2020-09-30

切り取られた散歩



note連載中の『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』試し読みは本日の第6回「旅行の約束」をもっておしまいです。つづきはどうぞ本書でお楽しみください。

note連載で使用したヘッダー画像をブログのトップに移植。note用の写真は16種類作成したのですが、1種類しか使用しなかったので全部ブログに載せます。ほぼ近所の風景です。

2020-09-29

D連句『冬ざれの巻』



拙著『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』のご予約クラウドファンディング、おかげさまで達成率100%を超えました。みなさまありがとうございます。ご注文は10月23日まで受け付けております。引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。

* * *

さいきん、1つの句に2つの付句がある「D連句」という歌仙に参加しています。こんな形の連句です。

発句1に脇句2、3がつき、脇句2に4、5の句がつき、4の句に7、8の句がつき……という風につづきます。さらにほとんどの番号で、2つの前句に対し1つの句をつけるかたちにもなっていて、たとえば、

33 ふるさとは美貌の石を捧げられ 夜景

の前句は、

29 アダージェットで薄れゆく闇  綉綉
30 調合法の衣鉢相伝  季何

の2つ。33で怖いのは、打越にあたる句が24、25、26と3つもあることでしょうか(ただしこの巻はあえて打越多めです。捌き曰く「発句がダルセーニョ(印に戻る)だから」とのこと)。下の画像はD連句を単線的にながめたもの。長句と短句とが、横一列ごとに交互にあらわれるので、競作っぽくて面白い。

【連衆】須藤岳史、綉綉、せのお・あまん、堀田季何、森尾みづな、小津夜景、岡本胃齋、今朝、百田登起枝、羊我堂、冬泉 (捌き)

2020-09-27

風の強い日曜日





さきほどクラファンの予約注文ページを見ましたら、達成率95パーセントになっていました。みなさま本当にありがとうございます。拙著『いつかたこぶねになる日』ご予約キャンペーンは10月23日までです。引き続きよろしくお願い申し上げます。

ところで今回のキャンペーンは版元が行っており、小津はご予約下さった方の氏名を一切把握しておりません(本名表示の方以外)。もしもご予約下さった旨を小津に知らせたいという方がいらっしゃいましたら、ブログ右上(スマホでご覧の方は画面一番下)のABOUT THIS BLOGからメールいただけますと幸いです。

さて『いつかたこぶねになる日』の進行状況なのですが、ここ一ヶ月近く原稿の直しをしていまして、きのうやっと「まえがき」と「あとがき」を書き終えて  いつも思うんですが「まえがき」と「あとがき」ってなんであるんでしょう? 必要なくない? いや必要か。もしもルソーやカントの本に前書きがなかったら、笑いの量が減って寂しいですもんね  ぐったり、今日はもうしばらく漢詩の話はしたくないってくらい疲れているところです。よかったことといえば、あとがきを書くためにずっとタコのことを考えていて、その人生を擬似体験できたことくらいでしょうか。擬似体験したタコの人生はすばらしかった。すばらしすぎて、感極まって泣いてしまいました。けれどもタコには涙の意味などわからないでしょう。ぬるぬるしているのは肉体だけ、彼らの世界は最高にクールですから。

2020-09-23

アドリアーン・クーネンの描く鯨



今日はすみわたる秋空。とても涼しくて、海で泳ぐのは無理そう。美しいものを、ただ遠くにながめる生活に戻ってしまった。

* * *

アドリアーン・クーネン『魚の本』ですが、なんとWikimedia Commonsにありました。で、順番に眺めたところ、相当博学な人物だったことがわかりました。

これは『鯨の本』の表紙。『魚の本』から4年後の1584年刊。横長の図鑑です。
岸につらなる赤い丸は船着場。ひとつひとつに名前が付されています。こういった俯瞰図をいっぱい描いているのです。
見開きで描かれた鯨。夢のような色彩だなあ…。

