2023-12-29

都々逸と味覚の夜





さる11月26日に第2回「現代俳句を舌で味わう〜小津夜景『花と夜盗』に寄せて」が催された。会場となった松本の書店「books 電線の鳥」のご主人・原山さんから当日の様子をメールでうかがっていたのだけれど、新刊『ロゴスと巻貝』の仕上げ作業にかかりきりだったり、ギリシャを旅したり、風邪を引いたりといろいろあって、ブログに書きそびれていた。

第2回は『花と夜盗』から都々逸「サンチョパンサの枯野道」の章を取り上げ、木内一樹さんの創作料理を楽しみつつ句会をするという趣向。また原山さんの知人・ねこはるみさんが、都々逸を三味線で吟じたとのことで、うーんなんとも盛りだくさんじゃありませんか。

上の画像はこの夏一緒にエルメスの仕事をしたイラストレーターの佐々木未来さんによる料理のイラスト。また下は木内さんによる料理の説明(濃い字の部分はわたしの都々逸)。第3回は来年6月ごろに行われる予定だそうです。


料理解題
木内一樹(めしつくるひと)

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サンチョパンサがポンチョを羽織りパイプくゆらす枯野道

我が心姿隠して知の巨人=
イベリコ豚とシジミのラタトゥイユ風ホイル焼き

ドン・キホーテの従者サンチョ・パンサを詠んだ句。物事の本質を見抜き、見事に「従者サンチョ・パンサ」を演じる男の心の中には、主よりも、主が戦う風車よりも大きな知の巨人を潜ませているのではないか。潜ませた心をホイルで表し、肉と魚介、野菜をトマトで煮込んで包んで焼いた一品。パイプをくゆらせるニヒルなサンチョが目に浮かぶ。

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うその数だけうつつはありやあれは花守プルースト

花守の夢で飛び跳ね支那鱗=
麻婆春雨の鱗包み

原句に作家・プルーストの名前があり、最初は「失われた時を求めて」に見立てたラザニアかパイ包み?などと考えていたが、日が経つにつれてそのアイディアが失われてしまったので、パイを焼くイメージと、プルーストの頭の中で創作意欲が水辺で跳ねる魚を連想、水辺の流れを春雨(太めのマロニーちゃん)にして中華風に。餃子の皮を鱗に見立ててはみ出すように並べ、食感の違いを楽しんで頂くことを狙った。

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ムーン・リバーがわが墓ならば遊ぶあなたは花筏

舟唄に月は合いの手魚泣きて=
白身魚と⻑芋と柚子の海鮮寄せ鍋

今回、かなり悩んだ一品。川の流れを何で表現するか?花筏はどうする?月は何を見立てる?などと脳内会議は踊る、されど進まず。ギリギリのところで川の流れをとろろで、月を柚子の輪切り、花筏を柚子の皮を刻んで散らすことに落ち着いた。魚も白身魚(ヤナギノマイ)を使い、頭をコンガリ焼いてダシに。舟唄、と言うことは八代亜紀ですか?と言うお話もあったが、言われてからアッ!その手があったか!となったのはここだけの話。

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千のナイフを隠した鳥がそつと抜け出す古書の森

⻘深き白夜に眠る鳥千羽=
鶏手羽元とほうれん草の豆乳クリームスープ(〆はラーメン)

アイディアはスッと出てきて、最初からこんな感じで行こう!と言うのはあった。しかし、「千のナイフ」をどう表現しようかと思ったが、スティック状の何かがハリネズミのように鍋から突き出ていたらそれは静岡おでんのような串に刺さったおでんしかないな、と。おでんからなにか連想すれば良かったかなと思うが過ぎてしまえば今は昔、である。豆乳に顆粒の鶏ガラ、ほんだし、塩コショウで味をつけ、オレガノで少し洋風にして、鶏手羽元とほうれん草、マッシュルームで深い森とそこに棲う鳥達を表現した。

2023-12-27

静養とインタビューの行方





22日の午後からアテネのホテルにこもり、24日に自宅に戻るも、ついさっきまで臥せっていた。いま、たまたまなのか、それとも快方に向かいはじめたのか、ちょっと気管支炎がおさまっている。

今日27日は『ロゴスと巻貝』に関する動画インタビューが予定されていた。けれども話せる状態にならないのが明らかだったので、21日の時点で担当編集者のKさんに「代わりに出演してください」とお願いした。インタビューを受けるのは著者でも編集者でもいいと先方から言われていたのだ。ところがKさんから25日に連絡があって、「やっぱり小津さんが話したほうがいいと思うので、インタビューの日程を年明けに延期してもらいました」とのこと。

インタビューといえば先月、リアルサウンドから『いつかたこぶねになる日』についての取材を受けたのだった。記事はこちら。タイトル中に「親しみやすくて軽やかさがあることを前面に出したかった」とあるけれど、これは私が「軽快な本」を作るのが好きってことです。漢詩が軽やかなものであるという意味じゃなくてね。

