2020-08-29

夏の終わりのオンフルール



雨のオンフルールで1日かけて観光らしい観光をする。


お昼ごはんは大きな帆立とみじん切りの長葱を、そば粉を溶いたガレットで包んだクレープ定食だった。チーズが入っていないので海鮮お好み焼きっぽい味である。夜はこれから韓国料理へ。家の外で食事するのが7ヶ月ぶりだったこともあって、例年よりうきうきする夏休みだった。

2020-08-28

夏の終わりのル・アーヴル





先日から始まった近刊『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』の試し読み。第1回は「虹をたずねる舟(パント)」です。ご覧いただけますと幸いです。

徐志摩「ふたたび、さよならケンブリッジ」は中国の近代詩で最もよく知られる作品の一つで、現在も中国・台湾両国で多くの国語の教科書に使用されています。原文は西洋文化の香りが色濃く、骨組みも西洋風。ロマンティックだけど、暑苦しい熱唱ではなく、ウィスパーヴォイスの風合いが持ち味です。

ところで今週は夏休みで、ル・アーヴルに来ています。今日は一人で海に出かけました。嘘みたいに澄んだ空にあそぶダイナミックな雲が、北ノルマンディーらしかったです。

船を眺めるユリカモメ。
防波堤の上を歩く。
防波堤の端の、
なにかよくわからないもの。
灯標?

2020-08-25

まばたきをする翼





こんにちは。先日正岡豊さんに「ねえ一句評書いて」と言われ、何に載るのかもわからないままに書いた400字の拙文が、フリーペーパー「キャベツ長女」第二号に掲載されていることをたったいま知った小津です。なんとなく「細胞膜新聞」に載るのかなと思っていたんですが「キャベツ長女」とは。キャベツ長女…すごいネーミングだなあ。文字量は正岡さんがばりばり主筆、小津は主筆の家の近所の野良猫くらい(野良猫も文字を書きます)の割合になっていて、ネットプリントは、

ローソン・ファミマ PEN699KZDH
セブンイレブン EPX3YPNE

で、3枚60円ですね。縦レイアウトで二枚を一枚にすると40円。正岡さん曰く、こっちの方が見やすいかも、とのこと。ちなみにグーグルドライブはこちらです。

正岡さんといえば、半月ほど前に、未発表連作の章を加えた『四月の魚』の新装版が出たばかりですが、これ、装丁がうろこもようになっていて、ものすごく「うおうお」しています。一箇所、うろこの色が違うところが、なんというか「あの日」の傷がまだ残っている人魚の体みたいできゅんとさせます。

夢のすべてが南へかえりおえたころまばたきをする冬の翼よ  正岡豊

ここから壮大な交響詩が始まりそうな巻頭歌。今読んでもやっぱりすてきです。

2020-08-24

【刊行前ためし読み】小津夜景『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』





現在、新刊づくりの最終段階に入っています。タイトルは

『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』

です。詳しい情報はこれから少しずつ書いていきます。まずは【刊行前ためし読み】に遊びに来ていただけますと幸いです。あと素粒社さんの以下のツイートを拡散していただけますと、とてもありがたく存じます。どうぞよろしくお願いいたします。


2020-08-23

海が記憶する時間





土日は1時間ずつ泳いだ。

最近、海の嫌なところを考えているのだけれど思いつかなくて困っている。どうして嫌なところを考えているのかというと、海の中にいるのが幸せすぎて、少しは抵抗感を抱かないと、そのままふっと気を失って死んでしまいそうになるからだ。

それで一生懸命考えた結果、とりあえず「水から上がったあと体がべたべたする」という短所をひねり出したのだけれど、あまりに些細な話である。

好きなところは、水のきもちよさ。波のおもしろさ。浮力のわくわく感。別世界みたいな。どうして私は海のいきものではなく人間なのだろうと思う。せつないわけではない。ただ私が、海ではなく陸のいきものとして生を受けたという、この世界のリアリティが不思議でならないのだ。

今日から「SEA」のカテゴリを作る。とある方から「小津さんのブログに海のカテゴリがないの変ですよね」と言われ、ふむ、たしかにと思ったから。

くらげみな廃墟とならむ夢のあと  小津夜景

2020-08-21

楽園の系譜





最近よく眺めているフランス国立図書館発行の本。フランス国立図書館は1367年の王室文庫を起源とし、フランス革命後に国立図書館になったのですが、その王室文庫のカタログから、エキゾチックな鳥の絵を40枚厳選しています。水彩画家の妙技によって色彩豊かな羽が復元されているそうです。好奇心が絵心にあからさまに反映されているところがなんともいえず好き。

