2022-09-30

インド日記その13





今日は30日で、インドに来る前に仕上げた俳句の原稿の締め切り日だったのだが、どれどれとファイルの中から取り出してみたら、ぜんぜん仕上がっていなかったことがわかり、日中ずっと書き直していた。三日あればまるごと書き直したのだけれどいまさらどうしようもない。日が落ちてからは祝祭前夜の街をふらふらする。

コルカタって道を歩くのがとてもむずかしい。願わくは牛のように丁寧に扱われたい。

インド日記その12





29日。引き続き日中は安静に過ごす。夜は在コルカタフランス総領事のディディエ・タルパン氏の邸宅に招かれ食事。言葉の面でひさしぶりに気の休まる、ゆったりとした時間を過ごした。タルパン氏は総領事の他に指揮者の顔ももつ人で、食後はお茶を飲みながら彼が指揮したモーツァルトのアリアを聴く。ソプラノはまさかの幸田浩子さんだった。

コルカタは10月1日から始まるドゥルガー・プージャーの準備一色。夜のイルミネーションがすごい。街がまるごとパチンコ屋みたいなことになっている。

2022-09-28

インド日記その11





今日は昼すぎまで安静に過ごし、午後3時半に宿を出る。アビジット・ムカルジーさんとお茶の約束をしていたからだ。ムカルジーさんは三島由紀夫、川端康成、安部公房といった現代の古典から村上春樹や小川洋子までさまざまな本をベンガル語に翻訳している方で、たまたま人づてにつながっていることがわかって、今日お会いする運びになったのである。ベンガル人の目からみた村上春樹の世界やカズオ・イシグロと日本との関係といった、ふだん耳にしない新鮮な言葉を伺い、とても幸せな時間だった。

宿に戻ると、玄関に巨大なかたつむりがいた。すごかった。

2022-09-27

インド 日記その10





インドに来てから2度目の発熱。登山用のアンダーウェアにフリース素材のパジャマを重ね、その上にダウンベストを着て、さらにもう一枚ダウンジャケットを羽織って寝ていても寒気がおさまらない。おまけに一週間ほどまえから怪しかった喘息がいよいよ本格的に出てしまい、いつもより吸入の回数を増やしている。コルカタに慣れた体にはダージリンの宿は寒すぎた。

今日は一日中臥せっていて書くことがないのでダージリンで観たボクシングの試合の写真を貼る。西ベンガルの少年少女たちの試合で、三日間昼夜通して開催されていた。

2022-09-26

インド日記その9





週刊俳句第805号に表紙写真と小文「ジャダフプール大学」を寄稿しています。この大学について知っていることを少しだけ書きました。

25日も雲でカンチェンジュンガは見えず。朝10時、知人の親戚の車で宿を発つ。グーム僧院などいくつか寺院を回り、茶畑や湖などで遊びつつ、ネパール国境を12キロほど観光するうちにすごい雨になる。ときおり国境の縁にならび、インド側を向いて野菜を売っているネパールの女性や少女と出会う。上の画像、中央奥の青い建物は検問所。「お、検問所だ」と思い、近づいて撮影していたら軍人に呼び止められ、写真を消すように命令される。

夜8時、シリグリ駅から夜行列車に乗り、翌日朝6時にコルカタに戻る。昼食は夫の研究仲間に招待されてピーター・キャットへ。先方は夫妻と息子の3人。息子はアメリカに住んでいたころ生まれたんですよと言われ、ベンガル系の小説家ジュンパ・ラヒリの話を少しする。

2022-09-24

インド日記その8





24日朝は晴れ。いそいで宿の窓を開けるが視界は雲ばかり。朝食後は休憩をはさみつつ観光名所をまわる。わたしは観光地の、人がうじゃうじゃと揉み合う縁日みたいな雰囲気が大好き。ヒマラヤ登山学校博物館でテンジン・ノルゲイが実際に使った登山道具やお墓をゆっくり見たのが一番たのしかった。


こういった感じの写真、バックパッカー等の旅行記で今までなんども目にしてきたけれど、まさか観光地のどまんなかの光景だとは自分が行ってみるまで予想もしなかったな(もっとすごい辺境の交易地だと思ってた)。


