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2020-04-13

良き物語へ





昨日から朝ごはんもベランダで食べるようになったので、朝食と昼食と3度の休憩とで日に5回もベランダで時を過ごしている。このひとときが心から楽しい。

家人は遠隔授業やら研究やらでひっきりなしにzoomやskypeをしている。知り合いからは「画面に映らないように息をひそめているの大変でしょ」と言われるけれど、一間暮らしのプロなので全然そんなことはない。ベランダもあるし。

* * *

往復書簡「LETTERS」更新。第23回は「良き物語へ」です。須藤さん曰く「受け入れ、共存すること、危機の中で物語を紡ぎ、解いてゆくこと。そんなこんなの気分がなんとなく反映された書き物になっているかもしれません」とのこと。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

次の第24回が最後の手紙になります。もうそろそろ書き出さないといけません。それにしても楽しい連載でした。編集部からは「毎回、街や暮らしの話題を添えて」との提案だったので、ぼんやりとしか知らなかったニースの歴史も学んだし、写真を撮るようにもなったし、観光客のごったがえす場所にも行ったし。ただ最後の手紙を、まさか外出禁止下の状況で書くとは思わなかったです。

2020-03-28

情感のながれる時空





LETTERSでも触れたモンテヴェルディ「オルフェオ」は古拙と現代とが融合した、知的で控え目な舞台。照明の美しさが印象的で、オペラをよく知らない自分にも楽しめるものでした。

見所のひとつは舞台に浮かぶ、特殊なナイロン糸を使った手織り彫刻「エゴ」だと思います。このオペラは物語の展開に沿って「エゴ」が変形し、それによって情感の流れる時空を創出するという、きわめて今世紀ふうの流体力学系装置を唯一の大道具にしていまして、この変幻自在の布のおかげで「柔らかな悲劇」とでもいうべき、たっぷりのうつろいを含んだ独特の香りが漂っています。

また、きわめて演劇的(見世物的)であることが多い「オルフェオ」を、照明、大道具、衣装、ダンス、器楽、そして歌唱といった要素がシームレスになった有機的インスタレーションの方向へと転じてみせたところも感動的です。

踊りについては、どこに重心がかかっているのか一目でわかる彫刻的な振り付けで、ストッキング地の衣装は、キトンをベースにしたシンプルなデザイン。色も控え目で、ほぼ裸に見える群舞については、遠目にみるとあっと驚く山海塾です(思えば舞台の上にホログラフィのように浮かぶ「エゴ」というのも、ちょっとオリエンタルっぽい趣向かも)。

音楽については楽器と歌唱とのあいだの相互作用がわかりやすく、うっとりと心地よい。ほら、歌手が歌うと、楽師の合いの手が入りますよね、この合いの手が、絹に縫い付けたビーズみたいに装飾性豊かで、かつ官能的なのです。

2020-03-24

聞くことから始める





今日もアパートの階段を6往復しました。なんだかSFみたいな暮らしです。

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往復書簡「LETTERS」更新。第22回は「解きほぐしを支えるもの」です。太極拳のレッスン、気を「聞く」という表現、ただ世界に耳を傾け意識を自分の外に置くこと、織り合わせと解きほぐし、ベケットの『伴侶』、無限者の物語、などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

アイデンティティを保証する「私」ってふしぎなものですよね。「思う=思惟」と「在る=実在」との間のずれを「私」という名の「思惟の超越論的主体X」(カント)によって隠蔽してしまうようなやり方って、たぶんベケットは大嫌いだと思うんですよ。

カントは「もしも我々が自己に関する統一的表象をもつに及ばないのであれば、『私』を纒わぬ『X』は統一を欠いたさまざまな自己に陥るだろう」と書きましたが、ベケットは『伴侶』において、もはや統一的主体としての体裁を保つことのできない瀕死の老人を登場させ、この老人に備わるさまざまな能力に名前をつけて、それぞれ別の自己として扱ってみせました。で、ここで見事なのが、それらを統一を欠いたてんでばらばらの自己のままにはせず、「声の聞き手」として一つに繋いでみせたところです。

一切を「思う」ことからではなく「聞く」ことから始めてみるという、このなにげないことを、ここまで考え抜いて構造化した小説って見たことがありません。

マトリョーシカ分かちて終(つひ)に現はるる虚(うろ)をもたない小(ち)さき人形  松岡秀明

2020-03-15

声と文字





新型肺炎対策でいろんな施設が閉まったせいでみんなやることがないのだろう、海岸沿いが賑わっている。ジョギングをする人もいつもの倍はいてとても走りにくそうだ。ニースはイタリアまで車で30分かからない距離にあるのだし、もう少し自宅に籠っていてもいいと思うのだけれど。パリのニュースがまるで外国の出来事みたいだ。