2020-08-20

【新連載】ハイクノミカタ



10月1日よりセクト・ポクリットにて毎日連載「ハイクノミカタ」がスタートします。月曜は日下野由季さん、火曜は鈴木牛後さん、水曜は月野ぽぽなさん、木曜は橋本直さん、金曜は阪西敦子さん、土曜は太田うさぎさん、そして日曜が小津です。内容は一句鑑賞で、何を読んでもいいとのこと。何を読んでもいい? 本当に何でもいいんですね? それならできるかも…とお引き受けしました。もしかすると迷走するかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。



2020-08-19

マスクの光景







さいきんはみんなマスクをしている。今日、横断歩道で立ち止まると、向こう側に立っている人たちがあたりまえのようにマスクをしていて、あらためて不条理感を覚えた。

白玉に化けて迷子の祖父無傷  小津夜景

2020-08-18

水の中でなにもしないでいるのが楽しい






すごく困ったことになってきた。なにかというと日焼けである。焼けすぎて小学生みたいなのだ。その上、水中眼鏡の跡が顔について、白黒反転のパンダになってしまった。でも楽しいから泳がないわけにいかないし。今日久しぶりに会った知人たちから「すごいよ。日焼け止め以外にもなにか塗った方がいいんじゃないの」と言われたのだけれど、なにかってなにを塗ったらいいのだろう?

とりあえずまた海に入る。波の動きとうまく折り合いながら、水の中でなにもしないでいるのが楽しい。

びいどろよひとがさかなとよぶものは  小津夜景


2020-08-17

梨の堕天使






もうすぐノルマンディーに行くので、向こうで何をするか考えつつ紙モノの整理をしていたら、梨の堕天使の館の半券が出てきた。

梨の堕天使の館は、かつてわたしが住んでいたボロアパートから市バスで25分のところあった。とはいえ梨自体は居候で、いつも主人が留守のせいで自分の館のような顔をしているのである。初めて会った日、わたしは梨の堕天使に主人への手紙をわたした。すると梨の堕天使は主人に気兼ねせず、その場で手紙の封を切ってしまった。封筒の中から、ピンクのマーカーで書いた五線譜に、魚の形の音符を飾りつけた楽譜があらわれた。これはこれは。どうもありがとう、わたしのお守りにします、と梨の堕天使は言った。天使がお守りを身につけるというのがわたしには不思議だった。

風の洞めきて裸足のをみなたち  小津夜景

2020-08-15

8月15日の過ごし方







昨日と今日は一時間ほど泳ぐ。

海が楽しすぎる。海中に棲めないのがざんねんでたまらない。なぜ自分は魚族ではないのか。なぜ海から這い上がらなくてはならないのか。帰路、1ヶ月くらい海中の国にいたいよね、と家人に同意を求めると、そんなことはない、と言われる。そうかなあ。

午後は梨を切って、冷凍庫で冷やしているあいだ、大理石の床にヨガマットを敷いて寝そべり、音楽を聴いたり、本を読んだりして過ごす。

諸説ある島の訛りの輪の中で  小津夜景

2020-08-12

古典は誤解より始まる





『図書』8月号掲載の須藤岳史「古楽はいつだって新しい」を読み、表記の問題のあれこれを想う。ここのくだり。

歴史的な版を含めて現代では多くの版が出版されているが、原典版と呼ばれるもの以外には、歴史の中で変遷してきた趣味や版を編集した人の解釈(スラー等の演奏記号や表情記号)が入っている。クラシック音楽を学ぶ際、最初に習うことの一つは「楽譜に忠実であること」だが、忠実さを捧げる楽譜自体が、作曲家の意図を超えた解釈/翻訳版である可能性があることは忘れないようにした方が良い。

これは「古典あるある」ですよね。たとえば万葉集も、真名を仮名にするときに訓釈作業が行われていて、原典版を読んでいる人とそうでない人(私のこと)とでは、見えている景色が全く違う。

若草の新手枕を枕き初めて夜をや隔てむ憎くあらなくに
若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在国

原文では「憎くあらなくに」の「くく」が「八十一」と掛け算で表現され、また「あらなくに」の表記「不在国」も凝っている。こういう仕掛けを見ると、万葉集は「原文+漢字交じりの総ルビ」で読んだ方が面白いだろうなと思います。

たらちねの母が養ふ蚕(こ)の 繭隠りいぶせくもあるか妹に逢はずして
垂乳根之 母我養蚕乃 眉隠 馬聲蜂音石花蜘蟵荒鹿 異母二不相而

原文は「蚕」に加え、「いぶせくもあるか」に「い=馬の声」「ぶ=蜂の音」「せ=石花(カメノテの古名)」「くも=蜘蛛」「あるか=荒ぶる鹿」と、計六種類の動物が詠みこまれた動物づくし。さらに「い」と「ぶ」はなぞなぞ仕立てになっています。

