2023-01-30

モナコ行きの車窓から





モナコに向かう列車の窓から、光る海と空と雲を眺める。


句集『花と夜盗』ができるまでは暇がないから、と延ばし延ばしにしていた通院。今年に入ってから週に1、2回あっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。今日はレントゲン。


先週から体調の波が下り、とくに記憶力が壊滅的。書き下ろし本の計画が2冊あって、今から5ヶ月間、月150枚書かないと間に合わないというのに。もう他に手のつくしようがないので腹をくくってスマホをやめることにしました。いままでネット検索したり本を読んだりするのに使用していたんですが、これが相当体力を奪っている自覚はあったんですよね。まあ良い機会です。

2023-01-28

Hokusai – Voyage au pied du mont Fuji





アジア美術館で北斎展(ジョルジュ・レスコヴィッチ・コレクション)を観ました。

展示作品は「北斎漫画」が8編。それから「東海道名所図会」「東海道五十三次絵本駅路鈴」「富嶽三十六景」「諸国名橋奇覧」「諸国滝廻り」「百人一首姥がゑとき」「詩歌写真鏡」など計126点。


開館5分前に来て、始まると同時に入場したのに、一瞬ですごい混み具合に。作品以外では能楽師の衣装、文箱、蓑、折り畳み可能な旅の甲冑、結婚式用の駕籠など、鑑賞の助けとなる道具類10点が展示してありました。入場無料だったのでまったく期待していなかったのですが、予想を裏切る充実度でした。

2023-01-25

スチームパンク風研磨機





先週の木曜日、年金受給の開始年齢引き上げに反対する全国デモがありました。その日はトラムも全面運休だったため、普段は夜中しか走らない鉄道レールの研磨機が日中からそこらを走っていまして、ふうん、こうやってサビをとるのね、火花がかっこいいわね、なんて思いつつ眺めていたのですが……ちょいと古すぎませんかこの機械。日本はどうなのだろうと「レール研磨機」をググりましたが木製のマシンはひとつも発見できず。まあ、スチームパンクの実演イベントみたいでわくわくしましたけど。

(後日追記)これ木製じゃなくて鉄なのだそうです。色を見ててっきり木かと。いや、木だったら危ないですよね…。

2023-01-23

un fleuriste Proust!





snowdropさんが句集『花と夜盗』に収録した都々逸をフランス語に翻訳してくださいました(ブログはこちら)。

うその数だけうつつはありやあれは花守プルースト

est-ce qu'il y a
vérités autant que
le nombre de mensonges?
voilà, un fleuriste Proust!

最後の行"voilà, un fleuriste Proust!”の様式美よ。この都々逸ってどこかトロンプルイユ的な雰囲気があると思うのですが、フランス語版も同様の香りづけになっていて、とくに「フルリスト・プルースト」の調べが悪戯っぽくて完璧。原作よりも諧謔性がずっと豊かで感動しました。

snowdropさんによる『花と夜盗』十選はこちら

2023-01-21

トリコロールの工事現場





近所のマンションが外装工事をしているのですが、鉄パイプの足場を覆うメッシュシートがトリコロールカラーになっているんですよ。見るたび気分上がっちゃいます。工事ってこんなにうきうきするものだったかしら。


数日前、イタリアはジェノヴァから帰ってきました。ジェノヴァは私が最初に覚えた外国の町の名前。ほら、アニメ『母をたずねて三千里』の主人公マルコがこの港からアルゼンチンに出発しますよね、そのときの強烈な印象が今に至るもありまして、ずっと空気を吸ってみたかったんです。やっと念願叶い、港や街を散歩したり、山に登ったり、ルーベンスやファン・ダイクの絵を眺めたりと幸福な時間を過ごしました。写真は建物の壁に電飾広告を映し出しているところ。奇しくもメッシュシートっぽい。

ついでに書くと、ルーベンスは自分が最初に覚えた画家の名前で、こちらはアニメ『フランダースの犬』で知りました。わたくし、記憶にある一番古いテレビ番組というのが『フランダースの犬』の最終回、ネロが天に召されるシーンでして。もう悲惨すぎて大泣きしました。むかしのアニメってえげつなかったですよね。今でもしっかりトラウマで、主題歌を耳にすると過呼吸になってしまいます。

2023-01-08

悦楽と禁欲





「すばる」にお引っ越し&リニューアル再開した「空耳放浪記」。第二回は「道具の生きている景色」ということで調度歌合の狂歌を引用しつつ、ものがしゃべる世界に住んでいた知人の話を書きました。

新年なので、珍しい方々から「さいきんどうしてますか?」といった連絡をいただくこのごろ。今は間近にせまったイタリア旅行の準備と、来月から家の改装を再開するのとで、それ関係のこまごました用事をこなしています。とくに家は水回りを直すので、シャワーとか、排水口とか、タイルとか、ひとつひとつを業者に指定しないとならず、それらを探し出すのにものすごく時間がとられる。楽しいっちゃあ楽しいですけど、でもほら、こればっかりやってるわけにいかないというか、ほかの楽しいこともいろいろやりたいじゃないですか。楽しむために、うんとストイックにならなきゃいけないという、逆さ現象の日々。

