2019-03-31

春、君がために開く。



大西巨人の本で、ひさしぶりに亀井少琴の詩を読む。少琴は原采蘋と同じ年。父親同士(亀井昭陽・原古処)が親友だったせいで、二人は幼馴染として育っています。

扶桑第一梅 扶桑 第一の梅
今夜為君開 今夜 君がために開く
欲識花真意 花の真意を識(し)らんと欲せば
三更踏月来 三更 月を踏んで来たれ

少琴16歳にして、のちの夫となる三苫源吾(雷首)に送った誘いの詩。すごいなあ。扶桑は日本のこと。三更は午後11時または午前0時からの2時間。この詩、杜甫「客至」の前半4句を連想させます。

舎南舎北皆春水
但見群鷗日日来
花径不曽縁客掃
蓬門今始為君開

南も北も 家のまわりは
春の湧き水でいっぱいだ
眺めれば かもめたちが 
日々その水にやってくる
これまで 花の小道を  
客のために掃いたことはなく
いまはじめて 粗末な門を   
あなたのためにひらいている

2019-03-30

抽斗堂 no.18 大きな押し葉





抽斗堂no.18は大きな押し葉。近所の街路樹です。わあ、栞にしよう!と拾ったのですが、大きすぎて単行本をはみ出しました。

それにしてもなんの木だろう。さいきん植わったばかりで、まだ花を見ていないんですよ。変な葉っぱのかたち。うまく画像検索にのらなくて、わからないまま。

(4月9日追記 わかりました! 答えはこちら

限りなく透明に近い空気





アパートを出ると、街路がいい感じになっていた。


今週の「土曜日の読書」はジャック・ルーボー『誘拐されたオルタンス』から虚構の肌ざわりについて。文末にリンクを貼ったルーボーさんの紹介記事はすごく書影が可愛いです。

ところで今回の記事は、先日ちょっと思うところができて書いてみたのですが、ぐったり疲れました。軽率だったなあ。もうやらない。比較とか、文化論じみた話とか、ほんと苦手。なんで苦手かというと、下のような理由です。

それはそうと、いま私がここに書いている話はただの枕で、まるで意味のないたわごとだと思ってもらえるとすごく嬉しい。というのも個人的体験、なかでも外国ネタは「絶対信用してはいけない」と断言したほうが無難なくらい話にバイアスがかかるものだからだ。人は平生、自分の知っている世界の外側の果てしなさを大変デリケートに感受しつつ生きているものだが、なぜか話題が外国ネタになると、いきなりその種の想像力が話す方にも聞く方にも欠落するシチュエーションが頻発する(いま私は「どこそこの国はこんなに意識が高い/低い」系の、よくある「文化的」ディスクールに想いを馳せつつ書いてます)。そういうの、ほんとに訳がわからない。いやもちろん、話す人あるいは聞く人に「他者を意味づけしたい欲望」がみなぎっているせいでそうなることは重々承知しているのだが、とにかく恥ずかしくて嫌だ。そういうわけでこの前書きも超ぞんざいに、ほんのささやかな体験としてどころかさらにそれ以下の扱いで、限りなく透明に近い空気くらいに思って眺めて下さい。