もともとは複雑で愉しい歌だったものが、現代の表記だとその情報がすっぽり抜けて、こんなにも素朴で一途な雰囲気にさま変わりしてしまう。恐ろしいことです。

そんなわけで、いっそのこと「古典は誤解より始まる」というスローガンを合言葉とした上で出発した方が、いろいろな先入観を相対化できるのだろうと改めて思った八月の朝なのでした。

2020-08-10

クラゲのような靴を履く





このビーチシューズ、なんだかクラゲみたいで可愛くないですか? わたし、すごく気に入っています。地元の人たちがこの靴に履きかえて海に入ることに気づいて、彼らと同じのを買ったんです。確かにこれを履くと、海中に立ったり、歩いたりするのがらくちん。

クラゲといえば、この国には「クラゲサンダル」と呼ばれるビーチサンダルが実際に存在して、そちらもその名の通りとんでもなく可愛いです。

夢殿やくらげの脚をくしけづる  小津夜景

2020-08-07

海上のおしゃべり






今朝も魚と泳ぐ。海のまんなかに写っているふたつの人影(クリック推奨)は70歳前後の女性。毎朝、海の真ん中でずっと立ち泳ぎしながらおしゃべりしている。わたしが海中にいる間はまったく動かないので、少なくとも15分は立ち泳ぎでおしゃべりを続けているのだ。かっこよすぎる。

* * *

ブログ「俳句的日常」で「世の中〈12音+季語〉ばかりじゃないよ、という話」の実証例として、小津の句が挙がっていました。

たしかにわたしは一句を季題から発想します。というのもわたし、〈12音+季語〉という手法に対して経済的な匂いを感じてしまうんですよ。12音を作ってから季語を足すといったやり方は、12音の内容をより洗練(凝縮・異化を含む)させて〈オチとしての季語〉に還元する作業になりやすく、全体で一つの実存となる句を制作しにくくなるんじゃないかな、というか。

ただ、手法の批判って実は無意味なんです。だって必ず豊かな例外があるんですから。

つまり俳句の価値は、それぞれの句の具体的な仕事と関わっている。手法ではなく作業の中に、感動の種子は眠っている。

わたし自身、〈12音+季語〉に限らず、自分好みではないやり方で書かれた好き句はいっぱいあるし、また自分好みのやり方で作句している時も、そこに安住している間ではなく、そこからふっとはみ出た瞬間に感動が起こるのでした。

2020-08-06

英国と柔術





復活したはずだったのに再び寝込む日々。昨夜は半年ぶりに外食(テイクアウトのケバブだけど)した。なのに今朝も海に行く。体力をつけたくて。泳ぐのは15〜20分。休憩や行き帰りの時間まで含めても半時間で済むのがありがたい。

* * *

川柳スープレックスで、飯島章友さんが「夏目漱石と素晴らしき格闘家たち」という連載をしています(第1回第2回)。川柳誌で外国における日本の武術についての連載を読めるなんてすごいですね。なるべく長く続いてほしい。

飯島さんの文章を読んで、英国の女性参政権100周年にあたる2018年、参政権のために立ち上がった女性柔術家イーディス・ガラッドの話が巷で流行っていたのを思い出しました。イーディスはロンドンにあった上西貞一の道場で柔術を習い、上西帰国後、その道場を夫と二人で引き継ぎ、またその道場とは別に「サフラジェット護身術クラブ」を作って女性参政権運動家の隠れ家とした人物です。サフラジェットと警察との攻防は苛烈なもので、柔術がなければとても闘い抜くことはできなかったとも。ちょっと前に『未来を花束にして』(原題: The Suffragettes)という映画もありましたが、舞台が大逆事件と同じころなのだと思うと、こみ上げるものがあります。

2020-08-02

海を眺める暮らし





毎日海に通っている。時間が自由になる日は早朝、そうでない日は夕食のあとに行く。家人は素潜りをし、わたしは足のつくぎりぎりの場所で遊ぶ。浮き輪があったほうがいいこともわかったので、来週は近所の雑貨屋さんにスイカの柄の浮き輪を買いにゆく。

晩年のジャック・マイヨールみたいな男性が、赤と白のしましま帽をかぶり、右へ左へ、たこのようにゆらゆらと泳いでいる。年期の入った、とてもユーモラスな遊泳だ。

世の中に恋しきものは浜辺なるさざえの貝のふたにぞありける  良寛

海にちなんだ一首。文句なく素敵である。このとき良寛は、さざえのふたを傷薬のふたにしたくて、この和歌を書いて人に送ったとか。

いにしへに変はらぬものは荒磯海(ありそみ)と向かひに見ゆる佐渡の島なり  良寛

これもいい。海を眺める暮らしの良さが、すんなりと伝わってくる。