2020-03-15

声と文字





新型肺炎対策でいろんな施設が閉まったせいでみんなやることがないのだろう、海岸沿いが賑わっている。ジョギングをする人もいつもの倍はいてとても走りにくそうだ。ニースはイタリアまで車で30分かからない距離にあるのだし、もう少し自宅に籠っていてもいいと思うのだけれど。パリのニュースがまるで外国の出来事みたいだ。

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往復書簡「LETTERS」更新。第21回は「間の呼吸」。朗読の間、呼吸を重ねること、響きの庭、バッハの受難曲、人の声を超えた声、楽器がもたらす情報、文字のイメェジと音、声と文字、ひらかれた問い、めざめた心、などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

今回の手紙に「声と文字とが線引きできない」という話が出てきます。しばしば学問では「文字の中の声」についてよく語られ、「声の中の文字」について語る人が少ないですけれど、わたしには「声の中の文字」の方が日常のリアルでして、例えば自分が(朗読も含めて)独り言をいうときというのは、音で絵(痕跡)を描くように音程を広くとり、標準語でも地方語でもない独自の訛りで、少しずつ円を描くように息を出すんです。場合によっては八卦掌みたいに、実際くるくる回りながら声を出してみたりもします。わたしにとって声を出すというのは虚空に描く書道のようなもので、また実際にも詩、書、画、武は「運動」として分かち難い。古代の演劇や、能楽などもまた然りではないでしょうか。あ、あと朗読のとき、言葉に感情を投影するのは好きではありません。なぜなら、そのときわたしは感情を伝えるためにではなく、言葉そのものを演じるために声を発しているからです。