2021-12-19

海のみえる休日



数ヶ月前から来ているインド人の知人と夫が食事に行く。知人は明日インドに帰国するそうだ。夫が今日行ったお店の写真を見せてくれる。わたしは変なタイミングで病気になってしまったせいで、結局いちども会えなかった。ざんねん。今度会えるのは来年の秋だ。

2021-12-16

『カモメ』の3刷できました





佐藤智子『ぜんぶ残して湖へ』を手にとる。すごく素敵な装幀。

秋日和そっすね船に積む列車  佐藤智子

からーんと晴れた秋の日和に、港に佇んで、船に積まれた列車を眺めている二人。情報が盛りだくさんの句だけれど、そう感じさせないのは相槌「そっすね」が絶妙だから。いやほんと、「そっすね」の一語で句中に人間が二人いることを表現するなんて技が決まった感じだよね。しかもこのさりげない口調、高い空がますます高く感じられるような余白さえ生んでるし。

それはそうと、この句集、食物関係の句があんぐりするほど多い。なんなんだこれは?ってな勢いで、めくってもめくってもおんじき、なのだ。それから川柳の香りがする句が多いのも特徴だと思う。刊行されたばかりなのでたくさんは引用しないけれど、たとえば、

薫風やどこにもいかないねラーメン
おじいさんとわたしで食べるちいさな蕪
そつなくてせつない 雪のすこし在る
お祈りをしたですホットウイスキー
やわらかいタウンページと鱈の鍋

といったあたりは、小池正博『はじめまして現代川柳』に載っていても全然おかしくない。「どこにもいかないね」と「ラーメン」の強い恣意性。おじいさんとわたしが分け合う「蕪」に隠された小さな「無」(この句が本当に川柳だったら、つまり季語の要らないルールだったら〈おじいさんとわたしで食べるちいさな無〉と詠まれたのではないか?)。「そつなくてせつない」と「雪のすこし在る」とのあいだの空白=非言語が狙う効果。「お祈りをしたです」という発話の妙な力加減。また最後の「やわらかいタウンページ」と「鱈の鍋」の組み合わせにひそむ魔法も面白く、「やわらかいタウン」からは「優しい街」が連想され、それが「鱈→雪」と結びついて、愉しい鱈鍋とやわらかく街を包む夜の銀世界とを同時に感じさせる句になっている(あのタウンページがやわらかいってどういうこと? あ、もしかしてあれを敷物にして鱈鍋をやったってこと? そうだわ、この不思議な表現はきっとそこから生まれたのよ、汁なんかこぼれたりして、だからくったくたなのよ、といった現実派?の解釈もいちおう試みつつ)。

お知らせ。『カモメの日の読書』が3刷となりました。地味な本を応援してくださる版元、地道に売ってくださる書店、そして手にとってくださった読者に心から感謝申し上げます。

2021-12-15

修羅の見わたす風景





初めて『蒼海』を読み、作品の粒がそろっていることに驚く。装幀も可愛らしく、とても充実した読書だった。

映写技師老いて春日を操りぬ  高木小都

『蒼海』13号より。春日に触れて、かつての生業を思い出したのか、天の光を操っている老いた映写技師。像なき光という、意味をなさない物象を操る人間の姿。いったいどんな世界を眺めているのだろう。すばらしいドラマ性を感じさせる句だ。

ところで、一般的な「わたしたち」とは違う世界の見え方があることを忘れないのは、詩歌にとってかなり大事なことだと思う。

俳句というのは「見えるもの」に注意が向かいがちな文芸で、標準的な視力や認知力が前提とされた写生が褒められがちで、ああ、見えないよ、見えないよ、こんなにも見えない目にうつる世界を、わたしは見えないままに書いているよって人は、ほんとに、ぞっとするくらい、少ない。

