2019-03-30

限りなく透明に近い空気





アパートを出ると、街路がいい感じになっていた。


今週の「土曜日の読書」はジャック・ルーボー『誘拐されたオルタンス』から虚構の肌ざわりについて。文末にリンクを貼ったルーボーさんの紹介記事はすごく書影が可愛いです。

ところで今回の記事は、先日ちょっと思うところができて書いてみたのですが、ぐったり疲れました。軽率だったなあ。もうやらない。比較とか、文化論じみた話とか、ほんと苦手。なんで苦手かというと、下のような理由です。

それはそうと、いま私がここに書いている話はただの枕で、まるで意味のないたわごとだと思ってもらえるとすごく嬉しい。というのも個人的体験、なかでも外国ネタは「絶対信用してはいけない」と断言したほうが無難なくらい話にバイアスがかかるものだからだ。人は平生、自分の知っている世界の外側の果てしなさを大変デリケートに感受しつつ生きているものだが、なぜか話題が外国ネタになると、いきなりその種の想像力が話す方にも聞く方にも欠落するシチュエーションが頻発する(いま私は「どこそこの国はこんなに意識が高い/低い」系の、よくある「文化的」ディスクールに想いを馳せつつ書いてます)。そういうの、ほんとに訳がわからない。いやもちろん、話す人あるいは聞く人に「他者を意味づけしたい欲望」がみなぎっているせいでそうなることは重々承知しているのだが、とにかく恥ずかしくて嫌だ。そういうわけでこの前書きも超ぞんざいに、ほんのささやかな体験としてどころかさらにそれ以下の扱いで、限りなく透明に近い空気くらいに思って眺めて下さい。