2020-09-16

陸游『入蜀記』(たわいのないこと3)





旅の楽しさというのは、もうそれはいろいろですが、行った先でその土地にまつわる説明などを読んで「へえ、ここでそんなことがあったんだね…」としみじみするのもそのひとつ。

芭蕉が〈夏草や兵どもが夢の跡〉とうたったとき、過去と現在との重なりあった感慨を〈や〉の一語に籠めたように、この種のしみじみの正体は悠久の時間への詠嘆そのものです。わたしも旅先に限らず、日頃から過去と現在とを重ねては感慨にひたってばかりいる質でして、地中海を眺めるときも「ああ、この海をアリストテレスも眺めたんだなあ」と毎度しみじみしているのでした。

さて漢詩にまつわる本をたわいなく語るシリーズ、第3回は陸游『入蜀記』です。南宋の詩人・陸游は四十六歳のとき、故郷浙江省紹興県の山陰から赴任先の蜀(四川省)に赴くために、長江をさかのぼる一五八日間の船旅を体験しました。そのときの長江船旅日記が「中国紀行文学の最高傑作」と絶賛される本書です。水の上から広大な景色を眺め、折々船から上がり、季節の風物や町並みを堪能し、各地の名所をめぐりながら、旅はゆったりと進みます。旅行記やガイドブックを読みながら夢想にひたるのが好きな人におすすめです。

で、この『入蜀記』がなぜ漢詩にまつわる本なのかといいますと、行く先々で、新しい見所があらわれるたびに、陸游が「あの詩人が、ほにゃらら、と詠んだのはここなのである」と親切に解説してくれるんですよ。

そもそも名所というのは詩人と切っても切れない関係にあって、つまり詩人がどこそこの歴史ないし景色をうたい、かつそれが名作であった場合、その土地の名声が一気にあがるということがくりかえされてきた。しかも中国の詩跡というのは長江や黄河のような大河流域にそって形成されていますから、これ一冊読めば、長江流域をめぐる名句を制覇したも同然なのでした。

ところで陸游その人はどんな詩を書いたのか? 興味のある方はどうぞ近刊『漢詩の手帳 いつかたこぶねになる日』でお楽しみください(詳細およびご予約ページはこちらです)。ここでは旧作『カモメの日の読書』から拙訳を引用します。

蓼の花  陸游

刀州での十年間は
詩と酒に夢中だった
夜ごと美しい花のために
燭をついやし遊びほうけた
年老いた漁夫となった今も
浮き立つ気分は残っていて
紅い蓼をそっと嚙んでは
清らかな秋に酔っている

蓼花 陸游

十年詩酒客刀州
毎為名花秉燭遊
老作漁翁猶喜事
数枝紅蓼酔清秋