2023-07-30

真夏の夜の月





風流を解する年ごろになると、最初は花や木にハマる。いままで普通に見ていた身近な植物が、なんだかすごく魅力的に感じられたり、庭に咲くものや店の鉢植えなどに、季節のうつろいを感じたりするようになるのだ。

花にハマったあとは、鳥のワールドに突入する。通勤中や散歩中に見かけるセキレイやハト、カササギといった身近な鳥にぐっときたり、ツバメが巣作りするの見てきゅんとしたり。そういうもんらしい。

鳥のつぎは風にダイブだ。風にも四季がある。春の東風、青葉を散らす青嵐。ジメジメとした梅雨のネンネンとした風、夏の南風、秋の野分、晩秋から初冬にかけての木枯らし、それにちょいとメロディアスな風とか、パン屋の匂いの風とか、いろんなムードを味わい分けるようになる。

そんで最後は月である。月は、寝たきりでも、窓越しにじっくり楽しむことができてよろしい。満ち欠けや、微妙な月の色の変化、それから模様なんかをしみじみとながめては、ああ、最高だ、なんて思うようになれば、十二分に仕上がっている。

花、鳥、風、月と移行するにつれて、有情とおさらばして、無情の世界に近づく。人は、時が深まるにつれて、非人間的なものへと愛情の対象を移していく。月は無情だ。そこにおいて風流はついに風狂と成る。

李白は月を見上げ、自分の影を誘い、月影己の三者で酒杯を交わした。それは自分の中の死と語り合うことでもあったろう。わたしには遠い世界。夜に自分の影を見ると、まだまだ不思議な感じがする。