2023-12-22

ニコス・カザンザキスの墓へ





クレタ島、5日目。まだ食事がのどを通らず、蜂蜜入りのお茶でなんとかしのぎながらニコス・カザンザキスの墓へ向かう。カザンザキスは人間としてのキリストの苦悩を描いたことで、ギリシャ正教会から墓地への埋葬を拒否されたため、その墓はイラクリオンを囲む城壁となる6つの要塞のうちのひとつ、 マルティネンゴの砦の上にぽつんと立っている。十字架は丸太。質素ですがすがしい。砦の上からしばし周りを見回す。クレタ島は山がいい。


その後、空港に向かい、アテネに戻った。気管支炎になりかけていて、声も出ないので、待合室、飛行機、電車、そしてホテルの部屋でひたすら休む。

2023-12-21

宮殿と要塞、そして出会った猫





クレタ島3日目は昼から考古学博物館へ。クノッソス宮殿の出土品が山のようにあって、その素晴らしさに度肝を抜かれた。この人たちのアーヴァンライフに比べたらわたくしの住まいなど鄙の庵である。ふらふらとスーパーにより、ちょろっと買い物をして、ホテルの部屋で寝て起きて、パンを半分、アンチョビを一切れ、そしてタコの切り身を二切れの夕食をとる。昨日の熱はほぼ引いたけれどまだ食べられない。で、また寝た。

クレタ島4日目の朝はどしゃぶり。朝食はパンと蜂蜜と目玉焼き。それからカモミールティー、白湯、インスタントコーヒー。全部で700ccくらいお湯を吸収した。部屋で某俳人の句集の栞を書くためにゲラを読んでいたら晴れてきたので、10時過ぎ、クノッソス宮殿を見に行くことにした。クノッソスは市バスの終点で、始発から25分のところにある。海辺のバスターミナルを発ち、ヴェネチア領時代の城壁に囲まれた市街地を抜けて、内陸の山間部に向かう。で、着いたら、私たちのほかはHOKAのシューズをはいたランナーとおぼしき夫婦一組がいただけで宮殿まるまる貸し切り状態だった。まるで探検ではないか。それにしても部屋数が多い。多すぎる。あやうく迷子になりかけた。でも住んでみたいと思わせる宮殿である。構造の面白さもさることながら天井が低いのがいい。そしてズキンガラスの陽気な鳴き声が途切れることなく降っている。なにをあんなに話すことがあるのだろう?


町に帰り、昼食をすませたあと、ヴェネチア領時代の要塞が海にせり出したところに寄ってみた。途中の道で、猫に会った。それが一番上の写真。

2023-12-20

クレタ島の散策と熱、そして猫の不在。





アテネ4日目の朝はハドリアヌスの図書館へ。そのあとクレタ島に渡り、イラクリオンの町を散策する。わたしにとってのクレタ島は村上春樹『遠い太鼓』の世界。ところが猫がいない。猫をさがしてふらふらしていたらどこかの犬と親しくなる。

クレタ島2日目は、コタナス古代ギリシャ技術博物館と歴史博物館を見、それから海辺を歩く。貝殻なんかを拾えたらいいなと思っていたけれど体力の限界に達し、昼食と夕食は食べられなかった。とはいえ全く食べないと薬が飲めないので、夜はカモミールティーにスティックシュガーを2本溶かして飲む。熱は38度3分まで上がった。持参した薬が足りなくなってしまい、夫が近所の薬局まで買いに行ってくれた。

で、いまクレタ島3日目の朝。ゲラをふたつ直し、これからまたちょっと寝る。

2023-12-17

文明の発見と夜の探求





アテネ初日の夜は持参したティザンを飲んで就寝。2日目の朝食はスーパーで買ったクリスマス・パン、イチゴヨーグルト、コーヒー。クリスマス・パンはシナモン風味のブリオッシュだったけれど、ギリシャ語の名前は未だに分からず。

ホテルを出て、繁華街、路地裏、観光地などを豪雨の中どこまでも歩く。アクロポリス博物館に入ると、クリュセレファンティノスの彫刻を大理石で模倣したアフロディーテの顔が宙に浮いていた。目の下に流れ出た色は青銅製の睫毛が酸化したものらしい。近くにいた学芸員に写真を撮っていいかとたずねたところ「いいですよ」とのことだったので撮影。


キクラデス博物館ではギリシャ最古の文明発祥地であるキクラデス諸島の、つるんと抽象的な、癖になる彫刻などを観る。その後、マケドニア王国にかんする特別展を観賞。夜はホテルのキッチンでファルファッレと鮭のパスタ、トマトスープ、ベビーリーフサラダとチーズを用意して食す。キッチンはこんな雰囲気。カウンターの奥に調理場がある。手前はラウンジとフィットネスジム&サウナのスペースにつながる。


