2020-01-11

朝日に遅れないように



溜まった写真をどうにかしたくて、インスタグラムのアカウントを取得しました。日々の暮らしの写真と、過去のあれこれを整理するつもりです。

往復書簡「LETTERS」更新。第17回は須藤岳史さんの「未来を読むこと」。大晦日の花火、物語を読むこと、あまたに存在する真実、まどろみの時間、太郎と次郎の雪、未来を読むこと、偶然生まれる差異、無限への亀裂、などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

今回の手紙にはミヒャエル・エンデの引用がありますが、わたしが子供のころ本気で読んだ児童文学者は佐藤さとる、山中恒、そしてエンデなので、おお!と嬉しかったです。

エンデとの出会いは9歳のときに『モモ』を図書館で借りたのが最初。読み終わるやいなや、この本は手元に置いておかねばと興奮し、母に今年のクリスマス・プレゼントにこの本がほしいと懇願しました。

ついでに書くと、山中恒は7歳のとき、病気で臥せっていたわたしの枕元で母が『なんだかへんて子』を一冊まるごと読んでくれたんです。いまアマゾンでたしかめたら171ページもある本でしたが胸に沁みました。ペーソスがあつて、『ぼくがぼくであること』『おれがあいつであいつがおれで』など他の本のタイトルもかっこいい。

佐藤さとるはわたしに文学のよろこびを教えてくれた人生でいちばん大切な作家です。7歳のとき『だれも知らない小さな国』を図書館で借りて、日中ずっと読んで、夕ごはんのあとも読んで、 それでも終わらなくて(200ページ以上あった)泣く泣く蒲団に入り、 翌日は5時に起きて残りを一気に読破しました。窓の外でどんどん昇ってゆく朝日に遅れないよう一生懸命ゴールを目指し、みごと読みきったときの気持ちはいまも忘れられません。一日の始まる明るい日差しと、物語の豊かな余韻と、長い道のりをたった一人で走りきった自信とに包まれながら、ああこれが文学というものなのか、とわたしは深く感動したのでした。