2020-09-01

詩の韻律とは何か





夏の旅行から帰ってくると、ニースが秋になっていた。もちろんまだ気温は暖かいのだけれど、偽ることのできない空気の違いが感じられる。

近刊『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』の試し読み連載、第2回は「いつかたこぶねになる日」です。写真は文中に登場するアン・モロウ・リンドバーグ『海からの贈物』。この本の表紙はいくどかリニューアルしていますが、わたしはこのたこぶねの表紙がもう本当に好きで。これまで生きてきて、一番好きな表紙かもしれません。

ところで今朝「詩の韻律っていったいなんなの?」とわたしがわたしに質問したんです。急のことだったのですが、とっさにわたしは「韻律とは直観を扱う公式だよ。また韻律を組み立てることは、直観的把握を詩的公式として整えること。星を眺めて、その距離を数式にしてみるのと同じ行為なんだよ」と答えていました。きょとんとするわたしじしんに。

韻律のすてきなところは、言葉以前の感覚を切り捨てることなく現前化しうるところ。それで、韻律しかない(かのように振る舞う)作品には、悟性以前の世界を逍遥する天使的悦楽が感じられるわけです。

ただ、わたしは公式が好きだけれど、公式を作り出すこの世の花もやはり同じくらい好きなんですよね。そんなのはまぼろしだと言われようと、死がすぐそこに迫っていようと、やはり具象的な世界が大切なんです。そしてこの〈具象の大切さ〉は、わたしにとって、海が教えてくれたことの一つでもあるのでした。

かの世へと踵(きびす)を返すきりぎりす  小津夜景