古日傘ほのめき勇魚いづこかや

日の泡は更へし衣のうつほにぞ

かつてこの入江に虹といふ軋み

青岬いさなを永久に枕くといふ

上はそのむかし詠んだ鯨の情景。よし決めた、この秋は鯨に捧げる長編俳句を書こう。わくわく。

2020-09-21

アドリアーン・クーネン『魚の本』その2



眺めれば眺めるほど素敵な魚類図鑑なので、あと何枚か部分画像をアップします(前回分はこちら)。

これを見ると『鯨の本』も欲しくなります。絵を知らない人の空間把握では全くないので、クーネンは漁師だったころから絵を嗜んでいたのでしょう。漁港スヘフェニンゲンの文化状況が偲ばれます。
貝殻はいつも夢のよう。ペン先で生み出す陰影に良い香りが籠もり、額装部分のまるみもこの人だけに波を彷彿させます。
いくら魚にくわしく、また絵が好きだったにしても、わずか数年でこれだけの精密な絵を描きためたのはすごい。
魚釣りの描写もありました。明日につづきます。

2020-09-20

わたしは大股で海の中を歩き出した





きのうの海は曇り空で、今年最後になるかもしれない海だった。今日から一週間ニースは雨なのだ。雨が終わったら完全に秋かもしれない。だから真剣に泳がねばならなかった。

ところが低気圧の荒海で、泳いでも泳いでも前に進まない。これではいけない。そう思ったわたしは大股で海の中を歩き出した。うでとあしを大車輪のように動かし、波にのまれるたびに起き上がって、「さようなら!さようなら!」と大きな声を出しながら、海の中をどこまでもどこまでも歩いた。

家人は、あまりにも遠ざかってしまったわたしの影を眺めて、いったいなにをしているのだろうと訝しんでいたらしい。

海からの帰りしな、わたしが「さようなら!またいっしょに遊ぶその日まで!って海の中でなんども叫んだんだよ」というと「海は明日もそこにあるのに」と笑われた。

こうやって日記を書いていても、もう今年の海は終わったかもしれないということが信じられない。

2020-09-19

アドリアーン・クーネン『魚の本』



仏題は《Livre de poissons 1580》。たこぶねの表紙に惹かれて購入したら、内容もすばらしい本でした。1580年刊。

アドリアーン・クーネン(Adriaen Coenen)は漁港スヘフェニンゲンの漁師で魚屋も営んでいたオランダ人。63歳のときに彼が出会ってきた魚の特徴をまとめようと思いたち、1577年から1580年にかけて水彩で描きためていったのだそうです。登場するすべての生き物が、手描きの額装で飾られています。
漁師ならではの詳細な解説は、16世紀の北海の漁業活動の情報源として参考にされているとのこと。
砂浜の生き物と海の帆船。わお、夢のようではありませんか!
漁師。自画像かしら。髭もおしゃれ。
くじら。クーネンの鯨の絵ばかりを集めた"The Whale Book”という本が出ているのを発見。欲しい。
原書は410ページなのですが、この本は62ページしかありません。
こちらに何枚か、未見の絵がありました。
COLLECTIONS / IMAGES Adriaen Coenen's Fish Book (1580)

2020-09-16

陸游『入蜀記』(たわいのないこと3)





旅の楽しさというのは、もうそれはいろいろですが、行った先でその土地にまつわる説明などを読んで「へえ、ここでそんなことがあったんだね…」としみじみするのもそのひとつ。

芭蕉が〈夏草や兵どもが夢の跡〉とうたったとき、過去と現在との重なりあった感慨を〈や〉の一語に籠めたように、この種のしみじみの正体は悠久の時間への詠嘆そのものです。わたしも旅先に限らず、日頃から過去と現在とを重ねては感慨にひたってばかりいる質でして、地中海を眺めるときも「ああ、この海をアリストテレスも眺めたんだなあ」と毎度しみじみしているのでした。