* * *

往復書簡「LETTERS」更新。第21回は「間の呼吸」。朗読の間、呼吸を重ねること、響きの庭、バッハの受難曲、人の声を超えた声、楽器がもたらす情報、文字のイメェジと音、声と文字、ひらかれた問い、めざめた心、などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

今回の手紙に「声と文字とが線引きできない」という話が出てきます。しばしば学問では「文字の中の声」についてよく語られ、「声の中の文字」について語る人が少ないですけれど、わたしには「声の中の文字」の方が日常のリアルでして、例えば自分が(朗読も含めて)独り言をいうときというのは、音で絵(痕跡)を描くように音程を広くとり、標準語でも地方語でもない独自の訛りで、少しずつ円を描くように息を出すんです。場合によっては八卦掌みたいに、実際くるくる回りながら声を出してみたりもします。わたしにとって声を出すというのは虚空に描く書道のようなもので、また実際にも詩、書、画、武は「運動」として分かち難い。古代の演劇や、能楽などもまた然りではないでしょうか。あ、あと朗読のとき、言葉に感情を投影するのは好きではありません。なぜなら、そのときわたしは感情を伝えるためにではなく、言葉そのものを演じるために声を発しているからです。

2020-02-26

できうるかぎりなにもしない





今日はひさしぶりのお休み。目下できうるかぎりなにもしないように努力している最中です。これ、けっこうむずかしいんですよ。例えば今、わたしはソファに転がって床を眺めているのですが、そうすると床に落ちた髪の毛が気になって掃除機をかけたくなってくる。いつかけようかな…と思いながら眺める床はつらいものです。でもあと2時間はじっとしていたい。いや、するのだ。がんばろう。

往復書簡「LETTERS」更新。第20回は「どこまでもさまようために」。カルナヴァルの朝、初めての朗読、記号から声を見つけること、連句と即興、互いの声に耳を傾けること、軽い接続詞あるいは泡の花、などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

カルナヴァルの様子は検索すればいくらでも画像が出てくるので、人気のない広場の方が面白いかもと思い、記事にはそんな写真を添えました。

ヴェネチアのお祭りは新型コロナウィルスの影響で中止になったそうですが、ニースは例年と変わらず。街は今日も花泥棒というイベントですごい人出です。

2020-02-18

レターズ、みしみし、ユプシロン





往復書簡「LETTERS」更新。第19回は須藤岳史さんの「隠された接続詞」。声の語りと構造の隙、非言語的な起源の世界、言葉との出会い損ね、数字付き低音の空白、見えない接続詞、すべての芸術は音楽の状態を憧れる、ありのままの世界、などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

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『Υ』(ユプシロン)2号を読む。1号が届いたときはうすむらさき色の、高級コスメのパンフレットみたいな体裁を見て思わず顔を近づけてしまった(良い香りがしそうだった)のですが、香りはなかったので自分で香水をふって読みました。2号はうすあお色です。

ハンカチに十五番目の石包む  小林かんな
かなかなや他人の住んでいる生家  仲田陽子
鱶の海ロシアより荷の届きたる  仲田美子
鳥の巣に帰り大きく見える鳥  岡田由季

連句誌『みしみし』4号。下の流れが好きすぎました。

風力計も折れんばかりに  天気
欠航を告げられてゐる不倫行  真人
袖すり合ふも蛸壺の縁  りゑ
「韃靼人の巻」

自分の参加した流れでは、ここがお気に入り。

谷合ひの里しらじらと明け初めて  ぽぽな
脈の速さの雪はふりつむ  夜景
大鍋にぼるしちの湯気立ち昇り  苑を
「笹舟の巻」

三島ゆかり筆の浅沼璞『塗中録』評も面白かった。読み応えのありそうな句集です。

学歴もはらわたもなき鯉幟
竹夫人すこし年上かもしれぬ
耳鳴りもちあきなおみも冬隣
腕相撲してゐる影の腕うらゝ
近景の心音となる冬かもめ
浅沼璞『塗中録』

2020-02-01

反古をどう綴じるか





LEETERS第18回「物語と地平線」の後半に物語について思うところを書いたのですが、それに対してとある方が

物書(かき)て扇引(ひき)さく余波(なごり)哉  芭蕉

の句を返してくれて、あ、と思いました。確かにこの句は原義を超えたところで、書くことについてわたしの思い描く世界を代弁しています。

人生というのは根本的に反古ですが、この反古をどういった糸(接続詞)で綴じるか、あるいは綴じないままにしておくかというのはわたしの好きな主題らしく、たしか第14回「文と不死」の後半でもこの問題に触れた気がするので、もし暇だよって方がいたらお読みいただけると嬉しいです。