アテネ3日目はアリストテレスの学園(リュケイオン遺跡)、ビザンチン博物館、そしてアクロポリスへ。アリストテレスの学園は遺構好きには面白い場所だ。アクロポリスのパルテノン神殿へのぼる途中、イロディオ・アッティコ音楽堂をのぞきこむ。


パルテノン神殿は圧倒された。これまで見てきた建築の中で最も個性的なものだった。そうか、こういう世界観なのか、いままでちっともわかっていなかった!と古代ギリシアに対する蒙が啓けた気持ち。


夜にはまた路地を歩いた。まるで未知の星に来たような感覚だった。かっこいいラーメン屋を見つけ、星野鉄郎のようにふらふらと入店し、担々麺と水餃子を注文した。


その後もまた路地を歩き、去年旅したコルカタの祭りに勝るとも劣らないネオンに驚かされた。

2023-12-15

ギリシャへの旅





朝は7時に目を覚まし、9時過ぎに小さなバッグを持って家を飛び出した。原稿がようやく終わったので、気分転換にギリシャへ行くのだ。なにも調べていないけど、ギリシャだったら問題ないだろう。空港で新しいオーガニック・カフェを見つけた。アンチョビと黒オリーブをすりつぶしたペーストにケイパー、松の実、バジルなんかを混ぜたタプナードを塗り、赤ピーマンのマリネとアボカド、ルッコラを挟んだサンドイッチと水を注文した。搭乗までの時間、春日太一『市川崑と「犬神家の一族」』を読む。機内ではよく眠る。15時にアテネの空港に着き、wifiに繋いだら編集者のkさんから、昨日送り返したゲラに問題があるとのメールが来ていた。それでちょっと悩みつつ、ホテルに荷物を置いて、食材を買うために近くのスーパーへ行った。

スーパーでは2リットルのペットボトルの水4本、丸焼きの鶏、豚のオレンジ煮込み、オレガノ風味のアンチョビ一缶、オイルサーディン一缶、トマト、りんご、イチゴヨーグルト、ミル付きのヒマラヤ岩塩、クーロリという名の輪っか状のゴマパン、そしてクリスマスのパンを買った。クリスマスのパンの呼び名はわからない。写真を載せてみようかな。ご存じの方いらっしゃいましたら教えてください。見た目はブリオッシュに似ていて、味は明日の朝のお楽しみ。で、これらの食材を持ち帰り、ホテルの広々としたキッチンで、その一部を皿に盛りつけ直して食べた。シーズンオフだからか、ダイニング・ルームにいるのは私たち夫婦だけである。ホテルの場所は繁華街の裏手、シャッターが軒並み閉まっている通りにあり、向かい側はレコードショップ。マイケル・ジャクソンの『スリラー』が入り口に飾られ、いとをかし、と言うべき風情。

食事の後は部屋に戻ってゲラを修正して、今はこのブログを書いてるところ。

2023-12-13

カメラがくれた勇気、そして永遠





朝からロベール・ドアノー展を観る。

写真をまじまじと眺めて、まあ予想はしていたけれど、こんなにいいのかと思いました。対象をピンポイントで捉えていて、どれも写しすぎていないの。だからけっしてオーバーにならない。真っ向から撮るときでも勝負っぽさを出さない。慎みがある。しかも画面のざわめきがめちゃくちゃリアル。

4歳で父親が戦場で亡くなり、7歳で母親とも死に別れ、ずっと不遇だったけれど、16歳でカメラを始めて、それが心の支えになって、片時も手放さなかった、まるで消防士の兜みたいにカメラを手にすると勇気が湧いた、カメラがあったから過去の辛かったことを乗り越えて、人々の愉しみを切り取る写真家になれた、そんな話をあらためて確認しつつ展示室をまわり、そのあとは別の部屋に移って、映画『パリが愛した写真家ロベール・ドアノー 永遠の3秒』を観た。

昼には家に戻り、クスクスを40g炊いて、モッツァレラと赤ピーマンとトマトを入れたコロッケとメスクランで食べた。主食は毎食ごとにいちいち量って作る派だ。

ところで最近ずっと考えているのは、誰かが死んだときに「泣く」という行為について。まあ、わたしも、そういうことがあれば泣く。でもそれは、ただただ心が傷ついたことにたいする生理的反応として泣くってことで、本当に心から絶望して泣くわけじゃない。だって人は、死んだって実は死んでない。生きつづけている。つまり生や死というのは現象でしかなく、そこにどういった本質を見てとるかはその人次第なのだ。でね、わたしは、詩を書く者が永遠を信じないで一体どうするのかって思う。永遠を支持することは詩人の採りうる政治的信念、そのひとつの形だろうって。なにものもここに残らない。それは知っている。知っているけれど、その事実に従わない。なにものも失われないと信じること。死に屈しないと決めること。永遠を心に抱えたまま、最期の日まで有限の存在でありつづけること。

