2019-11-14

リクビダートル、あるいは別れを告げる日の丘へ



須藤岳史さんとの往復書簡「LETTERS」、最終回から1ヶ月でまさかの連載再開です。第13回は「日曜日の午後に軽い手紙を書こうとする試み」。秋の散策路、古い手紙、王様の耳はロバの耳、ラジオの夜、誤配送された手紙、一人の幅、私淑の系譜、日曜日の午後の軽い手紙を期待するということ、などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

* * *

佐藤りえ「リクビダートル」はチェルノブイリ事故のリクビダートルをテーマとした30句連作。持ち重りのする主題のときは、固有名詞は多くしたほうが連作の旨味がはっきりしてよいですが、この作品もまた詞書まで駆使して固有名詞をたっぷり使っているのが面白い。

ぼた餅もて別れを告げる日(プロヴォーディ)の丘へ
放射性廃棄物容器(キャニスター)込めばやオンカロの凍穴に
栗鼠かち割る木の実デーモンズコアならめ

現実にべったりと即きすぎて虚構性(作品としての自律性)が弱くなったり、あるいは逆に凡庸な観念の塔を建立したりといった、政治を扱うときに俳句が陥りがちな穴をうまく回避している、との印象を受けます。

ここから余談。観念の塔の最大の弱点といえばおおむねどれも似ているってことですけど、これ、もちろん箴言性や肉体性を有した観念を書ける人は別です。いますよね、たまにそういう人が。いつだったか知り合いが「岡井隆は観念の塔の名人で、塚本との最大の違いはそこかなと思うわ」と言ったことがあって、その時はなるほど!と唸りました。