見えないものを書くなどというと、すぐ観念的に捉えるひとがいるけれど、わたしが言いたいのはあくまでも物理的な次元の話。たとえば、人は目に涙をためるだけで、かんたんに何も見えなくなってしまう。甘い涙。つめたい涙。怒りの涙。そういった、涙をためた目に映る世界を写生していけないわけがないのだ。いやむしろ、ひとりの修羅の見わたす風景は、いつだって涙にゆすれている。

2021-12-14

私の好きな中公文庫





中央公論の連載コラム「私の好きな中公文庫」に寄稿しています。これ、書き出す前に、現在刊行されているリストというのを頂いたんですけど、記憶に残る本という本がことごとく絶版でびっくりしました。リストに目を通しながら、なんというか、知ってる町内だと思って歩きはじめたら、つぎつぎ知らない曲がり角があらわれて、いるはずの人たちも全員死んでいて、自分がどこにいるのかわからなくなって、途方に暮れ。

2021-12-05

休日の写真など





金曜の夜から症状が落ち着いている。日曜日は家人が外の写真を撮ってきてくれる。朝の海と、毎年恒例のサンタクロースと、かなり燃えてしまった夕日。

さいきんは頭がつかえないので、内容をよく知っている小説を読み直している。太宰治とか。太宰は読み返すたびに文章の上手さに感動する。端正なやつと、ぶっ壊れたやつとの落差にもじーんとする。一番、とか口にするのってばかみたいだけど、でも日本語が一番うまいと思う。ついでに森見登美彦『新釈 走れメロス』も読む。そして大いに身につまされる。


2021-11-22

生存報告系個人誌『九重』創刊。





佐藤りえさんの個人誌『九重』が届いた。この栄えある創刊号に連作「ぼくの伯父さん」とエッセイ「アパルトマン雑感」を寄稿しています。りえさんいつもありがとう(涙)。11/23の文学フリマ東京にてH2O企画さん〔ソ-01〜02〕委託で取扱いされるそうです。同時刊行の空想科学俳句集『ぺこぽこ宇宙(ユニバース)』もかわいいので、文フリに出かけるみなさん、どうぞ実物を見に行ってね。


このエッセイには「さいきん無気力だ」などと書いてあるのですが、原稿を出してゲラが上がってくるまでの間に病気が判明して、無気力どころではなくなってしまった。いまはめっちゃぎらぎらしてる。目が。肉体の痛みと戦っているせいで、気力がめらめらと燃え盛っているらしい。早く手術したいのだけど主治医が「腕のいいスペシャリストにやってもらった方がいい」とわざわざ別の医者に回してくれて、いまは順番待ちの状態。命に別状のない病気で、待っている間は投薬治療でしのぐしかなく、寝たきり。

2021-11-11

言葉と恋と肉体



さいきんは朝起きると「あ。今日ブログ書けるかも」と思うのですが、歯を磨いたり顔を洗ったりしているうちに無理になってすぐ横になる、といった日々です。

横になってじっとしているといろんなことを思い出します。「どうして自分はこのような人間になったのか?」といった問いにまつわるいろいろなこと、をです。

とつぜんですけど、本の作者に会ってみたいと思ったことってありますか?

わたしはあります。

空海。菅原道真。小池純代。その人の書いた本が孤高であればあるほど会いたい欲求が高まる。あれってどうしてなんでしょう。会って楽しいことなどひとつも期待していない、むしろ本人はあらゆる意味でひどい人かもしれないと覚悟すらして、にもかかわらず会いたいのは。

わたしの場合、会いたいという気持ちの源はシンプルにいって恋です。わたしは小池純代さんにお会いしたことがあるのですが、会ってなお恋心は冷めず、むしろますます深まり、いまでは反故の一枚まで拾い集めて読みたいほどに。

そこに書かれた言葉が、壊れてしまう肉体から生じたものであるということが、せつなく愛おしい。そのせつなさと愛おしさを噛みしめたいのでしょうか。

* * *

冬泉さんがわたしの連作「オンフルールの海の歌」の全句に脇をつけてくれました。冬泉さんの書くものって学芸全般に通じている人のかもしだす豊かな華がありますよね。画像は羊我堂さん作。すごく上品で香水のラベルみたい。お読みいただけましたらとても嬉しいです。