2023-12-11

マグカップ革命





市川崑『犬神家の一族』を観た。後半ちょっと退屈だったけれど、富司純子が出てくるシーンは全部よかった。かっこいい。役者って感じ。

うちにはコーヒーメーカーがなくて、これまではドリップ、マキネッタ、フレンチプレスのどれかでコーヒーを淹れていたんです。それが1ヶ月ほど前に発見して、いま流行ってるのは写真のマグカップで紅茶みたいに淹れるやり方。蓋をして3分半ほど待つだけ。マグカップは蓋とフィルターがついているタイプですが、フレンチプレスみたいに押さないので粉っぽくならず、しかも440cc入る。これでデカフェを飲んでいます。

コーヒー豆はこのところ電動より手挽きの方が多いです。KINGrinderのコーヒーミルを買ったからで、これが小さくて軽いの。しかもハンドルの先端の木が球体。球が好きなので気に入っています。

2023-12-09

新刊『ロゴスと巻貝』刊行のお知らせ





細切れに、駆け足で、何度でも、這うように、
本がなくても、わからなくてもーー
読書とはこんなにも自由なのですね、小津さん

山本貴光
(文筆家・ゲーム作家)

※目次※

読書というもの/それは音楽から始まった/握りしめたてのひらには/あなたまかせ選書術/風が吹けば、ひとたまりもない/ラプソディ・イン・ユメハカレノヲ/速読の風景/図書館を始める/毒キノコをめぐる研究/事典の歩き方/『智恵子抄』の影と光/奇人たちの解放区/音響計測者(フォトメトログラフィスト)の午後/再読主義そして遅読派/名文暮らし/接続詞の効用/恋とつるばら/戦争と平和がもたらすもの/全集についてわたしが語れる二、三の事柄/アスタルテ書房の本棚/ブラジルから来た遺骨拾い/残り香としての女たち/文字の生態系/明るい未来が待っている/自伝的虚構という手法/ゆったりのための獣道/翻訳と意識/空気愛好家の生活と意見/わたしの日本語/ブルバキ派の衣装哲学/わたしは驢馬に乗って句集をうりにゆきたい/そういえばの糸口/月が地上にいたころ/存在という名の軽い膜/プリンキピア日和/軽やかな人生/料理は発明である/クラゲの廃墟/人間の終わる日/本当に長い時間/梨と桃の形をした日曜日のあとがき/引用書籍一覧

※ ※ ※ ※ ※

2024年1月9日、アノニマスタジオから新刊『ロゴスと巻貝』が刊行されます(束見本の写真はこちら)。依頼されたテーマは「これまであなたはどんな本を、どんなふうに読んで来たのか」というもの。その問いに、ふわっと答えた、全40篇のエッセイ集。手にとっていただけると、とても嬉しいです。

ふわっと、というのはええと、なんて言えばいいんでしょう、まあ、依頼どおりのことをそのまま書くのは嫌だったんですね。だって読書遍歴を語りなんてしたら、人生が物語性を帯びるのを避けられないじゃないですか。愛読書も告白したくない。照れくさいもん。良書を並べるといった切り口も、他の本との差異化を図るのが難しいから却下。しょうがないので読書論でも書くかなと思ったんですが、よく考えたら世間に披露するほどの見識がないのでした。そんなふうにあれこれ迷走した末、最終的には身のまわりの出来事から書き起こして、その流れにちょうど合う本の話をするといったスタイルに落ち着いた次第です。

思い返せば、初校が仕上がったのが10月下旬。で、それをですね、帯文を依頼した山本貴光さんにお送りしたんですが、もうこれが嫌で嫌で。だってわたしの初校ってほとんどメモ帳なんだもん。あたりをつけただけの状態。恥ずかしすぎる。山本さん、衝撃で絶句なさったんじゃないかな、生きるって、ほんと恥ずかしいことの連続だな、ってゆーかこれほんとに間に合うんだろうか、などと心の中でぶつぶつと呟きつつ、冒頭からまるごと書き直して、数日前ようやく校了しました。

2023-11-23

毎日新聞インタビュー掲載のお知らせ





先週の土曜日に出演したFMヨコハマのFUTURESCAPEは、明日金曜日までradikoで聴取可能みたいです。それから毎日新聞の11月20日夕刊にインタビューが掲載されました。ネット版はこちらでお読みになれます。『いつかたこぶねになる日』について書いていただきました。

とうとう今日、入稿データが印刷所に渡りました。このあとまだ少し推敲をして、問題なく進めば年末に配本とのことです。

2023-11-14

ラジオ出演のお知らせ





今週の土曜(11月18日)、FMヨコハマのFUTURESCAPEにゲストとして出演します。出演時間は10時から30分ほど。『いつかたこぶねになる日』の話をする予定です。