ところで以前、昔の日記では紙の表に日々の公然たるできごとを漢字で書き、その裏にあたる部分に補遺や和歌なんかを仮名で書いていたという話を聞いて、へえ、紙の裏表でふたつの世界を同時進行させるなんて面白いなあと思ったことがありました。つまりこれ、裏書部分が見せ消ちの反古になっているわけですよね。こうやって表と裏とに書き分けると、ものごとのつじつまを仮構したがる理性の狡智を回避したり、紙の表に滲み出ようとする裏の声を現象させたりできる。なかなか画期的な書記法だなと思います。

2020-01-24

春節、その光の渦





往復書簡「LETTERS」更新しました。第18回は「物語と地平線」。新年の大砲、ニースの灯籠まつり、はじめての論理的書物、物語の光と闇、接続詞が崩壊するとき、存在しないボタン、知と物語との共犯関係、世界を発見する地平線などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

折りよく本日25日は旧正月。フランス各地の灯籠まつりをfestival des lanternes franceで画像検索したところ、ニースのまつりはどうやら規模が小さめ。またイベント終了後は、行政が灯籠に使用された資材を丸ごと買い上げリサイクルするそうです。以下、記事にない写真をいくつか(こちらにもあります)。


背後に見える青山は万里の長城。


中国国宝の青銅器(盛酒器)。奥から鴟鴞尊(しきょうそん)、晋侯鳥尊、辟邪(へきじゃ)。


李白「月下独酌」。李白といえばこのポーズ。


会場の様子。この日はたいへんな冷え込みでした。

2020-01-11

朝日に遅れないように



溜まった写真をどうにかしたくて、インスタグラムのアカウントを取得しました。日々の暮らしの写真と、過去のあれこれを整理するつもりです。

往復書簡「LETTERS」更新。第17回は須藤岳史さんの「未来を読むこと」。大晦日の花火、物語を読むこと、あまたに存在する真実、まどろみの時間、太郎と次郎の雪、未来を読むこと、偶然生まれる差異、無限への亀裂、などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

今回の手紙にはミヒャエル・エンデの引用がありますが、わたしが子供のころ本気で読んだ児童文学者は佐藤さとる、山中恒、そしてエンデなので、おお!と嬉しかったです。

エンデとの出会いは9歳のときに『モモ』を図書館で借りたのが最初。読み終わるやいなや、この本は手元に置いておかねばと興奮し、母に今年のクリスマス・プレゼントにこの本がほしいと懇願しました。

ついでに書くと、山中恒は7歳のとき、病気で臥せっていたわたしの枕元で母が『なんだかへんて子』を一冊まるごと読んでくれたんです。いまアマゾンでたしかめたら171ページもある本でしたが胸に沁みました。ペーソスがあつて、『ぼくがぼくであること』『おれがあいつであいつがおれで』など他の本のタイトルもかっこいい。

佐藤さとるはわたしに文学のよろこびを教えてくれた人生でいちばん大切な作家です。7歳のとき『だれも知らない小さな国』を図書館で借りて、日中ずっと読んで、夕ごはんのあとも読んで、 それでも終わらなくて(200ページ以上あった)泣く泣く蒲団に入り、 翌日は5時に起きて残りを一気に読破しました。窓の外でどんどん昇ってゆく朝日に遅れないよう一生懸命ゴールを目指し、みごと読みきったときの気持ちはいまも忘れられません。一日の始まる明るい日差しと、物語の豊かな余韻と、長い道のりをたった一人で走りきった自信とに包まれながら、ああこれが文学というものなのか、とわたしは深く感動したのでした。

2019-11-29

蜃気楼と月




須藤岳史さんとの往復書簡「LETTERS」更新。第14回は「文(ふみ)と不死」。繋がることとその痕跡。ニースに引っ越した日のこと。惜字楼でお別れしたあなたの分身。追伸と明るい雨。手紙とごみ。竹取物語の秘密。そして蜃気楼。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

上の写真、海の向こうに見える陸地と建物はどちらも蜃気楼です。蜃気楼は時間帯によってリアルさが変わるので、もう少し眺めていたかったのですが、あまりにも寒くて10分ほどで退散しました。で、帰ってから蜃気楼の漢詩を読み比べ、李白「渡荊門送別」が私の見た風景にぴったりだなと思ったので引用します。

