2020-02-23

死ぬことと生きること(澤の俳句 9)





2016年のテロが起こるまでは、誰でも思う存分カルナヴァルを見物できたんですが、いまはチケットを買って柵の中に入らなくてはならないんです。あ、でも仮装をすると無料で中に入れます。わたしはチケットを持たず、仮装もしていなかったので、この日は柵の外から眺めただけ。人が多すぎてよく見えなかった。

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征きし子の生き死に不詳夏炬燵  吉田邦幸

ほんとうにそうだと思います。私の祖母も沖縄戦で二人の兄を亡くしているのですが、戦争が終わると役所から「骨を取りに来い」との連絡があったんです。で、祖母が骨を受け取りに役所へゆくと、骨箱を渡されて、中を覗いたら骨ではなく石ころが二個ずつ入っていた。そんなですから祖母は兄弟の死をずっと疑っていましたよ。戦後五十年経って沖縄へ旅行し、慰霊碑に兄弟の名を確認して、そこでやっと「兄さん達は死んだんだ」と納得できたそうです。掲句は〈夏炬燵〉の日常感がさみしい。確かな答えを得ぬまま、終戦日からの時間が、宙づり状態で続いてきた気配を色濃く漂わせています。

老鶯や我が世自在と頻り鳴く  飯島侑江

〈老鶯〉と下五から、芭蕉〈鶯や竹の子藪に老(おひ)を鳴く〉を連想しました。『十論為弁抄』によると芭蕉は「白氏文集で見つけた老鶯という語が面白かったので、若竹と対比させて老若の余情を出してみた」とこの句を自解していますが、片や飯島句の方は同じ〈老〉でも隠者的、いわゆる老子の思想に絡めたようす。〈老〉の字を悲哀ではなく飄逸なものとして捉え、負のイメージを負わせない配慮が、夏にぴったりの空気を演出するのに役立っています。