蓮喰ひ人ねむるや櫂のない小舟
うつらうつろにうつるうつせみ

2021-10-29

モーレア島からの見舞い





今日あったうれしいこと。太平洋のまんなかに住む、自分にとって大切な知人から見舞いが届いたこと。モーレア島のラグーンとクロアジサシの写真です。

2021-10-28

悠々と紫煙で書いた詩が消えて





さっき少しだけ働き、メールを開くと、本の増刷の連絡が来ていた。わーいと思いつつ横になり『おくのほそ道』のページを15分ほどめくる。ベランダに目をやると、かささぎが手すりの上で尾をふっている。えらく大きなかささぎだ。

歌仙「蝶湧く画布」が満尾になった。捌きの冬泉さん曰く「式目的にはいろいろ問題のある一巻ですが、バッドチューニングでずれてる方がいい…と開き直ってます」とのこと。バッドチューニングはわたしのせいです、ごめんなさい。とはいえかなり良さげな短歌もちらほらみえるし、読みどころはあると思う。特に、

逆位置の月の雫を浴びながらカードをめくる天気予報士
たそがれの密告に振る香辛料(スパイス)は七つの海をわたる履歴書
静粛に!未来の国の鍵の音グラジオラスを通貨に替へて
おばしまに日傘まはして明石まで神籤が告げる恋の鳴滝
(ほとぼり)をさます秘伝の味噌糀あくび伏せたり紅の椀
悠々と紫煙で書いた詩が消えてコスモスを剪るぼくの伯父さん
かたちなき石を尋ねて花の旅 始発は向かふ東風の野原へ
(とひ)になる 蝶湧く画布を抱きかかへ隻手の声を聴く草朧

この辺りが短歌として好きです。歌仙全体はこちら。

蝶湧く画布の巻

◉初折表
(とひ)になる蝶湧く画布を抱きかかへ 夜景
隻手の声を聴く草朧 冬泉
砂山が笑ふラジオのチューニング 羊我堂
カードをめくる天気予報士 
逆位置の月の雫を浴びながら 
鹿棲む森の根の地図たどる 
◉初折裏
霧を編む阿修羅迦楼羅にいざなはれ 
非を認めない総統の歔欷 
たそがれの密告に振る香辛料(スパイス)は 
七つの海をわたる履歴書 
次のパンゲアの臍にて待ち合せ 
鼻高々としくじるパズル 
雪をんな抱けば夜汽車は虚空へ 
冬の月さす子の後ろ影 
静粛に!未来の国の鍵の音 
グラジオラスを通貨に替へて 
(ほとぼり)をさます秘伝の味噌糀 
あくび伏せたり紅の椀 
◉名残表
胸の戸を叩けばどつと溢れ出し 
神籤が告げる恋の鳴滝 
おばしまに日傘まはして明石まで 
ふたごの螺子をさがしあぐねて 
細胞とウィルスの熄まぬタランテラ 
アウトバーンに尾を引くライト 
きつねしかゐない故郷の祭笛 
愚かとふ徳はいづこに 
悠々と紫煙で書いた詩が消えて 
コスモスを剪るぼくの伯父さん 
月へ去る復員船に乗りそこね 
露の入江を孤島に仰ぐ 
◉名残裏
今年酒交はす合掌造りにて 
蝋燭ゆらぐまんだらの宵 
おくるみの中の寝息の柔らかさ 
雲の切手をしまふ抽斗 
かたちなき石を尋ねて花の旅 
始発は向かふ東風の野原へ 

起首2021年5月22日、満尾同年10月27日

2021-10-26

いまだ味わいつくしていないもの





週末から安静にしている。

今日は午後から夫が出かけたのでベッドから起き出し、棚の上にスマホを置いて立ったまま読書してみた。とりあえずどこも痛くない。どのくらい動いても大丈夫かあれこれ試してみたいけど、明日zoomで打ち合わせがあるので軽率な行動はぐっと慎む。読んだのは『とはずがたり』。川上未映子を想起させる。