2019-03-28

抽斗堂 no.17 ナナメ切りの半券





抽斗堂no.17はナナメ切りの半券。チケットって、全部取っておいて綺麗にスクラップ保存する人もいるらしいですね。

ミシン目がナナメの入場券って、なんでもないようであまり見かけない。

2019-03-27

a cup of tea




先日の三鷹市下連雀にオープンしたRECOBOOKさんからいただいた画像。嬉しい。

川柳スープレックスに「喫茶江戸川柳、其ノ参」がアップされました。今月の話題はユーレイです。

百書店大賞の写真に『カモメの日の読書』の書影を発見。どこの本屋さんの推薦なのかしら。ありがとうございます。

昨年手にした句集で、なかなか感想がまとまらないものが2冊。無理にまとめようとせず、これからブログで気ままに引用してゆくことに決める。

一枚、絵葉書を書く。仙厓和尚レベルのイラストつきで。

2019-03-25

抽斗堂 no.16 素焼きの破片





抽斗堂no.16は素焼きの破片。上辺3cm、左辺2cm。風の強い日、誰もいない海岸から出土したものです。古代の遺跡じゃないかなって思ってます。

もみあげの風を古巣としてわれは  小津夜景

2019-03-24

抽斗堂 no.15 ヌメ革のキーホルダー




抽斗堂no.15はヌメ革のキーホルダー。1996年入手。お揃いの財布も購入して、そちらは23年間使っていますが、定期的に革のメンテをするくらいで、傷もつかず型も崩れず。

唖然とされたかもれないので少し言い訳しますと(気が小さい)、財布はもうひとつもっています。数年前、15年ぶりに帰省することになったとき、家人に「お願いだからその財布で帰省しないで。僕の立場がないから」と言われ、新しい財布を買ったのでした。でも日本にいるときとTPO上避けられないときのみ使用して、ふだんは不織布の巾着で保管しています。

なんというか、一緒に過ごしすぎて、いまの財布といつお別れすればよいのかわからなくなってしまったんですよね。こういうのは本当に難しい話です(キーホルダーの話は完全に頭から抜けている)。

2019-03-23

言葉の正しさ



今週の「土曜日の読書」は多和田葉子『カタコトのうわごと』から母語の外で俳句を書くことについて述べました。この本、エッセイ集ということになっていますが掌編も入っていて、それがすごく面白いです(著者は掌編じゃないよ!と言うかもですが)。

さて。俗に「言葉を正しく使う」というときの「正しさ」には、それが妥当である局面と、恐ろしく貧しい意味のときがあります。「正しさ」と言われるものが伝統という柔らかな衣をまとった権力にすぎないことは実に多く、その手のものの考え方と出くわすたびに私は「こんな黒くてごつい茶碗があるかいな!」「瓦職人がひねった茶碗が美味いんか!」と初めは度肝を抜いたであろう楽焼に強く思いを馳せるんですよ。まじで。

〈言葉を素材としたものづくり〉においては、その使い方にタブーはない。完全に自由。で、その自由を保持するためには反権力・反権威以外のスタンスはない。ブログのような場所で自分の主たる行動原理を述べたりはしないけど(野暮を通り越して滑稽だから)、小さなことを書くなら(言葉についての)所属を持たないとかそういうことね。それにしても今日はいい天気だ。

タイプミスだらけの世界を創った風光る
小津夜景

2019-03-22

すっきりとぼんやりのアウフヘーベン



©Yoko Arimoto, via Lmaga.jp


田中裕明の句に感じる音楽と沈黙は、有元利夫の絵のそれにちょっと似ている。

日脚伸ぶ重い元素と軽い元素  田中裕明

この句からは有元の「室内楽」を思い出す。リコーダーの似合う代赭色の室内で、ピタゴラス派よろしく音の元素とたわむれる情景などを。

もちろん掲句から、裕明が働いていた村田製作所の実験室を思い浮かべてもかまいません。ただこの人にはかなり独特な写生フィルターが存在していて、何を詠んでも彼らしく濾過される。で、その結果書かれたものの一部に有元との重なりがあるなと思ったわけです。ちなみに、二人に重なると私が思うのはこんなところ。

A.簡素で典雅。
B.音楽に溢れつつ寡黙。
C.柔らかな恍惚。
D.堂々たる風格の軽さ。
E.奥ゆかしくも奇抜。
F.〈現在〉の剥落。
G.素材の並列(素材間に関連がない)。
H.時間の久しさ。
I.西洋への東洋の注入
J.古典愛好。

まだあるけれど、いつかまた気が向いたら書きます。ちなみに「素材の並列」に有元が非常にこだわっていたことは有名ですが、これが裕明の特徴でもある話は四ッ谷龍『田中裕明の思い出』に出てきます。「西洋への東洋の注入」も同様。