『すばる』12月号の空耳放浪記は「ベースボールがもたらしたもの」と題して正岡子規について書いています。スポーツの秋、ということで。

* * *

前回の日記に「家が一番である」と書いたばかりなのに、先週木曜日から三日間パリに滞在していた。友だちの個展を見にいく用事があったのだ。せっかくなので絵を一枚購入する。それ以外の時間はカフェで本の原稿を書く。発売日はどんどん先にずれ、これ以上の先は存在しないぎりぎりに達した。

2023-11-06

マラソン大会の日曜日





日曜はニース・カンヌ国際マラソン。わたしはカンヌの砂浜に立つ高床式カフェで原稿書き。夜はカンヌのホテルに泊まる。晩御飯のあとはホテルのカフェテリアでまた原稿を書く。

ホテルは5月の時点で予約していたが、どんなところだろうとわくわくしていた自分は愚かであった。疲れるばかりでなにもいいことがない。自宅が一番である。

2023-11-04

奇跡のように軽やかで





ブログを更新しないのはさぼっているのでは全くなく、12月刊行の本の直しが佳境で深刻なまでに時間の余裕がないからだ。ゲラは直され直されて、すっかりもとと別の作品になっている。もともと直しが多いタイプであるのに加えて、最初に内容の見通しを立てられない本(書きたくないことを書くのでどこまで掘り下げられるか不明)だったので、どうしても最後にしわ寄せがくる。さっき友だちが「本、進んでますか?」と連絡をくれたので泣き言をいった。そしたら「だいじょうぶ、だいじょうぶ。真っ赤なゲラなんて普通だよ」と励ましてくれる。

今週は著者インタビューを2社のメディアから受けた。素粒社の『いつかたこぶねになる日』が新潮文庫になったから。そう、なったのだ。ブログで告知したかったのに、はっと気づいたときには刊行されてしまっていた。帯文は江國香織さん。解説は永井玲衣さん。そして装画はguse arseさんで、地中海の波、貝殻、陶器、古代の宮殿など、さまざまなイメージが目に浮かぶデザイン。こんなのありえる?ってくらい奇跡のように軽やかで、じーんと感動してる。

2023-10-19

秋山武太郎と幾何学の歌





日曜日は、Tシャツに短パンで海ぞいの道を散歩すると、まだ歩いているひとの半分は似たような格好で、泳いでいるひともいるくらいだったけど、そこから天気がぐずつき出して、とうとう今日は雨。この雨がやんだらほんものの秋が来るのではないかと恐れている。

12月刊行の新刊。もうゲラができているというのに原稿を三本差し替えることに決め、いますごい勢いで書いている。わたしは毎回これをやってしまう。この追い込まれないと現実がみえない体質、どうにかならないだろうか。

『すばる』連載中の空耳放浪記。今月の題は「穴のないドーナツと幾何学的神話」です。お読みいただけると嬉しいです。文中に引用した秋山武太郎の長歌をここにも抄出します。すごく好き。最後まで読みたくなった方はネットで調べれば出てきます。

幾何学を讃嘆する「うた」 秋山武太郎

万象の微を極むれば
点とこそなれ此の点ぞ
我が幾何学の始源なる
それ一点の行くところ
一たび動けば線となり
二たび動けば面となり
三たび動けば体となる

見よ幾何学の微妙空
平行線か天の川
同心円の月の輪に
流るる星の軌跡しも
推理し来れば幾十線
幾個の角の去来みな
自然の法を自現して

2023-10-01

LE MONDE D'HERMÈS N°83 AUTOMNE-HIVER 2023





LE MONDE D'HERMÈS N°83 AUTOMNE-HIVER 2023 (エルメスの世界 N°83 2023秋冬号)で俳句連作を発表しています。先月より世界中のエルメスの店舗で無料配布中。興味のある方は、どうぞお店の方に声をかけてみてください。カタログは拡張現実になっていて、スマートフォンに無料アプリを入れてところどころのページに翳すと立体アニメーションが楽しめます。

わたしの役割は秋冬コレクションを纏ったHarriet Parryの作品にフランス語の俳句を添えること。また俳句は佐々木未来による豪華な書にもなっています。

カタログは10ヶ国語で展開されているのですが、日本語版のための翻訳は自分でしました。その訳を添えて、気ままにいくつか。

un roseau d’or
pense en rêvant
d’un oiseau oxymore.

金の葦
オクシモロンの
鳥を夢む



klaxooooon!
la lune a plongé
dans un miroir profond.