ふだんゲームをしない友達からラインライダーをやってみたとのメールが届く。むずかしい、どうしてもスピードが出ない、Matthew Buckleyはすごい!とのこと。また別の友達から、来年の春から働くかもしれないとのメール。この友達はわたしがパリに住んでいたころ、とある雑誌社の下請けを一緒にしていた仲間で、働く先はまたその雑誌関係らしい。

人の世に花鳥風月という趣味がある。あれは齢を重ねるにつれて花、鳥、風、月と興味の対象が移ってゆくらしい。わたしも長い間鳥が好きだったのが、いつからか風が胸にしみるようになっていた。わたしはいま鳥よりも風が親しい。そして見上げる月の奥深さはいまだ想像の向こうにある。

2021-10-21

マルグリット・ユレの宇宙音階



昨日はインドの知人から額装されたインドの宗教画をいただいた。昼食は夫と一緒にこしらえ、午後は一人で桑木野幸司『記憶術全史』を寝ながら読む。

読書の合間、寝ながらスマホを眺めていて、先月訪れたル・アーヴルのサン=ジョセフ教会のステンドグラスがすごくSFっぽいな、と思う。ここは空襲で壊滅したル・アーヴルの復興のシンボルとして、1957年オーギュスト・ペレによって建てられた鉄筋コンクリート教会で、絵画的要素が一切なく、シンプルでモダンなデザインが心地いい(とくに布張りの椅子の座り心地が最高)。ステンドグラスを製作したのはマルグリット・ユレ。彼女曰く、音楽のように言葉を使わずに色と幾何学的な線を演奏するだけで宗教を解釈することを目指したとのこと。たしかに宇宙の音階を感じます。


ウィキによるとマルグリット・ユレはフランス・ガラス工芸の巨匠で、世界初の鉄筋コンクリート教会といわれる1923年のノートルダム・デュ・ランシー教会でもペレと一緒に仕事をしていた。近くまで行くことがあれば寄ってみたいな。(下の画像はWikimedia Commonsより)


オーギュスト・ペレについての他の記事はこちら

2021-10-19

上機嫌で行こう





今朝の病院はつらかった。帰宅してソファにうずくまっていたら、夫が昼食を用意してくれた。食べながら手術の日どりを相談し、そのあとまたベッドに横たわり、ふと目覚めたら三時二分。三時からzoomで人と会う約束があったのであわてて起きた。いまは夕食後でまた横になっている。ごく簡単な判断ができないのでメールも溜まりっぱなし。医者は「脳にも影響が出ます」と言うのだけれど本当にそう。ふだんから頭の働きがにぶい方なので異変に気づくのが遅れてしまった。

今日あった楽しいことも書く。ベンガルから夫の知り合いがやってきたこと。二ヶ月間いるらしい。その方から地元のお菓子をいただいたこと。zoomで新しい知り合いができたこと。桑木野幸司『記憶術全史』を買ったこと。雑誌の新連載が決まったこと。どれも、かなりいいこと。上機嫌で行こう。

その白の孵化せるものを秋とよぶ

2021-10-16

シンプル、デリケート、ユーモラス。



午前中は体調をみながらいくつか用事をこなす。午後は明日しめきりのゲラを見直し、俳句と付句を5句ずつつくる。

そのあとはラインライダーで遊びながら他人の作品をチェックしていたのだけど、数多ある動画の中でMatthew Buckleyがつくづく最高だわと思った。

シンプルにしてデリケート、かつユーモラス。「月の光」と「ウィリアム・テル序曲」もいいけれど、とにかく疾走する「愛の夢第3番」が好き。速度のコントロールの絶妙さもさることながら、ラインのレイアウトに嘘みたいなエスプリがあって、これはもうラウル・デュフィを軽く超えている。軽やかな夢の軌跡を線で表現してみたらこうなりましたって感じ。