さしあたり以上をまとめますと、この2人は鑑賞者を澄明な「感覚」にしつつ、同時にその「意識」をあいまいな、反自明性・反合理性へと導いてゆくというわけでした。すっきりとぼんやりのアウフヘーベン。で、その先にある楽園。

●関連 田中裕明とお酒

2019-03-21

抽斗堂 no.14 深藍色のシーグラス





抽斗堂no.14は深藍色のシーグラス。海辺に落ちていたガラス片です。風化して丸みを帯びました。

試しにグーグルで画像検索してみると、やはり世間のシーグラスはどれも曇り硝子のような風合いで美しく、このような粉をまぶした草餅っぽいものは見当たらなかった。が、これだって陽にかざせば内部がほんのり光るのでした。

しろながすくぢら硝子のしらほねら  小津夜景

2019-03-19

抽斗堂 no.13 紫色の菓子箱





抽斗堂no.13は紫色の菓子箱。幅の細い単行本くらいの大きさ。中には単語カードが入っています。もう長いこと一緒にいるので、骨董みたいに古びてしまいました。

風化というのはとりもなおさずものが時間に覆われることだと思う。時間に覆われることによって、そのものの在り方は余計強くなる。時間に耐えて、風化して、それでも「そこに在る」というものは、ピカピカの出来たてとは比べものにならないくらいの存在感というか、リアリティーを持っているように思えるのです。(有元利夫『絵を描く楽しさ』)

2019-03-18

広々としたさようなら



「江戸職人歌合」の二十番、屋根葺VS左官の対戦が渋い。

○屋根葺
月影の洩るるばかりに板屋根の軒端を少し葺き残さばや
○左官
中塗りに闇を残して屋根裏の漆喰白き秋の夜の月

軒端に空(くう)をこしらえたり、壁中に闇を閉じ込めたり。職人というのは風流ですね。屋根職人をもうひとつ。

行く雁を屋根で見送る別れかな
檜皮司「職人尽発句合」

とても広々としたさようなら。檜皮司と言うからには屋根もさぞ立派なのでしょう。

職業を添えるだけで作品の見え方が変わるのが面白い。今後もこの手の歌句を拾ってみるつもり(本当に気が向いた時だけ)。

2019-03-17

抽斗堂 no.12 千切りの紙





抽斗堂no.12は千切りの紙。ペーパークッションというのでしょうか。みかんくらいの大きさ。鳥の巣みたいでたまりません。

鳥の巣みたいな髪型も大好き。素敵なシニョンの人がいるとうっとり見惚れてしまいます。

鳥の巣に対する偏愛は幼少の頃からで、小学校に入ったころはベートーヴェンのぐちゃぐちゃヘアに夢中でした。雛鳥になってあの中に棲みたかったな。池田満寿夫と楳図かずおもいいですね。ものすごく。

そういえば、私は髪の毛だけじゃなく散らかった部屋にも心が躍るのですが、これもまた〈巣コンプレックス〉の一種なのかもしれないと、たったいま思いました。

2019-03-16

あなたまかせ読書術



今週の「土曜日の読書」はイザベラ・バード『日本奥地紀行』から自分というものの最果てについて書きました。

14、5の頃にもらった本はあれ以外にも色々あって、唯物論から神秘主義まで硬柔・左右と幅広かったです。なかでも強烈だったのが担任からプレゼントされたコバルト文庫(タイトル失念)。主人公の女の子が7人の青年と同時に付き合っちゃうという頭に毒の回ったストーリーでした。なにゆえあんなものをくれたのか。あと化学の先生が中村天風をいきなり10冊も持ってきて、いや、それはさすがに違うだろうと困ったこともありました。

