2021-09-05

季語の斡旋、漢詩の翻訳





さいきん人とした詩歌の話題2つ。

その壱。斡旋について。俳句の世界に季語の斡旋、言葉の斡旋などといった言い回しがありますが、この「斡旋」ってどこから出てきたんだろうって思いません? わたしはたまに気になるんです(とはいえルーツを調べたことは一度もないけど)。自分の知る中で一番古い例は1821(文政4)年刊の若槻敬『畏庵随筆』で「和歌の体製は、てにをはの斡旋にあり」という表現。もともとは俳句特有の用語ではなかったみたいなんですよね。

和歌の体製は、てにをはの斡旋にあり。古歌を博く考ててにをはの格を知べし。 かなの文字づかひも博く考て知べし。五十音に塾通し、音韻の正しきを取べし。(若槻敬『畏庵随筆』)

その弐。漢詩の翻訳について。漢詩の訳し方についてはすでに平井の本棚主催のトークイベントで話したことがあるのですが、そこで言及しなかったこととして中国語の朗読を聴いてみるというのがあります。で、とうぜん日本語の響きとは感性が違うなと思うこともあれば、逆に同時代性がありすぎてびっくりすることもある。この徐志摩の朗読とか、文体を決めるときにかなり参考にしました。初めて聴いたとき、西洋の詩の輸入を介して日中がつながったような気がしたんですよね。


拙訳を添えた一篇はこちらから試し読みできます。また訳し方についてはこちらの動画の13:51から話しています。