2021-10-13

巻き上がる感覚とケーキ





友人がソン・ガンホにはまっているという。『パラサイト』しか観たことがないせいか、その発言にいまひとつピンとこなかったので、良い機会だと思い『タクシー運転手 約束は海を越えて』と『グエムル-漢江の怪物-』を立て続けに観た。うーん、なるほど、たしかにいい。

で、そのままの、いいなって気分でアパートの扉をあけると、仏壇の線香の香りが廊下に充満していた。一瞬夢を見ているのかと疑ったが現実のようだった。懐かしい匂い。いろんなフレグランスがあるけれど、わたしが本当に好きなのはまさにこの、線香の香りかもしれない。

堀田季何句集『星貌』『人類の午後』刊行記念の連句が巻きあがる。連句が巻き上がったときの感覚って、ケーキが焼きあがったときのそれに似ていると思う。わかってくれる人いるかしら。もしいたら、なぜ似ているのかその理由をわたしに言葉で解き明かしてほしい。

歌仙 大海の巻

◎初折表
大海は大河拒まず鳥渡る 季何
貌さまざまにゆきあひの空 冬泉
はからずも月の館の窓開いて 羊我堂
グラスに草の花を挿す人 無鹿
山なみは色なき風を宿すらむ 伯美
砂の香りを掬ふ左手 岳史
◎初折裏
サーカスが黄ばんだ奇書のあひだから 夜景
驚愕噴水とまりつぱなし 胃齋
悪戯が過ぎてコーラスふと乱れ 
くるほしいほど撫でつける髪  
竈よりノンバイナリの猫出でて 
なきとよみゆく夢の通ひ路 
長き夜にドゥルーズ=ガタリ捲りつつ 
桂男のうつくしきうそ 
星眼の構へをさらふ牛蒡引き 
弥勒めざめるまでの泥濘 
悠久の蜜の揺らぎを花は秘め 
かひやぐら抜け先師に出逢ふ 
◎名残表
あらましの記憶に染まぬしやぼん玉 
私のゐない多元宇宙(マルチバース)へ 
巣に還るシュヴィッタースの音響詩 
「男も首相になれる?」と聞かれ 
ひ(め)みこを待ちくたびれる風の谷 
白無垢を着て(ヴェスティ・ラ・ジュッバ)笑はれに出よ 
天狼にタンブレッロを打ち鳴らし 
言語未成の雪の原喚ぶ 
マスターの十八番の虚数割り 
はらり残盃落人の里 
うばたまの冥王代に月きたる 
もの思はざる葦に見せばや 
◎名残裏
あつさりと自我を脱ぎ捨てそよぐ秋 
これより先は金の尾を曳き 
霾天の黎(くろ)き鏡にうつほびと 
開帳されたダビングビデオ 
あとかたもなき戸に花のふりしきり 
楽園までの道忘れ雪 

起首2021年9月12日、満尾同年10月12日

2021-10-12

人となるつもりが花は濡れたまま





ゆうべ食事の最中、夫の携帯に電話がかかってきた。こんな変な時間に誰だろうと思ったらわたしの主治医からで、電話の向こうで「あんたの奧さんを出せ」と言っている。おそるおそる代わると、数日前にやった血液検査の結果がひどいから、明日の朝、一般診療が始まる前にかならず診療室に来るようにとのことだった。

そんなわけで今日は朝から病院に行った。もっとまめに顔を出せと医者に叱られ、「具合悪くないの?」と訊いてくるので「ええと、別に…」と答えると呆れた顔をされ、その顔が悲しくて、帰宅してからもずっとしゅんとしていた。

窓の外を羊雲が群れをなしてぐんぐん進んでいる。大きくてエネルギッシュであれは羊というより牛だ。夫が淹れてくれたお茶を飲み、少しだけ働き、沈括『夢渓筆談』を拾い読みし、付句を整理する。