ところでウラハイに原稿を出してから気づいたのですが、今回の文章はさいきん須藤岳史さんがアパルトマンに寄せた読書をめぐる断想と対照的な内容のようです。

ふと気になって、日向ぼっこをしながら今までに読んだ本の冊数をざっと勘定してみた。
5〜25歳までは1日平均2冊として14400冊、25〜35歳までは1日平均1冊として3600冊、過去5年は2日で1冊平均として900冊。合わせてもわずか18900冊、仕事や勉強のために部分読みをした本を合わせてみても2万冊を超える程度だろう。(…)

自分が見つけた(と少なくても思い込んでいる)ものにしか、人は強い関心を抱かない。
だから若くてエネルギーも時間もある頃は「人の選んだ全集なんか死んでも読むもんか!」と思うかもしれないし、それは自分もそうだったのでよくわかる。しかし、賢い人はいいとこ取りをする。

この引用の後半。自分というものがぼんやりとして、あなたまかせの読書をしてきた身にはすごく新鮮です。そしてまた、私にとって最も幸福な読書とは「好きな人が読んできた本を、教えてもらって自分も読む」ことだな、と改めて思いました。

2019-03-15

眠る青柳




先日書いた『みだれ髪』の番外編。ロビン・ギル『古狂歌 ご笑納ください』から春の柳歌を。

つくろわぬ神代の儘の春にあれば柳も髪は結ばざるらん
琴樹園二喜

うーん春だなあ。うきうき。琴樹園二喜は武隈庵双樹(たけくまあん・ふたき、?-1843)の別号。編著に「午年春(うまどしのはる)」「狂歌画友集」などがあります。

青柳の眠る中より飛び出でて夢のゆくへと登る雲雀か
白紙堂好成

この人は何者かわかりませんが、白紙堂という号がわたくし好み。〈眠る青柳〉という想像も悪くないですね。

2019-03-13

抽斗堂 no.11 アップリケ用のまち針





抽斗堂no.11はアップリケ用まち針。長さ2,3cmしかありません。これ、シャツを買ったら、布にくっついてたんです。

発見したときはびっくり。ふつう新品のシャツって、型が崩れないようプラスチックのクリップやシルクピンなどで固定されていますけれど、シルクピンでなくアップリケ用まち針というのは初めてだったから。しかも3本も(歓喜)。

頭が雫のかたち。淡水パールみたい。

2019-03-12

春の夜の道具たち




お伽草子『調度歌合』を読む。

貴人の屋敷に仕えている主人公が、貴人の留守の夜にぐっすり眠ってていて、ふと物音に目ざめると、室内の調度品がわいわい歌合をしていました、という変な物語です。登場する調度品は、灯台・炭櫃・台の竿・屏風・高坏・茶臼・机・脇息・銚子・水瓶・碁盤・長持・伏籠・塵取・杉櫃・葛籠・下沓・裏無し・大壺(おまる)・御樋台(おまるを使用する際の足乗せ台)の20種。この20種が屋敷の中でもっとも学のある道具類(おまるが!)らしく、春の夜の退屈しのぎに恋の歌合をしていたのでした。
一番 恋
左  とうだい(ともしびの台)
知らせばや来る宵ごとにともしびの明石の浦に燃えわたるとも

右  すびつ(炭火鉢)
埋火の下に焦がるる甲斐もなく塵灰とのみ立つ浮名かな

こんな風に、道具がじぶんのことを詠み込みながら戦うんです。風流すぎて笑えます。ちなみに上の対戦は、柿本人麻呂の歌〈ともしびの明石大門(あかしおほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず〉を詠み込んだ左のとうだいが勝ちました。夜が明けて、道具が静まり返ったところで主人公も一首。

鶯も蛙も歌を詠むなれば声なきものの声もありけり

こちらは古今和歌集序「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」のもじり。歌合の様子はこちらで全首読めます。三浦億人氏の解説付き。

