『薔薇の谷』という詩があるのだ」と小さな文字で解説してくれている。親切な人です。

それはそうと平安時代で赤い蘂ってなんの薔薇だろう。「錦のからかさ」で「うすものの裳」だから、一重から二重くらいの、ワイルド・ローズっぽい、ひらひらした品種?

と思っていたら、『明月記』に「天晴、籬下長春花猶有紅蘂」とあることをこちらで知りました。なるほど赤い蘂は長春花なのですね。

2020-02-12

力強い静けさ





宮本佳世乃『三〇一号室』は静かな写真集のような句集で、一句読み終わるたびその光景がすーっと眼裏に広がってゆきます。またその静けさの中に、見えない世界に対する作者の祈りのようなものを感じました。つまり「力強い静けさ」なんです。

風光る丘の話をしてゐたる
瓶を持つ手のふたたびの霧の中
泣いてゐるひとの隣へ豆の花
かはたれのとほくを飛びし時鳥
空蟬に指の離れてゆきにけり
知恵の輪の片方に湧く泉かな

最後の句は「知恵の輪」と「泉」が一種の縁語なので、それのみだと退屈になってしまうところを、「片方」と限定することで巧みに精彩を極めたと思います。ルネ・マグリットのような「遊びごごろのあるエウレカ」といった雰囲気で、とても愉しい。

2020-02-11

春が来たらしい





2020年最初の、全裸の人を目撃した。

うわあ、とびっくりし、そそくさと通りすぎてから、あの手の人はいくらでもいるのに、どうして出くわすたび慌ててしまうのだろうと自らに対する疑問が湧く。

で、そのまま割り切れない気持ちで近所の道を歩いていたら、今度は知り合いの男の子(中学生)に呼び止められた。
「こんにちは」
「こんにちは」
「あの、僕ってバンドやってるじゃないですか」
「うん」
「ちょっとだけ、新しい歌を聴いてもらえませんか」
わたしが「いいよ」と言うと、男の子は隣にいた女の子(彼女?)と手をつなぎあったままその場で歌い出した。するとにわかに女の子も歌い出し、さらに下校帰りの中学生がわらわらと集まって、道端でゲリラ・ラップが始まった。いよいよ春だな、と思う。

2020-02-09

それぞれのフランス





高遠弘美『物語 パリの歴史』は過不足のない、とてもスマートなパリ案内書。小見出しごとの情報量が適当で、ク・セ・ジュ文庫みたいな読みやすさがある。第一部が「パリの歴史をさぐる」、第二部が「それぞれのパリ わたしのパリ」となっていて、第二部には主要スポット&おすすめレストラン、道や川について、墓地ごとの永眠者リスト、開業年順によるパリの各駅紹介など、旅行ガイドとして役立つ情報が載っている。文章も美しく退屈させない。

この本を読みながら「思えばパリだけでなく、フランスも変わったなあ」と思い出にふけっていると、ちょうど夫が帰宅した。
「今日、職場の友達が『いまのフランス人って深刻なくらいデモしなくなった』って言ってたよ」と夫。
「うん」とわたし。
「ここ20年くらい、ぼろぼろだってさ」
「そうだね」
昔の資料があるかしらと本棚を漁る。すると2004年5月8日に開催されたル・モンド・ディプロマティーク創刊50周年の集会プログラムが出てきた。


このときは、フランスの政治集会の現状をこの目で確かめたくて出かけ、9時間ぶっ通しで観察したのだけど、まず衝撃だったのが会場ホールに7割弱しか人がおらず、空席が目立っていたこと(他の衝撃については割愛)。正直わたしはイラク戦争の直後だったこともあり、この登壇者の顔ぶれならきっと満席だろうなと思っていたので、え、うそでしょ?と驚いてしまったのだった。

2020-02-07

モザイク硝子のこと



ムラーノ島にあるガラス美術館の、モザイク技術に関するあれこれ。モザイク画の作り方はお線香みたいな硝子の棒を図案通りに組み、焼き上がったものを数ミリの厚さに切断し、断面を見せつつアクセサリーやガラス器用に熔着させてゆく。