2023-01-04

その光の届かぬ場所は春の河のどこにもなかった





春江花月夜 張若虚

春江潮水連海平 海上明月共潮生 灩灩随波千万里 何処春江無月明 江流宛転遶芳甸 月照花林皆似霰 空裏流霜不覚飛 汀上白沙看不見 江天一色無繊塵 皎皎空中孤月輪 江畔何人初見月 江月何年初照人 人生代代無窮已 江月年年祗相似 不知江月待何人 但見長江送流水 白雲一片去悠悠 青楓浦上不勝愁 誰家今夜扁舟子 何處相思明月樓 可憐樓上月裴回 応照離人妝鏡台 玉戸簾中巻不去 打衣砧上払還来 此時相望不相聞 願逐月華流照君 鴻雁長飛光不度 魚龍潜躍水成文  昨夜閑潭夢落花 可憐春半不還家 江水流春去欲盡 江潭落月復西斜 斜月沈沈蔵海霧 碣石瀟湘無限路 不知乗月幾人帰 落月揺情満江樹

春江花月の夜 張若虚

春の長江の潮は海へとつらなり平らかで
潮の満ちるにつれて見事な月が昇ってきた
きらきらと 波から波へ 千万里
その光の届かぬ場所は春の河のどこにもなかった
河はゆるやかにながれ かぐわしい野をめぐり
月は盛りの林を照らし 花という花が霙のよう
宙に泛ぶ霜は 飛び交っても気づかれず
渚の白い砂も 輝きと見分けがつかない
河も天も一色 あるかなきかの塵もなく
煌々と空中に ひとりぼっちの月がある
この畔ではじめて月をながめたのはだれだったのか
この月がはじめて人を照らしたのはいつだったのか
人間は世につれて入れ替わってゆくけれど
長江の月はどれだけ時がめぐっても昔のまま
わたしは知らない 月がだれを待っているのか
ただ目に映るのは長江を流れてゆく水ばかりだ
白いちぎれ雲が彼方へと去れば
青い楓の入江で愁いがわきおこる
だれだろう 今宵の小舟にゆられている旅人は
どこなのか 明月の楼閣でその旅人を思う人は
ああ 高殿の上に月がさまよっている
きっと夫と離れた妻の鏡台を照らしているのだ 光は
美しい戸の簾の中に巻き込んでもこぼれてしまい
衣をうつ砧の上から追い払ってもまたしのびよる
今このとき互いに月を仰いでも交わせぬ思いよ
叶うことならば月光を追って流れて君を照らしたい
けれど遠のく雁と違って月光は地をわたらず
魚はのたうって水面に文字を綾なすばかり
ゆうべは静かな淵で花の散る夢をみた
ああ 春も半ばなのにまだ家に帰れないなんて
河の水は春を押し流し、春は尽きようとする
河の淵に落ちかかった月がまた少し西に傾いた
傾いた月はひっそりと海の霧に隠れてしまった
碣石山から瀟湘まではてしない旅路はつづく
月に乗じてどれほどの人が故郷に帰ったことだろう
心は揺れ 月は落ち 河辺の樹を残照で包んでいる

* * *

張若虚は初唐の詩人。この七言古詩「春江花月夜」はべた凪の満潮に満月がのぼり、夜半をまわり、西の空に満月がしずむところまでを一篇の詩にしたもの。ココ・パイナップルを食しつつ訳し、『唐詩選』の通釈と見比べてみたらところどころ違うのですが、とりあえずこのまま投稿します。いろんな論文を確認して、時間のあるときに推敲しようと思います。

漢詩にとって文字のかたちや並べ方というのは超重要ですが、François Cheng "L'ecriture Poétique Chinoise"によると、「流れ」に象徴される時空の永遠性に「月」に象徴される人生の高揚、すなわち平面性と垂直性を交差させたこの詩の冒頭は、漢詩が視覚重視の文芸であることを説明するのに大変うってつけです。

春江潮水連海平
海上明月共潮生
灩灩随波千万里
何処春江無月明

このように、この詩を二元論的にコントロールする水という字「江・潮・水・海・灩・波」と、月という字「潮・明・月・随」とがふんだんに使われていることがわかります。また「潮」には水と月の両方が隠されているといった具合です。

2023-01-01

新年らしい言葉もなく





いつもと変わらぬ海を眺めています。お正月らしいことといえば、深夜にベランダに出てカウントダウンの花火を見たこと、家中のうさぎを一箇所に集めて飾り付けしたこと、そして近所のスーパーでみかんを買ったことくらい。


みかんはコルシカ産。木箱は組み立て式のデザイン。一個ずつ葉をつけたまま収穫してあるので皿に盛ると超可愛いです。