さて漢詩にまつわる本をたわいなく語るシリーズ、第3回は陸游『入蜀記』です。南宋の詩人・陸游は四十六歳のとき、故郷浙江省紹興県の山陰から赴任先の蜀(四川省)に赴くために、長江をさかのぼる一五八日間の船旅を体験しました。そのときの長江船旅日記が「中国紀行文学の最高傑作」と絶賛される本書です。水の上から広大な景色を眺め、折々船から上がり、季節の風物や町並みを堪能し、各地の名所をめぐりながら、旅はゆったりと進みます。旅行記やガイドブックを読みながら夢想にひたるのが好きな人におすすめです。

で、この『入蜀記』がなぜ漢詩にまつわる本なのかといいますと、行く先々で、新しい見所があらわれるたびに、陸游が「あの詩人が、ほにゃらら、と詠んだのはここなのである」と親切に解説してくれるんですよ。

そもそも名所というのは詩人と切っても切れない関係にあって、つまり詩人がどこそこの歴史ないし景色をうたい、かつそれが名作であった場合、その土地の名声が一気にあがるということがくりかえされてきた。しかも中国の詩跡というのは長江や黄河のような大河流域にそって形成されていますから、これ一冊読めば、長江流域をめぐる名句を制覇したも同然なのでした。

ところで陸游その人はどんな詩を書いたのか? 興味のある方はどうぞ近刊『漢詩の手帳 いつかたこぶねになる日』でお楽しみください(詳細およびご予約ページはこちらです)。ここでは旧作『カモメの日の読書』から拙訳を引用します。

蓼の花  陸游

刀州での十年間は
詩と酒に夢中だった
夜ごと美しい花のために
燭をついやし遊びほうけた
年老いた漁夫となった今も
浮き立つ気分は残っていて
紅い蓼をそっと嚙んでは
清らかな秋に酔っている

蓼花 陸游

十年詩酒客刀州
毎為名花秉燭遊
老作漁翁猶喜事
数枝紅蓼酔清秋

2020-09-13

草の指輪を差し出され





昨日の海は温かかった。幸せな気分で眠り、朝起きて『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』の予約状況を確認すると、予約開始5日目にして達成率58%となっていた。なんということでしょう。みなさま本当にありがとうございます。ご予約期間はまだまだ続きます。本の詳細はこちらで読むことができます。

* * *

「僕、これから出版社をつくります。つきましてはあなたに本一冊分の原稿を書いてほしい。そしてその原稿でクラウドファンディングを試みたい  書いてくれますか?」

こんな申し出を素粒社のKさんから受けたのは2019年12月のこと。最初は面食らいました。しかもなぜクラファンを? するとKさんは「せっかく本が売れても版元にお金が入ってこない現行の経済システムを打開する策として、予約直販を思いついた」と言います。

Kさんいわく、現状取次会社を通して本を売る場合、新規の出版社の取引条件は新刊委託で6ヵ月後払い・支払い30%保留などの厳しい条件が課せられるそうです。加えて返本もばかになりません。これは聞くだに恐ろしい話で、このシステムは出版の志を抱く者の足を業界から遠のかせ、また折からのコロナ禍も重なって、業界はますます先細りになるのではないかと危惧されます。

わたしは数日間悩み、最終的に【クラウドファンディングとしての、本の予約注文】という着想には「予約注文」という昔からある仕組みの内実を根底から変革する契機が潜んでいる、との考えに辿りつきました。売り上げが即利益となり、また返本の心配もいらない【書店との予約販売】【読者との予約販売】といった新たな流通経路を育て上げ、それらを【取次を介した販売】と比べて遜色のないものとして確立することは、本にたずさわる者たちへ、小回りの利く一つのビジネスモデルを提案することになるだろう、と思ったのです。

そんなわけで、私は素粒社を応援する最初の一人になろうと決め、クラウドファンディングとしての予約販売を受け入れたのでした。

で、ですね、いま「素粒社」などと書いていますが、この提案を受けた昨年末は、出版社がこの世に存在しないどころか社名も未定だったんですよね。ほんと、Kさんの思い以外は、なんにもなかった。だだっぴろい野原で草を編んだ指輪を差し出されて、いきなりプロポースされたようなものです。

2020-09-11

陳舜臣『唐詩新選』 (たわいのないこと2)