お線香みたいなガラスの棒。


モザイクの図案。


焼き上がりサンプル1


焼き上がりサンプル2


焼き上がりサンプル3


展示室は小さい。

2020-02-06

初めにしずくがあった (In principio era la goccia)



硝子を見たくてムラーノ島に行くと、偶然にもリヴィオ・セグーゾの大回顧展「初めにしずくがあった」が開催されていた。もうね、好みのど真ん中。「光」は射抜かれて危うく死ぬところだった。ガラスと空気と光って、なんて相性がいいのでしょう。


創世記(Genesi)


魔法の瞬間(Momento Magico)


戯れ(Il gioco)


光(La luce)


複数の構成(Composizione multipla)


会場の様子。


書籍もかわいい。

2020-02-04

Tフォンダコ・デイ・テデスキの床





ヴェネチアのデパート「Tフォンダコ・デイ・テデスキ」がものすごく古い建物だったので調べてみると、1228年に建てられた(1505年に火災部分を修繕)ドイツ人商館をそのまま使っていた。地階の床をみると回廊は新しく、中庭は古いままである。ヴェネチアは町全体が世界遺産のため建物を壊すことができず、修繕の仕方にも制約があるらしい。改修を手がけたのはレム・コールハース/OMA。


新しい床。


古い床。


二つの床をつないだ部分。

2020-02-03

読み書きのできるわたし





わたしは、自分が日本語を読み書きしているといういまの状態を、こんなに長いあいだ生きてきても当たり前だとは全然思えないんですよね。それどころかほぼ毎日、自分が読み書きしていることに感動して、義務教育に感謝しているくらいで。

人生を思い返すと、義務教育が存在しなければ、いまみたいに文字を扱えるようには絶対にならなかった。また浮世におけるもろもろの困難に見舞われたときも、文字が読めたから乗り越えられたと信じているんです。

と書いてふと思ったんですが、わたしが近年まで俳句に興味がなかったのって、中学生のとき山口誓子の〈学問のさびしさに堪へ炭をつぐ〉という句を国語便覧で読んで「はあ?」とショックを受けた体験(これ前にも書いた話でした)が尾を引いていたような気がします。当時のわたしには学問できる境遇にいながら「さびしい」と歌ってしまえる不用意さが信じられなかったし、知識人がこんなナイーヴな句を書く(しかも便覧に掲載される)なんてたまんないな、と頭を抱えてしまったのでした。

そんなわけで(ってどんなわけだ?)、こんな風に日記を書いていても、読み書きできなかったかもしれない自分の姿がちらついて、ほんのちょっと切ない。そのくらいわたしは、自分が文字を読み書きできる事実に、いまでも毎日心を驚かされているんです。

トナカイの翼よあれがドヤの灯だ  夜景

2020-02-01

反古をどう綴じるか





LEETERS第18回「物語と地平線」の後半に物語について思うところを書いたのですが、それに対してとある方が

物書(かき)て扇引(ひき)さく余波(なごり)哉  芭蕉

の句を返してくれて、あ、と思いました。確かにこの句は原義を超えたところで、書くことについてわたしの思い描く世界を代弁しています。

人生というのは根本的に反古ですが、この反古をどういった糸(接続詞)で綴じるか、あるいは綴じないままにしておくかというのはわたしの好きな主題らしく、たしか第14回「文と不死」の後半でもこの問題に触れた気がするので、もし暇だよって方がいたらお読みいただけると嬉しいです。

ところで以前、昔の日記では紙の表に日々の公然たるできごとを漢字で書き、その裏にあたる部分に補遺や和歌なんかを仮名で書いていたという話を聞いて、へえ、紙の裏表でふたつの世界を同時進行させるなんて面白いなあと思ったことがありました。つまりこれ、裏書部分が見せ消ちの反古になっているわけですよね。こうやって表と裏とに書き分けると、ものごとのつじつまを仮構したがる理性の狡智を回避したり、紙の表に滲み出ようとする裏の声を現象させたりできる。なかなか画期的な書記法だなと思います。