跡形もなき戸に花の降りしきり
人となるつもりが花は濡れたまま
しづかなり天狗は花をこぢあけて
巣に還るシュヴィッタースの音響詩

桂男のうつくしき嘘
はらり残盃落人の里
虹を闇討つ神々の角

2021-10-11

ひさしぶりの秋晴れ





日曜日はひさしぶりに海沿いを散歩し、その帰りしなパン屋に寄った。このパン屋はいま三代目で、もうすぐ創業100年の、うちの近所ではかなり古い方の商店だ。一代目は町内の市場で果物を売っていたそうでそのころの写真がこちら。


月曜日の早朝は公園に太極拳と棒術の練習にゆく。公園につくと白装束に身を包んだ2名の先客がいて、楊式太極拳を練習していた。しばらく見ていたら今度は楊式36式扇をはじめた。かっこいい。話しかけたいなと思いつつ、結局せずじまい。もしもまた会う機会があったら話しかけてみよう。

棒術の練習をしていると仲間たちがやってきて、ベンチの上に置いておいたわたしの布鞄をみんなで勝手にひっくりかえしはじめた。写真家の入交佐妃さんに貰った、なんだかよくわからない動物のアップリケがリバーシブルで刺し子になった超個性的な鞄なのだ。どこに行っても「これあなたがつくったの?すごいね!」と賞賛されてしまうので、そのたびに「すみませんちがいます」と言わなければならない。

午後はスケザネさんと話す。個人的に聞いてみたいことがあったのに、本関係のあれこれを話しただけで1時間がすぎてしまった。

2021-10-08

スタニスワフ・レムの墓





蜂谷一人さん執筆の歳時記「キゴサーチ」、本日はわたしの〈そらりすの光を曲げてこすもすは〉が挙がっていて、『ソラリスの陽のもとに』の作者スタニスワフ・レムにかんするこんなエピソードが綴られていました。

閑話休題。知り合いの翻訳家の方が、ポーランドのレムの墓に詣でたことがありました。蠟燭や小石、菓子やマロニエの実がぎっしりと供えてあったそうです。その時のビデオを見せてもらったのですが、クロウタドリの声が木立にこだましていました。小石を供えるのはユダヤの習慣。菓子はレムが甘いもの好きだったから。彼のマロニエの実への執着は「高い城」に描かれています。

光景が目に浮かぶような文章。実際の墓が見たくなってGRAVESで検索してみたのがこちら。すごくかっこいい。お供え物が多いのも印象的。あと写真・ポーランド語翻訳・デザイン等を手がける芝田文乃さんのブログにも墓参記が。散策に良さそうです。

この歳時記、掲句の他にも〈あさがほのかたちで空を支へあふ〉〈あたたかなたぶららさなり雨のふる〉等が紹介されています。

2021-10-05

ド・ディオン=ブートン社製の三輪バイク



きのうは「締め切りがなくなって心の羽根がそよそよしてる」と日記に書いたあと『ロッキー』シリーズの練習シーンのつめあわせを鑑賞した。手にはグラス、ではなく、ダンベルを握りしめて。

『ロッキー』はもう何十回も見ているけれどいまだにストーリーがあやふやだ。映画でも本でも、大抵わたしは作品の意味を読むことなしに、ただその世界を眺めるか浴びるかしている。子供のころ世界とそうやってつきあっていたように。

そして寝て起きて今日は画像の整理をした。ジャン・ジエッタ(Jean Gilletta)の三輪バイクの写真を見つけたので、


なんとなく検索してみると、フランスのド・ディオン=ブートン社製のガソリン車と判明。同社は1883年設立の、世界で最初に自動車を製造した旧大手メーカーだ(この三輪バイクものちに四輪に改良された)。ガソリン車の前はスチーム車を造っていたらしい。この手のことを何ひとつ知らないわたしにはすごく新鮮な話である。モナコに自動車博物館があるので、ちょっと行ってみよう。

ジャン・ジエッタはルヴァンに生まれ、50年間にわたってコートダジュールの風景を撮り続け、その神話化に貢献した人物。ポストカード会社も設立したりと、ニースがリゾート地として成功したのは彼の功績だと言われている。下の自撮りは1900年撮影。