昨日の(たわいのないこと1)では長安におけるイラン文化の隆盛の話に触れましたが、そういえばペルシャ語が堪能で、原典から『ルバイヤート』を翻訳し、それに註解・解説までつけてしまった作家に陳舜臣がいました。華僑の息子として神戸に生まれ、2015年に90歳で亡くなるまでほぼ当地に住んでいたこの人の書く漢詩の話がわたしは好きで、いちばん愛着のある漢詩本というのも実はこの人の『唐詩新選』なんですよ。

いったい陳舜臣のどこが好きかといいますと、ものすごい読書家で、学識も深いのに、言葉づかいに少しの気取りもないところ。また作品のチョイスや引用のタイミングからは、自分の舌で作品の味をひとつずつ確かめてきたことがはっきりと窺える。厳密すぎない講釈もスマートで、とにかく〈漢詩を読むセンス〉と〈漢詩について書くセンス〉が抜群なのです。

本書は前半が唐詩でめぐる歳時記エッセイ、後半が「詠物」「女流」など主題別エッセイになっているのですが、わたしが気に入っているのは白居易と元稹との詩のやりとりを扱った「唱和」という一篇。文章は技巧に走らず、修飾に凝らず、見てきたかのような創作もありません。ただソムリエ的精神でもって彼らの交わした詩の中から良きもの選び、その詩群の発する〈気〉を巧みに編集して、十数ページの世界を圧巻の物語に仕立て上げています。

それはすごい、一体どんなエッセイなのだろう?と興味をもった方の邪魔にならないようこれ以上の言及は控えます。そのかわりに、といってはあまりにもあれなんですが、拙著『カモメの日の読書』で翻訳した白居易の詩を以下に写します。

元稹に贈る(抄)  白居易

ひとたび心を通わせてから
三度たけなわの春を迎えた
花の下 馬に鞍を乗せて遊びにゆき
雪の中 酒の盃を重ねて語りあった
粗末な家でもてなしあい
帯も冠もすべて脱ぎ捨て
風の吹く春は 日が高くなるまでともに眠り
月の照る秋は 飽きもせずに夜空をながめた
これは
同じ登科だからではなく
同じ官職だからでもない
ただふたりの胸の奥にある
たましいがそっくりだからだ

贈元稹抄  白居易

一為同心友 三及芳歲闌
花下鞍馬遊 雪中杯酒歓
衡門相逢迎 不具帯与冠
春風日高睡 秋月夜深看
不爲同登科 不為同署官
所合在方寸 心源無異端

近刊『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』でも白居易が元稹のことを想って書いた別の詩を翻訳しています。興味のある方は詳細ページをご覧いただけますと(そしてご予約いただけますと)とても嬉しいです。

2020-09-10

石田幹之助『長安の春』(たわいのないこと1 )




南太平洋の島に住んでいる友人から、野生のスパイダーハイビスカスの写真が届く。フリルになった花びらの可憐さ!ものすごくかわいい。この島の家々はハイビスカスで垣根を作り、花からはジャムを作るそうです。素敵な生活だなあ。

* * *

『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』のご予約クラウドファンディング、開始2日目にして達成率40%を超えました。ご注文くださいました皆様ありがとうございます。予約受付はあと43日です。引き続きどうぞよろしくおねがいいたします。

ところで、杜甫、李白、王維、白居易といった漢詩を代表する詩人たちが活躍した唐代の都・長安はいったいどんなところだったのか?というと、これが実はいまの日本人が想像するような中国とはちょっと違ったらしいです。当時の長安は人種のるつぼたる世界最大の国際都市で、なかでも西域(イラン)文化が大流行、宗教・建築・工芸・芸能にとどまらず日常の衣食にまで深く浸透していたそうで、要するにエキゾチックな、とてもおしゃれな空間でした。