2019-03-11

抽斗堂 no.10 軽量カップの把手





抽斗堂no.10は軽量カップの把手。取れてしまったんです。金属用ボンドで修繕してみたものの、またすぐに取れてしまいました。

ちょっとした休憩の時などに、つくづく眺めたり、そもそも道具ってなんだろうと考えたり、一人遊びするのにちょうどいいブツです。

2019-03-09

苔と恋 おまけ



先日「苔と恋」について書きましたが、もういっこ苔の歌を。

びろうどの布団と見えてもえきなる苔を筵と誰か言ひけむ
石田未得

石田未得(1587-1669)は俳人・狂歌師・江戸日本橋の両替商。松永貞徳の門人です。びろうどの布団、という表現がツボります。

この人の『吾吟我集』は、ごぎんわがしゅう、つまり「古今和歌集」のパロディ本です。狂歌史上初の家集でもあり、部立ては四季、賀、恋、世話、雑、廻文。吉岡生夫氏のブログから少し引用します。

めにみえぬ物ともいはし草木のうこくは風のかたちならすや
ふくろふの声よりほほんほんのりと月の桂の木すゑ明けゆく
夕がほの花に扇をあてぬるはたそがれ時の垣のぞきかな
かれ木さへ花さくちかひあるなれば観音草の秋は尤も
いつまでかせんなき恋を信濃なるあさま夕さま燃ゆる思ひそ

4首目の〈尤も〉がいいなあ。花図鑑によると、観音草(吉祥草)は常には花をつけず、吉事がある時にのみ花がひらくとの俗信があったようです。

抽斗堂 no.9 狂った目覚まし時計





抽斗堂no.9は狂った目覚まし時計。非常に小さく、電池は単5です。今週の「土曜日の読書」はアイザック・ウォルトン『釣魚大全』から瞑想について書いたのですが、その冒頭にこの時計と出会った経緯が出てきます。

購入して半年くらいは、居間のあちこちに狂った目覚まし時計を飾って生活していたんです。でもあるとき夫に「あのさあ、これ全部、僕の見えないところにやってくれない? 頭が混乱して生活しづらいんだけど」と切り出され、あ、そうなのか……と恐縮して抽斗の中にしまった。切ない思い出です。

『釣魚大全』に戻ると、初版本の表紙には「使徒ペテロは、私は漁に行くと言った。彼らは、私たちも一緒に行こうと答えた(ヨハネ福音書第23章3節)」という引用がありまして、ここにもまた釣魚に対する口撃と戦うウォルトンの強い意志が現れています。ちなみに序文はこんな感じ。本文のような素朴さは皆無です。

この本を書くにあたって、わたしは釣魚の楽しみを、自分の人生の快楽だと考え、そのうえで、読者諸氏が退屈したりすることのないような配慮をしております。そのほとんどは、無邪気で無害な遊戯とおなじことなので、もしそれを許しがたいと非難されるひとは、あまりに厳格で気むずかしい人格の持ち主というべきで、そういうひとは、公平に事物の善悪を判断できないのだ、というしかないでしょう。(…)わたしについていえば、自分がいつでも真面目になれる人間だということは、一般によく知られておりますので案じてはいないのですが、この著作は、ひとくちに申せば、わたしの気分の所産なのであります。(森秀人訳)

2019-03-08

抽斗堂 no.8 先の曲がったヒメフォーク





抽斗堂no.8は先の曲がったフォーク。工房アイザワ製。二先とも折れてしまったのを自分で修繕したら変な段折りになってしまい(画像をクリックするとわかります)、食べ物が刺さらなくなった。これ、トンカチで叩いたらどうにかなるのでしょうか。でもまた折れちゃいそうで怖い。結婚時の道具ゆえ、ずっと処分せずにとってあります。

2019-03-07

抽斗堂 no.7 燃料会社のキーホルダー





抽斗堂no.7は燃料会社のヴィンテージ・キーホルダー。どこかの古道具市にて1€で入手。レリーフになっている灯油配達人が古臭い。裏面のBLANZY-OUESTは会社名で、BARROISは土地の名です。