月下飛天鏡 月は下りて天鏡(てんきょう)飛び
雲生結海楼 雲は生じて海楼(かいろう)を結ぶ

意味は「月は傾き、天を鏡が飛んでいるみたい。雲は湧き、海に楼が建っているみたい」。ちなみにこの日の月はこんな感じ。空気がピュアで、とても痛そうだった。

2019-11-14

リクビダートル、あるいは別れを告げる日の丘へ



須藤岳史さんとの往復書簡「LETTERS」、最終回から1ヶ月でまさかの連載再開です。第13回は「日曜日の午後に軽い手紙を書こうとする試み」。秋の散策路、古い手紙、王様の耳はロバの耳、ラジオの夜、誤配送された手紙、一人の幅、私淑の系譜、日曜日の午後の軽い手紙を期待するということ、などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

* * *

佐藤りえ「リクビダートル」はチェルノブイリ事故のリクビダートルをテーマとした30句連作。持ち重りのする主題のときは、固有名詞は多くしたほうが連作の旨味がはっきりしてよいですが、この作品もまた詞書まで駆使して固有名詞をたっぷり使っているのが面白い。

ぼた餅もて別れを告げる日(プロヴォーディ)の丘へ
放射性廃棄物容器(キャニスター)込めばやオンカロの凍穴に
栗鼠かち割る木の実デーモンズコアならめ

現実にべったりと即きすぎて虚構性(作品としての自律性)が弱くなったり、あるいは逆に凡庸な観念の塔を建立したりといった、政治を扱うときに俳句が陥りがちな穴をうまく回避している、との印象を受けます。

ここから余談。観念の塔の最大の弱点といえばおおむねどれも似ているってことですけど、これ、もちろん箴言性や肉体性を有した観念を書ける人は別です。いますよね、たまにそういう人が。いつだったか知り合いが「岡井隆は観念の塔の名人で、塚本との最大の違いはそこかなと思うわ」と言ったことがあって、その時はなるほど!と唸りました。

2019-10-14

甘味とか渋味とか




裏手まで火の粉の香る惜字楼  夜景

●土曜日の読書「文字の泡」更新。引用は篠田桃紅『墨いろ』より。追記で書き散らしたあとの紙の話。昔、中国では文字の書かれた反故のことを「惜字紙」とよんで、反故専用の焼却炉で焼いていました。この焼却炉の名称は、惜字楼、惜字炉、惜字塔、焚字庫、字庫、焚紙楼、文風塔、文峰塔、敬聖亭、聖蹟亭、敬字亭などさまざまなヴァリエーションがあり、いずれも反故への愛惜が感じられます。

●4月から続いてきた往復書簡LETTERS、最終回「この地上で」更新(上はこちら、下はこちらです)。連載中は相手の言葉に付きすぎない返事を出すよう心がけていたので(「即き過ぎ」を避けるのは俳句の礼儀作法らしい。そう聞いてから、甘やかな文体の時でも、芯の部分でツンデレのツンを崩さないようにしている)、やりとりを終えて、いまはじめて須藤さんの言葉にぴったり寄り添った返答を心の中に思い描いています。もしもまた手紙を書くことがあれば、このぴったり寄り添った言葉から語り起こしてみたいと空想しつつ。

●山の上に自生していた写真のいちじく。熟れているのをもぎとってかじると渋味があって、おいしくは、なかった。

2019-09-17

ひかりにふれる白



往復書簡「LETTERS 古典と古楽をめぐる対話」は第11回「明るく、静かで、軽い舌」。サント・マルグリット島、ハワイの俳句、不滅へ近づけようとする意志、崎原風子、時間や空間に位置づけられない異界、失語・失律の飽くなき紆曲。上はこちら、下はこちらからお読みいただけます。

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八上桐子、牛隆佑、櫻井周太の三氏による、川柳と短歌と詩の「フクロウ会議」。first work 『蕪のなかの夜に』が発売中です。八上桐子さんが小津の一句を仕掛けにした変奏連作「はぐれる鳥」を書いて下さっています。

もえて燃えきってひかりにふれる白  八上桐子


2019-09-01

夏の思い出





思ひ寝を弔ふバニラアイスかな  夜景

往復書簡「LETTERS 古典と古楽をめぐる対話」は第10回「片隅と世界と」。飛行機で夜を乗り継ぐ、安部公房のリンゴ、永瀬清子の「あおい」、音楽の解放、スピノザの家、隠遁と自由、マルケスの秘密、楽器の記憶、片隅の灯台から世界へ。上はこちら、下はこちらからお読みいただけます。