そんな都のようすを学問的に見事に掘り起こしたのが石田幹之助『長安の春』で、ことに巻頭随筆「長安の春」は名文の誉れが高い。わたしなどは名文ときくとすぐに怖気づいてしまう性格なのですが、石田幹之助の文章は少しも禁欲的でなく、本当に長安を見てきたかのように描写が克明で(妄想がばんばん出てきます)、しかもああっ!とのけぞる饒舌ぶり、完全に講談エンタメ系のそれです。この人は芥川龍之介の友人でもあるので、二人が文体を磨きあっていた一高時代の光景を胸に描きながら読むと、気持ちに余裕が生まれて面白さが二倍になります。

……と、こんな話を唐突にするのは、拙著のご予約キャンペーン中は、漢詩にまつわる他愛のない話を少し書いてみようかなと思ったから。明日以降も(書けそうであれば)続きます。

2020-09-08

『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』予約受付START



その堅苦しく黴臭いイメージをさっと片手でぬぐって、業界のしきたりを気にせず、専門知識にもこだわらない、わたし流のつきあい方を一冊にまとめたのがこの本です。
本書「はじめに」より

本日から『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』の予約注文(個人・書店ともに)が始まりました。ご予約いただくと割引価格となり、さらにボーナス・トラックとして本書未収録の一篇を折本にした『まだたこぶねじゃないある日』をもれなくプレゼントします。本書および著者についての詳しい説明は【予約注文ページ】をご覧ください。

→ 予約注文ページを見る

収録作品は総勢34名+無名氏による全40首(ご予約下さった方は、ボーナス・トラックを加えて総勢35名、全41首)。note試し読みの他、表紙カバーのソデでも翻訳の一部がご覧になれます。


新井白石「蕎麥麺」植木玉厓「詠柳」王国維「書古書中故紙」韓愈「盆池・其五」木下梅庵「竹村最中月」「鈴木兵庫菊一煎餅」桑原広田麻呂「冷然院各賦一物得水中影応製」幸徳秋水「獄中書感」島田忠臣「見蜘蛛作糸」「照鏡」徐志摩「再別康橋」菅原道真「重陽日府衙小飲」「寒早十首・其二」「寒早十首・其十」蘇軾「春夜」「病中遊祖塔院」杜甫「槐葉冷淘」夏目漱石「帰途口号・其一」「無題」「菜花黄」成島柳北「塞昆」「地中海」白居易「夢微之」「観幻」「和春深二十首・其十二」原采蘋「乙酉正月廿三日発郷」「初夏幽荘」藤原忠通「賦覆盆子」「重賦画障詩」源順「詠白」楊静亭「都門雑詠」陸游「書適」「初夏行平水道中」李賀「苦昼短」李商隠「無題四首・其二」李清照「好事近」良寛「我生何処来」「孰謂我詩詩」無名氏「子夜四時歌三十首・秋歌」

→ noteで試し読みする

このたびの刊行に際し、池澤夏樹さんから帯文を頂戴しました。

この人、何者?
極上のエッセーで、文体が弾み、とんでもなく博識で、どうやらフランス暮らし。俳句を作る人らしい。一回ごとに漢詩の引用があるが、その漢詩はいつも角を曲がったところに立っている。しなやかな和訳と読解が続く。
世の中は驚きに満ちている、と改めて思った。
池澤夏樹
また書店の方々からもすてきなメッセージをいただきました。ありがとうございます。

がたんごとん(札幌)小鳥書房(東京)ことばの本屋Commorébi弥生坂 緑の本棚(東京)books電線の鳥(長野)NENOi(東京)ブックスアレナ(福岡)Brisées(岡山) ひとやすみ書店(長崎)ナツメ書店(福岡)双子のライオン堂(東京)

→ 書店の方々のメッセージを読む(予約注文ページ下段)

ところで、このブログを書いているのは予約開始前日なのですが、本書の表紙カバーはたったいま最終ラフをいただいたばかりなんですよ。さっそく帯ごと縮小印刷して、東洋文庫にかぶせて一人遊びしています。こんなふうに。



『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』
著者:小津夜景
帯文:池澤夏樹 装幀:calmar 装画:姫野はやみ
予価:1980円(税込み) 本文ページ数:272 サイズ:B6判
発行所:素粒社 2020年11月初旬刊行予定


