2020-10-01

青木正児 『中華飲酒詩選』(たわいのないこと4)





漢詩といえば酒。このイメージを疑う人っていないんじゃないでしょうか。で、酒をあつかった漢詩本といえば、やはり周代から唐代までの酒の詩をアンソロジーにした青木正児『中華飲酒詩選』が忘れられません。いきなり序文で「麹世界(こうじのせかい)」「禍泉(わざわいのいずみ)」「瓶盞病(しょうしさかずきのやまい)」といった陶穀「瓶盞三病」を駆けつけ三杯的に読まされるのがまず狂喜で、雑学好きの人ならば辞典なみのうんちくを蒐集することもできます。

ところで、ここでいったんわたしの日々の飲酒事情を申し上げますと、まず毎夜赤ワインを15ccたしなみ、昼のコーヒーにはラムを5ccふります。また休日は朝飲みもします。我が家はガトー・オ・ショコラを焼くと12等分して冷凍し、2片ずつ解凍しては朝ごはんにするのですが、あるときカフェの代わりに白ワインをあわせてみたら、あらっと変な声が出るくらいおいしくて、それ以来朝飲みするようになりました。

このような、ほわん、と酔った心地になるのが好きなだけの、下戸に毛がはえた程度の飲酒家からみてふむふむと思った詩は、同じく酒に弱い白居易のそれです。うわばみ青木正児によれば白楽天は漢詩人界きっての卯酒(朝酒)愛好家で、その詠いぶりは「酔えば渇きも忘れ飢えも忘れ/官職も生身も忘れたようだ/耳には朝飯の鐘を今聞いたばかり/胸には卯酒がまだ消え残る」と、ほんのり恋の翳さえ帯びている。詩とは天地間の香気なのだから目で見ずに鼻で嗅げと青木正児は言いますけれど、まさしく、と思わせる一首です。

以下は陶淵明「飲酒」の拙訳。近刊『いつかたこぶねになる日』にも酒の名シーンを描いた詩が載っていますので、読んでみようかなという方はぜひこちらの詳細をご覧いただけますとうれしいです。

  
酒を飲む二十首 その七  陶淵明

秋の菊が美しい
しっとりと露に濡れたその花びらをつみとり
憂いを忘れさせるこの霊水に泛かべて
わたしは俗世から一歩 また一歩と遠ざかってゆく
ひとり盃でじっくりと
ほしいままに唇をうるおしていると
ついにうつわはからっぽとなり
気がつけば酒壺が転がっている
日は暮れ さまざまのいとなみがそのうごきを止め
ねぐらに帰る鳥たちが林をめざして啼いている
わたしは東の軒下で
ああ と声を漏らしてくつろぎながら
今日もまた一日を
惜しみなく味わったことに心から満足する

飲酒二十首其七  陶淵明

秋菊有佳色 裛露掇其英
汎此忘憂物 遠我遺世情
一觴雖獨進 杯盡壺自傾
日入群動息 歸鳥趨林鳴
嘯傲東軒下 聊復得此生