石油・灯油・ガソリン・燃料・オイル……と調べてゆくと、このモチーフの俳句は少なくないようでした。なかでも良いなあと思う春の句がこれ。

退屈なガソリンガール柳の芽   富安風生

2019-03-06

抽斗堂 no.6 陶器のスーパーマン





抽斗堂no.6は陶器のスーパーマン。ガレット・デ・ロワのフェーヴ(陶器の小さな人形)で、定規で測ってみたら全長3cmでした。

ガレット・デ・ロワはフランジパーヌ(カスタードクリームとアーモンドクリームの練り合わせ)が入った丸いパイ菓子で、内側にフェーヴが必ず一つ入っています。公現節(1月6日)に食べるのが習わしですが、フランスでは12月下旬から1月末まで売っています。とても美味しいパイなので、きっとみんな年に1回じゃ我慢できないのだと思う。そんなわけで我が家は年に5回ほど食べます。

RECOBOOK オープン





本屋巡りが趣味の方に朗報。3月9日、三鷹市下連雀にあるmitaka nova内にRECOBOOKがオープンします。ハンドドリップコーヒーのカフェCofee LABも併設です。

実は数日前、店主の淺野さんとお話していて「うちの店には来訪者が記入する〈オススメ本カード〉というのがあるのですが、小津さん、何かおすすめはありますか。もしあれば、当店で紹介しますので教えてください」とお尋ねいただき、すかさず『未明02』とイサク・ディネセン『アフリカの日々』との2冊をおすすめしました。そんなわけで、お近くの方でまだ『未明02』の現物をご覧になっていない方は、もうすぐこちらで手に取ることができます(もちろん『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』もあります)! 内容はもとより、外間隆史さんのアートディレクションがとても美しいので、ご覧いただけますと幸いです。

なお3月9日はイベントも開催。こちらに詳細およびRECOBOOKまでの地図アリ。

2019-03-05

抽斗堂 no.5 草のペン





抽斗堂no.5は草のペン。全長23,5cm。ゲルインク。素材はゴムで、握ると少しやわらかい。真ん中より先はふにゃふにゃ。

あるとき街中で、いきなりおしっこがしたくなり、お札を崩すために買ったものです(トイレに入るには小銭が必要)。で、おしっこをして、すっきりして、ペンの存在はすっかり忘れていました。

よし今日から使おう!と思い立ち、さっき初めてキャップをとって指の腹にいたずら書きしてみたら、極細の美しい線がすーっと引けた。思いがけず、良いペンだ。

抽斗堂 no.4 郵便局のキーホルダー




抽斗堂no.4は郵便局のキーホルダー。2000年、カルチェ・ラタンの郵便局で口座をつくったとき、封書で送られてきました。裏面には口座番号が彫られています。

同封の手紙には「このキーホルダーは鍵束にくっつけてね。もしうっかり鍵を紛失しても、発見した人が郵便ポストに投函しさえすればあなたの自宅に届きます」との説明。つまりそのために口座番号が彫られているわけです。私自身、道を歩いていてこのキーホルダーのついた落し物の鍵を見つけ、あ、と思って郵便ポストに投函したことがあります。

2019-03-04

苔と恋



ねのいらぬ恋路は苔のさまなれやかはらぬ色とみえてつめたい 
田谷飛鳶
世界ぢゆう雨降りしきる苔の恋
西原天気

苔と恋とを重ねる折にしばしば陥りがちの「苔のむすまで君を想う」的な重苦しさとは無縁の2作。上は苔のひんやりとした感触から、たわむれの恋のつれなさを連想した狂歌。結句の〈つめたい〉という語調がいいですね。下はとてつもなく宇宙交響楽的な俳句。この方は滞空時間の長い句が本当に多いです。ものの本によると苔の祖先は水中の緑藻類なのだそうで、それをを想うとさらに浮遊感覚が極まるのでした。