クラクション
月の飛び込む
深き鏡(きょう)

二句目の上五、最初はun coup de klaxon.と詠んだのですが、なんとklaxonという単語が商標侵害にあたるので使用できないと言われ、抜け穴はないかと考えた結果こうなった次第。制約とは発想の源泉だなあとあらためて実感しました。

2023-09-20

毎朝うろこ雲を見上げている





とうとう夏が終わってしまい、悲しくてしかたがない。時間が巻き戻せないかなって思ってしまう。

「時間を巻き戻す」というのもそうだけど、さいきん、生きてきて、自分の内側から初めて湧き上がってきた言葉というのがいくつかある。たとえば「神」という言葉。ちょっとまえ、ふと「どうして神様は人間を草食動物としてつくらなかったんだろう…!」と思い、思うやいなや自分の発想にたじろいだ。いったいどうしたのだろう。

先週から夫が出張で全州に出かけていて、写真がばんばん送られてくる。上もその一枚。街の風景は京都を連想させる。またハングルがおしゃれ。モダンデザイン的で。モダンすぎて宇宙語っぽく見えることすらある。

宇宙といえば、現在発売中の『すばる』に「ジャズ・フェスティバルと星」と題したエッセイが載っています。トリッピーかつスプーキーな演出を愛するハービー・ハンコックが舞台上の音という音をキッチュな天文現象に変えてしまったこの夏のジャズ・フェスティバルの話から、国立天文台ハワイ観測所の台長だった海部宣男の著書『天文歳時記』へと移行して、とても素敵なハワイの叙事詩に触れました。

2023-09-10

あんペーストのおいしい召し上がり方





土曜日、日本から来た知人と遊ぶ。

朝10時にマセナ広場で待ち合わせ、広場を抜けて海へ出る。海を眺めた後は城跡のある丘に登る。高い丘から見下ろすと、日曜日に開催されるアイアンマン世界選手権の練習をしている選手たちが、サメから逃げているのかと思うくらいのスピードで泳ぎの仕上げをしていた。

昼食後は旧市街で三つの教会と、現在楽器博物館になっているラスカリ宮を巡る。ラスカリ宮で見知らぬ男性に声をかけられる。相手は作曲家で、日本で仕事したときの写真を見せてくれる。そのあとニース近現代美術館で常設展とThu-Van TranのNOUS VIVONS DANS L’ÉCLAT(我々は閃光の中に生きている)を鑑賞。丁寧な思索が感じられる仕事だった。

日曜日の朝はコーヒーと、知人からの手土産であるとらやのあんペーストをパンに塗って食べる。箱の中に入っていた「あんペーストのおいしい召し上がり方」という紙が、ちょうど小さな名刺くらいの大きさで、写真のレイアウトが可愛らいので、しおりにすることにする。夫は隣町の方角へジョギングしに行った。わたしは今から某俳誌の原稿を書く。

季刊アンソロジスト第6号発売されています。連載中の「存在のためのふわふわした組曲」、今回の掌編タイトルは「夜を知る」です。

2023-09-04

小津夜景第二句集『花と夜盗』刊行記念連句「桑の花の巻」



新刊のタイトルが決まらなくて右往左往していたのが、今朝ついに決まって一息ついているところ。この間、いろいろありました。一番大きいのがもうすぐ夏が終わるってことでしょうか。悲しい。

先日、四ヶ月かけて巻いた連句が完成しました。額装は羊我堂さん。素敵なレストランの敷紙みたいな画像で、盛り付けた句がおいしそう。ロクシタンのパッケージっぽくもあります。いま読み直して、今回の初折表六句は、ぐっと円陣を組んでるみたいな手堅さがあるなと思いました。季何さんの「巨帯都市(メガロポリス)のあかりみせばや」の、外連味たっぷりの擬古調のおかげでしょうか。また今回は連衆が多く、多彩なアイデアのひしめいている雰囲気も気に入っています。

2023-08-21

音楽千夜一夜とプリンキピア一般的注解(抄)





週刊俳句第852号の音楽千夜一夜にゲストで参加しています。紹介したのはエミール・ロンドニアンの「Missing Arrow」。さいきん知ったばかりのトリオです。PVの映像はストラスブールの街角。

それはそうと先日、原稿の整理をしていたら奇妙な詩が出てきたんですよ。ニュートン『プリンキピア』の「一般的注解」の翻案詞。いったい何を考えてこんなもの書いたんでしょうか。あまりにもアホらしいので載せちゃいます。長編詩なので一部だけ。恥ずかしくなったら消すかも。

プリンキピア一般的注解(抄)

延長は神のダンスフロア
持続は神のジャムセッション
主はここに そしてどこにもいる
なんだって経験してる そんなスタンス

変わらぬパワーで全域をカバー
スペース&タイムを超えてくフロウ
空間の隅にも、至高のプレゼンス
刹那の時さえ、不変のエレガンス

物体もメンバー入り でも神からの影響はゼロ
神は何も痛くない 物体も神の存在にビビらない
超アクション 超リラックス そうさ神はバリアフリー 
ぶっちぎり最強のスーパースター