2021-10-04

ゆらゆらした一日





昨夜とある原稿をメールで送ったあと、いま自分がひとつも締め切りのない状態であることに気がついた。

そんなわけで、心の羽根がそよそよしてる(軽くて)。

白雲に心をのせてゆくらくら秋の海原思ひわたらむ/上田秋成

琵琶湖に遊んだ折の一首。「ゆくらくら」はゆくらゆくらの省略形で、ゆらゆらと揺れ動くさま。万葉集に、

大船のゆくらゆくらに思ひつつわが寝る夜らは数(よ)みも敢へぬかも

と結ぶ長歌があるそうで、秋成はこれを下敷きにしたのだろうとどこかの本に書いてあった。

2021-10-01

ハイクノミカタ連載終了





この一年間担当していたハイクノミカタの連載が終わりました。原稿というのは書いているときは何も思いつかず、出してから「あれを書いたらよかった」と着想が浮かぶもので、そのひとつに4月28日の記事に引いた、

ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟(こくりこ)われも雛罌粟/与謝野晶子

という歌の感想があります。これについてわたしは「愛と情熱を賛美的に描くのみならず、項羽と虞姫に自分たちを重ねていたのではないか」と書きまして、その想像自体は変わらないのですけれど、あのあと古今集に、

春日野はけふはな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり/よみ人しらず

という歌があるのに気づき、晶子はここから下の句の音像を採ったに違いないと思ったんですよね。ついでに言えば「野」「火」「男女の恋」「地名入り」「植物入り」といった点も作りが一緒。まあこういったことがいろいろありつつも、とりあえず終わった次第です。

2021-09-28

シュヴィッタースの音響詩とか



先日書いたフィリップ・ド・ゴベールの企画展の続き。パンフレットによると、ド・ゴベールが模型に傾倒したきっかけはクルト・シュヴィッタースのメルツ建築を見たことだったそうで、シュヴィッタースのアトリエ模型も展示されていました。


シュヴィッタースといえばメルト建築だけでなく音響詩も有名。わたしは今回はじめて1932年作のウルソナタ(ursonate)を聴いたんですが、作品としての完成度が高くてぶったまげました。頭抱えちゃうほど細部が調整されてます。目で見てよし、耳で聴いてよしのテキストです。


ほかにも有名な家がいろいろ。撮影可だったので遠慮せず撮りました。


1958年のブリュッセル万国博覧会のために建設されたアトミウム。


ヴィルジュイフの簡易式学校。ジャン・プルーヴェはいまでも人気ありますよね。最近鴨長明のヤドカリハウスについて書きましたけど、組立式住宅というのは好きな人はほんと好きなジャンル。


ル・コルビュジエのユニテ・ダビタシオン。いつだったか、マルセイユにあるこの住宅の内部を見学に行ったとき何室か売りに出ていましたが価格は4000万円でした。案外、買える人には買える値段。

2021-09-24

夕暮れの海





せっかく旅行に来たので、夕暮れの海を見に行く。空も海も浜もなにもかもが広大だった。


2021-09-23

再生の物語の発明





アンドレ・マルロー美術館でフィリップ・ド・ゴベールの企画展を観る。1944年の空爆で壊滅したル・アーヴルが建築家オーギュスト・ペレによって再建される様子を撮影した記録写真をもとに、その過程をミニチュア模型でゼロから追いかけ、大判プリント写真に収めて再統合した作品群。


砂、小石、小さな破片が装飾みたいに広がる世界。架空の現実の断片による、再生の物語がはじまる予感。


オーギュスト・ペレはコンクリートの父といわれる建築家。以前このブログに彼の話を書いたことがあった。


なんだかさみしいけれど、いまでもこんな雰囲気の街。


工業港特有の不穏で神秘的な雰囲気がフィルムノワールっぽい。ほのぐらい街灯、港に戻る船、路駐車、灯る窓など、わずかに人間の気配が感じられる。


舞台裏。背景の空は写真。


撮影のために製作した模型の展示。