2021-12-16

『カモメ』の3刷できました





佐藤智子『ぜんぶ残して湖へ』を手にとる。すごく素敵な装幀。

秋日和そっすね船に積む列車  佐藤智子

からーんと晴れた秋の日和に、港に佇んで、船に積まれた列車を眺めている二人。情報が盛りだくさんの句だけれど、そう感じさせないのは相槌「そっすね」が絶妙だから。いやほんと、「そっすね」の一語で句中に人間が二人いることを表現するなんて技が決まった感じだよね。しかもこのさりげない口調、高い空がますます高く感じられるような余白さえ生んでるし。

それはそうと、この句集、食物関係の句があんぐりするほど多い。なんなんだこれは?ってな勢いで、めくってもめくってもおんじき、なのだ。それから川柳の香りがする句が多いのも特徴だと思う。刊行されたばかりなのでたくさんは引用しないけれど、たとえば、

薫風やどこにもいかないねラーメン
おじいさんとわたしで食べるちいさな蕪
そつなくてせつない 雪のすこし在る
お祈りをしたですホットウイスキー
やわらかいタウンページと鱈の鍋

といったあたりは、小池正博『はじめまして現代川柳』に載っていても全然おかしくない。「どこにもいかないね」と「ラーメン」の強い恣意性。おじいさんとわたしが分け合う「蕪」に隠された小さな「無」(この句が本当に川柳だったら、つまり季語の要らないルールだったら〈おじいさんとわたしで食べるちいさな無〉と詠まれたのではないか?)。「そつなくてせつない」と「雪のすこし在る」とのあいだの空白=非言語が狙う効果。「お祈りをしたです」という発話の妙な力加減。また最後の「やわらかいタウンページ」と「鱈の鍋」の組み合わせにひそむ魔法も面白く、「やわらかいタウン」からは「優しい街」が連想され、それが「鱈→雪」と結びついて、愉しい鱈鍋とやわらかく街を包む夜の銀世界とを同時に感じさせる句になっている(あのタウンページがやわらかいってどういうこと? あ、もしかしてあれを敷物にして鱈鍋をやったってこと? そうだわ、この不思議な表現はきっとそこから生まれたのよ、汁なんかこぼれたりして、だからくったくたなのよ、といった現実派?の解釈もいちおう試みつつ)。

お知らせ。『カモメの日の読書』が3刷となりました。地味な本を応援してくださる版元、地道に売ってくださる書店、そして手にとってくださった読者に心から感謝申し上げます。