2023-08-15

今日はこんなふうに読もう





告知が遅れてしまいましたが、女性誌『Precious』9月号のファッション大特集「愛すべきシャツに出会って秋が始まる」にエッセイを寄稿しています。俳人ならではの視点で、とのことだったので、その切り口からジョージア・オキーフを語ってみました。あと『すばる』連載中の空耳放浪記もあいかわらず続いております。今月号は、ハリネズミ師匠の指導の下、助動詞づかいの訓練をした話をお届けしております。

それはそうとですね、本を読んでいると、つくづく「わたしは遅読派だなあ」と思うんですよ。文章というのはリズムだから、理解するためにはテンポを外さず、それに乗っかっていく方が、ゆっくり読むよりも内容がつかまえやすいという話はたしか前にも書いたことがありますが、にもかかわらずゆっくり読むのは、言葉の並びや息づかいなんかを、好きな曲の数小節をリピートして聴くみたいに楽しみたいからなんですよね。つまり読書の醍醐味を、読み直すことに見出しているわけです。昨日はあんなふうに読んだから、今日はこんなふうに読もう。そうやって、読み方を、日によって変えてみる。スカーフの巻き方を、日によって変えるみたいに。

2023-08-08

ガロンヌ川と雲





ひさしぶりのトゥールーズ。ガロンヌ川を撮る。こんな大きな川だったんだな。小舟は兄弟なのだろうか。雲もわらわら集まって、みんなでどこかへ出かけるようだ。


こっちの写真は京都鴨川風味がある。丸いドームが東華菜館。で、細長いのが四条大橋なの。やはり雲は、みんなでどこかへ行くようだ。

2023-07-30

真夏の夜の月





風流を解する年ごろになると、最初は花や木にハマる。いままで普通に見ていた身近な植物が、なんだかすごく魅力的に感じられたり、庭に咲くものや店の鉢植えなどに、季節のうつろいを感じたりするようになるのだ。

花にハマったあとは、鳥のワールドに突入する。通勤中や散歩中に見かけるセキレイやハト、カササギといった身近な鳥にぐっときたり、ツバメが巣作りするの見てきゅんとしたり。そういうもんらしい。

鳥のつぎは風にダイブだ。風にも四季がある。春の東風、青葉を散らす青嵐。ジメジメとした梅雨のネンネンとした風、夏の南風、秋の野分、晩秋から初冬にかけての木枯らし、それにちょいとメロディアスな風とか、パン屋の匂いの風とか、いろんなムードを味わい分けるようになる。

そんで最後は月である。月は、寝たきりでも、窓越しにじっくり楽しむことができてよろしい。満ち欠けや、微妙な月の色の変化、それから模様なんかをしみじみとながめては、ああ、最高だ、なんて思うようになれば、十二分に仕上がっている。

花、鳥、風、月と移行するにつれて、有情とおさらばして、無情の世界に近づく。人は、時が深まるにつれて、非人間的なものへと愛情の対象を移していく。月は無情だ。そこにおいて風流はついに風狂と成る。

李白は月を見上げ、自分の影を誘い、月影己の三者で酒杯を交わした。それは自分の中の死と語り合うことでもあったろう。わたしには遠い世界。夜に自分の影を見ると、まだまだ不思議な感じがする。

2023-07-21

Nice Jazz Festival その2



20日の朝は原稿、昼は病院、夜はジャズ・フェスティバル。今夜のお目当てはハービー・ハンコック。

前日同様、夜8時すぎに会場に入り、Jalen NgondaとEzra Collectiveを聴く。で、夜11時、待ちに待った開演。感想をひとことで言えばアクション・サウンド・ペインティング。飛び散る音のしずくの、その減衰のさまがいちいち魅力的。テレンス・ブランチャードのトランペットも良かったけれど、面白かったのはジェームス・ジナスのベースソロ。ループ・ペダルで即興音を少しずつ重ね、ついには深遠なソロ・ジャムセッション(!)を織り上げ、まるで宇宙に漂うさまざまな星の運動を耳で聴いているみたいだった。終演後、ジェラート屋に寄ってレモンシャーベットを食べ、深夜1時半に帰宅。

2023-07-20

Nice Jazz Festival その1





原稿、海、原稿、海、をくりかえす日々。それでも13日の夜は革命記念日を祝う花火を見、19日はニース・ジャズ・フェスティバルに行った。トム・ジョーンズが来ると知って速攻でチケットを買っておいたのだ。余談だけど、と断るまでもなくこの日記は余談しかないのだが、わたしは行きたいライブがいくつもあった場合、出演者がより高齢の方に行くことにしている。トム・ジョーンズは83歳。逡巡の余地がない。


とはいえせっかくの機会なので、夜8時ごろには会場に入り、白ワインを飲みながらEmile Londonienとhyphen hyphenのライブも観る。そうこうしているうちに夜の11時。トム・ジョーンズの開演だ。私は愚かであった。年齢など関係ない。少しも衰えのない声量、ピッチ、そしてテクニック。古代ギリシアだったら確実に神話になる体力の持ち主だったのだこの人は。ヘラクレスってこんな感じの人だったんじゃないかしら…とさえ思った。