須藤さん、この夏のヴァカンスは長かった様子。私はこの夏は連休がなくて、そのかわり日帰り旅行を3回しました。どの旅も楽しかったのですが、それよりもずっと素晴らしかった夏の思い出は、数日前に須藤さんから届いたグリーティング・フォト。外間隆史さんの姿が写っていたんですよ。とてもお元気そう。もう嬉しくて嬉しくて。

2019-08-15

存在の青い灰 閑話3




「LETTERS」のつづきです。手紙の本文は、上はこちら、下はこちらからどうぞ。

そんなこんなで今日、外を散歩していたら、花のような模様の門を見つけて、しばらくその影を眺めていたんです。で、ふと頭をもたげると、朝顔がこっちを見ていました。朝顔に見つめられたの、初めてかもしれない。

あさがほのかたちで空を支へあふ  夜景


2019-08-14

存在の青い灰 閑話2

 
「LETTERS」のつづきです。手紙の本文は、上はこちら、下はこちらからどうぞ。


朝がほや瑠璃の世界に人は今朝  酒井抱一

酒井抱一「四季花鳥図巻」の、まんまるの朝顔を添えて。銀泥の大きな月が優雅です。「朝がほ」の句については、抱一の俳諧を論じた文章で引用されているのを見たことがないので、なんだかいつも自分だけの宝物のような気持ちでいるんですよ。なんでだろ、これぞ彼でしょう、しかも佳句なのにへんなのって思いながら。


で、ですね、今回ひさしぶりに彼の肖像画を見ましたら、なんと脇息の色がインターナショナル・クライン・ブルーであることに気づきました。すごくないですか。こんな脇息、ないですよね。もう一つ書くと、朝顔の瑠璃と聞いて思い浮かぶのが、抱一の弟子・鈴木其一の描いた『朝顔図屏風』。とても素晴らしい瑠璃の世界です。

2019-08-13

存在の青い灰 閑話1



Yves Klein, Hiroshima (ANT 79) 1961
© The Estate of Yves Klein c/o ADAGP, Paris

往復書簡「LETTERS 古典と古楽をめぐる対話」更新。第9回は「存在の青い灰」です。ニース近現代美術館、イヴ・クラインと青、空無の創造、江戸時代の世界観、古池の秘密、酒井抱一と青。上はこちら、下はこちらからお読みいただけます。

上の作品はイヴ・クライン「ヒロシマ」。下は美術館を訪れた際に撮影したもの。


正面から。


屋上から(こちらも同時に撮影)。


イヴ・クライン「空気のロケット」。


イヴ・クライン「無題」(火の絵画シリーズ)。

2019-07-28

デュラスと慈圓




往復書簡「LETTERS 古典と古楽をめぐる対話」は第8回「時と道と」。ワイルドローズの香り、距離の感覚と時間の感覚、自らの内にありながらも言語の外にある何か、増殖する円環、慈圓の歌、繰り返しと一回性の喜び。上はこちら、下はこちらからお読みいただけます。

マルグリット・デュラスの引用について。昔、須藤さんとメールしていて、デュラスの使っていたインクの色名の話になりました。それをたまに思い出し、そのたびに検索してみるのですが、いまだにわかりません。というか、まずもって万年筆のメーカーがわからない。ウォーターマン?(←当てずっぽうに言う)


慈圓の引用について。去年イシス編集学校の講座に招かれたとき、須藤さんから〈野趣〉をテーマにした花籠が届きまして、そこに添えられていたのがこの和歌でした。しかもこの花籠、学校側が当日配布した資料の表紙とぴったりで、なにをどう推理したらこんなことが可能なのかと。それとも直感力なのかな。

夢殿やくらげの脚をくしけづる  夜景

2019-07-14

ひとつぶのたぶららさ・閑話4



「LETTERS」の風景です。手紙の本文は、上はこちら、下はこちらからどうぞ。


修道院を正面から。こんもりした植物の内側は緑廊(本文中に写真あり)になっています。


扉の鉄門。鉄を使ったオブジェというのはプロヴァンスの伝統なのだそうです。


昔の修道士の部屋。四畳半くらい。


ヨーゼフ・ボイスのオブジェめく寝台。


着古した修道服。縄はベルトがわりの腰紐で、左の布はケープ。この格好、ハロウィンの日はあちこちでみかけます。コスプレの王道です。

2019-07-13

ひとつぶのたぶららさ・閑話3



「LETTERS」の風景です。手紙の本文は、上はこちら、下はこちらからどうぞ。


マチス美術館の向かい側はオリーブの樹園。


シミエ修道院が見えてきました。


教会と修道院。


教会内部。朝早かったのでライトを灯して、修道士の卵たちが勉強していました。