これも道沿いにつづくマーケットから眺めた風景。


雲。雲。雲。結局カンチェンジュンガは一度も目の前に現れなかった。

2022-09-23

インド日記その7





22日夜、コルカタ発の寝台列車に乗る。ダージリンに行くためだ。写真はコルカタのシアルダー駅構内。足を踏み入れた瞬間、商店街かと思った。


10時間後の23日朝、シリグリ駅に着く。知人の親戚が駅で出迎えてくれ、そこから4時間かけて車でわたしたちをダージリンまで運んでくれた。ダージリンは山の上。途中、休憩のために茶店に入ったらネパール人に間違えられて嬉しくなる。テラスに陣取り谷を見下ろす。


こんなヘアピンカーブを登ってゆく。今回、ダージリンへは当初飛行機で行くつもりで、チケットもホテルも予約を済ませていた。しかしそれをインドの知人に伝えると「飛行場からダージリンまでは道が悪い上に遠すぎておすすめできない。寝台列車の方が楽。ホテルもカンチェンジュンガがよく見えるところを予約してあげる」という。値段をきいたらどちらも安くなるのでありがたく立て替えておいてもらうことに。一方シリグリからの車は、旅行に来てから知り合いになった若者がたまたまダージリン県の出身で、親戚に頼んでくれたのである。しかもわたしたちが間違わずに寝台列車に乗れるように、シアルダー駅のプラットフォームまで送ってくれたりもして。なんて親切なのだろう。


ホテルに着く。古いからか改装中(クリックすると拡大します)だった。


フォトジェニック。徘徊するのによさそう。


ここが入り口。


部屋のドアの鍵が錠前。掌からはみ出るほど大きい。

インド日記その6





インド日記その4でふれた大学前の通りはこんな雰囲気。「徐行運転。この先大学」の標識。


大学の門の真向かいにある茶店。


門の内側から茶店を眺める。


宿への帰り道。

2022-09-22

インド日記その5





21日の昼食は青唐辛子と鯉のカレー、ダール、ライス。昼間は原稿を書いたり宿の庭で遊んだり。日が落ちたらチャイナタウンへ。チャイナタウンといってもインド人ばかりで中華系の人は見かけない。『地球の歩き方』によるとチャイナタウンの中国人は台湾に移住してしまっているらしい。


22日は晴れなので、道端の果物屋さんで朝ごはんを食べる。ヤシの実ジュースとざくろとバナナ。幸せを感じたのもつかのま、太陽のせいで具合が悪くなり昼まで臥せってしまった。これを書いている今もしんどい。これまで行った国の中ではインドがいちばん過ごしやすいと思っていたけれど、それは日が傾いてから行動しているせいであって、9月の朝といえども太陽は容赦なかった。

2022-09-21

インド日記その4





21日の朝食はジャガイモのカレー、プーリー、チャイ。食後は句集の装幀の打ち合わせ。そのあと軽く掃除をし、原稿のつづきを書く。いま12時半なのだけれど、洗濯もの(その2参照)が心配でご飯を食べに行けない。

近くにジャダフプール大学のキャンパスがあり、その前の通りが素敵な散歩道になっている。ただし朝だけ。日中は交通量がとんでもないのだ。大学の構内の写真をたくさん撮った。上の画像は大学の門。


なんだか『青いパパイヤの香り』っぽい校舎の廊下。わたしがいまいる宿もこれと全く同じで、部屋から出ると廊下に窓がない構造になっている。


ここは学食。ほっとする雰囲気。


校舎の遠景。撮影は庭をはさんで手前にある別棟から。

2022-09-20

インド日記その3





20日の朝は宿の食堂でひよこ豆とじゃがいものカレー、チャパティ、ゆで卵、チャイ。おまかせで盛りつけてもらう。朝食後は原稿書き。ときどき廊下に出、中庭を歩く。いまは雨季で夕方までずっと雨。夢の中にいるみたい。

いま書いている原稿は新連載の書き溜め。ニースを発ち、アムステルダムとデリーを経由する間に5時間の待ち時間があったので、そこで句集のあとがきを書き、季刊アンソロジストの原稿を仕上げ、今月末まではその書き溜めだけやればいい状態にしてコルカタに入った。来月になるとまた別の締め切りが迫ってくるので、どうしても滞在中になんとかしたい。