ヒット曲をつぎつぎ歌い(まったくジャズライブっぽくなかった)、アンコール4曲を含め、2時間歌いっぱなし。アンコールはチャック・ベリーまでやった。正しき祭りの姿である。深夜1時にライブが終わり、歩いて家に帰った。

2023-07-12

Richard Orlinskiの彫刻





12日の昼はLa Merendaでランチ。帰りは歩いて家まで戻った。


いつどこで誰がそれを決めたのか知らないんですけど、年初めから街のあちこちでリシャール・オルレンスキの作品を見るんです。ううん街だけじゃない、こないだ空港でも赤いワニを見たんだった。一体どういうことなんでしょう? 彫刻だけなら、ここは観光都市なので、「あ、今年はそういうコンセプトね」と思うだけなんですが、まず年始にモノプリが販売したガレット・デ・ロワの中にオルレンスキの人形が入ってたんです。その時点でもう「ん?」と不思議な感じがしたんですよ。なんかお洒落すぎやしないかって。それとほぼ同時に、ギャラリー・ラファイエットの最上階にオルレンスキの作品展示売り場が出現して、なんだろうこの推し推し感はと思った。でね、夏が始まったとたん街のあちこちに彫刻が設置されて、あ、行政までこの流れに乗っているのか、と。仕掛け人がいるのかなあ。彼のデザインしたウブロの時計(日本では「リチャード・オーリンスキー」と英語読み)はすごくイカしてますけど、東京五輪の悪夢のせいで、この種のことの背後が気になっちゃって。それにしても、これまでいろんな場所でさまざまな彫刻を見てきたけれど、台座に署名がこんな大きく記された作品を見たのは初めてかも。資本主義の香りがすごい。


ガレット・デ・ロワの中に入っていたオルレンスキの熊の人形。ときどき出して飾っています。

2023-07-06

現代俳句を舌で味わう




松本の「books 電線の鳥」と「めしつくるひと」の共同企画で開催された「現代俳句を舌で味わう 小津夜景『花と夜盗』に寄せて」は、不肖私の俳句を元にした創作料理を味わいながら、俳句を鑑賞するというユニークな会。無事終わりましたとのメールが電線の鳥店主の原山さんから届く。送られてきた当日のメニューを拝見したら、すごかった。俳句がこんな風になるなんて。イラストレーターの佐々木未来さんがスケッチしてくれた絵をじっと見て、食べた気分に浸る。


その壱 西葫芦の水無月雲海
ズッキーニを揚げ焼きにし、豆乳と卵白のソースを掛けたもの
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雪の澱(よど)ほどよく夢を見残して

その弐 実芭蕉の箱舟焼き
味噌などで味付けした魚介をバナナに詰め、豆腐と豆乳のソースで皮ごとホイル焼きしたもの
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副葬の品のひとつを月として

その参 若鶏の青唄残歌(せいしょうざんか)焼き
若鶏を自家製山椒醤油で焼き、青大豆のソースを添えたもの
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そして悲歌嫩き駒鳥(ロビン)のこゑにさへ

その四 白き指絡める水晶宮
素麺とところてんを絡め梅肉や柚子の皮を散らしたもの
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喉越しは水母を夢むシャンデリア

その伍 北海に眠りて能留英(ノルウェー)の赤い夢
干し鱈の代わりに身欠きニシンを使ったノルウェー料理バカラウ
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古代魚のふつくら炊けて花の宴

原山さん宅の庭のモヒートミントとレモンバーム入りウォーター
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逃げ去りし夜ほど匂ふ水はなく

コーヒー
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きぬぎぬのキリマンジャロの深さかな

2023-07-05

海辺の医療日誌





火曜は朝から病院。午後はカフェで原稿書き。17時に帰ってきてすぐ水着に着替え、今年はじめて海にもぐった。泳ぎに行くまでは準備がかったるくて気が重かったんだけど、行かなきゃ始まんないと腹をくくって、行った。そしたら、思い出しましたよ、泳ぐのって楽しいんだってことを。周囲にも昨日が初ビーチの人がちらほら。イッツ・タイム・トゥ・ヒット・ザ・シー!ファースト・ダイブ!とかなんとか話し声が聞こえる。30分ほど泳ぐと体が完全にほぐれて気分が良くなった。

実はついさいきんまで、今年は海で泳がないかも、などと思っていた。理由は判断力に自信がないから。去年の退院後、一度だけ体調が悪くなり、もともとふわふわしてる頭がさらにふわふわになって、いまもその状態から抜け出せていない。だから海なんて全然行ける気がしなくって。でも行ってみたら、むしろリハビリに良さそう。

今日の午前中は編集者とzoom。必要事項がさくさく決まる。午後は図書館に行きたかったけど、太陽の下に出るのが億劫で、家に居ようかしらと迷ってる。