それから、恋という字は出てこないのに恋の気分になる佐藤佐太郎の苔歌。凛としているがゆえに、美人を眺める気分になるようです。

ひと色のしづけき青をたたへたる苔おほどかに庭をうづめぬ
佐藤佐太郎

2019-03-03

抽斗堂 no.3 砂浜の石





抽斗堂no.3は砂浜の石。抽斗埋蔵品の定番です。ドーヴィルにて採取。

これまでたくさんの素晴らしい石を拾っては捨て、また拾っては捨ててきました。そしていま抽斗の中には、なんの変哲もない、全知全能の観念から遠く離れた石だけが残っています。

石と向き合うと、向こうがいつも沈黙しているものだから、自分の心の声がよく聞こえます。

署名者は消え去った。しかし、かつて存在した別の奇蹟の証拠である輪郭のひとつひとつが、不滅の自筆としてのこる。
ロジェ・カイヨワ『石が書く』

2019-03-02

抽斗堂 no.2 ツボ押しの棒





抽斗堂no.2はツボ押しの棒。足の裏専用で、太い枝を削っています。ほら、枝の方が、まっすぐな棒よりも握りやすいじゃないですか。あと〈道具〉っぽくないのもいいですね。うーん、なんだろうこれ、みたいな。15年使用して、ここ5年ほどは抽斗の中だったんですけど、あらためてテーブルに置いて眺めてみると握る部分がずいぶん剥げていました。

世に鉛筆削りの好きな人というのがいますが、自分は鉛の感触がどうも苦手。いっぽう木を削る感触は、なんだか立派な匠になったような、とてもいい気持ちになります。

スチーム礼賛





今週の「土曜日の読書」ジョージ・ギッシング『ヘンリー・ライクロフトの私記』から悲しい幽霊について書きました。

今回は松岡光治編『ギッシングを通して見る後期ヴィクトリア朝の社会と文化』や『ギッシングの世界――全体像の解明をめざして』がネットで全文公開されていたので、基本情報を押さえるのが簡単でした。後者の第十六章「自己」は『ヘンリー・ライクロフトの私記』のファンは目を通すと楽しいかも、です。

それにしてもヴィクトリア朝の文学というのは面白いですよね。個人的には「文学」ではなくてあの時代の「言葉のリズム」といったほうがしっくりくるのですけれど、とにかく人類史における未曾有のダイナミズム期であることがひしひしと伝わってくるし、素晴らしい詩人もいっぱい。私は家にH.G.ウェルズの絵本があったことがきっかけでこの時代にはまったんです(コナン・ドイルは大人になるまで読んだことがなかった)。もう本当に好きで、大学の卒論もヴィクトリア朝のユートピア思想で書いたくらい萌え全開で生きていました。

写真はBABCOCK AND WILCOX製の発電装置。週刊俳句第563号の表紙に使用してもらったもの。ヴィクトリア朝に漂うオーラって、つまるところスチームなんだろうなと私は思っています。

2019-03-01

抽斗堂 no.1 PACAのピンバッヂ





ある日の真夜中、ぼーっと抽斗の中を眺めていて、なにゆえ抽斗の中というのはかくもどうでもよいものでいっぱいなのだろうと考えた。そしてなんとなく、そこに眠るどうでもよいものたちを、ナンバリングしてみたくなったのである。なお、どうでもよいというのは悪い意味とは限らない。宝物も混じる可能性があるゆえ、そこのところよろしくご注意ください。

で、no.1は、PACA(プロヴァンス・アルプ・コートダジュール)地域圏のピンバッヂ。この町に越してきてすぐ市役所から「ようこそわが町へ!」という封書が届いたんですよ。開けてみると、在仏外国人のための晩餐会の招待状と、このバッヂが入っていました。この手の催しには行ったことがないので、どんな料理が出るのかはわかりません。図柄の左はアラゴン王の紋章、右上がドフィネのイルカ、そして右下がニースの鷲で、文化の違う三つの地域が一つになっていることを意味しています。