2020-10-08

日夏耿之介『唐山感情集』(たわいのないこと5)



漢詩の面白さってなにを読めばわかるの?という質問はもう何度も受けていて、そのたびに困ってしまうのですが、さいきんは「やはり解説書ではなく、良い翻訳を読むのが一番かも」と考えています。

森鴎外、小村定吉、那珂秀穂、森亮  あまたきらめく翻訳漢詩の担い手たちの仕事には、それぞれにあっとおどろく工夫があります。たとえば佐藤春夫『車塵集』は読みやすさと気品とのバランスがすばらしく、しかも女性の詩だけを訳すという画期的なもの。なにより詩として良く、漢詩と和詩の競作として眺めてもしっくりきます。

一番レイアウトが凝っているのは、たぶん土岐善麿『鶯の卵』。ちょくちょく見かける初版がいつも安くて、目にするたびに、なんてこったい、これは買いでしょうが!と思います(下の画像は明日までのオークションから寸借&編集)。といいつつ自分は持っていないんですけど。でもこういう本って家にあると嬉しい人はきっと嬉しい。


で、いちばん癖が強いのは、日夏耿之介『唐山感情集』じゃないかなと思うのですがどうでしょう? この本は「江戸小唄、隆達、投節、歌沢などの古雅なる三絃にあわせて歌う端唄の詩形をつかって、晋より民国にいたるまでの詩、詞、歌謡一三九首を訳出したもの」らしく、とくに冒頭に収められた、清国の馮雲鵬「二十四女花品(はなくらべにじふよびじん)」がじわじわきます。柏木如亭さながらの、江戸時代の口語翻訳(いわゆる俗語訳)になっていて、

夜合(ねむ)  あそび女(め)

とばりに房飾り垂れて
あそび女の家は春です、
万里橋のほとりに上客(よきたま)をむかへれば
九迷洞のくちでは新しく人を恋ふ
葉と葉と抱きむつみ合ふその為体(ていたらく)

夜合  妓女也

垂絲帳。
妓女一家春。
万里橋辺遨上客。
九迷洞口恋新人。
葉葉抱相親。

梨  いろじろ女だ

月かげほのかに
いろじろ女のうす化粧てな妍(い)いもんだね、
わかれがつらいといつも雨を帯びてるし
べにおしろいも施(せ)ずに宮中へおしかける、
素面で男ごころをつかむ手合いさ。

梨  素女也

溶々月。
素女素化妍。
為訴離愁常帯雨。
不施脂粉也朝天。
本色動人憐。


と、こんなふうに、訳す人が悪ければ卑猥になるだろう馮雲鵬「二十四女花品」をうまいこと粋にしちゃってます。きっと江戸の口語訳に倣ったのは、猥褻と粋とのさじ加減を塩梅するためだったんでしょうね。

それはそうと、わたしが日夏耿之介を知ったのは吉野朔実『少年は荒野を目指す』に登場する批評家・日夏雄高の姓が日夏耿之介由来だったことがきっかけ(野暮を承知で書くと「雄高」は埴谷雄高)です。日夏耿之介の「ゴシック・ローマン詩体」は10代の少女と相性がよかったようで、手に入ったものを読みふけりました。そういえば吉野朔実には堀口大學の訳詩集と同題の『月下の一群』という漫画もありますが、もちろん当時のわたしは日夏と堀口のいざこざ?など知る由もなく。ともあれ、そんなわけで『唐山感情集』は、吉野朔実の漫画を読んでいる人にとくにおすすめしてみたいです。