夜6時ごろ、夫がスーパーの袋を下げて帰ってくる。スイカ、バナナ、グアバ、バンレイシ。バンレイシを食べたあと、近所のRanjan’sで夕食。

昨日の日記の写真、差し替えました。写真が未整理の状態で書いているため、今後もときどきそういうことが起こります。

インド日記その2





19日の追記(今回の旅は忘れそうなので、いつもより多めに文章を書くことに決めました)。

わたしはどこに行っても自分で掃除洗濯をするのだけど、宿の受付の人にきくとここには洗濯機がないという。近所にコインランドリーもなく「町の洗濯屋さんに電話して、洗濯物を取りに来てもらえ」との助言を受ける。そこでネットでlaundry serviceを検索し、一番上に出た店に連絡したところ、すぐに取りに来てくれた(英語が通じず、宿の受付の人がつきっきりで通訳してくれた。受付は英語のできない人が座っていることもあるから幸運だった)。Tシャツが何枚、下着が何枚、靴下が何枚などと洋服の種類と数を確認し、全重量を計り、洗い方、乾かし方を指定し、携帯番号を伝え(WhatsAppでお知らせが届く)、伝票をもらう。返却は48時間後、料金は重さで決まるシステム。受付の人が「洗濯物が返ってきたら50ルピーのチップを渡すんだよ」と教えてくれる。


夜の食事をしたNiranjan Agarはコルカタで最も古いヴィンテージスタイルのレストランのひとつ(創業は1922年)。メトロのギリッシュパーク駅の出口にあり、広さは8畳くらい。ベンガルの伝統料理を提供している。

2022-09-19

インド日記その1





17日未明からコルカタにいる。

19日朝は宿舎の食堂でカレーとライス。昼も食堂でカレー定食。外国人が全然いないことに驚く。みんな指で食べているからインド人だとすぐ見分けがつくのだ。さいきんはスマホのせいで指で食べる文化が急速に廃れていると聞いていたけれど、ここではまったくそうではないみたい。

朝から午後4時まで原稿を書き、それからコルカタの旧市街へ。知人の案内で外国人のいない川沿いの地区を散策。ドゥルガー・プージャのお祭りの準備をする職人を撮らせてもらう。


この地区に足を踏み入れる前、知人に「もしも道で『どこから来たの?』と話しかけられたら『ミゾラムです』と答えるんだよ』と教えられた。日本人はミゾ族に顔が似ているから、そう言えば怪しまれないとの配慮。帰宅してから調べたら、ミゾ族とはチベット・ビルマ系の部族だった。


こういったテントの中はどうなっているのだろうと思っていたら、中を見ることができた。


こんな感じ。やっぱりお祭りの準備だった。夜はNiranjan Agarでチキンのメンチカツを食べる。

2022-09-08

小幡でこの虎と仕事場





昨日は夫の同僚夫婦がマカロン持参で家にやってきた。小幡でこの虎を日本の土産として手渡す。

小幡でこは先月、義父母のお伴で9代目当主の細居源悟さんのご自宅に伺った折に分けていただいたもの。あの、仕事場の写真撮ってもいいですか?とたずねたら、いいよ〜とのことだったので、撮ったのがこちら。手前のうさぎはまだ絵付けの途中。


今日の午後は新しい出版社の方と打ち合わせ。面白くなりそうな予感。

2022-09-07

夏と秋をゆれうごく





週末、海辺から下町までのルートを散歩していたら、画材屋さんの前で長ズボンの男性を見かけ「うっそ!秋なの?まだでしょ?」とショックを受けた。で、昨日なんとなくベランダに出ると、近所の高校生がちょうど下校する時間だったらしく、彼女たちの短パン姿に「やっぱりそうよね、まだ夏よね!」と勇気が湧いた。もちろんわたしもまだノースリーブのワンピースを着ている。夏と秋をゆれうごきながら。

今日は来週のインド行きのために街に出、店を四軒はしごして、コンタクトレンス洗浄液とか、ヴェレダのマッサージオイルとか、向こうで買いづらそうなものを調達する。途中カフェで休憩し、サラ・ピンスカー『そしてすべては海の中に』を読み、溜息をつく。サラの文章もさることながら市田泉さんの翻訳が素晴らしくって。帰宅すると、友達から句集のゲラの感想が届いていた。助言という域をはるかに超え、根底からわたくしめを救助してくれていて、心で感涙する。

2022-09-05

土曜日の海





ニースに帰ってきてからずっと散歩をしていなかったのですが、先週の土曜日、ひさしぶりに海沿いを歩きました。

さいきんブログを書いていないのは、句集に収録する句をあと20句ほどつくらないといけないから。わたしは、人との交わりを絶って、完全に集中しないと句が書けないタイプです。でも、まあ、あれですよね、20句採るためには50句くらい書かないといけないかも、ですよね…。10日後にはインドに出発するので、いままさに正念場。