2020-09-07

詩情と内省の交差




海沿いの歩道には、ときどきこのような日陰があります。柱の上方にスプリンクラーがついていて、座っていると涼しいです。

近々刊行の『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』にちなんで、ことばの本屋Commorébi店主の秋本祐さんがエッセイを書いています。素粒社の船出を拙著のタイトルにからめ、詩情と内省の交差する、透明感あふれる文章で祝ってくださいました。

「言葉の船旅」をもう少し続けるならば、たこぶねは中国語では「锦葵船蛸」(jin3 kui2 chuan2 shao1)と呼ぶようだ。锦葵はゼニアオイのこと。生物分類上、たこぶねが属する科は"Argonautidae"だが、これは日本語で「アオイガイ科」とされているので、中国語の名称も根っこに共通するものがあるのだろう。
 ゼニアオイという植物を知らなかったのでこれまたGoogleで検索してみると、濃いピンク色をした花の写真が出てきた。ちょっとやそっとのことではへこたれなそうな雰囲気を持っているし、実際、なかなか強い植物らしい。ここにも、凛とした強さがあった。(たこぶねから始まる船の旅。)

そう、たこぶねは凛として強いんです。くにゃくにゃしながら凛としてるって、かっこよすぎません? たこぶねについては以前わたしもこのような話を書いたことがあります。たこぶねと人魚が隣り合わせに載っている『南島雑話』はどの絵もすごくよいのでおすすめです。

ここからおまけ。先日書いた「牛の小便」という林檎ジュース、実物をみたいという方がいたので、このブログにもリンクを貼ってみます。ラベルが導尿みたいで怖い(牛が不憫)。

2020-09-05

誰もが飛行機をながめていた




わたしも眺めた。9月の冷たい海の中から。

先日、家人の職場で無料配布されたアルコールジェル、容器とラベルだけかと思っていたら中味の配合も職場オリジナルだった。フラゴナール(画家でなく香水の方)で知られる近隣の町グラスに医薬品と化粧品にかんする応用研究所があって、そこで独自に製造しているそうだ。円滑かつ安全に職場を運営するためのプロジェクトの一環らしい。

2020-09-04

象のうんこまんじゅう





さいきんごろ寝の友にしている『はじめて出会う短歌100』(千葉聡編・佐藤りえ絵)。小・中学生向けの参考書らしく、イラストが豊富で、各作品には漫画の吹き出しに入ったコメントが添えられている。ちなみに、わたしの胸にもっとも響いたコメントは、

サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい  穂村弘

という短歌に添えられていた「アフリカ名物『象のうんこまんじゅう』をつくったら売れるんじゃないでしょうか」だった(アフリカという括りはさすがに大雑把すぎるけど)。先週、北ノルマンディー地方の土産屋で「牛の小便」という商品名の林檎ジュース(しかもオーガニック)に遭遇したばかりだったこともあって、なおさら。

2020-09-03

新しい季節へ





家人が職場からコロナ対策グッズを貰ってくる。みんなに無料配布されたそうだ。

内容は木綿マスク2枚、不織布マスク5枚、アルコールジェル1本。布マスクはトリコロールの縫い目ですごく可愛い。いささか可愛すぎるくらいで、ほとんど赤ちゃん用かぼちゃパンツである。そしてアルコールジェルは職場のオリジナルグッズ。ラベルのデザインはトリコロールを意識し、黒い蓋もクールで、なんだかオーガニックの基礎化粧品っぽい。

ところで最近気がかりなのが、家人と知り合いのシリア人が、自国に仕事がないという理由で9月からフランスで働く予定だったのに来ないことである。シリアにはフランス大使館がないから、レバノンまで出向いてビザを取得するはずだったのだけれど、このあいだのベイルート大爆発でレバノンのフランス大使館も倒壊し、職員たちは目下電話でさまざまな対応に追われているらしい。外国人にビザを発行する余裕は、いつになったら生まれるのだろう?